悲劇の日
翌日、俺はどうしてこんな場所にいるんだろうか。
いやまぁ、理由は知っているんだけどね。それに同意して俺もここに
いるんだけどね。だからと行ってどうしてこんな大所帯なのか。
「金はいつごろから料理を始めてたの?」
「う~ん・・・・修之さんもロクに料理できなかったから・・・・たぶん
七~八年前くらいかな。海深は?」
「おんなじくらい。夜月さんも料理は全くだから」
どうにも料理という共通言語を発見した女子というのは関係の発展が
早い早い。昨日は殆ど初対面状態だったのにもうファーストネームで
呼び合う仲かよ。
「・・・・鎖の人」
「僕名乗ったと思うんですけど・・・・もう一度名乗ります?」
「・・・・うん」
「では改めて。一駿河春彦といいます」
「・・・・春彦」
「はい。よろしくお願いしますね、影名さん」
春彦もなんだかんだで影名と打ち解けているしな。
「いいもんじゃないか。敵同士とはいえこうやって打ち解け合える」
兄さんが御堂さんに言う。なんだかんだでこの二人も接点が多い。
会話の回数が多いせいか段々と打ち解けてきている気がする。
「まぁな。無駄な戦いが無いのはいいことだ」
ここは電車の中。十人分の座席を確保して俺と兄さんたちブルームシ
ード、御堂さんと金と春彦。あわせて十人だ。
デルタセントラルシティから外へ出て電車で長らく揺られている。
今こんな状況なのには多少の理由がある。
それを知るには昨日の夕飯の後、兄さんたちが集まっていたことに
対する本題からを知らなければならない。
「で、夕飯も終わったことで本題に入ってくれよ兄さん」
金と海深のナイスな夕飯を平らげた後は兄さんが俺の家にやってきた
理由を聞かなければならない。
「ああ、明日は特に予定はあったりするか?」
唐突だな。しかしここで「予定あるに決まってんじゃん」といえない
暇な自分が悲しい。夏休みだってのにな。
「無いけど、何で?」
そして兄さんの口から出た言葉に一瞬思考が飛んだ。
「明日、故郷に帰ろうと思う。もちろん、お前も含めて俺たち皆でだ」
皆で故郷に帰る。俺の故郷はあの事件のせいで今も荒地だ。そこへ
行こうというのか。
俺が帰れるかどうか。もし帰れるなら過去に囚われずに払拭できている
ということの証明になるかもしれない。あの場所は俺にとってトラウマの
根源みたいな場所。そこへ行って向き合えるというなら俺の心の中にあっ
たものは消え去ったといえるだろう。
しかしもし、行くことができないならば、俺はまだ過去に囚われている、
ということになる。あの場所に恐怖し、あの場所を忌避し、また逃げ出し
てしまうかもしれない。
そんな危険性を孕んでいるのにも関わらず兄さんは行こうというのだ。
一度全てが終わって、一から始まったあの場所に。
「分かったよ・・・・行く。行って、みせる」
たっぷり数分間沈黙してからそう答えを出す。今でも行くには怖い。
今行ったらまた崩れてしまうのではないかという恐怖が俺の足に震えを
伝えて行動を阻害しようとする。さっきだって口が上手く動いてくれ
なかったからつっかえたみたいな言い方になってしまった。
「よし、明日出るからな。準備しとけよ、荷物も、心もな」
そう言って立ち上がる。玄関の方に向かおうとしたときに金が呼び
止めた。
「あの・・・私もついて行っていいですか?」
どうしてそんなことを言い出すのか分からなかった。兄さんもそれは
同じなようで訝しげな視線を送っている。
「私は朝月と結構一緒にいます。けど、朝月の過去とかそういうのは
全然知らないんです。だから、一人の友人として知っておきたいんです」
その瞳に偽りの心は無く、純粋に俺のことを知りたいと思ってくれて
いるからこそだろう。
俺のことを知りたいと思っていても、それが俺の友人としてなのか、
それともDUの精神変化による知的探究心の増大によるものなのかは
定かではない。口ではどうとでも言えてしまうからな。
「そういうことなら僕も付いて行きますよ」
春彦までもがそんなことを言う。
「僕は朝月君の友人です。親友ではないかもしれませんけど、友人である
と自負しています。だからこそ、その友人が苦しんだ場所を見ておきたい
んです。その場所を見て、もう二度と朝月君にそんな光景を見させない
ためにも」
春彦、お前は俺の親友だよ。そこまで俺のことを考えてくれているのに
ただの友人で終わるわけないじゃないか。
とは恥ずかしくて言えない俺。へタレっていうのはこういうときにこそ
使われるべきかもしれない。
二人の瞳に兄さんは折れた。俺は本当にいい友人を持った。金の思いが
知的探究心ではないことを心から祈りたい。
「はぁ・・・・朝月は良い友人を持ったな。いいぜ、明日この家に来る
からお前ら二人も待っているといい」
そこまで結論着いてから御堂さんが言う。せっかくなら結論が出る前に
言い出せばいいものを。
「なら俺も同行させてもらおう」
「・・・・理由は?」
「修之が意識不明で居ない今、春彦と金、朝月の保護者は俺ってことに
なってんだ。記憶上結構な遠出だったと思うから心配で付いていく。
何か問題があるなら聞こう」
なんともな理由だった。こんな理由なら絶対金たちよりも先に言って
しまったほうがよかったと思う。二人の理由の後じゃもの凄く薄い理由に
思えてならない。
兄さんもそう思ったっぽいが、今までの関わりから御堂さんは悪い
人間じゃないことを知っている。全面的に信用しているわけじゃないだろ
うけれど、そこいらの人間よりは信頼できる程度の認識だろう。
「まぁいいや。この際何人になろうと大差ないからな。好きにしてくれ」
「お言葉に甘えて好きにさせてもらうわ」
御堂さんはそれだけ言って窓から庭に出る。そこから塀を乗り越えて
去っていった。
頼むから普通に玄関から帰ってくれ。
「じゃあ明日な。ここからだと結構距離あるから早い時間に来ることに
なるから。御堂は遅かったら置いていく方針で」
早い時間ということは学校に行くのと同じ程度の時間に起きればいい
ということか。早すぎに損はないだろう。
「おやすみ朝月」
「おやすみ兄さん」
それぞれが口々に帰っていく。俺たちはこれから明日の準備に取り
かからなければいけない。明日の朝じゃ間に合いそうもないから。
「じゃ、僕たちも帰って準備することにしますね。お休みなさい朝月君」
「私もそうするね。お休み朝月」
「ああ、お休み」
金と春彦も帰っていく。賑やかだった家が一瞬にして静寂に包まれて
しまう。
そのことを淋しいと感じる自分の驚く。今まではこれが普通で、人が
いると鬱陶しいとさえ思っていたほどだというのに。
これが変化ならば。昔に向けて“変わって”いけている証拠だという
のならば。
明日それは証明される。あの場所に行けるかどうか。たったそれだけの
ことで俺は過去を振り切ったか、未だに囚われ続けているのか。それが
はっきりする。
純粋に皆で遠出ということに楽しみを覚えなくもない。
俺は二割の楽しみと三割の期待、そして五割の不安を抱えながら準備
に取り掛かった。
とまぁ、これが昨日の真相。つまり今は荒地と化した俺の故郷に向けて
電車に揺られて早三時間である。
未だに不安が心の中で蟠っているが和気藹々と友達への道を驀進する
皆を見ていると目的地に近づくたびに強くなっていく不安がバカらしく
なってくる。
俺はといえば、特に会話するネタも無いので誰かが話しかけてくるまで
沈黙している所存だ。誰も何も言ってこないなら寝るしかないだろう。
金と海深と桜子は同じ話題でもう三時間は盛り上がっているし春彦は
影名に話かけている。影名も本を閉じているし以前戦ったことがあるせい
か春彦に興味でも湧いたんだろう。
雪女は黙々と読書中。昨日手に入れた“戦利品”を呼んでいるらしい。
まぁすなわちBL本なんだがな。
落葉は昨日夜更かしでもしていたのか電車に乗るなりアイマスクを装着
して眠ってしまった。兄さんは御堂さんと会話しているし俺は手持ち無沙汰
と言う奴だ。
どのみち目的地に到着するまでにまだ何時間かある。デルタセントラル
という都会の中心部にいると俺の故郷がどれだけ田舎にあったかが理解
できるというもの。今は荒地になってしまっているが。
暇なので寝てしまおうか、と考えていると、
「・・・・なぁ、アサ」
隣で寝ていたはずの落葉がアイマスクもズラさず頭も移動させないで
声を少し小さくして話かけてきた。
「お前、眠ってたんじゃなかったのか?」
意外と驚く俺。そりゃ、寝ていると思っていた隣人がいきなり喋り
だせば驚くだろうな。
「いや、寝てたんだけどさ、ちょっと聞きたいことがあって」
「何だ?俺も寝ようと思ってたから眠いんだわ」
俺はアイマスクなんて洒落たものは持っていない。顔にかぶせるものが
ないから少々眩しい。
「アサは大丈夫なのか?故郷に帰っても―――」
「大丈夫さ。いや、大丈夫にしてみせる」
そう、絶対に大丈夫なんて言えない。俺自身確証が持てない。あの場所
に戻って記憶のフラッシュバックとか起きても不思議じゃないと思う。
「大丈夫にしてみせる、か。思ってても中々言えないし実行もできない
ことだよな」
有言実行が俺のポリシーです、なんて言う気は毛頭ないが、今の俺の
場合は実行しないといけない状態だな。
「それ聞いて安心した。おやすみ」
あっという間に寝息が聞こえてくる。本当にそれだけを心配して起きて
きたみたいだ。眠いなら余計な心配なんかせずに寝ていればいいのにな。
「・・・・おせっかいだなこいつも」
真夏は暑い。が、電車の中は冷房が効いているから若干寒くも感じる。
落葉に自分の上着をかけてやる。何故か知らないが家を出る際に兄さんに
着せられた。少しはファッションにも気を遣えと言われてしまった。よっ
てこの上着は兄さんのものである。愛用品だから汚すな、とも言われた。
でも、寒くならないようにかけてやる程度のことは、まぁ許して欲しいね。
俺が少々寒くなりそうだが、まぁいいだろう。今まで捻くれていた分
他人に何かしてやりたい気分。
いい加減眠かった俺は目を閉じる。俺は元より早起きではないし、どち
らかといえばよく寝るほうだ。
目的地の駅に着くまでどれくらいあるだろう。はっきりとした時間まで
は分からないがそれでも十分に眠れる時間くらいは確保できるだろう。
特に寝不足というわけでもないが退屈だと眠くなる。寒いと眠くなる
というし、まぁ眠いと言いたいわけだ。
人間、いつでもと言うわけではないが眠い時に寝たほうがいい。
冷房のせいで肌寒さを感じつつも俺は眠るために意識を閉じた。
目が覚めた原因は一瞬の閃光。目蓋を閉じていても微かに感じた光が
俺を覚醒に導く。
何か襲撃とかとも思ったが殺気も怒気も何も感じないし寒気さえも
感じないので攻撃ではないと予測できる。では何の光だろう。
薄っすらと目を開ける。揺れていることからして電車はまだ走行中の
ようだが、目を開けた先にある幾つかの影は一体?
「あ、起きた」
桜子が手に持っていたカメラをしまう。デジタルカメラ、まさか俺を
撮ったのか?
「・・・・何してんの?」
素直な感想。俺の周りに何人かが集まって俺を見ていた。この状況と
さっきのカメラからして俺の寝顔を撮ったのは確実だろう。
「暇なんだな・・・・こんな意味ないことして」
「うっわ、何も説明してないのに全部自分で理解解決しちゃったよアサ
の奴。しかも動揺も何もしてないしっ」
「からかい甲斐の無い奴だなぁおい・・・・・」
何故か海深と落葉にそんなことを言われる始末。俺が何をした。
「人の寝顔なんて撮ったって意味ねーだろよ」
「そんなことないない。皆で遠出の記念写真」
そう言って二人は自分の座席に戻っていく。駅名を確認するともう
次の駅が目的地だった。
「そんなに寝てたのか俺・・・・」
伸びをして手早く荷物を纏めてしまう。どうせ大した荷物も無かったが。
見れば兄さんと御堂さんと春彦は既に荷物を纏め終わっていて、桜子
たちが準備を始めていた。
電車に揺られて四時間程度か?いい加減尻が痛い。
「そろそろ着くからな、降りる準備しとけよ」
電車は減速を始めていた。そう時間はかからずに電車は止まる。
そうすれば目的地の最寄の駅だ。そこからは大して時間はかからずに
到着する。
「降りるぞー」
兄さんの後に続いて降りる。俺はこの駅は使ったことは無い。俺は
まだ幼かったから街から出たことはないし、最初で最後にあの街から出た
のは徒歩だった。皆も事件後には徒歩で出ただろうし、事件前に街から
電車を使って出たという話は聞かない。つまりここのことを知っているの
は兄さんのみということになる。ここは隣街――すなわち俺が修之さん
に助けられた街だが、この駅を使ったことはなかった。
駅の改札を通って屋外へと出る。五年前まではこの駅が終点ではなく、
もう一つ駅が先にあった。そここそが俺たちの故郷の駅なのだが、あんな
惨劇のあった街なので誰も近寄らないし、そもそも駅自体が崩壊してしま
っている。あの場所は今はもう何もない。
目の前には普通の町並みが広がっていて、五年前の惨劇など無かったよ
うに見える。たった五年とはいえども関係無い者たちにとっては“もう”
五年前の話だ。今通りがかった人に覚えているか尋ねても「あぁ、あった
なそんな事件」程度の認識しか得られないだろう。
いつまで経っても忘れることができないのは当事者たちだけだ。関係
の無い連中は一年もすれば忘れ去ってしまう。
「少し歩くからな。トイレとか行っておいたほうがいいぞ」
俺は必要無い。電車の中では熟睡していたから飲み食いはしていない。
行く必要があるのはむしろ騒いでいた連中だろう。
無言無音でそそくさとトイレに行く女子連中が居たが見なかったことに
しようじゃないか。音も無く行くってことは知られたくないんだろうからな。
しばらくして面子が揃ってから兄さん先導で歩き出した。この街の隣、
今はもう荒地となってしまっている場所へ。
賑やかなストリートを少しバラバラになって進む。各々で色々な場所
に視線を向けながら、決して遅れないように、はぐれないようにして
進んでいく。春彦と金だけは店の人たちに挨拶をしていたりした。
「・・・春彦はあの人たちとは知り合い?」
影名から話しかけるとは珍しい。放っとけば一日中会話せずに読書しか
していないような本の虫なのに。そんなに春彦に興味が沸いたのか。
「ええ。この街は僕と金の生まれ故郷ですからね。ほんの数ヶ月前まで
住んでいた場所なので、帰ってきたついでに挨拶くらいは、と」
この大通りの中で修之さんがよく使っていた店が見える。修之さんは
店に拘りがあったらしくて気に入った店はよく使っていた。それ以外の
店も使って、通りの店主さんたちには評判良かったっけ。
気付けば兄さんたちは少し前のほうに行ってしまっていた。俺たちは
少しペースを上げて歩く。間もなく追いついたときには大通りをもう
抜けようとしていた。
商店街とも言える通りを抜ければそこは住宅街に繋がる。俺と春彦
たちが住んでいた家もこっち方面だったっけ。
これは聞いた話なので真実かどうかは定かじゃない。春彦と金は元々
から幼馴染的な付き合いだったらしい。そして二人が突如としてDUに
発現してしまったために親から迫害を受け、そこを修之さんが引き取った
らしい。当時の修之さんの家に引き取られた二人は修之さんに支えられて、
お互いに支え合って能力を使いこなせるように特訓したという。
見えてきた。その家に俺たちは自然と目を向けてしまう。しかし、立ち
止まろうとはしない。今は無人の家は無音に包まれていて若干の怖ささえ
も感じさせるほどであるが、ほんの少し記憶を遡行すれば四人で暮らして
いた日々を思い起こせる。
いつも朝早く起きて食事の準備をする金。それから勝手に起きてくる
春彦と修之さん。放っておくといつまでも寝ている俺。学校にいくのも
そこそこに自らの能力を使いこなせるようになるために訓練していた日々。
疲れて、大変だったけれども楽しくて大切だった日常。
家の前を素通りしていく。御堂さんは気付いているようだったけれども
何も言わず、他は俺たちが家を見ているなんて気付いていないみたいだった。
家を過ぎてしまえば後は気になるものなど何も無い。このまま街の境目
まで歩いて行けば目的地に到着する。
住宅も少なくなってきた。これは街の境目に近づいている証拠でもある。
疎らになった住宅は人気の無い薄気味悪いものばかり。五年近くも
放置されてきた住宅が殆どだからだ。
あの事件で被害を受けたのは街の住民だけではない。街境にいた隣街の
住民も被害を受けている。実際、街境に住んでいたものは恐怖心から別
の街、あるいはこの街の中心部近くまで引越しをしている。一応は被害者
という括りに入れてもいいだろう。
住宅が完全に無くなった。開けた視界に映るのは煤けて、崩れ、焼けて
面影の殆どを失ったかつての街。
失われた俺たちの故郷・飛沫町。
別段海が近いわけでもなく、滝があったり川があったりするわけでもない。
なのにどうして飛沫町なのかと聞かれると答えに窮する。俺はこの街の由来
なんて知らないから。
町の中に足を踏み入れる。まともに歩ける場所なんて無いから歩くので
さえ大変だ。
「俺たちは適当に歩いてるから。そっちの用事が終わったら連絡してくれ
よ」
御堂さんは立ち止まった。俺たちに気を遣ってくれているのかもしれない。
確かに、ここから先は御堂さんたちは来るべきじゃないかもしれない。
「じゃあな。って、お前たちはこっちだ!」
俺に付いてこようとした春彦と金の襟を掴んだ御堂さんはそのままズル
ズルと引っ張って行ってしまった。
「・・・・」
これでここに残ったのは俺と兄さん、桜子、海深、落葉、雪女、影名
の七人になった。お互い無言のまま歩き始めて、とある崩れ落ちた民家の
前で立ち止まった。
「・・・俺たちの家だ。もう跡形も無いけど、ここで父さんは母さんと
一緒に逝ったんだ」
俺はその場にいなかった。俺はその時、家族よりも陽のことを優先して
しまっていたから。そのことに後悔は無くとも、罪悪感はある。
崩れて焼け焦げた実家に向かって黙祷する。五年遅れの黙祷を俺は
長く、長く時間をかけた。
それから俺が向かった場所は、あの場所。
陽がこの世から永遠に去ってしまった、場所。