第13話 通常ネルソン、出陣
法務の雪崩について考え続けていると、ゲームを遊ぶどころではなくなる。
だから俺は、いったんすべてを見なかったことにした。
リーアムっぽい特別スキンも、ブラッドっぽい通常スキンも、ブラック・ビーツという虚無みたいなコメディアンも、掲示板の禁止ワードも、全部いったん雪の下に埋める。
よし。
俺は山に来たのだ。
いや、正確には自室の高級椅子に座ってSteamを起動しているだけだが、心は山だ。外に出ない登山。安全な遭難。文明がくれた夢の箱庭である。
俺は通常ネルソンスキンをセットした。
画面のネルソンは、シックな登山ウェアを着て、ガルダの遠景を見つめている。顔はどう見ても危ないくらい整っているが、そこも今は見ない。顔面の著作権より、まず山だ。
ステージ選択画面に入る。
難易度は三つ表示されていた。
「ハイキング」
「アドベンチャー」
「フラッグオンガルダ」
ただし、フラッグオンガルダは未解禁だった。
カーソルを合わせると、説明が出る。
「アドベンチャーを踏破した者だけが、ガルダに旗を立てる権利を得る」
俺は少し身を乗り出した。
なるほど。
ハイキングは観光。
アドベンチャーは冒険。
フラッグオンガルダは、山頂に旗を立てる段階。
難易度名を「どれくらい難しいか」ではなく「何をするか」で名づけているらしい。発想は嫌いではない。嫌いではないが、言葉の圧が強い。
気になってネットで調べると、さらに嫌な情報が出てきた。
フラッグオンガルダの上に、最高難易度がある。
名前は「ネルソン」。
難易度ネルソン。
もう単位が人名になっている。
登山家だったはずの男が、いつのまにか物理現象みたいに扱われていた。「今日は風速二十メートル、体感温度マイナス三十度、難易度ネルソンです」みたいな顔で並んでいる。おかしい。人間を天気予報に入れるな。
しかも解説によると、それぞれの難易度はこういう意味らしい。
ハイキングは、ガルダ観光。
アドベンチャーは、ガルダ冒険。
フラッグオンガルダは、ガルダに旗を立てる。
ネルソンは、ネルソンをやる。
ネルソンをやる。
それは何だ。
動詞になるな。
人間は普通、やられる側の言葉にはなっても、やる側の概念にはならない。なのにこのゲームでは、ネルソンが行為そのものになっている。登るでも、走るでも、生還するでもない。「ネルソンをやる」。おそらく、国宝を杖にして、締切に追われながら、山頂候補を全部潰して、帰って飯を要求する一連の異常行動を指すのだろう。
いや、指すな。
そんなものに名前をつけるな。
さらに、史実のネルソンは旗を三本持っていた。
ガルダの山頂候補が三つあったからだ。
それなのに難易度名は、フラッグオンガルダ。
旗が単数形。
足りない。
この時点で、もう隠し難易度の伏線になっているらしい。
うるさい。
伏線の張り方が雪庇よりせり出している。
「フラッグ」と言われた時点で、こちらは一本だと思うだろう。そこで史実を知っている人間だけが「一本? 三本では?」と引っかかる。そこから上位難易度ネルソンに気づく。
やっていることは丁寧だ。
でも丁寧な面倒くささだ。
ネルソン信者たちは、言葉の氷壁にもピッケルを刺してくる。




