第7話 王冠とガルダと、逃げる登山家たち
今から一五〇年ほど前、ガルダはまだ「ちゃんと山として認識されてなかった」らしい。
「どういうことです?」
「当時はな、ガルダの上半分は『空の模様』だと思われてた。空の一部が異常に白かったり、変な線が入ってるのは、天球のキズだとか、神々の通り道だとか、そんな扱いだった」
空にひびが入ってる、みたいな感覚か。
遠くで見てる分には、それで納得してしまいそうだ。
「それが徐々に、『いや、どうもあれは地面の続きらしい』ということがわかってきた。測量技術がちょっとだけ進歩したのと、変なところまで好き好んで行く物好きが増えたおかげだ」
変なところまで好き好んで行く物好き――たぶん、当時の登山家と探検家たちだ。
「で、とある王国が、ガルダが自分たちの領土の一部であると主張し始めた。『空の一部』だと思っていたときは誰も興味を示さなかったのに、『山』だとわかった途端、急に価値が出たわけだ」
領有権争い。
どこの世界でも、やることはだいたい同じだ。
「その王国の王様が、ある日、こう宣言した。『一ヶ月以内にガルダに登頂した者には、この王冠を授ける!』」
「……バカじゃないですか?」
「だから、みんなドン引きした」
隊長さんは、にやりと笑って続ける。
「当時の常識からしても、ガルダに登るのは『確定で死ぬ』レベルだった。標高はよくわからないが、とにかく雲をいくつも突き抜けている。山頂がどこかもはっきりしない。地図もない。そんなところに『一ヶ月以内に登ってこい』と言われて、喜ぶやつはいない」
「ですよね」
「『はい』なんて言おうもんなら、その場でガルダ行き確定になる。だから、王都にいた登山家たちは、うっかり声をかけられないように、みんな遠くの街へ避難した」
王様からの「君、ガルダ行かない?」は、もはや死刑宣告だ。
軽率に王城近くをうろつくやつはいない。
「なのに、七日目だ」
隊長さんは、指を一本立てた。
「七日目に、ネルソンという登山家が宮殿に現れた。彼はこう言った。『山頂候補が三つあるようなので、旗を三本ください。それと登山に使うので、壁に飾ってあるその王笏を貸してください。明日出発するので、今すぐに』」
「……やっぱバカじゃないですか?」
「だから、当時の家臣たちもドン引きした。王様も、よくそれを信じた」
場面が目に浮かぶようだ。
きらびやかな謁見の間。
巨大な地図の前に立つ、場違いなくらい質素な服の男。
壁には宝石のちりばめられた王笏。
ネルソンはそれを、まるでそこらのトレッキングポールみたいな目で見ている。
「国宝が、やたら硬いクソデカ登山杖に変わる瞬間だ。家来たちは全員『何考えてるんだこの人たち』状態だったらしい」
「王様も、何考えてたんですかね……」
「そこが面白いところでな。王様は半分は本気、半分は賭けだったと記録に残ってる。『どうせ誰も登れまい。だったら、とりあえず言うだけ言ってみよう。もし登れてしまったら、そのときは王冠の一つや二つくれてやってもいい』」
「軽い……」
世界最高峰クラスの山を、人類で最初に“登る”行為に対して、その軽さ。
ある意味、王様も相当バグっている。
「ネルソンはその場で平然とこう返した。『山頂候補が三つあるのであれば、三つとも踏めばよいだけです』」
「いやいやいや、そういう話じゃないんだよなあ……」
俺は頭を抱えた。
標高五万メートル級だぞ?
ふつう、「山頂候補三つ」に対して、「じゃあ全部行きます」は出ない。
「彼の要求は明確だった。 三本の国旗。登山杖に使えそうな王笏。出発は翌日。準備期間はほぼゼロ。それでも、王様は『面白い男だ』と笑って、要求を飲んだ」
「国宝、軽い……!」




