崩壊した街(2)
第十二章 失ってから、ようやく気付ける大切なもの
彼らの知っているデルタセントラルシティは活発な最先端商業都市だ。
ここで作られるものは常にシティ外の上の上を行き、セントラルで
就職できる者は限られる。将来、期待できる若者を育てるための学校まで
幾つかある都市なのだ。就職者用の住宅街まである。メインストリートにも
激流商店街にも人がたくさん溢れていて賑やかな街。そういう場所だった。
しかし、今のこの光景はどうしたことだろう。
彼らが降り立った場所は激流商店街。ブリッツタワー・セントラルの
正面に位置し、このデルタセントラルシティ内外のあらゆる品物が流通
する場所だったはずだ。だからこそ一番賑わっていたし、人も一番多くいた
といっても過言ではないだろう。
そんな日常の光景を知っている彼らだからこそ、目の前の光景が信じ
られないのだ。
所狭しと並んでいた店舗は、その殆どが崩れ、倒壊し瓦礫を辺りに撒き
散らしている。街灯は折れ曲がり、路上駐車してあった車からは火の手が
上がっている。今も爆音が時折響いてきて、人々の悲鳴が聞こえてくる。
「なん・・・・だよ。こりゃあ―――」
「その声―――軌条・・・・なの?」
そう呟く軌条の横――瓦礫の中から聞き覚えのある声が聞こえた。
「その声は、現か!?」
軌条が瓦礫をどけ始める。暁も夜月も手伝ってすぐに瓦礫はどけられた。
その下には頭から血を流した音無現がいた。
「おい現ッ!大丈夫かよっ!?」
慌てて抱き起こす。軌条の腕の中で現はうっすらと目を開ける。
「ずいぶんと・・・・早い到着ね・・・・どんな手品を使ったのかしら?」
「んなことは今はどうでもいいっ!暁、少しでも手当てしてやってくれ」
「当然だ。傷の具合が見たいから服、脱がすぞ。こんな状況だ。気にして
なんていられないだろ」
暁は何故か、手際良く現の服を脱がしていく。晒された肌は血に濡れて
いて、頭部を含めて身体中を幾つもの傷が這っている。
普段なら性的興奮を促すような白い肌も、今は真っ赤に染まっている。
そこに感じるのは痛みだけで、劣情を感じるような者はいなかった。
「ふふ・・・男に肌を見られたのなんて・・・・初めてよ」
「そんなこと言っている場合じゃないのはよく分かっているだろう。誰も
お前を見て興奮なんてしやしないから安心しな」
それは“今の”という言葉が付くのだが、軌条は気付いていないし、
現には伝わっていなかった。
「あら、心外ね。私には魅力が無いってことかしら」
少しだけ拗ねてしまった。その間にも暁はクルクルと包帯を巻いていく。
どこに持っていたのだろうか。結構大量だ。
「よし。これでとりあえずはいいだろう」
包帯を巻き終わり、再び服を着せていく。現は痛みに耐えつつも立ち上がっ
た。
「で、さっそくて悪いが状況説明してくれ。何がどうなって、こんななっちま
ったんだよ?」
軌条が崩壊したデルタセントラルシティを見て、現に問う。もし、こんな
状況になった経緯を知っているとしたら現しかいないからだ。
「通話で言った通りよ。死兆星の上層部の連中が位置特定して炙りだした
“未知の欠片”に破壊行動を開始したの。その結果が、これよ。そしてアレ
が――」
そして現は視線をブリッツタワー・セントラルへと向ける。そこには“ソレ”
があった。
「あれこそが“未知の欠片”よ。生き物でも、機械ですらない、正体を知った
ことで更に“未知”になってしまった存在」
ブリッツタワー・セントラルはデルタセントラルシティの中心に聳えるセン
トラルの中核だ。地上三百m近くあるビルは地上一階から三十階までは一般職
員・死人共通の職場となっている。しかし、三十一階からはビルが二本の塔に
分裂していて、向かって左側を“ワーカータワー”と呼んでいる。一般職員含
め死人の職員も働く“表”の職場だ。ここと三十階以下のフロアを使ってセン
トラル中の通信網や電話回線などを取り仕切っている。
そして向かって右側を“ディレクトタワー”と呼んでいる。課長以上の
権限を持つ人物のみが入ることができ、そこで特別な会議や重要な会議やら
をしている。または特別な来客の際の応接に使ったり、最上階は社長の自室
にもなっている―――ということになっている。ディレクトタワーは死兆星
のためのタワーである。実際ディレクター――重役会議に使うこともあるが。
その二つの塔を以ってブリッツタワー・セントラルと呼称される。
その二つの尖塔の中間に、本来なら青空が見えるはずなのだ。曇天でも
雨でも、空が見えるはずなのだ。
だが、今は見えない。ビルの三十一階から百階までの間には空間の裂け目
ができていた。
そこから見えるのはあの景色。赤とも何色ともつかないような奇怪な色
が周囲を占める空間。全ての常識、感覚が意味を成さなくなってしまう空間
の狭間。そこから突出しているのが“未知の欠片”だという。
「なんだアレ・・クリスタル・・・か?」
ボキャブラリーが貧困な軌条の頭ではそんな言葉しか出てこなかった。
だが、大まかな形はそれで正解だ。
四角錐の底面同士を繋げたような、漫画に出てきそうなありきたりな形
の結晶体。陽光を反射させながら、ゆっくりと自転している様はまさしく
クリスタルだった。
「あんな物が、死人を生み出した大元だってのかよ・・・?」
機械には見えず、かといって生き物であるはずもない。姿形を知った
ことで更に“未知”になってしまった。
「しかし、大きいな・・・・」
夜月の呟きには誰もが賛同することだろう。ここから“未知の欠片が”
浮遊しているタワーまでは少なくとも五㎞からの距離がある。だという
のに視界に映るのは親指の爪ほどの大きさを持つクリスタル。遠近法から
みても間近で見れば相当な大きさであることは容易に想像できる。
そして、そのクリスタルが一際大きく光る。まるで脈動する心臓のよう
に不規則に光り、流れ出る血液のように光りの波が押し寄せてくる。
「気をつけてっ!あの波動は――」
現が言い終わる前に波動が彼らを飲み込む。それは強風のようであって、
叩きつけるような轟音ようで、物理的な攻撃のようでもあった。
「これは・・・・ッ!?ぐぅあああッ!」
暁が挙げる声も言葉にならずすぐに悲鳴に変わってしまう。精神を削る
ような激痛が彼らを苛んでいるのだ。飛沫町にいたときに味わったものと
同じ痛みが再び彼らを襲う。耐え難い痛みが続き、波動が消えると同時に
なんの余韻も残さずに痛みが消え去る。
この痛みを感じた全ての死人が、怖いまでも気持ち悪さを感じる。
「何なんだよ・・・・この痛みって・・・・?」
夜月の問いに答えるのは現。死人なら誰でも導き出せる答えを、彼女
は気づかぬふりをせずに答えてしまう。
「ここに――いえ、世界の死人全員が気付いているはずよ。この痛みは、
肉体変化系の侵食開始の合図と似ている。そして、自分のDEATH UNIT
の侵食が各段に進んでいることに」
そう、DUの侵食が進む。この波動を受けた全ての死人が感じていた
ことであり、できる限り目を逸らしていたい事柄でもあった。だからこそ
誰もが気付かぬふりをしていたのだ。
夜月も。軌条も。暁も。
“未知”がDUを生み出したのだとすれば、反抗したこの世界はもう
いらない、ということなのだろう。この世界にある全てのDUを回収して
別の場所へ行こうとしているのかもしれない。
そしてその影響は如実に現れていた。
「何だこの声は・・・・?」
シティの遠くから聞こえてくる雄叫びのような咆哮。とても人間の
出せる悲鳴とは思えなかった。
「これはエクスクレセンスの声よ。さっきの波とその前の波でエクスクレ
センスになってしまう者が出てきたの。シティのこの有様もエクスクレ
センスたちのせいよ」
「エクスクレセンスたちかよ・・・・何体いやがる」
彼らの眼前にもエクスクレセンスたちは現れ始めていた。視界に収まる
だけでも四体――どれもが第二段階だ。第一段階は殆どいないといって
いいだろう。
「春彦、手伝って。奴らを殲滅するわよっ」
「了解!」
途端、夏彦の身体を現のDU“雀”が包囲する。一瞬で音を発生させ
人体を破壊できる距離だ。
現は感じた違和感を信じて行動した。そして、その違和感は当たっていた。
「あなた、誰?」
「・・・・流石だなウツツ。雰囲気と口調一つで別人だって判別できるのか」
「当たり前でしょ。一体何回春彦と組んで仕事したと思っているのかしら?
それに、春彦は何度言っても私を名前で呼んでくれないわ」
悲しそうな声色も一瞬、彼女は本気の表情で彼に問う。
「もう一度、聞くわ。あなたは、誰?」
「・・・・」
答えず、無言の夏彦に危険を感じたのか、現は弦に力を込める。その
一瞬前に夏彦は右手を振り上げて叫んだ。
「来たれッ!」
夏彦の右腕に針金のようなものが集まり始める。それは複雑に絡み
合い組み合わさって刀の形を成していく。
「縁絶ッ!」
最後に肉付けするようにして顕現したのは深緑色の刀。それが一閃、
現の背後に迫っていた目の前の四体とは別の一体を切り裂いた。
何の抵抗も無く、カッターで紙を切るようにして縦に一閃。それだけ
で第二段階のエクスクレセンスは即死した。
「俺はハルの守護人格・ナツヒコだ」
そう言って刀を消す。夏彦が目を閉じて一秒かそこらですぐに目を
開けた。
しかし、そこにいたのは夏彦ではなかった。
「音無さんッ!大丈夫ですかっ!?」
包帯を身体中に巻いて、それでも戦おうとする現に春彦が駆け寄る。現
にはそれが春彦だと理解できた。
「春彦・・・・なのね?」
「はい。さっきまでの僕は僕じゃありません。もう一つの人格なんです」
信じられない、という表情をしながらも現は前を向いた。話を聞くのは
戦いの後だと、その瞳が語っていた。
「動きを止めてっ。いつもの戦法でいくわよっ!」
「了解ですっ」
春彦の背の空間が歪む。夏彦の鮮やかな深緑色の刀とは違い、無骨で
色彩の無い鉄色の鎖が飛び出してくる。
「螺旋を描けっ!」
背後だけでなく、眼前にまで迫っていたエクスクレセンス第二段階の横、
背後にまで空間の歪みは届く。かつての、DUを手にしたばかりの頃には
決してできなかった――いや、先ほどの波動で侵食が進むまでは確実に
為し得なかった複数座標からの遠隔出現。遠隔出現はできても、複数座標
を行うことはできなかったのだ。単一で遠隔出現はできた。自分の側から
なら複数座標での出現もできた。だけど、遠隔出現でなおかつ複数座標
での出現は為し得なかったのだ。
こんなときだけ、DUが侵食していたことに感謝したい。
「螺旋鎖鎌ッ!」
空間を突き破って現れた複数の鎖。それが四体のエクスクレセンス第二
段階をガチガチに縛ってしまう。異形の肉に食い込んで今にも千切りそう
な鎖は、例え異形の力を持ってしても引き千切ることはおろか、動かす
ことさえもできはしなかった。
「音無く囀れ―――」
ゆっくりと、静かにそう呟く現の手には、黒い手袋のようなものが
いつの間にか装着されていた。手の甲には弦が通っており、そしていつの間
にか、その弦が敵に向かって伸ばされていた。
「舌切雀ッ!」
現の叫び声と共に敵から放たれた幾つもの物体。何かは判別できないが
敵の飛び道具であることは間違いない。特殊な効果が無くとも、直撃すれば
人間なんて簡単に殺してしまうであろうもの。
しかし現は至って冷静に、春彦は現を信頼して一切の動きを見せなかっ
た。
「切鋼糸」
右手の甲にある弦を掻き鳴らす。右手から伸びていた弦が大音量の
音を撒き散らし、空気を振動させる。同時に振動していた弦が飛来して
くる無数の物体を何の苦もなく簡単に切り裂いてしまう。
春彦の任務は敵の動きを止める、阻害すること。過去何度もの任務で
協力していることで、現の強さは見にしみて理解していた。
「破鋼糸」
全ての飛来物を斬り捨てた直後、いつの間にか伸ばされていた左手の
弦が、音も無く振動する。
音は鳴らず無音のまま空気を揺らす。そして、敵が、四体のエクス
クレセンス第二段階が全身から血を噴出して絶命した。
「なっ――」
その光景に驚きの声を上げたのは夜月と桜子たちのみである。軌条や
暁は既に現の能力を知っているため、今更驚くことは無かった。
「現のDUは“舌切雀”。あの手に着けてる手袋が本体なんだ。右手からは
大音量であらゆる物体を切断する“切鋼糸”。左手からは無音で空気を
振動させて、ある特定の距離でのみ、一瞬で敵を体内から破壊する“破
鋼糸“がそれぞれ顕現してる」
「おまけに探索にも使える。弦に伝わる風圧を感じ取る・・・とか何とか
だったな」
軌条の説明に暁が付け足す。その短い説明の間に当初いた四体のエクス
クレセンスは全滅していた。
DUを解除しながら現は春彦に言う。自分の聞きたいことなど後回し
にしてまずは言わなければならないことを言う。
「気をつけて春彦。これからは無闇にDUを使わないほうがいいわ」
「それは、どういうことでしょう?侵食が進行するから・・・てだけでも
ないですよね?」
「ええ。さっきから色々シティのことを見てたりしてたのだけれども、ど
うやら“擬似暴走”みたいな現象が起こっているみたいなの」
「擬似暴走だって?」
夜月が会話に入ってくる。これは全員が知っておいたほうがいいこと
なので誰も何も言いはしなかった。
「ええ。DUの侵食が進んでいる者に見られる現象よ。エクスクレセンス化の
一歩手前、ってところかしら。発生し始めたのがついさっきからのことだから
“未知の欠片”が絡んでいることは明白。だから無闇にDUを使うべきでは
ないのよ。本当は」
「でもな、今のこのシティでDU無しで生き残れるほど、俺たちは強くも
ないし、運だって無い」
「そうね。だからこそ使い続けるしかないのよ。この状況も“未知の欠片”
が仕組んだことだとしたら、とっても良い趣味してるわ」
そして現はあることに気付く。そして金と春彦も当初の目的を思い出して
いた。
「あの――」
「ねぇ――」
春彦と現の言葉が重なる。春彦が言葉を譲る前に現が春彦に譲って
しまう。何か、春彦としては情けない気持ちになってしまったが今はそんな
ことを気にしていられるところではなかった。
「僕たちは修之さんが心配で戻って来たんです。修之さんがいる病院まで
行かないといけないんです。だから―――」
「ああ、それなら大丈夫よ」
春彦が言い終わる前に現はそう言ってしまう。そのことに呆然としている
春彦を置いて金が聞いた。
「どうしてですか?」
「彼のいる病院には私の弦が張り巡らされているわ。何かの動き、侵入が
あれば一発で分かるくらいに厳重にね」
「どうして、そこまで・・・?」
現にとって日坂修之とは単なる同僚であったはずだ。特別な関係も無く、
特別に仲が良かったわけでもなく、一緒に仕事をしていたわけでもない。
だというのにどうしてそこまでしているのか。自分の擬似暴走の危険を
犯してまで、修之を護る動機が彼女にはあるのだろうか。
「どうして・・・・ね。私はね、自分の能力を生かして、何の力も無い人々
を護ってあげたいと思ったの。だからこそ死兆星なんて組織にも入ったし
隊長なんて役職にも就いた。もう私は、関係無い一般人たちが理不尽に巻き
込まれて死んでいく様を見たくなんて無かったの」
また、敵が現れる。今度は春彦が動きを止める必要も無く、右手の弦にて
即座に刻まれてしまった。
「だから、今の彼は意識不明状態。一般人以下の、弱い存在なのよ。私の
目的は、仕事は、使命は、力の無い人々を理不尽な死から護ること。彼は
私の護るべき対象よ」
切り刻まれたエクスクレセンスはバラバラと地面に落ち、時間をかけて
粒子状に消えていく。それを、何事もなかったようにしている現は、やはり
春彦よりもずっと強かった。
戦いにおける実力も―――想いを貫ける強さも。
これで話は終わったとばかりに現は自分の話に切り替えた。彼女にとって
は、自分の想いを貫くためのことだから。心配なんてしなくてもいいと、
そう伝えたかったのだろう。
「で、私の話に移るけど、いいかしら?」
「あ、はい。修之さんが無事なら、それで」
突然、地震が起きる。それは何か、違和感を感じるような地震であった
が、今のこんな状況。何が起きても不思議じゃなかった。
「私の聞きたいことなのだけれど―――」
徐々に地震が大きくなる。まるで震源地が近づいてくるような、イメージ。
「修之のことを心配しているのなら―――」
そして、空間が割れた。
「朝月は、どこにいるのかしら?」
バリィィィッィィッン!
その声をかき消すようにして、ガラスの割れるような音と共に空間が弾けた。