バカが犇めく都市
ちょっと遅くなってしまったかもです。すみません。
「ダメね。どこもかしこもエクスクレセンス(ばか)ばっかりだわ」
現はシティのはずれにいた。移動しながら発見した一般人たちを危険
なシティの中から外へ逃がすためだ。
もちろん、シティのこの状況と、離れた場所にいた春彦たちが同じ
波動を受けていたことから、あの波動は世界に向けて放たれたものだと
推測できる。その場合、シティの外といえどもエクスクレセンスは異常
発生していることだろう。
一概に安全とは言えないが、それでも死人で溢れかえっていたデルタ
セントラルシティより危険な場所も無いだろう。
世界各国の死人が集まり、管理されていたデルタセントラルシティ。
今のように強制暴走などをされてしまうと、ここまで脆い。
外敵には滅法強くても、内部から攻められればすぐに陥落してしまう。
「お、おいあんた、大丈夫なのか?」
現の後ろには七人ばかりの男女が列を成している。もっと多くの人
たちを助けたかった現だが、多すぎると移動に支障をきたすし、隠れて
移動することも難しくなってしまう。だから少人数にしたのだ。
シティの中にいる全ての人間を助けられるなんて思っていない。でも
できる限り多くの人間を助けたいと思った。例え少人数でも、一人だけ
だとしても。
「あんたも死人なんだろ?その・・・・暴走の危険とかは・・・」
「大丈夫よ。私はまだ余裕があるわ。それより―――」
現は話しかけてきた少年の腰にあるものを見る。長く、少し反りの
ある物体。今は所持者の少年の腰が引けているため、本来の意味を
成さなくなっている刀。
「あなたも武器携帯者ならちょっとは根性見せたらどうなの?」
デルタセントラルシティでは実力のある者に武器の携帯が許可されて
いる。無論、その武器で犯罪を犯せば普通よりもずっと重い罪を負うこ
とになる。武器携帯制度は死人が暴走した際に一般人でも対抗できる
ようにするため、という意味があったようだ。
「その制度も、全く意味を成していないみたいね・・・」
「し、仕方ないだろ・・・・こんな状況で戦えるかよ・・・・」
今は隠れているが一度道路に出ればエクスクレセンスに群れが待って
いる。第一段階か第二段階が主だが時折、第三段階も見かける。
いくら武器携帯者とはいえエクスクレセンスという化け物が相手では
分が悪い。
「あんたに付いていけばシティの外に出られるんだろ?」
「そうね。なるべく敵の居ない道を選んでいるつもりなのだけれど・・・
シティの中がもうエクスクレセンス(ばか)で溢れているわ」
「じゃあもう出られないってことなのか?」
「いいえ。脱出させてみせるわ」
今この少年少女たちを護れるのは現しかいない。それもシティと外の
境目までだが。
「いい?この先の道を渡るわ。私がエクスクレセンスを足止めしている
間にあなたが先導して道を渡って」
少年の返事も聞かずに現は道に飛び出した。今ではシティの状況を
探るために常時開放状態となってしまっている舌切雀を装着して。
「さぁ、音に抱かれなさい」
弦を伸ばす。それは数多い敵の身体を貫通する。
「急いで走りぬけてっ!」
少年に叫ぶ。腰が引けていた少年は立ち上がって後ろに続く人たちを
先導し始めた。
「あまり時間稼ぎはできないわね・・・・」
舌切雀の欠点。それは切鋼糸の音量調節ができないこと。
戦い慣れしている死兆星の連中なら予告無しで大音量を出しても問題は
無い。しかし今連れているのは一般人。後ろを通っている最中なのだから
大音量を出して敵を寸断しようものなら彼らの動きも止まってしまう。
最悪は鼓膜が破れるなんてことにもなりかねない。
舌切雀の最大の欠点。それは弦のくせに曲げられないことだ。
曲げられないというのは現本人の意思で、という意味だ。人為的な力
が加われば普通に曲げることができる。
逆に言えばそれ以外の方法では曲げることができない。現の意思だけ
では直進しかできないのだ。
だから破鋼糸も使えない。あれはある特定の距離にある物体を内部から
破壊する代物。動き回っている敵には驚くほど使い辛い。
「お、終わったぞっ!」
少し離れた場所、今現が立っている場所とエクスクレセンスたちのいる
場所からはちょうど死角になる位置に少年が顔だけを出していた。
移動は完了したらしい。次いで現は指示を飛ばす。
「全員耳を塞いでっ!早く、あなたが伝えるのよッ!」
「え、あ、はい!」
少年の伝達にいったのを見届けて、限界まで待つ。
敵は無数の弦に貫かれていようとも無理矢理進んでくる。徐々に距離は
詰まっていった。
しばらく経ってから、現は右手の甲にある弦を掻き鳴らした。
「切鋼糸」
大音量が響き渡る。手の甲で鳴らされた音が弦を伝わって振動させる。
高速で振動する弦はあらゆるものを切断するカッターとなる。
振動させるのは一瞬。数秒にも満たない時間で、接近している敵を寸断
する。
一振り。右腕を振り下ろす。
接近していたエクスクレセンスは絶命、距離が離れていたエクスクレセ
ンスも手傷を負う。
現は前に伸ばしていた弦を回収。即座に死角に飛び込んだ。
そこには耳をきつく押さえて座り込む七人ばかりの男女の姿。少年も
蹲っていた。
ほんの数秒。大音量を鳴らしただけでこの有様。しかしすぐにでも
行動を開始しなければいけなかった。
「ほら、ぼーっとしている暇は無いわよ」
少年の腕を掴んで立ち上がらせる。少々強引な気もしたが状況が状況
だけに仕方が無い。
「て、敵は死んだんじゃ・・・・?」
「バカ言わないで。あんな短時間の能力発動で殲滅なんてできやしないわ。
今のシティにどれだけのエクスクレセンスがいると思っているの?」
今倒してきたのはあくまで接近してきた敵のみだ。距離があった個体はまだ
無数にいる。すぐにでもここから離れなければ敵はすぐに来てしまう。
「急ぐわよ。皆、動いてっ!」
また七人で移動を始める。フラついている者もいたが気にしていられる
状況でもない。密かに弦を伸ばして支えてやる程度しかできなかった。
「な、なぁ」
「何?」
素っ気無い返事に萎縮してしまう少年。その視線は右手の手袋に向いていた。
「その、左手のは探査に伸ばしているのは分かってるんだけど・・・・右手の
はどこに向かって伸びているんだ?」
右手、切鋼糸はブリッツタワー・セントラルの方角へ伸びている。しかし
弦の目的地はブリッツタワー・セントラルではない。
少年に言う必要があるかどうか迷った現だったが、変に気にしすぎても
困ってしまうので言うことにした。
「タワーの側に病院があるの。そこには私の同僚―――知り合いが居てね。
今は意識不明の状態だから、危険が及ばないように監視しているのよ」
修之は未だに意識が戻っていないのか、何のアクションも起こしてこない。
もし意識が回復しているのだったら病院の外に出るはずだ。そうでなくとも
異変には気付くはず。大体、“未知の欠片”からの波動で痛みを感じて目覚めて
いてもおかしくは無い。だというのに何のアクションも無いのだ。逆に不安に
なってきてしまう。
「事件が起きてから私が直接出向いて、周りにある木とか柱とかに弦を巻きつ
けて固定して、すっぽり覆うように弦を張り巡らしてきたわ」
「じゃあ、あんた相当辛いんじゃ・・・・」
少年の心配そうな視線が現を見る。心根が優しい、とでもいうのだろうか。
自分だって危険な状況だというのにこの少年は他人を心配できる心を持って
いる。
「心配いらないわ。少なくともあなたたちを市外に送り出すまでは、ね。
一人でも多くの人を助けるのが私の仕事だから」
そこまで言った時、目の前の道に敵が現れた。まだまだ距離がある上に
エクスクレセンスたちはこちらに気付いていないようだった。
「先制攻撃で一気に潰すわ。構わず走り続けて」
左手の弦を伸ばしていく。こっそりと、エクスクレセンスたちに気付かれ
ないように。ゆっくりと。
エクスクレセンスたちのいる場所に弦が到達する。“ある特定の距離”に
敵を収めた現は左手の弦を掻き鳴らした。
「破鋼糸」
無音。先ほどのような大音量は響かない。耳を塞ごうとしていた少年は
しばし呆然としていたが、
「えっ―――」
少年の目が驚きに見開かれる。
進む方向にいたはずの数体のエクスクレセンス。それがいつの間にか
全身から血を吹き上げて絶命していたのだ。
「あ、あんた何をし―――」
「いいから走ってっ!後ろを見なさいっ!」
速度を落とさずに少年は後ろを見る。その顔が驚愕に染まる。
背後からは多数のエクスクレセンス――第一段階・第二段階混合で
迫ってきていた。二桁に昇る数の怪物が後ろから追い立ててきた。
「う、うわあああっ!」
「叫んでる体力があるなら走ることに使いなさいっ!ほら、もうすぐよ!」
現たちが走っているのはシティの外延部だった。建物も無く、シティ
全体を囲うように存在する川の水量調節、緊急時の桟橋の跳ね上げなど、
そういった操作をする施設が存在する場所。現たちの目指す場所はシティ
の外と中を繋ぐ橋。緊急時にはシティ外に被害が及ばないように跳ね上げ
られるはずなのだが、普段と変わらず架かっている。
「・・・・緊急時には跳ね上げられる橋じゃなかったの・・・・・?」
現も呆れ顔だ。これじゃ跳ね橋システムが意味を成さないじゃないか。
「おおかた、係員がエクスクレセンスの大量発生にビビッて一目散に
シティ外に逃げたんでしょうけど」
時刻は夜になりかけている。跳ね橋の向こう側は少し見え辛いが辛う
じて見ることができた。敵の姿は無い。このまま行けば何事もなく跳ね橋
を渡りきることができそうだ。
春彦たちと別れて随分経つ。先ほどから雪がチラついているが、この
雪は自然物ではないだろう。あのアッシュという少女は朝月を止める
ことができたのだろうか。それとも、最悪の手段を以って止めたのだろ
うか。今の現がそれを知ることはできない。
「このまま走り抜けるわよ。あの橋を超えればシティから出られるわ」
橋に到達した。橋の幅は二十mといったところか。片側二車線で頑丈
に作られている。所々破壊された痕跡があるがそれでも橋としての役割
は果たしていた。
シティからの脱出。その事実に安心しきっていた人も多い。七人全員
がそうだったと言われても違和感はない。
現は油断なんてしているつもりはなかった。しかし、今までのエクス
クレセンスとの戦闘経験からそんなことは起こらないと思っていた。
今まで経験していなかっただけで、今まで現れていなかっただけで、
そういう存在もいたということを知らなかったのだ。
今は跳ね橋を渡り始めて中腹程度といったところだ。周囲に敵の姿
は見えない。このまま渡りきってシティを脱出させてやれる―――。
―――はずだった。
突如として、現の目の前の橋が崩れ落ちた。いや、崩された。
「そんな・・・・!エクスクレセンスの反応は無かったはず・・・!」
現が調べた範囲ではエクスクレセンスの反応は無かった。むしろ動く
物体さえなかったはずだ。
エクスクレセンスは水中に居た。現が探査した範囲は跳ね橋とその
手前と渡った先。気付くはずもなかった。
水中から髭のようなものを伸ばしているエクスクレセンスは、一目で
ナマズと認識できた。しかし、サイズが通常のナマズとは桁違いだ。
幅二十m程もある跳ね橋よりもずっと大きい、それこそ五十mほども
あるのではないかと思わせるほどの大きさだった。
後ろを見れば全員怯えている。現でさえも大きいと思う。何度も
エクスクレセンスと戦闘してきたとはいえ、五十mクラスのものと
遭遇するのは初めての経験だった。
髭は曲がりくねって現たちを攻撃しようと伸びてくる。
(護りながら戦うとなると・・・・厳しいわね)
現は背後へ攻撃をさせないように回避する。後ろへ伸びようとした髭
を弦で叩き落とし、自分に迫る髭は回避する。それで手一杯で攻撃に
回ることはできなかった。
ふと、背後を見る。複数のエクスクレセンスが跳ね橋の入り口付近
にまで到達していた。後ろから追ってきていた連中だが、もう少し
到着が遅れると思っていただけに、厳しい。
そして現の頭の中には疑問があった。どうしてあの巨大ナマズは自分
たちを正確に攻撃できるのか。巨大ナマズの目は跳ね橋の下にあるはず。
さっきナマズの姿を確認したときに見えたから間違いないはずだ。
なのにどうして跳ね橋の上にいる自分たちを正確に攻撃できている
のか。そのカラクリがどこかにあるはずだ。
「・・・・む?」
そこで髭の動きに違和感があることに気付いた。違和感といえるほど
でもなく、不自然でもない。かといって自然的ともいえないもの。
髭が、動いている。
攻撃をする直前、目標を確かめるかのように髭の先端がその方向を
向くのだ。
どこを攻撃するにも必ず髭がその方向を向いてから行動している。その
髭そのものが独立して動いているように別々の場所を攻撃する。
「あ・・・」
そして、気付いた。
髭の先端。黒い髭の中に一箇所だけ、髭全体の動きとは別に動いている
部分がある。
それは瞬きするように閉じたり開いたり、ギョロリと半光沢に光って
いる。
目玉、だ。
何本もある髭の先端一つ一つに目玉が付いている。
それで目標を視認して攻撃を仕掛けていたのだ。
これでは本体にある目など意味はない。攻撃するだけなら髭にある目で
見ればいいだけなのだから。
「そうと分かってしまえばこっちのものよっ!」
右手から弦を伸ばす。それは寸分の狂いも無く髭の先端にある目玉を
貫く。攻撃を加えてきていた全ての髭に一本ずつ、弦を打ち込んだ。
――オオオォォッォォォッォォ!
巨大ナマズのナマズらしからぬ悲鳴のようなものが響く。普通の一般人
なら耳を塞ぎかねない音量だったが、現の切鋼糸の音量を知っていた者
にとっては取るに足らないものだ。現の背後の七人も特に耳を塞ぐような
動作はしていなかった。
「切鋼糸」
右腕の弦が長く、長く伸びていく。跳ね橋の下にいる巨大ナマズに届く
ように長く、伸びていく。
一本の太さが十分の一ミリにも満たない弦。それが弦同士少しの隙間
を空けて、さながら爪のように並んでいる。遠くから見れば一本の長大
な剣にも見えるだろう。現が右手の弦を掻き鳴らす。
大音量が鳴り響く。後ろの人々は耳を強く塞ぎ、巨大ナマズは突然の
音と髭の痛みに悶え、迫ってきていたエクスクレセンスたちは立ち止まる。
弦と弦の間にある隙間。そこに大音量が弦を伝わって流れ込み、音叉
のような役割を果たす。ただでさえ大音量の切鋼糸は弦の音叉によって
さらに音量を増している。
弦で形作られた剣は激しく振動している。弦同士の間で音が反響し合い、
音叉によって刃物よりも鋭利になる。
現は右手を振り上げる。跳ね橋の下で悶える巨大ナマズに向かって
地面を削るように、ナマズの尻尾から頭部までを切り裂いた。
「断弦」
大音量を撒き散らす弦刀が振られた。一切の抵抗を感じさせず、切り裂
いた感触さえ現に与えず、巨大ナマズの背を切り裂いた。
――オオオォォォォオオォッォォォォォォ!
尻尾の先端から背中をざっくりと切り裂かれた巨大ナマズは咆哮を
上げながら動きを止めた。ぐったりと、死んだように身動ぎ一つしなく
なった。
「・・・・失敗したかしら」
両断できたわけではない。長さが足りなかったのだ。現が思っていたよ
りも巨大ナマズは肉厚だった。
何があるか分からない状況下で現は武器を収めたりはしない。右手に
長大な剣を携え、けれども音は消して、現は振り向く。
「障害は排除したわ。渡ってシティから脱出しなさい。今から道を作る
わ」
現は空いている左手の掌を地面に触れさせる。そこから無数の弦を
伸ばし破壊された跳ね橋の代わりとしていく。無弦は自分の意思で曲げる
ことはできずとも硬度ならある程度操作できる。最高硬度にして跳ね橋
の代わりとすること程度なら造作ない。人の体重程度なら難なく支えること
はできるけれども、外部から大きな力が加えられれば案外ポッキリ折れて
しまう。
「さぁ、渡って」
「あ、あんたは・・・・?」
我先にと渡っていく中で少年が、少年だけが渡るのを躊躇った。
「私はアレを食い止めなくちゃならないわ。いいからさっさと渡りなさい」
現は後ろを指差す。もうすぐそこまで十体を超えるエクスクレセンスが
迫ってきていた。
「あ、あれをって・・・いくらなんで無茶だろ!」
「いい?」
現は冷静に、少年に言う。現本人は決して無茶だとは思っておらず、
自分の身よりも少年のことを案じていた。
「あの人たちを見て」
少年の後ろを指差す。そこには男女六人がエクスクレセンスを恐怖
の瞳で見ていた。
今まで護衛してくれていた現さえも、その対象だった。
先ほどあっさりと巨大ナマズを葬り去ってしまったせいで現さえも
異常な存在として認識されてしまった。
これ以上現は行くわけにはいかないし、シティの外まで付いて行った
としても彼らが恐怖の中にいることに変わりはなかった。
「彼らを、彼女たちをあなたが護るのよ」
「なっ――」
絶句する少年。当然といえば当然だろう。彼らを護るということは
シティを脱出した後、少年がエクスクレセンスという化け物と戦うこと
を意味する。
「む、無理に決まってるだろ!あんなのと戦うなんて・・・・おまけに
護るなんて・・・!」
少年の視線の先にはエクスクレセンスがいた。ガタガタと震える手で
腰に佩いている刀を掴む。そして現から目を背けた。
現は目を逸らさずに、少年を見つめ続ける。
「あの中で武器携帯者はあなただけ。あなたには彼らを護る義務がある
のよ。強者として、弱者を護る義務が」
「・・・・」
少年の目には明らかな恐怖が滲んでいた。迫るエクスクレセンス。
死ねと言っている現。その両方に向けられた恐怖。
強く握り締められた手が刀を抜いた。
「怖い?なら刀を捨てることね。そうすれば強者の義務からは解放され
るわ。その代わり、この先あなたたちを護るものは何も無くなるけれど」
鞘ごと抜いた刀を止める。怖い。けれども少年には自らを護る唯一の
存在を手放すことはできなかった。
「あの目を見なさい。彼らのあなたを見る目は何だと思う?」
少年は振り向く。自分を見る彼らの瞳は尊敬とも羨望とも違う――
もっと縋るような瞳だった。
「あなたに刀を捨てて欲しくない。武器携帯者なんだから強いに決まっ
ている。この先はあんな化け物女じゃなくて彼が護ってくれるんだ。
そういう目よ」
今のこの状況、死人が暴走して世界が崩壊しかかっている状況。そんな
時、一般人が頼れるのは生き残った死人でも警察でも自衛隊でもない。
もっと身近な、武器携帯者だ。自分たちよりも強くて暴走する危険も
無く、自衛隊のように遠い存在でもない、身近な拠り所。
「あなたはもうそういう存在なのよ。彼らの期待を、希望を捨ててまで
恐怖から逃げたいのなら勝手にしなさい。でも、忘れないことね。あな
たが刀を捨てた瞬間、彼らの希望も拠り所も一度に消えるのよ」
「・・・・」
少年は何も言わず、刀を腰に戻した。そのまま背を向ける。
腰に佩いた刀をしっかりと握って。
「ああ、そうそう。逃げるなら人の多いところを目指しなさい」
弦の橋を渡っていこうとする少年に現は言う。立ち止まって、けれど
振り向かずにただ聞く。
「知らないでしょうけど、二度ほどあった突風みたいなもの――あれは
死人に大きな苦痛を与えるわ。シティの中も外も同じような状況でしょう
から一般人と死人は隔離されているはずよ。いきなり苦痛に呻いた人が
エクスクレセンス化しているのだから、死人の区別はつくはず。だから
人の多いところを目指しなさい」
これが私にできる最後の助言よ。
そう付け加えて現はエクスクレセンスたちを見据えた。背後からは
少年が走っていく音が聞こえる。弦を伝わってくる少年の足取りは、まだ
迷いも恐れもあるようだったけれど、しっかりしていた。
渡り終わったのが判る。弦から伝わる振動がなくなったし、何かが乗っ
ている気配も無くなった。
これでここにいるのは現一人。背後は崖。目の前には十体以上のエクス
クレセンス。逃げ場もないし、逃げるつもりもなかった。
「さっさと終わらせて、他の人たちを助けに行かなくちゃ」
右手にある断弦を振り上げる。音無現にとって、この程度の敵は物の
数ではなかった。
「こんな場所で時間を食ってられないわっ!」
一閃された断弦は三体のエクスクレセンスを胴から両断する。一切の
抵抗を感じさせず、切り裂いた感触さえも与えずに。
――オオオォォォォォォッ!
切り裂いた感触が無いというのが最大の利点であり、最大の欠点なのだ
ろう。突如として現の背後――崩れ落ちた跳ね橋の下から背中をざっくり
切り裂かれた巨大ナマズが飛び上がり、現をその巨大な口腔内に収めよう
としていた。
「なっ―――まだ生きて・・・・・っ!?」
さっきも言ったように、切り裂いた感触が無いというのが最大の利点
であり最大の欠点なのだ。切り裂く感触が無いというのは物を切断する時
の抵抗が無いということ。それは非力でもあらゆる物体を切り裂くことが
できるという意味であり、どういう風に斬ったか一切伝わらないという
意味でもある。斬った感触が無いというのは普通の人にとって、違和感
以外の何物でもないだろう。
だから巨大ナマズを斬ったとしてもどこからどこまでをどれくらい斬っ
たというのが目でしか確認できない。斬った感触による死の確認ができ
ないのだ。
対処が間に合わない。
物の数ではないといったのは正面のエクスクレセンスたちに対してだ。
背後からいきなり、それも死んだと思っていた敵が攻撃を仕掛けてきたら
咄嗟に対処などできようはずもない。
必死に右手の断弦を振ろうとするが、いかんせん、目の前の敵に対して
振り切った直後だ。技後硬直、と言う奴だ。一度振り切って止めてしまっ
た直後の手を後ろに向けて振りなおすことは、難しい。
(間に―――合わないっ!)
巨大ナマズの口腔内に入ってしまう覚悟を決める。最悪、腹の中から
切り裂いてしまえばいい。消化される前に出てしまえばいいのだ。
そういう覚悟を決めた直後、上空から――本来なら人がいるはずもない
上空から声と共に一人の女性が降ってきた。
「ノーレンジ・グラビトンッ!」
現の視界を黒い光が占める。巨大ナマズのいた方向を見ていた現は
確かに髪の長い人物が空から降ってくるのを見た。そして、その手に
持っている武器も。常日頃から疑問に思っていて、ついに聞くことが
できなかった。あの武器の本来の持ち主。
黒い光は瞬く間に大きさを増していき、あっという間に巨大ナマズを
取り込んでしまった。その跡には、何も残っていなかった。
巨大ナマズの死体も、その巨大な体躯の欠片さえ、残ってはいなかっ
た。どこかに吸い込まれてしまったかのように。
現の隣に降り立った人物は黒い髪を振り乱し、目の前のエクスクレセ
ンスに向かって持っていた武器を向ける。刃が二又に分かれた武器の
先端に、紅く縁取られた黒い球体が形成されていた。
「ロングレンジ・グラビティ!」
黒い閃光が放たれる。それはエクスクレセンスたちを一度に貫き、そ
の命を奪い取った。
あっという間の出来事。一瞬の攻防で合計して十体近いエクスクレセ
ンスを葬ってしまう技量。技の名前、武器の形状。朝月や夜月に似た
黒い艶やかな髪が風に靡いている。
「や、現ちゃん久しぶりー」
軽く、挨拶をしてくる。現にとって再開は一年ぶり。一年前に姿を
消してから一切の連絡が着かず便りも寄越さなかった同僚。自分に
とって一番気安い存在だった人物。
「あ、あなた今まで一体どこに―――」
「おっと、今はそんなこと気にしてる場合じゃないっしょ?敵は消えた
んだし、お互いにできることをしなきゃ、ね?」
現としてはもっと話したい。一年ぶりの再会でもっと言いたいことも
聞きたいこともあるのだ。不満を、喜びを全部ここで吐き出してしまい
たい。
それは現だけでなく彼女とて同じはずだ。しかし状況がそうではない
と言っている。全てを終わらせてからだ、と。彼女もそれを理解してい
る。だからこそ今ここで現を助け、するべきことをするように促している。
「・・・・そうね。聞きたいこととかは全部後回しにさせてもらうわ。
状況説明はいるかしら?」
「いらない・・・かな。大体のことは把握できてるつもりだし」
「そう。なら、私は行くわ。戦いが終わったら、全部吐いてもらうわよ」
彼女の横を通ってシティに戻ろうとする。彼女の能力で運んでもらう
のも良かったが彼女にもやることがあるのだろう。それが何かは分から
ないけれど。
「現ちゃん、それ・・・・」
彼女の言葉で現は気付く。右手に微かな、引っ張られるような力が
加わっていることに気付いた。くいくいと軽く引っ張っているかと思え
ば今度はギリギリと思い切り引っ張られて―――。
ブツッッ!
「きゃあッ!」
張り詰めていた弦がいきなり切れる。無数に張り巡らされていた
弦の殆どが一度に切れたのだ。
現は弦を回収する。その断面を見て確信した。
「これは耐久力の限界とかじゃ無いわ・・・・・外的要因で切れている。
あの病院に張ってきて、切断された。しかも直前の感覚からして内側か
ら・・・・まさかっ」
「ど、どしたの現ちゃん・・・?」
彼女は状況が理解しきれていない。分かっていることは現がどこかに
伸ばしていた弦が突然切れたこと。そしてそれが人為的な切断だという
ことだけだ。
「ちょっとごめん、緊急事態よっ!」
急かされるようにフェイスバイザーを弄り始める。通信モードをオンに
してから共通チャンネルを開く。フェイスバイザーを装着しているもの
ならば誰でも常に開いている共通チャンネル。今のこのシティでどれだけ
聞いている人間がいるか分からない。それでも春彦や金、御堂や朝月が
聞いてくれていることを信じて。もし彼らが聞いていなくても別の誰か
が聞いてくれていると信じて。誰か一人でも、状況が最悪に向かっている
ことを理解してくれると信じて。
「この通信を聞いている全員に告ぐわ――――――」
タイトルのアレは犇めく(ひしめく)と読みます。誰か読めたかな?
バカとはエクスクレセンスたちのことです。劇中の「あの武器」が何かはご想像にお任せします。この先出てきますけどね~。
ではまた次回。