第6星話 注文の多い料理店の星 【えっち】 【ホラー】 【ミステリアス】
エリクが、そのレストランのことを聞いたのは、農夫からだった。
「この星には、何もないよ。ただ、畑があるだけだ。農業星でね。農業っていっても、今じゃ全自動だからね。人もほとんどいない」
農業星ハーヴェイ。
エリクは、まっすぐな道路に立っていた。両側には、広大な畑がどこまでも続いている。左手には、遠くに森が見えた。
何もない。
それは宇宙港に降りたときからわかった。
管制塔も全自動。宇宙港には誰もいなかった。人よりも、農産物の出入りが多いことは、すぐわかった。
収穫物の運搬車両、輸送用宇宙船、積み込みロボット。ガターン、ガターンと、単調で無機質な作業の音が響いていた。宇宙港の脇には、ホテルはないが、大きな倉庫がずらっと立ち並んでいた。
宇宙港からまっすぐ伸びている道路の一つをエリクは歩いてみた。この道路も、農産物の運搬用だろう。
しばらく歩いて、やっと人を見つけた。この星で初めての人間。
道路脇の畑で、ロボットに乗った年配の農夫が、畑仕事をしていた。
エリクは、声をかけた。
「あの、こんにちは。たった今この星に着いたばかりなんです。食事をしたいんですが、どこかにお店はありませんか? 喫茶店とかでいいんですが」
そこで、返ってきたのが冒頭の答えだった。
「ここには、なにもないよ」
日焼けして赤ら顔の農夫は、作業を止めずに、エリクに言う。
農耕用ロボット。大人の背丈3人分の身長で、6本の腕がある。2本の足は太く短い。腹部に突き出た操縦席に、農夫が乗っている。
この星の季節は、もう晩秋、いや、冬かな。寒い風が吹いている。収穫はもうとっくに済んだらしく、見渡す限りの畑は枯れていた。
農夫のロボットは、6本の腕をガタピシとせわしなく動かし、土を耕している。
「ここには本当に人がいないんでね。退屈な星だから、みんな出て行っちゃうんだ。ホテルも、食堂も、酒場も、ないよ」
「おじさんは、ここで、ずっと農業しているんですか?」
「ああ。ここは私の土地でね。自分で耕したいんだ。全自動ってのは、どうも性に合わなくてね。ま、この相棒がくたばっちまったら、わしも出ていくさ」
農夫は、ポンポンと自分の乗っているロボットを叩く。相棒と言うのは、この農業用ロボットのことらしい。ずいぶん年季が入っている、そして旧式のロボットだ。もうしばらくすれば、この畑も全自動化するんだ。
「わかりました、いろいろ教えてくれて、ありがとうございます」
エリクは一礼すると、来た道を元に戻ろうとした。ここにはやっぱり何もないんだ。次の星へ行こう。
「あの、お嬢さん」
農夫が、エリクを呼び止める。エリクは振り向く。
「あんた、金は持ってるのかい?」
「……はい」
「そうか、もし懐に余裕があるなら、一軒だけ、この星にもレストランがあるよ」
「レストランが?」
「そうだ」
農夫は、遠くに見える森を指差す。
「あの森の中だ。ずっと一本道だから、迷う事は無い。もしよかったら、行ってみなさい」
「ご親切、ありがとうございます」
エリクは、また一礼して、森へ向かう。
農夫は、ロボットを動かしながら、エリクの後ろ姿をじっと見つめていた。
レストランか。行ってみよう。エリクはとにかくお腹が空いていた。宇宙食は充分あったが、もううんざりしていたのだ。とにかく、ちゃんとしたものを食べたい。
農業用道路を歩いていくと、森に向かって、なるほど、一本の脇道があった。エリクは森へ向かう。道は狭かった。農産物運搬用ではない。森に用事のある人って結構いるのかな。
時々、ビュウッ、と寒い風が吹く。
コートを押さえる。冬物を着てきてよかった。
エリクは、ピンクのリボンのついた白いソフトハット、ベージュのダブルコートーー踝まで裾が届くたっぷりしたものだーーそして頸には赤いスカーフを巻き、黒い手袋に黒いブーツだった。肩からは、黒い鞄を下げている。
冬の装い。スカーフじゃなくて、マフラーにしてくればよかった。エリクはそこを後悔する。刺すように冷たい風が、時折吹く。
森へ入った。少し、風が弱まる。
道は狭く、すぐに舗装のない土の道になった。ブーツでよかった。薄暗い黒い森の中、しばらく歩く。と、急に開けた。
緑の草地。森に取り囲まれた広場のようになっている。
大きな洋館が一軒、建っている。なかなか立派な造りだ。懐古調の堂々たる館。
ここがレストランか。だいぶ高級そうに見える。でも、持ち合わせはたっぷりあった。大丈夫だろう。
エリクは扉の前へ立った。重厚そうな木の扉だ。
札が下がっていた。
『当レストランへようこそ。どなたも大歓迎です。どうぞお入り下さい』
金文字で、そう書いてあった。
どなたも大歓迎か。よし、歓迎されてやるぞ。
エリクは扉を開け、家に入る。
玄関か? やや狭い、四角いスペース。絨毯が敷いてある。そして目の前には、また扉。水色の扉だ。その扉の前に、
『帽子とコートをお取り下さい』
電光文字が浮かぶ。
もちろん指示がなくても、帽子とコートは、脱ぐつもりだった。エリクは白いソフトハットを帽子掛けに、ベージュのダブルコートをハンガーで、壁にかけた。コートを脱ぐ時、手袋も脱いで、コートのポケットに入れておいた。
高級レストランでは、帽子やコートを預かるのは普通、店員さんがやってくれるのだが、この星は、人が少ないんだ。セルフサービスということだろう。
エリクは、水色の扉を開けて中に入る。
「あれ?」
目を丸くするエリク。
また、同じような狭い四角のスペースだったのだ。目の前には、こげ茶色の扉。玄関が二重になってるんだ。
扉の前に、電光文字が浮かぶ。
『ブーツをお脱ぎください』
エリクは、しばし考えこむ。ブーツの下は、素足だった。脱ぐことになるとは、思わなかったのだ。スリッパを探すが、置いてない。床にはふかふかで綺麗な絨毯が敷き詰められているけど、いいのかな?
とにかく指示に従わなきゃ。エリクは、ブーツを脱ぐと、きちんと揃えて脇に置き、こげ茶色の扉を開けて、中に入った。素足で、ふかふかの絨毯を踏んで。特に、何も言われはしない。素足でも問題ないようだ。絨毯が心地よい。扉の向こうは、
「うーん」
また、同じ狭い四角いスペース。今度は緑の扉。なんだこりゃ。エリクは考え込む。何もない星だから、変わった趣向で盛り上がろうというのだろう。きっと。
扉の前に、電光文字が浮かぶ。
『鞄を置いてください。機械製品は、すべて置いてください。中には持ち込めません』
緑の扉の横に小さなテーブルがあり、籠が置いてあった。ここに置けというんだ。どういうことだろう。そうだ、食事中も通信機器や何やらいじってばかりの人が多いから、ここは他の事は忘れて、しっかり寛ごうという趣旨、そういうことなのかな。機械から離れた優雅な時間を。いいだろう。
エリクは、鞄を籠に置く。
「ねえ、エリク」
鞄の中から声がした。入っているのはエリクの相棒のお喋り機械、万能検査機だ。
「僕をここに置いていくの?ちょっとまずいよ。ここ、なんだかおかしくない?」
「ちゃんと透査したんでしょ?」
「うん、したよ」
万能検査機は、その名の通り、何でも透査解析できる。離れた対象も透査できた。館の外から、このレストランの事は透査済みだった。
「何も問題なかったんでしょ?」
「うん。僕の透査には、何も引っかからなかった。危険なものはね」
「じゃぁ、大丈夫じゃない。行くから、ここで待ってて」
エリクは、緑の扉を開けて、入ろうとする。
「エリク、僕なしで平気なの?」
後ろから、万能検査機の声。
「食事するだけだよ。それに、たまには機械から離れて寛ぐ時間も必要なんだ」
まだ何か言いたそうな万能検査機を後に、エリクは、緑の扉の向こうへ。
また、同じスペース。紫の扉が待っていた。エリクはもう驚かない。扉の横には、先ほどと同じテーブルと籠。
「次はどうしろっていうの?」
エリクは、花柄のブラウスに赤いスカーフ、赤と黒のチェックの膝丈スカート。それだけだった。
電光文字が浮かぶ。
『ブラウスを脱いで下さい』
しばしの間、エリクは考えた。なんだ、こりゃ。なんで?なんでブラウス脱がなくちゃいけないの? レストランじゃなくて風呂屋なの? いや、間違いなく玄関には、レストランて書いてあったよね?
エリクの常識には、ブラウスを脱いで入るレストランと言うのは存在しなかった。
しかし。
宇宙は広いのだ。星ごとに、いろいろな流儀、文化、マナーがある。ひょっとして、この星では、これが当たり前なのかも。レストランの外構えも、中の壁も扉も絨毯も、高級感溢れるものだ。まさかいつ来るかわからない旅客を狙って悪戯をするために、こんな大仕掛けな準備をするわけがない。
ここはちゃんとしたレストランなのだ。そして、これがこの星の流儀、マナーなのだ。そうに違いない。
エリクは一呼吸すると、花柄のブラウスを脱いだ。籠に入れる。ブラウスの下は、スポーティーなライトブルーのブラジャーだけだった。
いいのかな、と思うがーー
とにかく、これがこの星の流儀なんだ。
紫の扉を開け、次に進む。
今度待っていたのは、銅色の扉。いや、銅製なのかな? 本物の銅? 少しの錆もなく、ピカピカと光っている。
「ひょっとして、次はいよいよーー」
電光文字が表示される。
『スカートを脱いで下さい』
そうきたか。ブラウスを脱げと言ってきた以上、次はそうなるだろうなと思ってたけど。確かに。自然な流れだ。いや、これが自然なのか?
エリクの常識にはもちろん……ええい! きっと、これがこの星の流儀なのだ。ここのマナー。ちゃんと心得てないと、きっとバカにされるような基本的なマナーなんだろう。いいじゃないか。やってやろう。とにかくレストランで食事をするんだ。
ややためらった後、エリクはスカートのホックを外し、ファスナーを下ろし、赤と黒のチェックのスカートを脱ぐ。
エリクは、ライトブルーのスポーティーなブラジャーに、仔猫の柄の白いショーツ、そして、ピンクのガーターベルト、左の太腿には、ゴージャスなレースの飾りのついた、ブルーのガーターリング。そして、赤いスカーフ。
本当にもう、身に付けているのは、それだけだった。
さすがに顔が赤くなる。でも。今日は1番良いガーターリングをつけてきた。まさか披露することになるとは思わなかったけれど。これは……よかった、のかな。
仔猫柄のショーツが少し子供っぽいのが気になったけど、エリクはスカートを扉の横のテーブルの上の籠に入れると、次へ。
燕脂色の扉が待っていた。
浮かび上がった電光文字はーー
『ガーターベルトとガーターリングを外してください』
「ええっ!」
エリクは固まる。
なにこれ。さすがにこれはもう。星の流儀、マナー、それはよい。しかしこれは、私の価値観の全否定だ。星の価値観と、個人の価値観がぶつかることはある。価値観の衝突。どうしても、妥協点が見つからないときにはーー
「ダメだ。これはさすがに。戻ろう」
エリクは扉に背を向ける。自らの価値観を捨ててまで食事にありつく事は無い。
その時ーー
ぐうううっ、
と、エリクのお腹が鳴った。
エリクは、ガーターベルトとかダーリングを外し、扉の横のテーブルの上の籠に入れると、その先へ。
目の前には、金色の扉。今まで1番立派な扉だ。本物の純金製かもしれない。光り輝いている。
きらめく電光文字。気のせいか、これまでで1番立派な文字に見える。
『さぁ、これで最後です。身に付けている残りのものも、全部お脱ぎください。そして、この扉をお開けください。あなたをお待ちしています』
エリクは、金色の電光文字を、しばし見つめていた。
やがて、顔が青ざめる。
「おかしい、これ、おかしいよ! 絶対! こんな流儀やマナー、あるわけない! ひ、ひょっとして、このレストランは、来たお客に料理を提供するんじゃなくて、やってきたお客を料理して食べちゃうレストランなの?」
ガタガタと震え出す。
危ない!
「きゃーっ!」
エリクは悲鳴をあげながら、元来た方へ、逃げ出した。燕脂、銅、紫、緑、こげ茶色の扉を通るごとに、ガーターベルト、ガーターリング、スカート、ブラウス、鞄、ブーツを引っ掴み、水色の扉を開けて、やっと最初の玄関まで戻る。大急ぎで下着の上からダブルコートを羽織り、ソフトハットを被る。そして、それ以外のものを、全部鞄の中に押し込もうとーー
「ちょっと、エリク、やめて、鞄が破けちゃうよ!」
鞄の中から万能検査機が叫ぶ。
気がつくと、エリクは夢中になってブーツを鞄の中にねじ込もうとしていた。何をやってるんだ。頬を赤らめたエリクは、ブーツを履くと、残りのものを鞄に詰め、外へ飛び出した。
鞄の中では、万能検査機がガーターベルトとガーターリングに挟まれて、目を回していた。
◇
エリクが逃げ出してから、15分後。
森の中に、ひっそりと佇むレストランの1番奥の金色の扉が開いた。
出てきたのは、中年の女性と男性。どちらもバスローブを羽織り、満ち足りた笑みを浮かべていた。
金色の扉の奥ーー
ゆったりとした、豪華な広間だった。
高い天井の広い空間には、何組もの客がいた。テーブル席に、ソファー席、カウンター席。自由に席が選べることができた。慇懃で丁寧な仕事のウエイターやウェイトレスが、優雅に客の間を回る。贅を尽くした料理に、全宇宙から選りすぐった酒が提供されていた。サービスもまた文句のつけようのない一流のものだった。楽師の奏でる弦楽器や鍵盤楽器の音色が、空間を包み込んでいる。
客たちは、皆、裸にバスローブ姿であった。気取らず飾らず、誰の邪魔もせず、誰の邪魔にもならず、ただ心ゆくまで寛ごうというのが、レストランの趣旨であった。奥には温浴場もあり、裸になっている客もいたが、誰も気にしていない。無遠慮不躾な視線を他人に向ける者は、ここにはいないのだ。
ここは、大物有名人VIPがお忍びで集まる超高級隠れ処レストランとして、全宇宙の上流階級に知られていた。上流階級が真の寛ぎを求めて作ったのが、このレストランなのである。
客は、レストランを選び、レストランにうるさい。
一流のレストランもまた、客にうるさく、客を選ぶのである。
◇
星から星へ。
エリクの旅は続く。