第8星話 寝取られたい男と寝取りたい男の友情の星 後編
リパ星の宇宙港に、一隻の小型宇宙船が着陸した。船から飛び降りたのは、まだ幼さを残す少女だった。
肩に金百合柄の青いマントを翻し、黒のブラウスの襟元には大きな赤いリボンを揺らし、ひらめく白い膝丈スカートの下に薔薇色のガーターリングをチラチラさせ、右足に膝まであるブラウンのブーツ、左の素足に銀の羽飾りのついた銀のサンダルを履いた少女。
名をエリクといった。
「うわー、お洒落ーっ!」
星都の中心街を歩きながら、エリクは叫ぶ。
リパ星は、ファッションの星として知られていたのだ。街並みも道行く人も、店も、燦然と輝いて見えた。
ただ。
「男は帯剣なんだ」
そこは少し変わっていた。成人男性は、皆、剣を佩いていた。それにでっかい派手な帽子を皆、被っている。
これからする決闘も、剣で行わなければいけないのだろうか。帽子も必要なのかな。
もっとも、女性は帯剣していない。女性は決闘をしないのだろうか? そうするとちょっと話がややこしくなる。
何はともあれ。まずは食べなきゃ。
エリクは、目についた1番おしゃれな喫茶店に飛び込んだ。
ハーブのサラダと鶏肉の黒バター添えを頼み、デザートに、チェリークリームパイとミルクティーを頼む。
「うくーっ、最高ーっ!」
エリクは、すっかり満たされた。黒バターの香りが、ずっと鼻をくすぐっていた。宇宙空間では味わえない贅沢。
喫茶店の店員に、訊く。
「シラノ•ド•ベルジュラックという人をご存じですか?」
知っていた。いろいろ話を聞く。
喫茶店を出る。
街を歩く人をつかまえて、シラノ•ド•ベルジュラックについて訊く。
大抵の人が知っていた。シラノ•ド•ベルジュラックは有名人らしい。
どこに住んでいるか、何をしているのか、あれこれ全部わかった。
「シラノなら、今頃ーー」
あっちだよと指さして教えてくれる。
エリクは礼を言って、シラノを探しにいく。
リパの星都は、石畳、石造りの街だ。懐古調。全部本物の石なのか、模造石なのか、それはエリクにはわからない。
石畳の通りを過ぎて行くと、
いた。
シラノ•ド•ベルジュラック。
拍子抜けするほどすぐ見つかった。大きな赤い羽飾りのついた帽子をかぶっているから、すぐわかると、方々で言われてきた。帯剣している。
エリクはシラノの前に立つ。
「はじめまして。エリクといいます。シラノさんですね? ド•ギーシュ伯爵の代理で来ました」
「ド•ギーシュ伯爵の代理?」
シラノは、エリクに目を凝らす。
まだあどけなさを残す少女。帯剣はしていない。しかし。
「私はいかにもシラノだ」
名乗る。
「して、お嬢さん、いったい何の御用かな?」
「はい。私はアラス星で、お金を稼ぐために、剣術大会に出場したのです。私は優勝したのですが、その時、主賓席にいたド•ギーシュ伯爵に呼ばれ、代理決闘を依頼されたのです。リパ星のシラノ•ド•ベルジュラックと闘うようにと」
「ド•ギーシュ伯爵の代理決闘……」
シラノは思いを巡らす。
ド•ギーシュ伯爵。そうだ。学校で一緒だった。貴族であることを鼻にかけ、いつも取り巻きを引き連れている、嫌な奴だった。シラノは、誰とも諍いを起こすことを好まなかった。ド•ギーシュは、それをシラノが弱虫だからだと考え、何かとシラノに絡み、ことあるごとに侮辱してきた。
とうとう。シラノは、学校の体育場で、ド•ギーシュに試合を申し込んだ。最初、大いに強がっていたド•ギーシュであったが、たちまちにしてシラノに打ちのめされた。模擬刀での試合だったが、立つこともできず、床に這いつくばり、シラノを恨めしそうに見上げるばかりであった。
そんなド•ギーシュのことを、学校の生徒たち、そしてド•ギーシュの取り巻きまでもが、冷ややかに見下ろしていた。
学校での屈辱の恨みを、剣士を雇って代理決闘させることで晴らそうというのか。陰湿なド•ギーシュらしいな、シラノは思った。
目の前の少女、わざわざド•ギーシュが差し向けてきた剣客だ。相当な手練なのだろう。これは間違いなく命のやりとりになる。
いいだろう。シラノは思った。人は、いずれ死ぬ。問題なのは、いつ死ぬかではなく、どう死ぬかだ。
それに。
ロクサーヌとはもう、結ばれたのだ。思い残すことなど何もない。
シラノは、赤い羽飾りの帽子を手に取り、高々と掲げる。
「シラノ•ド•ベルジュラック、ド•ギーシュ伯爵の代理エリク殿との決闘、確かに受けることを、ここに宣言する!」
朗々たる声が響き渡る。
「決闘だ!」
「シラノが決闘を受けたぞ!」
「相手は誰だ!」
たちまち、星都中に決闘のニュースが広まった。
◇
星都の酒場で。
クリスチャンは、まだ昼間なのに、独り杯を重ねていた。
シラノと結ばれたロクサーヌ。うまくいった。気づかれなかった。しかしーー
「クリスチャン、ああ、クリスチャン、なんということ! こんな歓喜、悦楽、高揚、それこそ、この体が爆発して外宇宙まで飛んでいってしまいそうな! 本当に初めて!」
星1番の美女は、体を震わせていた。そして、その話ばかりするのであった。もっと結ばれよう、としつこくクリスチャンに迫ってきた。そんなにすぐまた結ばれることはできないと言うと、拗ねた。
結局、自分はロクサーヌにとって、何の価値もない人間なのだ。
クリスチャンは、杯を呷る。
ロクサーヌにとって価値があるのは、ロクサーヌを虜にしたのは、シラノなのだ。シラノの…………なのだ。
「おーい、決闘だぞっ!」
酒場に飛び込んできた男が叫んだ。
店内は色めき立つ。
「決闘? 誰が?」
「シラノだよ、シラノ•ド•ベルジュラック。相手はアラス星から来た剣客エリク。なんでも、向こうの剣術大会で優勝した猛者っていう話だ。シラノに恨みを持つド•ギーシュ伯爵が、代理決闘でシラノを殺そうと送り込んできたって言う話だ」
「ええっ、じゃぁ、そのエリクってやつは、凄腕のプロの殺し屋だな? こりゃ、シラノも危ないなぁ」
「すごい勝負になるな、剣客対剣客だ」
「あぁ、だから星都中の人が飛び出してきてるんだよ。こんな観物めったにないぞ」
「これは大変だ、みんな、行くぞ!」
酒場の客たち、いや、店のウェイターやコックまで、みんな店から飛び出した。後から追いかけるマネージャーの怒鳴り声が、虚しく響く。
独り杯を見つめるクリスチャン。
「シラノが、決闘……相手は凄腕のプロ? 殺される?」
その目はギラギラと光っていた。
「そんな事は、許さん」
クリスチャンは、ゆっくりと立ち上がる。
◇
「すみません。私の言い方が、悪くて」
エリクは、赤くなってる。
並んで歩いてるシラノが微笑む。
「いや、早とちりしたのは、私の方だよ」
エリクは、代理決闘を頼まれてきたと説明した。しかし、まだ、決闘の申し込みはしていないのである。
エリクは説明する。
「ド•ギーシュ伯爵に依頼された時、私は言ったんです。シラノと言う人の事は知らない。知らない人をいきなり殺すことはできない。私がリパ星に行って、シラノ•ド•ベルジュラックに会って、本当に殺すべき人物か確かめた上で、それが正しいと思ったら、代理決闘を行う、そう言ったんです。そして、この星に来て人々から話を聞き、あなたに会って、確信したんです。決闘をすることはできない、と」
「ふーむ、私は殺すにも値しない男だ、そういうことかね?」
「あ、そうじゃないんです。この星の人たちはみんな言っていました。あなたが誰よりも気高く、高潔で、素晴らしい人だと。あなたに会って、それは間違いではないとわかりました。ド•ギーシュ伯爵の言っていたこととは、真逆でした」
「ド•ギーシュは、なんて言ってたんだい?」
「ええと……」
エリクは、ややバツが悪そうに、
「ではリパ星に行って、シラノを見てくるがよい、すぐにやつを殺したくなるだろう。シラノ、それは卑怯で狡賢いイカサマ師で、見た目は毛虫、ダニ、蝿にも劣る。宇宙で最も醜く、誰もが顔を背ける怪物だ。誰だってやつを見たら、踏みつぶしてやりたくなるさ。だから、安心して殺してくれ……あの、伯爵がこう言ったんです」
エリクの声、小さくなる。
「ふうん、ド•ギーシュがそう言ってたんだ」
シラノは顎を撫でる。相変わらずだな。昔の恨みをこじらせにこじらせてるんだ。もともと執念深く、ねじくれた性格のやつだったしな。
「しかし、エリク、君はそれでいいのかな? 伯爵から、代理決闘の報酬は、もう受け取ったんだろ?」
「はい。たっぷり貰いました。でもいいんです。ちゃんと、決闘中止の時でも、報酬はもらうと約束しておきましたから。伯爵は……普通の状態じゃなかったです。なんていうか。すっかり私があなたを殺す夢に浸っていました。もうそれ以外考えようとしてませんでした。アラス星の人も言っていました。もうずっとこんな調子で、伯爵は正気じゃなくて、思いついてはお金をあちこちにぶん投げていると。だから、莫大な財産もそろそろ尽きるだろう、そういう話でした。私がもらったのは、伯爵が夢を見るための報酬ですから、問題ありません」
「ハハハ、それはいい商売だね」
シラノは笑う。
ド•ギーシュは自分のねじ曲がった心が生み出した妄執の海の中に、沈んでいくんだ。
これで解決だ。もっとも、一旦宣言した決闘をやっぱり中止しますと言うのは、かなり恥ずかしいことだが、意味もなく決闘をするわけにはいかない。
「あ、一つ」
シラノは言う。
「私のことを、気高い、高潔、と言っていたね。私は決してそんな人間じゃないよ」
シラノは、ロクサーヌにしたことを、思い出していた。
◇
「せっかくこの星まで私に会いに来てくれたんだ、奢るよ。食事に行こう」
星都広場へ向けて、並んで歩きながら、シラノがエリクに言う。
「ええ、そんな。奢ってもらったりしちゃ。あの、それに、私、食事はもうしてきたんです」
「そうか、じゃ、酒だけでも付き合いなさい。星都広場に、いい店があるんだ。そうだ、杯を干す決闘をしよう。
「あの、私、まだ子供です……」
エリクは戸惑う。
2人は星都広場に入った。
「おや」
シラノは、足を止める。
待ち構えていたのは、クリスチャン。ただならぬ顔をしている。
「おい、どうしたんだ」
シラノが声をかけるが、金髪巻毛の青年は友を見ない。
エリク。シラノの隣の少女を睨んでいる。
なんだろう。この人、すごい美青年だけど、なんで私をこんなに睨んでいるの? こんなものすごい顔をして。
エリクは目をパチクリ。
「貴様がシラノを殺しに来た剣客だな!」
クリスチャンが、エリクに向かって叫ぶ。
「許さん! シラノを殺すことは、許さん!」
いきなり剣を抜いた。そしてエリクに襲いかかる。
エリクは、あっ、と叫ぶ。どうしよう。超駆動するか?
だが、先に動いたのはシラノだった。
「やめろ、お前は勘違いしてるんだ!」
しかし友にその声は届かない。やむを得ない。こうなったら残る手段はただ一つーー
シラノは抜剣した。そして、友の前に立つ。
ガッ、
2人の青年、誰よりも美貌を誇る青年と、誰よりも高貴な心を誇る青年がぶつかった。2人の親友の剣が交差する。
クリスチャンの剣は、空を切っていた。
シラノの剣はーー
クリスチャンの胸を貫いていた。
「クリスチャン、君はなんていうことを、君はなんていうことを、こうまでして僕を助けたかったんだね? ああ……」
「違うんだ……」
クリスチャンが苦しい息で言った。
「君を助けようとしたわけじゃないんだ……僕は、君を殺そうと……僕が君を殺したかったんだ……」
「え?」
「シラノ、君は、すべてのことで勝ったんだ。ロクサーヌを虜にしたのは君だ。ロクサーヌは、君のものだ……僕は、負けた……でも……僕はそれをどうしても受け入れることができなかった。だから君を殺そうと思ったんだ。そこへ、君を殺しに来た剣客が現れたという話だ。もしその剣客が君を殺してしまったら、僕は永遠に君に勝てない。だから、まず、剣客を殺し、そして僕が、堂々、君を殺す、そう考えたんだ」
「君は……」
シラノは虫の息の親友をしっかりと抱きしめる。
クリスチャンは微笑んでいた。本当に美しかった。
「僕は、本当に、本当にバカだ。何一つできない、哀れな男だ。君にはどうやっても勝てるわけなかったんだ。でも、シラノ、こんな僕でも……君の親友として、死なせてくれるか?」
「ああ、もちろんだ。僕たちは、これまでずっと親友だった。そして、これからも、親友だ」
シラノの腕の中で。
クリスチャンは、天を仰ぎ、そしてその瞳から光は消える。
星都広場で行われたクリスチャンの葬儀に、星中の人が参列した。
燦然たるたる美貌を誇った青年、青春の絶頂でこの世から旅立った青年のために、誰もが涙していた。
シラノとエリクも参列していた。
沈痛な面持ちでクリスチャンの棺を乗せた馬車を見送るシラノ。その袖を、誰かがそっと引いた。
振り向く。
ロクサーヌだ。黒い喪服に、面紗をしているが、その冴えざえとした美貌を隠せてはいない。星で1番の美女。
「シラノ」
面紗越しにも、その頬が紅潮しているのがわかる。ロクサーヌは、シラノにウィンクしてみせる。
「私、わかっていたの」
「……なにを?」
「私たち、子供の頃から一緒だったじゃない。幼馴染みじゃない。あなたとクリスチャンが一緒に水浴びするところとか、こっそり見てたのよ。だから、間違えたりするわけないの。私、ずっと、シラノ、あなたの…………に思い焦がれていたの。でも、あなたは大人になってから、私から逃げてばっかり。いつも私から隠れちゃう。本当に、じりじりしてたの。燃える心と体を、とても抑えきれなくてね。でも、あなたが逃げちゃうならしょうがない、そうだ、クリスチャンと付き合おう、そう思ったの。みんなにもお似合いだお似合いだとずっと言われて来たしね。クリスチャンと付き合って、少しは満たされたかと思ったんだけど、やっぱりそうじゃなかった。あなたを体験しちゃったんだもん。ねぇ、シラノ、あなたはクリスチャンと一緒になって、なんであんなことしたの? 目隠しの下で私がどんな表情してたか。見せてあげたかったわ。でも、もういい。私はあなたを体験したの。だからあなたのものなの。あなた以外、何も考えられないの。クリスチャンにどう話そうか考えていた時に、ちょうどこういうことになって……もう、私たちの間には何の邪魔はない。さぁ、シラノ、お願い。私をあなたのものにして。もうコソコソしたり、隠れたりする必要はないの。誰の前であっても堂々と、結ばれましょう」
シラノは、頭がクラクラした。
この女は。
結局のところ、クリスチャンの美貌にも、シラノの高貴な心にも、何の価値も見出していなかったのだ。この女を虜にできるのは、ただ、ただ、デカイ…………だけだったのだ。
キラキラとした瞳のロクサーヌ。クリスチャンの棺を見送ることも忘れて、シラノと結ばれることに夢中になっている。
この女とこれからずっと結ばれたらーー
シラノには、わかった。
ロクなことにはならない。
でも。
シラノは喪服の美女に手を伸ばす。
「行こう、ロクサーヌ」
それが愛ってものじゃないか!
◇
星から星へ。
エリクの旅は続く。




