第31星話 乙女の一夜のあやまちの星 前編 【少女の絆と友情】 【親友が妊娠!? エリクの奮闘】 【隣のマーシャシリーズ2】
「お母さん、お父さん、お許しください。マーシャは誤ちを犯しました。もうどうしようもなく、取り返しのつかない誤ちを。お腹に赤ちゃんができてしまったのです。私は、この責任を取ります。責任を取れるという問題では無い、決して償えないことですが、もう生きていることができません。先立つ不幸をお許し下さい。罪の上に、また、罪を重ねてしまいます。他に方法がないのです。罪深いマーシャをここまで愛してくれて、本当にありがとう」
◇
「おやすみ、マーシャ」
「おやすみ、エリク」
2人の少女は、微笑みを交わすと、それぞれの寝室に入った。
マーシャのほわほわした、眠たそうな笑顔。夜になっても。ずっと陽だまりの中。
エリクは、この星に来て、マーシャと出会い、相部屋になった。高級ホテルに宿泊していた超お嬢様のマーシャが、両親が急な仕事で他の星へ行ってしまった、1人では寂しいので、同世代の女の子に相部屋になってほしい、宿泊費は払うからと、頼んできたのだった。
マーシャ。栗色くるくる巻毛で明るい青の瞳、おっとり、のんびりしたお嬢様。いつも自分の周りに、柔らかく温かで優しい陽だまりとつくっている。エリクとは、すぐ気があった。
宇宙の旅人エリクは、マーシャの陽だまりに羽根を休め、浸っていたのである。
ホテルの寝室で。1人になるエリク。
まだ、マーシャのほわほわ感に包まれている。ああ、ずっとこうしていたいな。もう無機質な宇宙空間の旅とかしないで。
ベッドで寝返りを打つが、眠れない。寝る前の紅茶が強すぎたかな。
エリクは、ベッドから身を起こす。ちょっとだけ、チェリーカモミールドライを飲もう。このエリクの好きな酒は、寝室に置いておくと飲み過ぎちゃうので、キッチンに置いていたのだった。
取りに行こう。寝室の扉を開けようとしたエリク。
ん?
向こうの扉の開く音がした。扉の隙間から、居間を覗くエリク。
マーシャだ。マーシャが、自分の寝室から出てきた。どうしたんだろう。マーシャも眠れないので起きてきたのかな。
エリクは、はっとなった。
扉の隙間から見えたマーシャの顔。なんだか、いつもと違う。マーシャは、エリクが見ていることに気づいていない。何か必死な表情。やや、青ざめていた。
マーシャは寝間着の上にガウンを羽織っている。自分の部屋から出ると、わき目も振らず、ホテルの部屋から出て行った。
玄関の扉が閉まる音。
エリクは、しばし、考え込む。
マーシャに急用。もう、夜も遅い。何があったんだろう。でも、あの表情。すごく真剣だった。いつもほわほわでのんびり屋のマーシャが。普通じゃない。よほどのことが起きたに違いない。
心配だ。追っていこう。
エリクも、部屋から出ようとするが、自分も寝間着だ。さすがにこのまま出るのはどうか。急いで着替える。部屋から飛び出した。
豪奢を極めた超一流ホテルである。フロアの廊下も広い。立派な絨毯が敷き詰められている。エリクは、最寄りのエレベーターへ行った。エレベーターはたくさんある。表示板を見ると、動いてるエレベーターは、何台もある。夜でも人は結構行き来しているのだ。
どのエレベーターにマーシャが乗ったのか、わからない。
エリクは焦る。マーシャはどこへ行ったんだろう。必死に考える。寝る前まで、マーシャには何事もなかった。普段と変わらなかった。それが突然部屋を出る用事ができた。
「これはやはり、誰かが急にホテルに訪ねてきたんだろう。どうしても会わなきゃいけない誰か。自分の部屋には招きいれられない誰かが」
そう考えたエリク、1階のロビーへ急ぐ。
超高級ホテルである。夜中でも、ロビーは昼間と同様ごった返していた。星都の宇宙港は、24時間稼働している。人の出入りは多いのだ。
広いロビー。行き交う大勢の人。エリクは、必死にマーシャを探す。
ホテルで誰かと会うとしたら、自分の部屋か、ロビーだ。自分の部屋でない以上、ロビーにいる事は間違いない筈。
◇
「あ、マーシャ」
見つけた。寝間着にガウンを羽織っただけのエリクの相部屋の子。ロビーの隅で、ホテルスタッフに何か訊いている。スタッフは、指差しして、マーシャに何かを教えている。道案内をしてもらっているようだ。おっとり屋のマーシャは、この広いホテルで、すぐ迷子になるのだ。
エリクは、ほっとした。見つけた。これで大丈夫だ。
どうしよう。何があったの?と、声をかける?
でも、マーシャは、エリクに何も言わずに出て行った。言えない理由があったはずだ。声をかけるのはまずい。何があったのかわからないけど、気づかれないように、見守っていよう。
エリクは、人影に隠れ、マーシャを伺う。
マーシャは歩き出した。
エリクは、そっと後を追う。マーシャは、ホテルの裏口の方へ、足早に急ぐ。エリクに気づく様子は全くない。普段から周囲のことにあまり気がつかないのんびり屋さんだし、今は、思い詰めたような、切迫した表情をしている。何も見えていないようだ。
マーシャ、ホテルの裏口に消える。
エリクも、あとを追おうと、
ドスン、
誰かがぶつかってきた。もつれて倒れる。しまった。エリクも、マーシャしか見ていなかった。
起き上がると、大男が睨んでいた。身なりはよい。しかし、目をギラギラさせている。ん? なんだ? 酒臭い。酔っ払いか。おそらく宇宙旅行の憂さ晴らしに酒を呷って、宇宙港からホテルへ出来上がった状態で乗り込んできたのだろう。
迷惑な奴だ。でも、こいつの相手をしている暇は無い。私はマーシャを追わなきゃ。
行こうとするエリク。腕を掴まれた。
「おい、どういうつもりだ。人にぶつかっておいて、ごめんなさいも言えないのか」
酔っ払いの大男。ねえ、ちょっと、あんたの相手をしてる暇なんてないんだから。だいたい、ぶつかってきたのはそっちだし。
エリクは、振り解こうとするが、大男はがっちりとエリクを捕まえている。ああ、もう面倒だな。超駆動して超人の力を発動してぶっ飛ばすか? しかし、ここは高級ホテル。やたらと立ち回りをするのはまずい。
結局。
ホテルスタッフが飛んできて、酔っ払いの大男を連れて行く。被害はありませんか? きちんと届け出を出していただければ対応しますと言われたが、エリクは、別にぶつかられただけだし、急いでるのでいいですと言って、マーシャを追う。
ホテルの裏口から飛び出したエリク。マーシャを完全に見失っている。余計なトラブルのせいで。大事な相部屋の子の危機に間に合わなかったらどうするの? あの酔っ払い、絶対許さんぞ。
必死にマーシャを探す。エアカーの駐車場だった。広い駐車場に並ぶ無数のエアカー。夜の駐車場。照明は皓々としているが、エアカーの中、人を探すのは厄介だ。まさか、マーシャがエアカーに乗って、どこかに出かけた? それじゃ、もう追跡できない。またまた焦るエリク。
◇
「ずっと一緒だからね! 何があっても、私たち2人は一緒! それを忘れないで!」
マーシャの声だ! 不意に聞こえた声。
近い。なんだ、すぐ近くにいたんだ。エリクは、ほっとする。でもその声。すごく切迫していた。いつものマーシャと違う。
声の方へ。エリクは、エアカーの陰から、そっと窺う。マーシャだ。見つけた。寝間着にガウン姿。照明の中、はっきりと見て取れる。やや青ざめた顔。
誰かと話している。なるほど、やっぱりここで会う約束をしたんだ。夜中にきっと、通信が来て、呼び出されたんだ。
マーシャと相手。低い声での会話。聞こえない。エリクは、エアカーの影に隠れながら、そっと近づいていく。
バタバタと足音がした。マーシャの話していた相手が、駆け去っていくようだ。
それをしばし見送っていたマーシャ。くるっと向きを変えて、こちらに歩いてくる。エリクは、慌ててエアカーの影に身を隠す。事情はわからないが、みてはいけない場面を見てしまったような気がした。
相部屋の子の、これまで知らなかった顔。知っちゃいけなかった顔、なのだろうか。
マーシャは、隠れているエリクに気がつかず、足早に歩き去る。
駐車場の照明の下で見るその横顔。強い決意をみなぎらせている。なんだろう。凄みさえ感じる。いつものほわほわマーシャとは、もう別人。
通り過ぎるマーシャ、その時、白いものが落ちた。
あ、なんだろう。ガウンのポケットから落ちた。
エリクは、動けない。そしてマーシャが見えなくなってから、そっと白いものを拾う。マーシャは自分の落し物に全く気づいていなかった。
折りたたんだ紙だ。
ホテルの部屋に戻る。
マーシャの寝室の扉を、トントンと叩く。
「どうしたの?」
マーシャの声。
「ちょっと……眠れなくって。マーシャは眠ってた?」
「ううん、私も眠れてなかった。そろそろ、眠るから」
「そう、おやすみなさい」
「おやすみ、エリク」
マーシャの声。いつもと同じ。いや、そうじゃない。ちょっとだけ引き攣っていた。緊迫した空気が、まだ残っていた。いつものほんわかとは違う。
何があったんだろう。
エリクは、自分の寝室で、マーシャが落とした紙を広げた。手紙のようだ。勝手に読んでいいのか、いいわけないんだろうけど、読まずにはいられなかった。マーシャに何か事件が起きたんだ。ただならぬ事に違いない。力になれることがあるなら、なんとかしたい。だから知っておきたかった。
手紙を読む。
「お母さん、お父さん、お許しください。マーシャは誤ちを犯しました。もうどうしようもなく、取り返しのつかない誤ちを。お腹に赤ちゃんができてしまったのです。私は、この責任を取ります。責任を取れるという問題では無い、決して償えないことですが、もう生きていることができません。先立つ不幸をお許し下さい。罪の上に、また、罪を重ねてしまいます。他に方法がないのです。罪深いマーシャをここまで愛してくれて、本当にありがとう」
うぎゃあああああっ!
エリクは、飛び上がった。大声で叫んだ。いや、叫んだつもりだった。でも、声がかすれて、何も出なかった。口だけパクパクとする。呼吸が止まった。息もできない。
マーシャが! 赤ちゃんを! そして、それを苦に命を断つ!
全身から汗が吹き出す。蒼白になっていた。体がガタガタと震える。震えが止まらない。
マーシャが……そんな……ほんわかで、おっとり屋のほわほわお嬢様マーシャ。寝る前は何もなかったのに。なんで急におかしくなったんだろう。そうだ、妊娠検査の結果が出て、連絡が来た、そういうことなのかな。
それで、混乱したマーシャは。命を立つことを決めて、遺書を書いて。
エアカーの駐車場で会っていたのは誰なんだろう? エリクは必死に考える。きっと、相手の男だ。お腹の赤ちゃんのパパ。相手と連絡して待ち合わせて、話して。
「ずっと一緒だからね! 何があっても、私たち2人は一緒! それを忘れないで!」
駐車場での、マーシャの悲痛な叫び。
あれはどういうことだろう。男と話したけど、結局、責任は取らないとかなんとか言われたのか。それでも、1人で死ぬ覚悟を決めた。そういうこと?
相手の男。誰だろう。わからない。でも、マーシャにこんなことしやがって。とんでもない奴だ。許せん。
マーシャは、ずっと一緒だと言ってたから、まだ相手の男に気持ちがあるんだ。別れたくない。でも、相手は違ってた。それもあって、追い詰められていたのかな。
この手紙はーー
エリクは、改めて拾った手紙を読み返す。
どう見ても、遺書。間違いない。マーシャの両親宛の。マーシャが赤ちゃんができたことを苦にして、それと、男に冷たくされたこともあって、命を断つ? そりゃ、17歳で赤ちゃんができちゃったんだ。大事件には違いないだ。だけど……絶対早まりすぎだよ。当然だ。死ぬなんて。何が何でも、やめさせなきゃ。
相部屋に、最悪のピンチが。今、マーシャを守れるのは自分しかいない。
よし。エリクは決意する。私が立たずして誰が立つんだ。そうだ。絶対に、絶対に、絶対に、マーシャ、君を守ってみせるぞ!
エリクは、一晩、眠れない夜を過ごした。
マーシャの妊娠。
ありえない危機。
エリクはベッドの上で、守る、守る、と譫言のように繰り返していた。
(第31星話 乙女の一夜のあやまちの星 中編へ続く)




