崩壊した街
主人公フェードアウト。
すぐ戻ってきます。
朝月が――もとい、朝月の無意識が空間の狭間に消えた後、夏彦の武器
である縁絶は虚空へと消滅し、春彦は意識を取り戻していた。
「あ・・・・れ?朝月君は・・・・?」
途切れた記憶に混乱する春彦へ金が近づく。今の春彦に的確な状況説明
をしてあげられるのは彼女だけだ。
「後で話すね。だから今は―――」
金が軌条のほうを見る。彼は暁も含めて、状況を理解できていない。
どうして朝月があんな行動を取ったのか。何がどうして、ああなって
しまったのか。
本当のことを知る者は、少なくともここにはいない。
唯一判っていることは、朝月が自分の無意識とやらに、復讐心に呑み込ま
れたということだけだ。
「やっと――乗り越えられたと思ったのにな」
夜月の言葉が静寂な町に染みる。軌条は少しでも状況が知りたいらし
かった。
「なぁ、教えてくれ十四。ここで朝月に何があったんだ?」
言っていいものかどうか、夜月に視線を送った御堂は、夜月が頷く
のを確認してから口を開いた。
「朝月はここで過去のトラウマっていうか・・・・過去に依存している
のを乗り越えようとしてた。で、乗り越えられたと思った時、お前らが
現れて――あとはそのままだ。華南が死ぬ時の光景が自分の時に重なっ
て、恋人の死っていうフィルターが無くなっちまったからお前への憎し
みがダイレクトに浮き出ちまったんだろうな」
「つまりは・・・・俺のせいってことかよ」
「そうなるな」
自分でも意図しないところで自分が原因になる。仕方ないことだと
言えばそうなのかもしれないが、今回はそうもいかないだろう。
何せ、朝月という一人の人間が、激しい復讐心に囚われるのを助長し
てしまったのだから。自分が今、ここでこんなことをしていなければ
こんなことにはならなかったかもしれない。そういうどうしようもない
後悔が軌条を襲う。そんな後悔、何にもならないと知りつつも。
そして、そんな後悔さえ与える暇も無く、突如として軌条のフェイス
バイザーに通信が入った。
『軌条っ!暁、聞こえるっ!?』
「何だ?どうした現ッ!?何があった?」
軌条と暁以外に現の声が聞こえているものはいない。春彦と金と御堂
はフェイスバイザーを装着していないし、他の連中はまずフェイスバイザー
をもっていない。
『急いでデルタセントラルまで戻ってっ!死兆星の上層部が“未知の欠片”
に対して独断攻撃を仕掛け始めたわッ!』
「はぁッ!?何だってそんなこと・・・・第一“未知の欠片”の位置特定
はできてないはずじゃなかったのかよッ!?」
『それができていたみたいなのっ!急いで、このままじゃ何が起こるか
検討もつか―――きゃあッ!』
「おい、現っ!?どうしたおいッ!」
現の悲鳴を最後にして通信が途絶える。デルタセントラルで何かが
あったのは確実。恐らくは上層部の連中が“未知の欠片”に強襲をかけた
のだ。
何が起こるかわからない。一切の不明。何も分からないものに対する
恐怖心がしだいに鎌首をもたげてくる。
「どうしてんですか、軌条さん!?」
春彦も慌て気味だ。慌ててフェイスバイザーをつけているがもう無意味
に等しい。軌条の通信が途切れた直後から暁が連絡を取っているが、どこ
にも繋がらないからだ。
「上層部のバカ連中が“未知”に攻撃を始めやがったっ!もうデルタ
セントラルとは連絡がつかねぇ!」
「なんですって?どうしてそんなバカげたことを――」
「俺にもわかるかよッ!いいから急いで戻るぞっ。何が起きてるか不明
な以上、一刻の猶予もないと考えるべきだ!」
軌条が走り出す。それに続いて春彦、金、御堂も走り出していく。
夜月や桜子たちは何が事態の深刻さをある程度理解して、後に続く。
しかしここはデルタセントラルから遠く離れた町。バカ正直に電車
で帰ろうものなら四、五時間はかかる。
「・・・・春彦、落ち着いて聞いてね」
仕方ない、と考えた金は春彦に話しかける。さっきの記憶の欠落の
真実を伝えるためだ。
走りながら、というのも真剣味がない。立ち止まった金に釣られて
春彦も立ち止まる。軌条たちも気付いたのか止まってくれた。
「たぶん、少しは分かってると思うけど―――春彦の中で“夏彦”が
目覚めてるの。それも、ずっと前から、DUを手に入れて」
「・・・・やっぱり、夏彦が目覚めていたんですね。それも、強く
なって」
自分の首から下がっているリングを見る。チェーンに通されてネック
レスにされた指輪は二つ。春彦と夏彦、二人に送られた物だった。
「待ってくれ、その夏彦ってのは何なんだ?さっきは守護人格とか
何とか言ってたが・・・・」
御堂は知らない。もちろん、軌条も暁も。夏彦の存在を知っている
のは金と修之だけなのだ。朝月さえもその存在を知らなかった。
いや、朝月には“知らされていなかった”という表現のほうが正しい
かもしれない。
「昔の話ですよ―――ただ、僕がまだ弱かった頃の話です」
春彦はそれ以上語ろうとせず、金もまたそれ以上は言わなかった。
軌条も暁も追及しようとはしなかった。
「夏彦は僕を護るために生まれた人格――僕は二重人格者なんですよ。
・・・それで金、どうして今その話を?」
春彦にとってはそこが気がかりであり、夏彦の能力を見ていないのは
春彦だけでもある。
「それはね、夏彦の力を借りたいからなの」
「夏彦の力を・・・・?」
「うん。夏彦のDUは、その、空間制御ができるみたいだから」
空間制御。さっきの能力を見た限りではそう捕らえるほかに無い。
名前から考えれば他にも何かありそうだが、今はどうでもいいことだ。
「だから、夏彦の力を借りたいの。もしかしたら、デルタセントラル
まで直行できるかも。・・・・春彦が夏彦のことを快く思ってないこと
は知ってる。でも、お願いっ!」
金がどうしてここまで必死にお願いしているのかが、春彦には理解
できる。自分もそうだから。実の親よりも親らしく、愛情を持って
育ててくれた日坂修之。彼は今デルタセントラルにいるのだ。意識不明
という、とても危険な状態で。何の抵抗も、行動さえもできない状態で。
しかし春彦自身も夏彦には頼りたくない、という観念がある。過去に
夏彦がしたことは、たとえそれが春彦自身を救おうとしたことだとして
も、春彦にとっては許し難いことで――だから彼は彼を封じ込めた。
もう二度と出られないように、鎖で雁字搦めにして。
「分かりました・・・・彼を呼びます」
そして春彦は自分の意識の中へと埋没していく。眠りに誘われるような
心地よさが身体ではなく、気持ちを包む。
気付けば僕は狭い部屋の中にいた。四方が真っ白な壁で囲まれた部屋。
これは心の中の部屋なのだと、遅れて気付く。
壁には外の景色が映し出されていた。僕が見ている風景。それがスク
リーンとなった壁に映っている。
ここは僕が夏彦を閉じ込めていた部屋なのだと、ようやく理解する
ことができた。そして、どうして自分がここにいるのか、思い出すことも
できた。
僕は彼を呼びに来たのだ。皆が君の力を借りたがっていると。僕では
なく、君を必要としていると。
「夏彦・・・・・」
部屋の真ん中に横たわっている彼――僕の守護人格である夏彦に声
をかける。顔も声も身長から体重まで、全てが僕と一緒の彼は、ゆっくり
と上体を起こし、別段驚いた風もなく、僕を見る。ここに来るまでの経過
は全て見ていたのだろう。
「いいんかよ、俺に頼ったりしても?」
彼は知っているから。僕がどうして、彼を嫌うのかを。彼を頼って
しまって、その結果、僕は彼を嫌った。それ以降、僕は彼を頼らなくなっ
たから。彼に――いや、他人に頼るのを極力しなくなってしまったから。
僕だっていつまでも甘えてなんていられない。朝月君だって頑張った。
その結果ああなってしまったわけだけれども・・・・僕だってやらないと
いけないじゃないか。
「皆が、貴方を頼っています。僕も、君を頼ります」
「ハルは俺のことが嫌いなんじゃなかったんかよ?」
「嫌いですよ。君が過去にやったことは今でも許せていませんから。でも
ね、そんな僕個人のチャチな思いとは別に、僕には助けたい人がいるん
です。心配な人がいるんです。助けてあげたい人たちがいるんです」
この気持ちは真剣で、僕個人の彼に対する気持ちなんて無視しても
いいくらいの気持ちで。でもそれだけじゃダメだから、彼を許せない
までも、頼れるくらいにはなろうと思う。
全幅の信頼なんて寄せられない。でも、困った時に頼ってもいいと、
そう思えるくらいになりたい。
「いいんだな?」
「・・・ええ。でも、その前にやらないといけないことがあります」
僕は彼に笑みを向ける。口調と性格が違うだけの、外見も声色も全く一
緒の別人物。やっと、やっと笑みを向けてやることができた。そして、や
っと言うことができる。
「やり方うんぬんは抜きにして、僕を護ってくれて、ありがとう」
彼を許してあげることはまだ、できないけれど。それでも僕は言う機会
をずっと探していた。どんな方法だったとしても彼は僕を助けてくれた
んだから。彼自身の方法で、不器用でも、僕を助けて、護ってくれた。
だから、お礼は必要だと思う。礼儀、とかでは決してなくて。僕自身
の気持ちだから。
「・・・・ありがとう、ね。まさかハルの口からそんな言葉が聞けるとは
思ってなかったぜ」
彼もまた、笑みをくれた。許してくれたわけではないと知りつつも、
また自分を頼ってくれたことを純粋に喜んでいるみたいだ。彼にとっては
酷な日々だったかもしれない。僕が拒絶したせいで、彼を封印したせいで
彼は僕を助けることができなくなった。守護人格として生まれたのに、そ
の仕事を全うできない。それは辛いことだろう。
だから、彼がまた間違いをしてしまわないようにしなければ。
「でも、表層意識に出るに当たって、一つだけ条件があります」
「条件・・・・?」
「はい。条件というのはですね――」
これからも彼に頼れるように、徐々に信頼を預けていけるように。彼
には信頼を取り戻せるだけのことをしてもらわないと。
もちろん、僕も全力で努力するけれど。
「護るのは僕だけじゃなくて、皆もです。僕の大切な皆も一緒に護って
あげてください」
「皆も、かよ。俺はハルの守護人格だってのにな。少々過ぎた仕事じゃ
ねぇか?」
彼の苦笑は僕のそれとはまた違っていて。そこで僕は、口調と性格以外
の“違う”部分を見つけることができて、人知れず嬉しくなる。
「今まで五年近くも仕事してなかったんですよ?少々なオーバーくらい
がいいでしょう」
「仕事をさせなかったのはお前だかな・・・・」
呆れ半分、大きな役割を任された嬉しさ半分といった表情を残して
彼は身を翻す。
僕を部屋に残して出て行こうとする彼を僕は呼びとめた。彼は怪訝
そうに振り向く。
「もう一つだけ条件があります。どっちかっていうとこっちが条件です
ね。さっきのはお願い、ということで」
「おいおい、さっきので腹一杯だぜ?」
そんな彼を無視して一方的に告げてしまう。僕にとってはこれが重要
だから。
「僕の困ることはしないこと。昔みたいな、あんなことは絶対にしない
でくださいね」
「・・・」
そう、僕にとってはこれが一番重要で、これから彼を信頼していく上
で最も重要なこと。もし、彼がこれを守れないならば僕は即座に彼を
また封印するだろう。過去の再現なんて、絶対にいやだ。
「・・・オーケー。確認するぜ」
四方を真っ白い壁で囲まれた部屋。そこの隅にある扉に手をかけた
彼は振り向かずに言う。
「俺の任務はハルの安全が最優先。でも護るのはハルだけじゃなくって
ハルの“大切な人”たちも守護せよと。それでいてハルの困るような
ことや嫌がることはするな、と」
ノブを回す手に力を込めて扉を開く。外へ出て行く前に彼は、
「改めると随分無茶苦茶な命令だな、おい。遵守すんのが大変そうだぜ」
「期待していますよ、夏彦」
「ああ、期待に応えてみせるぜ、春彦」
彼が出て行った部屋に、僕は一人残る。彼はいつもこんな寂れた部屋
に一人篭っていたのか。
確かこの部屋は僕の彼に対する意識で生み出されたもののはず。だった
ら僕の意思一つで内装変更もできるのではないか。
「・・・・今度暇なときにでもやってあげましょうか。いくらなんでも
これじゃ何も無さすぎです」
そういう行為を通して、また彼と分かり合えるようになろう。僕と彼
にはまだ、時間が必要だから。
そういう決意をした直後、スクリーンとなっている壁に映し出された
僕の視覚映像が、聴覚情報も含めて動き出した。
数分の間目を閉じて身動ぎしなかった春彦が目を開ける。その瞳は
今までのような優しいものではなく、真逆とさえ言える攻撃的な瞳だった。
「よぉ、必要と聞いてやってきたぜ」
春彦しか知らない者にとっては違和感しかなく、夏彦を知っている者に
とっては懐かしい彼の言葉。金は少し前に彼と会っているが、それでも
こうして春彦公認で表層意識に出られることを嬉しく思う。
それは春彦が彼を頼ったということだから。例え少しでも、彼を必要
と感じてくれたということに他ならないから。
「お前が、夏彦か?」
「おう。あ、自己紹介とかいらねぇぜ。ハルの中から全部見てたからな。
ヒオ、だったよな?」
軌条を指差して名前を呼ぶ。それから暁、御堂へと指をずらしながら
それぞれに名前を挙げていく。
「ハイレン、トシ、ヨルツキ、サクラコ、ウミミ、オチバ、ユキメ、エイ
ナ、今ここにはいねぇけど、アサツキ」
指を下ろす。そして彼はどうして自分が必要とされているのかも理解
している。右腕を空中へと伸ばし、その腕に緑色の針金のようなものが
集まり始める。骨組みを組むようにして、それは刀の形を形成していく。
「来たれ」
最後に肉付けをするようにして出来上がる深緑色の刀。ただ振るわれ
ただけで大気を振動させる能力値未知数の夏彦のDEATH UNIT。
「縁絶ッ!」
全てを知っていると、理解しているという意味でのDUの顕現。それ
をしてから夏彦は金の確認を取る。
これからするべきことと、金が望むことを。
「ここから空間を切り裂いてデルタセントラルシティまでの最短ルートを
創り出し、全員を無事に送り届ける。それでいいんだな、クガネ?」
「うん。早く戻って、修之さんを助けなくちゃ」
一瞬の迷いも無く頷く金。見回せば、他の全員も同様に頷いていた。
夏彦が空間を縦に切り裂く。紙をカッターで切り裂くようにすっぱりと
綺麗に裂かれた空間。その向こうには赤とは言えず、かといって別の
名称が当てはまらないような不思議な色が占める空間が広がっている。
「これが・・・・空間の狭間・・」
夏彦は刀を降ろして最後の確認――というよりも注意を行う。危険だ
ということを伝えておかねばならない。
「この先は空間の狭間。全部の法則とか常識とかは一切通用しない場所
だ。あの空間では、遠くて近い。長くて短い。遅いのに速く感じて、
大きいのに小さく、高いのに低く感じる。そんな場所だ」
自分ですら通ることを躊躇った場所。結局は一度だけ通ったけれど、
できるならもう二度と通りたくないとさえ思う空間。
「うん、早く行こう。セントラルで何があったのか、それも知らないと
いけない気がするから」
そんな場所を彼女たちは通るという。心配な人がいるからと、知らな
いといけないことがあるからと、そんな訳も分からない場所を通るという。
「そうか・・・・なら止める義理もねぇ。いこうぜ」
夏彦が促し、それぞれが空間の亀裂に入ろうとした時―――。
ゴアッァァアッ!
突如、何かが夏彦を含めた全員を襲う。それは強風のようでありながら
叩きつけるような轟音のようであって、物理的な攻撃のようでもあった。
「な、何だッ!?」
「きゃあっ!?」
「ひゃあああッ!」
殆どの者は衝撃で倒れ、御堂と軌条、夏彦だけが倒れずに踏ん張る
ことができた。
そして、直後に全身を、精神を削るような激痛が彼らを襲った。
「ぐ、ぐうあああああッ!」
「きゃああああああッ!?」
地に倒れ伏し、全員が激痛に悶える。耐え難い痛みは、初めてDU
の侵食を味わったときの痛みに似ていた。
しばらくの後、痛みは消えた。あっさりと、あれだけの激痛がまるで
嘘のように消えてなくなってしまった。
「・・・・な、何だったんだよ?」
軌条が身体を起こしつつ、この痛みを味わった全ての人間が思っている
であろうことを口にする。当然、この場に答えられる者などいなかった。
痛みの余韻さえない。事実さえも無かったことにされたような感覚に
危機を覚える。異常が起きている。さっきの通信から、明らかにおかしい。
「とにかく早くいきましょうっ!きっとセントラルに行けば何か――っ」
金が空間の狭間へと入っていく。夏彦も慌てて追いかけて行ってしまう。
それほど危険な場所なのだろう。軌条としては状況把握と情報整理の
時間が欲しいところだったが金の言う通りデルタセントラルに行けば何か
分かるであろうことは確かなので自分も他の者たちを引き連れて空間の
狭間へと入り込む。一歩踏み込んだ途端に得体の知れない気持ち悪さが
身体全体を包み込んだ。
「うおっ・・・・気持ち悪っ!」
御堂が呻く。ゼリーの中を無理矢理移動しているような感覚となんとも
説明のつかない色が周囲を埋め尽くしていることが体感的、精神的に
不快感を齎す。
視覚情報的には遥か前方で、しかし時間感覚的にそれほど距離が離さ
れているとは思えなくて、そして聴覚情報的には驚くほど目の前から
声が聞こえる。
「俺を見失うなよ。迷ったら、力技で空間をこじ開けるしか出る方法が
無くなっちまうぜ」
「げっ・・・・」
至近距離で声が聞こえたかと思えば一瞬のうちに遠く遠ざかる。視覚
的には遠距離でも聴覚的には近距離――どの感覚を信じていいのか
分からず前後不覚になってしまう。
視覚情報的に遠くに見える白い切れ目のような空間の裂け目だけが
自分の向いている方向を確かにさせてくれていた。
「五感に頼んな。五感を信じるな。今この空間で信じられるのは己が
磨き上げた能力だけ、自分自身だけだ。目の前に見える出口だけを見て
進め。周りを見るな。他者を気にかけるな。自分を救うことだけを思っ
て進め」
五感に頼るなと言いながら目に見える出口を目指して進めという。
言葉に矛盾が生まれてしまうほどに常軌を逸した空間。それがここな
のだろう。夏彦自身さえも恐らくは通りたくないに違いない。
御堂も軌条もひたすらに走る。他人を気にしている余裕など、注意
されるまでもなく皆無だった。
周囲に満ちる奇怪な色と流動体の中を動くような感覚で生じる不快感。
目に見える出口が近づいたり遠ざかったりし、聞こえる音が近づき離れ
る。何かが手に触れたと思えばそこには何も無く、目の前に見えた夏彦
に手を伸ばせども触れることはできない。坂のようなものを上っている
感覚はあるのに一切の負荷が無く、坂のようなものを下っている感覚が
あるのにもの凄い負荷がかかる。景色が動いていないせいで自分が移動
できているのかさえも怪しい。時折、足元の感覚さえ覚束なくなるのだ。
そんな状況で他人のことを心配しろというほうが無理があるだろう。
形振り構わずひたすら走る。早くこの空間から抜け出したくて、脇目
も振らずに走り続ける。そして、不意に真っ白い切れ目が眼前に現れ、
急激に足元の感覚が消滅した。
「うっわッ!」
先に空間から抜け出た軌条が地面に落ちる。どうやら空間の出口は
地面よりも三mほど上にあったようで、見事に段差にかかったという
わけだ。
そして当然の如く、他の者たちも落下してくる。
「ちょっ・・・・軌条どけーっ!」
三m上から御堂が転落してくる。うつ伏せに落下した状態のままの
軌条に回避する術も受け止めることもできず、
「ぐふッ!」
「・・・だからどけと―――ぐはっ!?」
―――そして当然、後続の者も転落する。
「いってぇ~・・・・何で段差なんか・・・」
軌条の上に御堂、その上に夜月という構図。事情を知らない人間が
見たらさぞかし気持ち悪い光景だろう。
「ま、待て・・・・この展開だと―――全員落ちてないか?」
重なったままの三人が同時に戦慄を覚えた。一番下の軌条はもちろん、
御堂も、下手すれば夜月さえ危ない。圧死する可能性がある。
そしてそういう致命傷的な事実に気付いた時、非情にも頭上から声
が聞こえた。
「うわっ・・・・段差かよっ?」
意外と落ち着いた感じで暁が空間の切れ目から落下してくる。頭上を
確認できない三人は訪れるであろう痛みを伴う未来に恐怖する。
「く、来るな輩蓮っ!」
「お、落ちるなよ・・・・少なくとも――」
「俺たちの上には落ちるな――ッ!」
しかし、恐れていた衝撃はいつまで経っても来なかった。代わりに
ふわりと風が吹く。
叫ぶ三人を尻目にDUを発動、灰となった暁は灰になった身体を
用いて落下してくる女子たちを受け止めていた。
合計六人分。軽々と空中で受け止めた暁は滑るような動きで彼女たち
を地面に優しく降ろした。
先に落ちてしまったとはいえ、この扱いの差に理不尽なものを感じる
三人であった。
「あ、ありがとうございます・・・・」
ちなみに、お礼を言わなかったのは影名だけだった。頭を下げたから
それがお礼のつもりだったのかもしれない。先陣を切ってお礼を言った
のはやはりというか海深だった。
ようやく立ち上がれた軌条たちは埃を払って地面を軽く蹴り、互いに
耳に向かって声を出し、背中などの埃を払い合って、最後にその辺を
グルグル回って一言、
『嗚呼、俺は今、地面の上にいる・・・・』
空間の狭間を通ってきたことがそれほど堪えたのだろう。うっすらと
涙さえ浮かべている。
落ちることもせず、自分の能力故に普段から地面に足が着いていない
感覚に慣れている上、皆が恐れ、恐怖し、慌てている時こそ自分が冷静
でいなければならないという信念があるため、こういう場面でこそ彼は
冷静になれる。
「そういう感動もいいが、状況を見てくれ。そして、泣くのは全部が
終わってからにしてくれ」
そう言われてから全員が周囲を見る―――いや、見ないようにして
いたのかもしれない。
認めたくなかったのかもしれない。
この壮絶な光景を。
この――――デルタセントラルシティの崩壊を。
上層部というおっさん連中が攻撃なんかしたせいで大変なことになっちゃいました。どうやって攻撃したとかは・・・・聞かないでくださいorz
ここからずっとバトルが続きます。長い目で見てやってください。ついでに見捨てないでください。
では、また次回で。