第31星話 乙女の一夜のあやまちの星 後編
マーシャがホテルの部屋に戻ると、寝間着のエリクが、やっと起き出してきていて、居間で遅い朝食、コーヒーを飲んでいる。
「おはよう」
もう昼だけど。
エリクは、のろのろと顔を上げた。マーシャは、驚く。相部屋の子は、青ざめた顔をしていた。ぼんやりとした目で、マーシャを見る。生気の無い瞳。夜、眠れなかったようだ。目に隈ができている。こんなの初めてだ。
「どうしたの?」
思わず訊いた。
だが、エリクは何の反応もしなかった。じーっとマーシャを見つめると、そのままテーブルに突っ伏した。
何があったの?
突然のエリクの変調にマーシャは仰天。これまでのエリクは、同じ歳だけど、しっかり者で、ちょっとお姉さん的なところがあったのに。
なんだろうな。マーシャは首を傾げる。
ひょっとして。
エリクも妊娠!
昨日の今日だけに、すぐそっちへマーシャの考えは行く。
いや、まさか。そんなことあるわけないか。そんなに周りの少女が次々と妊娠するなんて、ありえない。
眠れなかっただけだ。
マーシャは、優しくエリクの乱れた髪を撫ぜる。
「もう、エリク、本当にお寝坊さんなんだから」
エリクの、青ざめた顔は変わらない。
そして、マーシャをすごい目でじっと見つめている。
エリクは、立ち上がった。マーシャの手首を掴む。
「ど、どうしたの?急に」
ギラギラした瞳のエリク。
「マーシャ、来て」
「え?」
「話があるの」
エリクは、マーシャを引っ張って、部屋を出る。わけのわからないマーシャだが、エリクの気迫に、引き込まれた。何も言えなかった。
◇
「ねえ、どこに行くの?」
エリクの突然のおかしな行動に、目を丸くするマーシャ。エリクは黙ってマーシャを引っ張っていく。
2人はホテルを出た。
エリクは緑の公園の、人気のない大きな樹の陰までマーシャを引っ張っていくと、向き合う。
しばしの沈黙。2人で見つめ合って。
どうしたんだろう、とマーシャは思う。エリク、ハァハァと荒い息遣いをして、マーシャをギラギラした目でじっと見ている。
なんだろうな。様子がおかしい。何が急に悩み事ができたのかな。それだったら、相談に乗ってあげなきゃ。
◇
「マーシャ」
エリクは、口を開いた。マーシャの様子を仔細に観察している。
マーシャ。今日は、元に戻っている。いつものほわほわマーシャ。たった1日、いや一晩で立ち直ったんだ。
でも。
そう見えるだけかもしれない。おっとり屋のお嬢様だけど、超一流のお金持ちお嬢様だ。どんな時でも、表情に出さない訓練を小さい頃からしてるのかもしれない。上流名門ってそういうものらしいからな。
あんなことが……あったんだ。すぐ立ち直れるわけない。
私は……なんとしてでも、この子を、相部屋のお嬢様を、助けなくちゃ。知ってしまったんだもの。見過ごすことはできない。絶対に。マーシャは、一人で強がっているだけなんだ。弱みを見せまいと。1人で決着をつけようとしているんだ。ここで誰かが手を差し伸べなければ……本当に、取り返しのつかないことになってしまう。
でも、一体なんて言えばいいのか。エリクは見当もつかない。考えれば考えるほど、頭の混乱がひどくなる。ホテルの部屋で話をしないで、外に連れ出したのも、爽やかな空気の方が、頭が働くんじゃないかという思いと、ちょっとでも自分の考えをまとめて整理したい気持ちからだった。
やるべきこと。
マーシャの事情を確認し、考えを聞いて、もしまだ命を断つことを考えているなら、断固として、説得し、思いとどまらせなければならない。
慎重さが必要だ。マーシャの気持ちをかき乱したり、追い詰めたりしてはいけない。こんな説得は、エリクはしたことがなかった。
だからなかなか言葉が出てこなかったんだけど、ついに決めた。
えーい、こうなったら、もう直球ストレートで言ってやろう。勝負だ。
「マーシャ」
エリクの声は、ややかすれていた。
「私、知ってるんだ」
「……何を?」
マーシャ、やや心配そう。
エリクは、一呼吸置く。ここで退いてはいけない。
「あなたの……赤ちゃんのこと」
言った。いってしまった。エリクの心臓の鼓動、最高潮に。本当に言ってよかったのかな。もし間違ってたら。
「え?」
マーシャ。目を丸くする。赤ちゃん? 私の? 何を言ってるんだろう?。
少し混乱したマーシャだったが、あ、そうか。と気づく。雀の雛の事か。エリクも知ってたんだ。あれはコーネル先生が巣を下ろしてくれて解決した。
マーシャは、にっこりとする。
「ふうん知ってたんだ。私だけの秘密だと思ってたのに。あなたにも、そのうち教えようとは思っていたんだけど。誰から聞いたの?」
エリクは押し黙った。マーシャの様子。あっけらかんとしている。なんだろう。これって強がり虚勢? 全然たいしたことないみたいに聞こえるんだけど。
でも、ここは押さなきゃ。
「あの、大丈夫なの?」
「え? 大丈夫だよ」
マーシャは、やはりあっけらかんと答える。なんだ? 何かおかしい。エリクはやや混乱しながら。
「大丈夫って、その。本当に……無事ってこと?」
「うん。無事だよ。聞いてないの?」
「……」
「ちょっと危なかったのは確か。でも、コーネル先生にたまたま出会って。ほら、ホテルのお医者様のコーネル先生、知ってるでしょ?」
エリクはキョトンとなる。コーネル先生? ホテルのお医者様がどうしたというのだろう。マーシャが続ける。
「コーネル先生に相談したの。そしたら、先生が下ろしてくれたの」
エエエエエッ!
エリクに雷撃が走る。
堕ろした? そのつまり、赤ちゃんを堕したってこと? もう? いきなり?
「あの……つまり、コーネル先生が、堕してくれたってこと?」
「そうだよ」
「……赤ちゃんを?」
「うん。こういうのよくあるから、慣れているんだって」
うぎゃああああっ!
エリクを、さらなる雷撃が襲う。なんだ。なんなんだ。このホテル、宿泊中の少女がドンドン妊娠して、それを専属のお医者様がじゃんじゃん堕ろす、そんなことやってるんだ。それはさすがに……行き過ぎじゃないのか? ホテルのお医者様ってそんなことまでするのか? もう何が何だか。
何を言っていいのかもわからずに、
「あの……赤ちゃんは」
「元気だよ」
「元気?」
「うん。可愛い五つ子」
「五つ子!?」
エリク、完全に、完璧な、これまでで最強の脳の蒸発を体験する。目の前のほんわかマーシャ、五つ子を堕して、平然としてられるんだ。え? 元気? なんだ、そりゃ。何が起きてるの?
マーシャは、うふ、と笑う。
「見にいく?」
「……見にいく……なにを?」
「え? もちろん、赤ちゃんよ」
放心虚脱抜け殻状態となったエリク。マーシャに引っ張られていく。そして雀の赤ちゃん雛鳥五つ子がチュンチュン鳴いている檻を、マーシャと一緒に見つめる。
マーシャは雛鳥を見ながら、うれしそうににっこりとしている。
呆然となっていたエリクだったが、やっと我を取り戻すと、
「あの、これは」
と、昨日拾った遺書を取り出す。
マーシャは親友の遺書を見て、
「え? これ、どうしたの?」
血相を変える。
「昨夜、ホテルの駐車場で、マーシャが落とすのを見て……」
エリクは、口ごもりながら説明する。
マーシャは、じっとエリクを見つめていたが、エリクなら無責任な事は言いふらさないだろう、と、親友との間にあったことを説明する。
「そうだったんだ」
エリクの今の感情、何なんだろう。これまで体験したことがない。安心したというか、血が全部抜かれたというか……もうどうしていいかわからない。なんだか泣きそうになった。でも、泣く場面じゃない。前を向いていかなきゃ。隣の相部屋の子と一緒に。
エリクとマーシャ、チュンチュン鳴く雀の雛たちを、ずっと見つめていた。
◇
星から星へ。
エリクの旅は続く。




