悲劇の前夜
「常光君っ。お、起きてください」
半覚醒状態の頭を無理矢理起こして状況把握に努める。幸い一度起きて
いるせいか頭の回転は速かった。
「柚木か・・・・」
「は、はい。もうそろそろ時間になるので起きてください」
俺は二度寝して起こされたみたいだ。そろそろ時間ということは出か
ける準備をせよということか?
「・・・・」
眠気を飛ばす前に着替えようとする。シャツに手をかけたところで柚木は
素早く退室した。
「き、着替えるなら言ってくださいっ」
「・・・・悪い」
三日連続で同じミスかよ。学習しないな俺も。
やはり着替えなんぞに時間はかけない。とっとと着替えてサイフと携帯端末
をポケットにねじ込む。部屋を出ると柚木は階段で待っていた。
「雪女ちゃんが玄関で待ってます。行きましょう」
結局、俺はどこに連れて行かれるのだろうか。あんまり考えたくは無いが
こいつらの趣味はアレだったはずだ。激流商店街にそんなアレ系列の店なんて
あったか?
そして今日も朝食は抜き。三日連続。流石に辛いものがある。
「で、まずはどこへ?買い物というからには流商に行くんだろ?」
流商とは激流商店街の略称だ。
玄関で合流した雪女に付いていくと激流商店街から少しはずれた道だった。
このままだと商店街の横を素通りする道筋だ。
「う、う~ん・・・・そうなんですけど、ちょっと違うというか・・・・」
「・・・?何だよ、はっきりしねーな」
「正確には商店街の端っこが目的地」
端っこ?はて、そんな場所に何があった?
俺の記憶上は商店街から追い出されたマイナー店舗しかなかった気が・・・。
そんな俺の曖昧な記憶はすぐに上書きされた。激流商店街の端っこ。そこは
知る人ぞ知る秘境―――いや、俺にとっては魔境だ。
激流商店街東外周地区・通称 東流商オトメロイヤルロード!
翻訳・東流商は腐女子の覇道なり。
「・・・・・・・・・・忘れてたよ、ここの存在」
失念していた。俺の周囲にこういう所謂腐女子がいないから“単なるマイナー
店舗の集まり“という認識しかなかった。
しかし本来の顔を出せばそこは楽園(腐女子にとっての)。そして地獄(俺に
とっての)。
確かにマイナーにしてマニアな店舗ばっかりだ。
男をこんな場所に連れてきてどうしようってんだ。
「ここでの買い物に付き合ってねアサちゃん」
なるほど。桜子の言っていた「精神的」とはこれのことか。
ロイヤルロードを見る。一本道の両側に「いかにも」な店が並んでいる。
確かに、精神的疲労が蓄積しそうな場所だった。
「言っておくが、俺は何もできないからな」
以前、本の虫と化していたことがある。その頃に読んだアニメ系の雑誌に
書いてあった程度の知識しかない。特にBLなんて管轄外も甚だしい。
「さ、行きましょう常光君」
並んで歩き始めた二人の後をついていく。俺は所謂荷物持ち的な立場だと
思う。男がこんな場所に来てすることなんて無い。少なくとも俺には一切無い。
見れば二人の持つバッグには何か入っている模様。雪女のバッグは少し膨ら
んでいるし、柚木のバッグからは水筒らしきものが三本ほど覗いている。
つまり俺は買った戦利品を持つ役割を担わされたようだ。
こんな魔窟、できるならとっとと離脱したいところだったが、元気溌剌
に本を手にとってはあーでもないこーでもないと議論を交わしている二人
の笑顔を見てしまうと、今日一日くらいならセーブポイント無しでラスボ
スダンジョン攻略に挑戦してみてもいいかなー、的な気分になった。
この場合のラスボスダンジョンはこの東流商オトメロイヤルロードに
なるわけだが。
「柚木ちゃん・・・・これについて」
「う~ん・・・・やっぱりこっちが受けのほうが・・・・」
「やっぱり・・・・でも私はコレも割りと・・・・」
などと聞こえてくる会話。理解などしたくも無いのに、以前手に入れて
しまった無駄オタク知識が強制的に理解してしまう。こんな知識、要らない。
暑い。そして熱い。
かといって店内に入るわけにもいかない。今雪女たちのいる店内には
恐らく最上位精霊辺りが巣食っているだろう。先は長いのだ。こんな場所
で無駄なバトルを行う必要などない。
相当に大変なダンジョン攻略になりそうだ。
―――数十分後。
「随分と遅かったじゃねーか・・・・」
「あは、あははは・・・・・ごめん」
「ご、ごめんなさい・・・」
炎天下の中で待たされること数十分。やっと最初の店舗から舞い戻った
二人の手にはそこまで多くない量の袋があった。一つのビニールに何冊か
の本が入っているであろうことは容易に想像できる。
「ほれ、貸せよ」
袋を受け取る。ついでに雪女のバッグも受け取っておく。
「どうして私のバッグまで・・・・?」
「これあったほうが持ち運びに便利だ」
受け取った袋には取っ手が無かった。だから入れ物があったほうが便利。
よし、と言ってから二人はまた歩き出す。今度は少し離れた場所にある
店舗へと向かった。
そこはアニ○イトと書かれた看板。少し覗いた店舗の中には色々なグッズ
が配列してあった。
よし、俺はまた炎天下の中で待ち続けよう。何があっても、例え日射病
で倒れようとも店内には入らない。入って、そこにあるものを認めてしまえ
ば俺は男として何かが終わってしまう気がする。
今日は精神的というよりも忍耐力の勝負になりそうだった。
あれから幾つの店を回ったろうか。
俺の忍耐力・精神力は共に枯渇しかけていた。
もし漫画とかの世界だったら「げっそり」というイメージだ。
異世界に迷い込んだ主人公ってこんな気持ちなのかもしれない。
自分の理解不能の極地に一人取り残される。帰る方法も方向もわからない。
「・・・・帰る方法くらいはわかるけどな」
今まさに、そんな状況。
東流商オトメロイヤルロード。理解不能の極地に俺は一人、佇んでいた。
理由はいたって単純明快超々簡単。
白熱しすぎた雪女と柚木においていかれたのだ。
呼び止める間もなく電光石火でモノレール並みな速度で人ごみに紛れて
姿を消してしまったのだ。そして荷物を持ったまま敵地で孤立無援の戦闘
を繰り広げているというわけである。
何せどこを向いても目に毒な品物ばかり。常にダメージ床の上を歩いて
いるようなものだ。置いてけぼりを食らって早三十分。あの二人は気付い
ていないのか探している最中なのか。一向に出くわす気配がない。
流商より人は少ない。が、それでもそれなりの人はいる。とてもじゃ
ないが目的地もわからずに練り歩いて特定の人物二人を見つけ出すこと
なんて不可能だろう。そして練り歩く気力もない。
一番致命傷なのは俺が雪女の携帯端末の番号を知らないということと、
柚木の携帯端末に繋がらないということだ。雪女の番号など聞く機会は
いくらでもあったというのにすっかり失念してしまっていた。
ダメージを負いながら歩いていると、特徴的な外見を持った人物と
出くわした。
パンク系なのか、黒い服に所々に黄色の星が模様として入っている。
特徴的なのがその右腕だ。長袖の上から黒く細いベルトを何重にも巻いて
いる。関節部分は巻いてないようだが殆ど曲がらないんじゃないだろうか。
おまけに手には黒い革の手袋を嵌めている。これで右腕全体が肩から指先
まで真っ黒だ。対照的に左腕は肩から袖をばっさり切り落としてノースリ
ーブ状態だ。濃い青色のデニムパンツを穿いていて両足共に足の付け根、
太腿の辺りからばっさりと切っている。既存の服を自分でアレンジしたもの
だろうかシルバーアクセサリーも沢山つけている。見た目はかなりパン
キッシュな少女だ。
俺は見覚えがあった。以前兄さんが会議室に侵入してきたとき、この前
会議室に来訪したとき一緒にいた少女。確かザ・フェニックスと呼ばれて
いたBGの構成員のはずだ。
そんな少女がなぜこんな場所にいるのかは
謎だが俺に気付かず素通りしていく。
声をかけようとも思ったが止めた。あまり顔見知りでもないし話しかけて
も会話の内容がない。おそらくは彼女もソレな趣味だろう、こんな場所に
いるくらいだからな。
いずれ顔を合わせることもあると思う。今は何も行動しないでいよう。
そんなことよりも、二人と合流するかこの魔窟から脱出することを
至上の命題としなければならない。流石の俺もダメージ床の上を歩きっぱ
なしでは体力が尽きる。
そのとき、人ごみの先に見知った姿が見えた。銀色の髪の毛と地面に
まで届きそうな長い髪が風に遊ばれている。
雪女と柚木だ。ようやっと見つかった。
向こうは気付いていないようだ。こっちから出向きたいがいかんせん、
人が多い。走ることはできないから早歩き程度の速度しか出ない。
二人は店頭で本を物色しているので移動はしない。このままこっそりと
近づいてちょっと意地悪く責めてみようか。
そんな邪悪な俺の考えなど露知らず、二人は俺に気付いていない。
といよりも俺がいなくなったことにさえ気付いていないのかも。だと
したらあんまりにあんまりな話だと思う。
意を決して敵地に踏み込んだ俺は単なるピエロじゃないか。
そして腹も減った。
「・・・・随分な扱いだな、俺」
背後から少々低めの声で言うと二人はビクッと震えてゆっくりと後ろ
を振り向く。
俺はきっと、イタズラ心で作った邪悪な表情をしていたことだろう。
ちなみに、本心では左程怒ってはいない。当然、怒ってはいるが。
「あ、あははは・・・・・アサちゃん?」
「あ、あう・・・・・じょ、常光君?」
引き攣った笑み、とはこういうものを言うんだろう。この反応は恐らく
二人は俺がいないことを知っていたな。知らぬ存ぜぬでいたのか。
「お前らの買い物に付き合ってこんな理解し難い極地まで連れて来られて
暑いし熱いわ荷物は増えていくわどこに視線を向けても目に毒なモンしか
入って来ないわ挙句の果てに置いていかれて場所も分からず連絡も取れず
敵地に取り残された俺は行く当ても無く彷徨い歩いていたっていうのに
ようやく見つけたお前らは自分の趣味に没頭していて俺が居なくなった
のにさえ気付いていない始末――――」
半分の怒りと半分の面白さで一気にまくし立てる。我ながらよくあんな
長大な台詞を即興で考えて噛まずに言えたなと賞賛したくなる。
二人の表情は明らかに怯えが混じっていた。
「あ、あの・・・ね?これはその・・・・」
「け、決して忘れていたとかじゃなくって・・・・・」
「分かってる分かってる。没頭しすぎて“気付いて”いなかったんだろ?」
コクコクと首振り人形よろしく首を縦に振る二人。一応、忘れ去られた
――もとい、気付かれていなかった俺としては一喝しておきたいところ。
「そ、そうそう・・・・気付いたらいなかったっていうか・・・」
「気付かぬ間にいなくなっていたというか・・・・」
ニコリという笑顔をこんなもんだろうか。引き攣った二人がさらに
引き攣った笑みをするのが分かった。
「余計に悪質だろうがっ!忘れてたと言われても許しがたいが気付かなかった
のほうがもっと許せねぇよ!」
『ごめんなさ~いっ』
俺の怒声に怯えて謝る二人。そこまで怖くしたつもりはなかったんだが・・。
そして謝る前に頼みがある。
涼しい場所で、飯を食わせてくれ・・・・。
様々な災難が俺に降りかかりつつも今日の大航海もとい(付き合ったこと
に対しての)大後悔は終了した。
精神的だけじゃなく肉体的にも普通に疲れた。精神疲労が一番酷いこと
は言うまでもないが。
時間はもう夜に近い夕方。流石にもう東流商オトメロイヤルロードから
は離れて俺の家にまで戻ってきていた。
自分の家に帰宅したまでは良かった。合流してからは非常に順調
だったといえよう。問題があったとすればその後だ。
帰宅した俺が目にしたのは何故か大所帯となっていた自宅内部だった。
「・・・・俺はこんなに同居人はいないぞ?」
「まぁまぁそう言うなって朝月。用事があったから来たに決まってんだろ」
六人幹部会・ブルームシード(隣の雪女含む)の集合に加えて金と春彦
に御堂さんまでいる。流石に狭いぞこれは。っつーか俺の座る場所が
ねぇし。ちなみに柚木は門限がどうのと言って先に帰ってしまった。
「何で御堂さんまでいるんです?」
床に胡坐をかいて座っている御堂さんに視線を向ける。
「金の飯にありつこうと思って来たんだがな・・・・」
御堂さんが見た向こうには料理する金とそれを手伝っている海深の姿
が見える。もしかして海深が一番料理が上手いのか?
後ろ姿だけだから定かじゃないが手捌きは見事なものだ。
「で、話ってなんだ兄さん?」
座る場所はない上に誰も譲ろうとしない。フローリングの床に座るなん
てごめんなので仕方なく立ったまま話を聞くことにした。
「ああそうそう。それが本題だった」
と、本題に入ろうとしたところで金がやってくる。
「お話は後々。これからご飯だからその後でゆっくり話してね」
テーブルの上を片付けながら忙しそうにキッチンへ戻っていく。兄さん
もタイミングを逸したらしく話すのを止めてしまった。
その後、俺を含めた十人で食卓を囲んだ。会話は無駄に弾んだ。どうや
ら金と海深と桜子は料理という共通言語を発見したらしくって終止意見
交換に明け暮れていた。