第24星話 考えたくない葦の星 後編
一面、風にそよぐ緑の葦の星
「われわれは、自分たちで生きる。必要なもの以外一切持たない。何もいらない。誰の邪魔もせず、誰にも邪魔をされない。ただこの星で静かに生きる。ただ、あるがままの我々であればそれでよい。ここで真のミニマリストの理想郷をつくる」
エリクは、はるか昔のこの星の住人の標語を復唱する。
「ねえ」
エリクは、何かに打たれたように、体を揺する。気づいたのだ。
「ここの人たち、ミニマリストの標語、理想って、まさにこの葦じゃないの?」
「え?」
万能検査機は、混乱する。ご主人様の少女は、時々解析不能なことを言い出すのだ。
エリクの瞳は輝いていた。
「そうだよ。きっと。ここに移り住んだミニマリストの人たち、強く願ったんだよ。自分たちの理想の姿に、進化できるようにってね。そして、とうとう進化したんだ。どこかに行ったんじゃない。ずっとここにいるんだ」
生い茂る葦。さわさわざわざわとそよぐ葦。笑っているように見える。泣いているようにも、怒っているようにも、見える。
「エリク、君、ちょっと、冷静に考えてみて」
万能検査機は、頭痛が痛くなりながら、言った。
「人間が植物に進化した?本気で言ってるの?」
「うん。40億年あれば、全く別の生物に、進化できるでしょ?」
「そうかもしれないけどね。エリク、君は進化ってものを、よくわかってないんだよ。進化ってのは、環境圧と偶然の産物でね。自分の願った通りに変わるなんて、不可能なんだ。そんなことができるなら、とっくに一般化してるよ。言うまでもなく、生命工学や、遺伝子工学でいじれる範囲なんて、たかが知れてるからね。人体を思いっ切り改造してみても、その世代限りさ。ずっと続くなんて無理だ。科学文明56億年といっても、まだまだ超えられない壁は高いんだよ。それは全宇宙で、散々証明されている」
箱型ロボの言う通りだった。遺伝子、進化、生命の神秘に、人類は挑み続けてきた。それでもまだその壁は高かったのである。しかしエリクは、夢見心地な瞳で葦原を眺めている。
「自分の願った通りの方向に進化する。自分を変える。なんていうのかな。思念定向進化? とでも言うのかな。それはもちろん、一般的に、実証されてはいない。でも、ひょっとして、偶然に、どこかで、それができていたとすれば」
万能検査機は、息を飲む。何を言い出すんだ、このご主人様の少女は。
エリクは続ける。
「ここのミニマリストの人たちが生命工学、遺伝子工学の壁を超える思念定向進化、それを努力と強い意志、偶然によって、実現したとしたら。どうするだろう。この星域の主星カメレの星庁と交渉して、ここを保護区にして、守ってもらう。その代わりに、ここ荒らさない範囲での、調査研究を認める。そういう取引契約をしたんじゃないかな。何しろ、宇宙で唯一の奇跡なんだから」
万能検査機は黙り込む。もう計測不能だった。
「そして、ここの住人は、みんな葦になった」
エリクは、立ち上がり、葦原に向けて、大きく手を広げる。
◇
交信が来た。カメレ星庁の、宇宙パトロール隊からだった。なぜ、この星に着陸したのか?と訊かれた。水と食料の補給のためです、非常時だったので、やむを得ず、とエリクが返信する。
すぐ、立ち去るように、との通達。エリクはストゥールーンを発進させる。
ひとっ飛びで宇宙空間へ。
「エリク、君は葦になりたいの?」
万能検査機の問いに、エリクは首を振る。
「まさか。世の中には、いろんな考えの人がいるっていうこと」
「でも、なんで葦なんだろう」
「どうしてだろうね」
エリクは、言う。
「あれこれ、考えるのが嫌だったんじゃないのかな」
◇
ストゥールーンの飛び去ったミーマ星の地表では。
葦たちが、さわさわ、ざわざわと、囁き交わしていた。
〈行っちゃったね〉
〈そうだね〉
〈戻ってくるかな〉
〈来ないよ〉
〈急いでたもんね〉
〈急いでた〉
〈なんであんなに急ぐんだろう〉
〈わからない〉
〈わからない〉
〈わからない〉
〈我々の話に戻ろう。何の話をしてたんだっけ?〉
〈明日、何をするか〉
〈昨日何をしたかじゃなかったっけ?〉
〈そうだったっけ?〉
葦たちはずっと囁き交わしている。もう20億年以上もそうしてきたのだ。
◇
ストゥールーンの中で。
エリクは遥か後方の星のことを思う。
人類の奇跡、夢というべき思念定向進化、それが実現した結果が、葦になること。
そうだとしたら。
これは、人類が成し遂げた、大きな夢なのだろうか。それとも小さな夢なのだろうか。
◇
星から星へ。
エリクの旅は続く。




