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真実の記憶

第八章忘れたかった、忘れるべきではなかった記憶


 今日は初めてのデート。遅刻するわけにはいかない。

「はぁはぁはぁ・・・・・っ」

 兄さんに捕まってかなり時間をロスしてしまった。本当なら約束時間

の二十分前には着いている予定だったのに・・・・!

 今ではもう時間ギリギリで遅れるか否かの瀬戸際だ。

「ま、間に合った・・・・・?」

 時計を見る。約束時間を―――まだ過ぎていなかった。

「セーフ・・・かな?」

 目的の場所で既に待っていた彼女に問う。

「うん、セーフだね。ギリギリだけど」

 彼女も時計を見ながら頷いた。

 つい先日、僕の彼女になった同い年の少女。()(むかい)(ひなた)。それが名前。

 僕は彼女を守れる男にならなきゃいけない。それが彼女の条件であり

望みだから。

「次からはもっと早く着てよぉ。早く来ればその分だけ、一緒にいられる

時間が増えるんだからさ」

 眩しいくらいの笑顔だ。実際、この屈託無い笑顔に惹かれたのだ。

 最初はあんまり気はなかった。でも同じクラスになったり席が隣に

なったりして交流が増えていくにつれてあの笑顔に惹かれていった・・・。

「どうして遅れたのさ?」

「出かけるときに兄さんに捕まっちゃって・・・・」

「兄さん?夜月さんのこと?何聞かれたの・・・・?」

「どこ行くんだーとか、誰と行くんだーとか・・・・」

「・・・・・まさか、喋った?」

 若干だが悲しそうな顔。時々こういう顔をするのは反則だと思う。

「言ってない、言ってない!どこに行くかは言っていないよ!」

 僕の言葉の裏を取る。事実を織り交ぜて言うと大体こうなる。

「どこに行くかはってことは・・・・・誰と行くかは言ったのね?」

「・・・・・・はい」

 ため息を吐かれた。まぁしょうがないのかもしれないけれど、誰と

行くかくらい言ってもいいじゃないか。

 少し落ち込んでいると陽が手を伸ばしてきた。

 繋ごうという意味だと思い手を伸ばしてしっかり握る。いわゆる恋人

繋ぎというやつだ。指の間に指を入れる。

 すると陽はすごくビックリしたようで、

「・・・・・天然なのか朝月は・・・?」

 何かぼそぼそと言ったかと思えば赤めの顔をして繋いだ手をしっかり

繋ぎなおして歩き始めた。

「ほらほら、ボーっとしてないで行くよ。まずはカラオケからーGO!」

 俺の手を引きカラオケボックスの方へと向かう。

「か、カラオケ?僕歌あんまり上手くないんだけど・・・・」

「そんなこと言ってないでさ。何かが下手な人が下手なままなのは

上手くなろうと努力しないから下手なままなんだよ」

 強引に歩いていく。本当なら僕が先頭に立って歩かなくちゃいけない

のに、彼女のほうが主導権を握っていた。

 学校でもそう。彼女はいつもクラスのリーダー的な存在で容姿端麗、

頭脳明晰、運動神経良しというパーフェクトガールなのだ。

 その彼女を守れるようになれ、というのだから結構ハードな条件だと

思う。

 ―――おまけに歌も上手い。服のセンスも良いときた。

 頭もそんなに良くないし顔もそんなに整っているとはいえない。運動

神経は他人よりも少し上くらいなものだ。歌は壊滅的に下手。

 服のセンスもお世辞にも良いとはいえない。俺とは正反対の完璧少女だ。

 今日は初デートということで街を巡って遊ぼうということになっている。

デートなんてこれから何回でもできるんだから、今回はとりあえず当たり

障りのないことにしてみて、お互いを知ろうということになった。

 基本付いて行くだけになりそうだ。体力も向こうが上だし―――さっき

も言ったが服とかのセンスも向こうが上なのだ。変に口出ししないほうが

いいだろうな。

 まぁまずはカラオケに行くことが先だな。陽の足ももうカラオケのほう

に向かってしまっているし。

 二時間か・・・・・俺は歌わないで終わるんだろうな。

 部屋に入ると同時にマイクを持って椅子の上に乗った。行儀悪い・・・。

「私の歌を聴け――――――っ!」

 ノリノリのナイスな笑顔でマイクを持って指を突き出す。

「・・・・どこの銀河に行くつもりなんだか・・・・」

 俺のツッコミを華麗にスルーした陽はとても上手に歌い始めた。

 ――――――。

 ―――。

 ――。

 二時間後。

「喉痛い・・・・」

「二時間も歌い続ければ痛くなるだろうさ・・・・」

 こういう意外と抜けたところが、また愛嬌なんだ。

 喉に優しい飲み物を買って飲み干す。それから――今度は陽のほう

から手を繋ぎ直してまた歩く。

「さ、さぁ気を取り直して今度はショッピングへーGO」

 服なんて選んでくれと唐突に言われた。俺にそういうセンスがない

ことは知っているだろうにこういう無茶振りをしてくるから困る。

「じゃーこれとこれ、あとこれで」

「・・・・真面目に選んでね?」

 ネタで選んだらダメ出しされた。まぁ当然か。

 今度は真面目に選んだものを渡した。服なんて名前も種類も分から

ないので見た目で適当に選らんだだけなのだが。

「んー・・・そこまで悪くないかな」

 悪評ではなかったようだ。

「でも、合格点はあげられないなー」

 合格ではないようだけれど。

 合格ではないのにその服を買うという――結構嬉しそうな顔で。

 ショッピングといっても服を見て回りたかっただけのようなので

ショッピング自体はこれで終わったことになる。

「次はどうするんだ?」

「んーそうだね・・・・」

 少々の思案。少々じゃないか。多少・・・・・違うな。多々かな?

「ん~・・・・・」

 何も思いつかないのだろうか?このままでは解散に・・・・。

「・・・・よし!」

 急に手を叩いてこっちを向いた。

 妙案だ、という顔で。

「朝月の家に行こう!」

「・・・・へ?」

 一瞬考えが止まった。なんと言った?

「連れて行ってよ。朝月の家に」



 僕の家は厳格・・・・とはいえないまでも、それなりに古い出で立ち

のある家だ。

 まず父親の名前からして厳しいと思われても仕方ない名前だ。

家族は僕と兄が一人。あとは両親だけだ。

僕の名前は知っての通り常光朝月だ。兄さんの名前はさっき出た常光

夜月という。母さんの名前は紗緒(しゃお)。なんというか、当て字っぽい。

そして父さん・常光蒼月(そうげつ)

 厳しそうな名前だろ?

 だが、厳しそうなのは外見だけで―――。

「そうかそうか!朝月の彼女さんだったかっ。こいつは失礼したぞ!がっはっは」

 実際はこういう感じの煩い父親である。

 俺が陽を連れてきたとき、いきなり怒鳴りつけたのだ、この親父は。

『貴様ぁ、こんな美少女どこから拉致ってきたぁッ!』と。

『ふざけんなバカ親父!!』と叫び返したながら蹴り飛ばしたら納得した

ようで、今は居間でお茶を飲んでいる。

 こういう豪快な父親のお陰で来客者は肩身が狭くなるか安心するかの二択

になる。どうやら陽は安心してくれたようだ。

 厳つい顔面に反してそんなに厳しくない。十一歳の僕でさえ、兄が世話

してくれているようなものだ。十一歳の子供を兄任せの半放任するか普通。

「まぁ古い家だがゆっくりしていってくれ!広さだけは無駄にあるからな!」

 また豪快に笑いながら居間から出て行く。母さんも居間から出て行った。

 兄さんはどうやら桜子たちを引き連れてどこかへ行ったらしい。大方僕の

後を尾行でもしようとしたのだろう。そう思ったから途中でそれとなく撒いた。

 お茶を飲んで普通に会話する時間さえも楽しいと感じる。大切に、愛しいと

さえ思えてしまう。そんなことを思ってしまうなんて重傷だ、と思いながらも

けっして嫌な感じはしなかった。

「朝月さ・・・・明日は平気?」

「明日・・・?うん、問題ないと思うけど」

 少し躊躇いがちなのが気になったが、次の言葉がそんな疑問など吹き飛ばした。

「明日はさ、私の家に来てよ。今日は朝月の家だったから、明日は私の家」

 思わず顔がにやけだしてしまうのを必死に堪えながら笑顔で頷いた。

 その後もたっぷりとゆっくりと雑談を楽しんだ後、陽を家の近くまで送って

いったのだった。



 平和な時間。ニュースとかで戦争のことを特集していたりするが、今の僕には

戦争なんてものが起こる理由が、分からなかった。

 しかし、世の中は理不尽で無差別で不条理だ。

 永続するものなど在りはしない。

 全ては一瞬で覆されてしまうほどに儚いものだ。

 創ったものが壊れてしまうように。

 成功が失敗に変わるように。

 喜びが悲しみに変わるように。

 平和が戦争に変わるように。

 ―――生が死に変わるように。



 付き合い始めてから約一ヶ月。とあるデートの帰り際のことだ。

 いつもみたいに陽を家のそばまで送った。

「じゃあな。また明日、学校で」

「うん・・・・じゃね」

 お互いに手を振って別れる。名残惜しいが仕方ない。また明日に

なれば会えるんだから。

 自宅に向けて足を進めているとき、それは起こった。

 俺の日常が一気に崩壊した瞬間だ。

 ボォン―――ッ!

 ドォン―――ッ!

「・・・・・ッ!?」

 僕のいる場所からずっと遠く、そんな場所で大きな爆発が起きた。

 空には夜の帳が落ち始めていて、空はすでに薄暗い。

 それなのに、遠くの空は明るいのだ。小さく見える炎は七色(・・)

揺らめいている。

 爆発は連鎖的に起きる。徐々に近づいてきて、ついには僕のいる

この場所さえも襲った。

「うわああああぁッ!」

 幸い直撃はしなかったものの、爆発の衝撃で転んでしまう。

 腕が痛い。怪我したのだろう。

 でも、今の僕には自分の怪我などどうでもよかった。

 急いで戻らないと。このままじゃ陽まで―――。

 走った。足も痛かったがそんなことは関係なかった。ただただ

陽が心配で、陽の家まで走った。

 走ってもそんなに時間はかからない。すぐに着いた。

「・・はぁっ・・・・はぁっ・・・・!」

 一瞬、目を疑った。

 目の前にあるはずの家。以前に何度か入ったことのある家。

 そこにあったはずの家は、跡形も無く消えていた。

 いや、跡形はあったのだ。

 家の柱、焼け焦げている外壁。吹き飛んだ瓦。肉の焦げる臭い(・・・・・・・)。

「う・・・うあ・・・あ」

 その場に膝を着く。絶望が僕を包み込んでいた。

 おそらく、陽はもう―――。

 瓦礫が崩れる音がする。大きさからしてもしかしたら頭上かも。

でも、そんなことはどうでもよかった。

 上から小さい火の粉が降ってくる。一緒に小さい瓦礫も落ちてきた。

 懸念していた通り、頭上から瓦礫だろう。

 避ける、逃げるなんて考えは頭からすっぽ抜けていた。

 陽が死んだ。そう勝手に決めていた僕は回避をしなかった。

 茫然自失となっている僕に、求めていた声が届いた。

「朝月ぃッ!」

 僕は横から来た“何か”によって突き飛ばされた。

 お陰で瓦礫からは逃れられた。

 右腕を別の瓦礫にぶつけたけれど。

「だ、大丈夫朝月!?」

 そこには僕の求めていた声と姿があった。

 陽が―――生きていた。

「ひなた・・・・・陽ッ!」

 思わず抱きついてしまった。

「え、うわ、ちょッ!?」

 慌てている陽を腕の中に感じた。

 背中に手が回るのが分かる。陽も抱き締め返してくれたみたいだ。

 腕の中にある暖かさがとても愛しい。もう決して失いたくない

温もりだった。

「全くもう・・・・死ぬかと思ったよ」

「僕もだ。一体何なんだコレ?」

 立ち上がってもう一度街を見る。ここから見える範囲は全て炎が

揺らめいていた。それも七色(・・)の炎が。

「七色の炎・・・・あ、朝月、アレ見て!」

 陽が空を指差す。少し遠くの、最初の爆発が起こったのとは反対

側の空だ。

 雪だ。

 雪が降っていた。

 七色の炎が覆う街に、不恰好で、不釣合いなまでの、美麗で、降り

積もるまでに悠遠の彼方まで行けると思えるほどの、灰色の(・・・・)

 遠く、それが地面に降りたったと思われたとき―――。

ガギガキィィッ―――!

巨大な灰色の氷柱が、七色の炎を押し止めんとして立ちはだかった。

七色の炎を覆い隠すように、包み隠すように、取り込むように。

  それでも、炎は隙間隙間を縫って勢いを増していく。

  この分では僕たちの今いる場所も数分で呑み込まれてしまう。

  僕は陽の手を引いた。

 「とりあえずここから離れよう。このままじゃまた巻き込まれる」

 「うん。でも、どこに行くの?」

  僕はしばらく考えた。そして安直だけれど最良と思った判断をした。

  たぶん、頼られたのが嬉しかったんだ。

 「街のはずれまで行こう。そこまで行って街を出ればもしかしたら――」

 「わかった。付いてく」

  僕の決定になんの躊躇いもなく了解した。

  陽の手を引いて走る。走る。走る。

  ここから街を出るまでかなりの距離がある。本来なら電車やバスで

移動して出るものなのだが、今のこの状況で稼動しているとは到底

思えなかった。

 だから走って走って走った。一刻も早くこの惨劇の場から逃げ出す

ために。

 兄さんや幼馴染たちのことは、頭に無かった。

 爆発が連鎖的に響く。爆音が響けば七色の炎が天に向かって噴出し、

それを合図にするかのように灰色の氷が押し止める。

 しかし、いかんせん氷は発生が一足遅かった。街は半分以上が炎に

呑み込まれ、半分は氷によって固められてしまった。

 その氷に合間を縫って炎が流れ込む。

 今にして恐怖した。普段漫画やゲームなどで見る炎は形を保って

いるような印象を受けた。だが、今ここにある炎は形など無い。

無定形で自由自在に縦横無尽に街を駆け巡る死の象徴だ。

 逃げても、逃げても追いかけてくる。実際には追いかけてきている

わけではないけれど、半分くらい錯乱している僕たちには炎が意思を

持って追いかけてきていると錯覚していた。

 そしてどういうわけか、あの灰色の雪は僕たちを助けてくれている

みたいだ。

 炎に追いつかれそうになったとき、すぐ背後で沢山の氷柱が並び立ち

炎を塞き止めてくれた。

そのお陰で僕たちは逃げ続けていられる。もしあの氷がなかったら

こんな場所まで逃げてくることは不可能だっただろう。 

 もうすぐ街のはずれだ。このままいけば逃げ切れる―――。

 しかし、神様はそんなに優しくはなかった。

 灰色の氷柱の壁。その内側で爆発が起きた。間近で起こった爆発に

僕と陽は巻き込まれた。

「う、うおぉあッ!」

「きゃうッ!」

 地面の上を無様に転がる。さっき破れた服が更に破れ、傷が増えて

いく。

 当然、陽も怪我だらけだった。

「大丈夫か・・・・?陽・・・・」

「う、うん。なんとかね・・・・」

 満身創痍とはこのことか、と過去の人々が考えた諺を凄いと思う。

 そして周囲に炎が満ちる。完璧に囲まれたわけではないので抜け

出せはできると思うが、些か狭い。

 氷が必死に僕たちを守ろうと動く。瞬く間に炎は氷に取り込まれ、

その活動を停止した。

「炎が・・・・止まってる?」

 ふと出した疑問に陽は答えてくれた。

「揺らめきもしないで止まってるなんて・・・・まるで時間そのもの(・・・・・・)

が止まってるみたいだ」

 そうぼやいてもいられない。回答に適当に相槌を打ちながら氷の

隙間から外に出る。

 すると、そこはもう街の外だった。

「よし――――抜けられ・・・・」

 視界の端に、何かが映った。それは人影のようだった。

 それに気を取られたせいなのか。

 僕がただ、鈍臭かったせいなのか。

 その時、僕は気付かなかった。

 隣にいた陽だけが、気付き得た。

「朝月――――ッ」

「・・・・・・ッ」 

 人影がこちらを向く。陽が僕に向かって手を伸ばしていた。

 今更になって気付く。背後で空気がうねり、一瞬のうちに周囲の

気温が数度上昇したのが分かった。

 同時に周囲に集まる塵灰。これは、小麦粉だろうか。

 瞬間的に理解する。この爆発を起こしていたのは爆薬なんかじゃない(・・・・・・・)。

 今目の前にある、この圧縮されて超高温となった空気と小麦粉だと(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。

 頭上に雪が見える。視界の端の人影が叫んだ。

 陽と同時に。

「危ないッ!」

 陽が僕の身体を突き飛ばす。今まで自分のいた場所に陽の姿があった。

 雪は舞い降りる。空気が爆発するよりも先に。

 陽の後ろに、雪が降り立つ。

 爆発は一瞬、氷に包まれて動きを止めた。が、僕は突き飛ばされた

にも関わらず意外と近くにいたために吹き飛ばされた。

 転がる最中に頭をぶつけ、意識が朦朧となる。

 最後、意識が消える直前、一瞬だけ見えた陽の姿は。

 血塗れて、何かに満足したように、今まさに息絶えようとしている

恋人の姿だった。



 

灰色の雪が降っている。背後には七色の炎が揺らめき、今でも爆発音

が響いてくる。

 灰色の雪は地面に降り立つと、瞬く間に巨大な氷柱へと変貌する。

 灰色の氷柱はあらゆるものを貫き砕く。その勢いは七色の炎さえも

押し止めていた。

 しかし、灰色の佇立する中に一つだけ、異彩を放つ灰がある。

 先端から赤い、紅い鮮血を滴らせ、根元まで流れたそれは地面にまで

流れて溜まっていく。

「・・・陽――?」

 どのくらい気絶してしまっていたのだろう。急いで駆け寄る。

 陽は身動きしない。その瞳に光はなく、触れた肌はその身体を貫く

灰色の氷柱のように冷たかった。

「お、い―――陽!」

 揺すろうとも声をかけようとも、陽は身動きしない。何かに満足した

ような表情を張り付かせて、光の無い瞳を虚空に向けているだけだった。

 泣き叫ぶ。この声が届けばもしかしたら、陽が目を覚ますかもしれない

と、泣き叫ぶ。

 ふと、氷柱の向こうに人影が映る。それは、この氷の主だった。

 僕たちを七色の炎から護ってくれていた人物。長い髪の毛のせいで顔

が見えなかったが少女であることが理解できる。

 右目から右頬にかけてと両鎖骨に刻まれた棘のような刺青が印象的だ。

「ごめんなさい。謝って許されることじゃないってわかってるの。でも、

ごめんなさい」

 近寄ってきた少女は僕の頭に手を乗せる。すると、鼻の先に少女の涙

が一滴、落ちた。

 許されざることだと理解し、自分のせいだと認識し、自分の無力さを

呪っている。

 それでも、僕は彼女が許せなかった。

「僕は――――俺は、お前を許さないから」

「うん。覚悟してたことだから。それでいいのよ」

 僕――いや、俺の頭を包む少女の手が離れ、少女は去っていく。

「おい、朝月、どこだ!?」

 兄さんの声がした。少女に向けられていた視線を炎が燃え盛る街に

戻す。

 皆はまだあの街の中にいるんだ。戻らないと。

 そんな風に考えられたのも一瞬、すぐに頭を様々な感情が覆い尽くす。

 陽を護れなかった悔恨。少女に対する憤怒。爆発を起こした者に対する

憎悪。

 頭の中を行きかう感情を押し殺して、俺は兄さんの声のする方向に

向かった。



「朝月!無事だったんだな!?」

 俺を見つけた兄さんは抱きつかんばかりの勢いで近寄ると俺の無事を

確認する。

「ああ、皆は?」

 見れば全員が大丈夫だった。桜子、海深、落葉、雪女、影名。皆が

ここにいる。

「こいつらは無事だ。でも、父さんたちは・・・・」

「・・・・そっか」

 言わなくても理解できた。この状況、ああいう風に言われれば誰でも

分かるだろう。

 死んだのだ。父さんと母さんは、この惨劇で。

 不思議と悔しさは無かった。悲しさも、この状況のせいで麻痺して

しまっていた。

 ここに来る途中、クラスメイトたちの死体を幾つも見た。瓦礫に埋まって

いる者。焼けている者。千切れている者。潰れている者。

 それだけのものを目の当たりにして、悲しさなど、とうに麻痺していた。

「とりあえず、皆で逃げよう。ここに居たら危険だ」

 兄さんの主導の下、街から二度目の脱出劇が始まる。

 二度目なのは俺だけだがな。

「俺の来た方向は危ないと思う。反対に逃げたほうがいいかも」

「分かった。・・・・しかし朝月、口調が変わったな」

「・・・・変か?」

 陽を護れなかったことも勿論だが、陽との約束を果たせなかったもの

悔しい。やろうと思えばやれていた約束なのに。


『うん、いいよ。ただし、条件が一つ』


『えっとね、今よりももっと男の子らしくなって、いつか私を守って

くれるようになるの。・・・できる?』


 せめてと思い口調を変えてみたんだが、やっぱり似合わないだろうか。

「いいや。カッコよく見えるぞ」

 意外な言葉に柄にもなく照れる。

 そして次の言葉が俺の胸を突く。

「そのカッコよくなった感じを、陽にも見せてやれよ」

「・・・・!」

 皆は知らない。陽がすでにこの世にいないことを。そして、俺の心が

今にも折れそうなことを。

「・・・・・・・・ああ」

 本当に心が折れそうだ。恋人の死。クラスメイトたちの死。両親の死。

 あらゆる死が重なって俺の心を折ろうとしてくる。

 必死に走った。爆発を避け、炎を避け、崩れてくる建物を避けた。

 その先にあったのは――。

「おいおい・・・・行き止まりかよ」

 高く高く昇った炎の壁。七色に輝く炎の壁が俺たちの行く手を阻む

ように乱立していた。

「ここでもかなり熱いってーのに、あの壁の隙間を通ってけってか?

無理だろうよ」

 兄さんが近くの燃えていない建物に入った。外にいたんじゃ熱過ぎる。

 どうしてこの建物が燃えていないのかは知らない。奇跡としか言えない

のではないか。

 一息ついたところで海深が言った。

「どうするの?行き止まりだし、他に行く道もないよ?」

 この炎の中に取り残される。それはすなわち、死を意味していた。

 あらゆる死が重なる中で、自分と兄、幼馴染五人の死さえも想像して

しまう。

 そしてその想像が近い、近い未来に現実になるかもしれないということ

を自覚すると、俺の心は耐え切れなかった。

 人の心など、案外簡単に折れるものなのだな。

 自暴自棄気味に言う。

「死ぬしかないんじゃないか?」

「・・・は?」

「行く先もない逃げ道もないんじゃこの状況、死ぬ以外ないだろ?」

 心の壊れた俺は至極真っ当なことを言っている気だった。

 しかしそれが間違いだとすぐに気付かされる。

 パン―――ッ

「バカなことを言うなッ!」

 俺の頬を叩いたのは兄だった。

 今まで一度も叩かれたことはなかった。怒られたこともなかった。

あんな本気で怒った目は生まれて初めて見る。

「心が折れたくらいで自暴自棄になるな!折れたなら俺たちが直して

やる。たった一度、自分の無力を痛感して、心が折れた程度で死のう

とするんじゃないッ!」

 怖い。兄さんは怒るとここまでの迫力があったのか。そして、今の

俺は兄さんの言葉の細部を聞いているだけの余裕は無かった。

「確かに陽は死んだかもしれない!クラスメイトたちは死んだかも

しれない!父さん母さんも死んだ!それでも、俺たちはまだ生きている

んだ!今ここで死ぬことで、父さん母さんや陽が喜ぶと思うなッ!」

その言葉にはっとする。俺は死ぬことで陽に懺悔しようとしていた

のではないか。護れなかった。約束を果たせなかったから、その懺悔

として死することを選ぼうとしていたでのはないか。

 無意識下とはいえなんということをしようとしていたのか。俺が今

ここに生きているのは陽が助けてくれたからに他ならない。その命を

無駄にしようとしていたのか。

 陽が命を賭して繋げてくれたこの命を、無駄にしようとしていたのか。

「わ、悪かった。俺もなんか、色々あったからさ・・・・」

「色々あったのか分かってるが、もう二度と言うなよ?」

「ああ。約束するよ」

 そう言って兄さんに微笑んだ―――。

 その瞬間。

「何だなんだ?生き残りがいるんじゃねぇか?」

『そのようだな。目的のアッシュじゃないが、目撃者だ、殺しておいた

ほうがいいんじゃないか?』

 唐突に、別の二つの声が割って入る。

 人影は一つなのに、声は二つだった。

 一人は軽快な感じの声で、もう一人は補佐のような言葉遣い。コンビ

なのか?

「つーかそこの少年はあん時の色男じゃねぇか。恋人に護られた命、ここで

失くしちまうことになるけど、いいか?」

 パチンと指を弾く。

 俺が気付いたときには目の前に空気がうねり、周囲の温度が数度上昇した。

「まずい!全員逃げろ!」

 兄さんの怒号で桜子も海深も皆が一斉に逃げる。

「間に合うかよ!」

『この距離で逃げ切れると思わないことだ!』

 俺は兄さんに突き飛ばされて、兄さんと一緒に跳んだ。

 突如として、大爆発が起きる。

 圧縮された空気の熱に小麦粉が引火して起きた粉塵爆発。俺は兄さんに

護られていたから打ち身程度だったが、兄さんは背中を大きく火傷していた。

 それに、俺は見てしまった。爆発から逃れきれずに巻き込まれる皆の

姿を。

 右腕を吹き飛ばされた海深。

 左腕を引き千切られた影名。

 右足を瓦礫で切断された落葉。

  左足を熱せられた金属片で焼き切られた雪女。

  全身を爆発に呑み込まれた桜子。

  全員が大火傷を負って瓦礫の山に叩き付けられる様を見てしまった。

「桜子ぉッ!」

 思わず叫ぶ。桜子はすでに大量の血を流していて怪我だらけだった。

 助かる見込みは、殆ど無い。

「う、海深は?」

 瓦礫の上で爆発で吹き飛んだ右腕を押さえながら悶える海深が見えた。

 よく見れば肩付近からは血が出ていなかった。傷口が塞がっている。

腕を吹き飛ばされたときの爆発で皮膚が溶けて傷口を塞いでしまったのだ。

 それでも痛みは残る。というよりも火傷のせいで痛みは増えるはずだ。

 そのすぐ横では落葉も同様に右足を押さえて気を失っていた。

「ゆ、雪女!影名ッ!」

 二人とも四肢の傷から血は出ていなかった。しかし、それ以外で負った

傷が酷く、結構な量を出血していた。

「あ、ああ・・・・ああ」

 兄さんは背中を大火傷し、出血こそ殆どしていないものの、相当酷い

傷であることは子供にさえ理解できる。

「案外しぶといなこいつら。一人は無傷だしよぉ」

『しっかりやれよ。他のメンツだってアッシュ・ライク・スノウと

ザ・フェニックスとザ・メイガスを探しているんだから。俺たちだけが

いつまでもこんなところで足止め食ってる場合じゃないんだ』

「わぁってるさ。まぁこれで終わるだろ」

 男がまた指を鳴らそうとしたとき、

「あ、朝月・・・・逃げろっ!」

 兄さんが起き上がって何もない空間に手を伸ばす。

「兄さん!起き上がっていい身体じゃ・・・・!」

「いいから逃げるんだッ!お前の手に負える状況じゃないんだ、もうッ!」

 破るようにして空間が割れ、黒い空間から名も知れない、見たことも

ないような真剣の刀が現れた。

 そのことについて「どうして」などと疑問を持つ余裕なんて俺には

無かった。

「うおおおおおおッ!」

 ただ、敵に向かって行く兄の姿を見、そこから動けないでいた。

 男は一瞥し、

「邪魔だ。死に損ないは失せてろ」

 ただの一度、普通の蹴りを兄さんの横っ腹に叩き込んだ。

「ぐふッ!?」

 肉と肉がぶつかる鈍い音がして兄さんが横へ吹き飛ぶ。

 そのまま瓦礫の山にぶつかって動かなくなった。

「に、兄さんッ!」

 そのときにはもう、男は目の前まできていた。

「さて、俺にも用事があるんでな。とっとと死ね」

 蹴り飛ばされる。胸を襲った衝撃で息ができなくなり、大きく咽る。

 薄目を開いて見た男の背後で灰色の雪が皆に降ってくるのが見えた

気がした。

「ガホッ、ゴホゴホッ!」

 男はその場から動かずに指を鳴らした。

 パチンという音が耳に届き、目の前の空気がうなり始める。

 目の前で確実に空気が圧縮されて高温になっていく、と実感すると

さっきよりも数段、熱く感じた。

『大人しくしてれば普通に死ねたのにな。この距離じゃ死体が残るかも

怪しいな』

 その言葉に恐れ、恐怖し、逃げようとしたが足が動かなかった。

「じゃあな色男。向こうで彼女と仲良くしな」

 小麦粉が周囲に集まり、圧縮された空気に引火した。

 爆発の直前に動いた足。必死に爆発から逃れようとした俺は。

 爆発に四肢を焼かれ、瓦礫に身体を裂かれ、そして心臓を貫かれた。




 俺はどのくらい気絶していた?

 気だるく重い身体を必死に起こし、身体中が激痛に苛まれながらも

周囲を見回した。

 炎はすでに沈下され、人の声がする。救急隊の人だろうか。助けに

きてくれたなら幸いだ。

 安心してまた倒れる。気を抜いたらこのザマだ。本当に体力が限界

に達していたのだろう。

 そこで、恐らく昨日であろう出来事を思い出す。

「み、皆はッ!?」

 痛い身体に鞭打って無理矢理起こす。身体中が痛いがその中でも特に

両腕両足の付け根付近(・・・・・・・・・・)が一番痛かった。

 痛みを堪えた身体で周囲を見回す。そこには燃えて炭になった家の

残骸が散らばっているのみで人影は無かった。

 そう、死体さえも無い。

 俺は死んだはずだ。あの最後、爆発に飲まれた瞬間を思い出すに、

四肢を焼かれ、身体中を裂かれ、心臓を貫かれた感覚があった。心臓を

貫いても即死しないとはいっても今はもう夜が明けている。その時間まで

生き永らえているなんて有り得るわけがないし、そもそも痛みはあっても

爆発時に受けた傷はおろか、その前の負っているはずの傷さえも無かった。

 そして、自分の手足に違和感を感じ取る。

 痛みが酷いこともそうだが、何かが違う。指が細く感じる。腕も細く

感じる。足も普段より力弱く感じる。

「な、なんなんだよこれは・・・・・!?」

 俺の手足が・・・・・違う!?

 俺の手足じゃない。この右腕は、この左腕は、この右足は、この左足は、

俺のものじゃない。

 いままで十一年間、見てきたから知っている。理解できてしまう。

 海深はいつも腕にリストバンドをつけていた。

 落葉は言っていた。右足の腿にある大きな傷痕が気になっていると。

 雪女は言っていた。左足には土踏まずが無いと。

 影名の腕は太陽に触れることが少ないから色が異様に白い。

 俺の両腕両足は、まさにそれだった。

「え・・・・うあああっ」

 肌の目が細かい。身体部分の俺の肌と比べるまでもないほどに綺麗な

肌だった。

 そして気付く。今ここにあるのは、あの時、爆発で吹き飛ばされた

皆の四肢だと。

海深は爆発で右腕を吹き飛ばされ。

落葉は爆発で右足を瓦礫で切断され。

雪女は爆発で左足を熱せられた金属片で焼き切られ。

影名は爆発で左腕を引き千切られた。

そして、今ここに、俺の手足になっているのはそのときに破壊された部位。

じゃあ、桜子はどうなった?

桜子はあの時、どこを壊された?

 

全身を爆発に呑み込まれた桜子。


俺の身体で、他に壊れた場所は?

心臓しか、なかった。

壊されたと確信できるのは心臓しかなかった。

 

俺は皆の四肢と心臓を貰って、生き永らえた。


どういう方法で接合したかなんて分からない。あんな爆発が起こる異常

な空間での出来事。今更何が起こっても不思議じゃない。

例え、四肢と心臓を壊された人間が死なず、しかも他人の物を奪って

生き永らえたとしても。

 不思議なんか、ない。

「う・・・・うううああああああああああああッ!」

 そこからの記憶は曖昧だ。

 叫びながらとにかく走った。瓦礫の山の上を転びながら、でも身体を

傷つけないように走った。

 散々転んで、当然のように傷だらけになって、気付いたら隣街にいた。

 隣街と言っても俺の気絶した場所からは反対側に近い。すなわち、俺は

気付かずに陽の死んだ場所を通ったということだ。

 人目を避けるようにして暗がりに逃げ込んだ。そこで力尽きて倒れた

俺を見つけてくれた人がいた。

「だ、大丈夫・・・・?」

 女の子だ。俺と同い年くらいの。隣には同じく同年代くらいの男の子

もいる。

「怪我してます・・・・・修之さん呼んできますね!」

「う、うん。私ここにいるから!」

 これが、春彦と金との出会い。

 その後、駆けつけた修之さんによって助け出された。

 それから俺は生きてきた。いつの間にか改竄されてしまった記憶を

真実と思い込んで。

 ただ復讐心を向ければいいだけにして、それを目的にして生きてきた。

 陽の死、皆の死を足場にして。踏み台にして。

 陽の死を、復讐心と皆の死とで覆い隠して、陽は事故死で、悲しみも

憎しみも憤りもぶつける相手がいないという状況が嫌で、無意識下に

記憶も改竄して。

 五年間の足場が、目的が今、崩れ去った。


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