第5星話 未来人の星 【巨乳美女を娶るため遂にタイムマシンを完成させた男の物語】 【作者のオススメ★★★★★】
まるで自分のために用意されたような喫茶店だった。
こざっぱりとした店内。木目調のデザインは柔らかく、温かく、明るかった。壁には控えめだが趣味の良い絵画が飾ってあった。天窓のガラスからは、静かに優しい光が射している。
小さいが、憩える場所。
そして、外の看板には、
『本日は当店特製のチェリークリームパイと自慢のミルクティーがございます』
と、書かれていた。
この喫茶店の前を通ったエリクは、看板を見て足を止め、ガラス扉から中を覗くと、すぐに入ったのだった。チェリークリームパイとミルクティー。エリクの大好物だ。
昼と夜の入れ替わりの時間だった。客は他にいなかった。
カウンターの椅子に座り、隣の椅子に鞄を置いたエリク。
チェリークリームパイとミルクティーを注文する。すぐに来た。エリクの顔がほころぶ。ゆっくりと味わう。思った通りの、優しく温かく心和ませる味わいだった。
「本当に素敵です」
エリクは、思わずカウンターの向こうの店主に声をかけた。
店主は銀縁の眼鏡をかけた白髪の、初老の男性だった。
「お気に召しましたかな? お嬢さん」
にこやかな表情の店主。柔らかい瞳をしている。
「はい。すっごく。パイもミルクティーも、大好物なんです。私の好みにぴったりで。それにこのお店も、まさに、ちょうど入りたいな、と思っていたお店です」
店主は微笑む。
エリクは満足していた。17歳の少女の頬が薔薇色に染まっている。この星に寄ってよかった。
「これってすごい奇跡ですよね。たまたまこんな素敵なお店に巡り会えるなんて。ほんとに偶然?運命? なんだか、私の好みを知っていて、私が来るのを知っていて、それで準備して待っていてくれたような。そんなふうに感じます」
「ほほう」
店主は、目を細める。
「この商売をしていて、どのようなお客様が来るが、お客様の好みは何か、それがあらかじめわかってれば、ずいぶん助かるのじゃがのう」
そうだ。エリクは考える。これから起きることを、予め知る。それができればずいぶん便利だ。でも、そんなことができるだろうか。それができるとすれば、
「タイムマシン!」
思わず叫ぶ。
店主は目を見開く。驚いたようだ。
エリクは慌てて、
「あ、すみません。ちょっと思ったんです。タイムマシンがあれば、未来で過去に起きたことを調べて、過去に戻って、これから起きることを万全の準備で待つことができる、ただ、そう思ったんです」
エリクは真っ赤になった。我ながら、突拍子もない思いつきだ。
だが、店主は、真剣な顔つきで、
「つまりお嬢さん、このわしが実は未来人で、未来で今日ここにお嬢さんが来ることを調べて、タイムマシンでこの時代に来て、お嬢さんの好みに合ったサービスができるよう準備して待っていた、そう言うんだね?」
「あ、いえ、本当に……ちょっと思いついただけです」
エリクは、ますます赤くなる。おかしなことを言ってしまった。バツが悪い。
だが。
店主は、しっかりとエリクを見て言った。
「もし、未来人なら、タイムマシンを、そんなことのためには使わん」
きっぱりと。毅然たる口調。
え?
なんだ?
エリクは、はっとして店主を見つめる。店主は、もう、エリクを見てはいない。そのまなざしは、どこか遠くを。
ややあって、
「お嬢さん、一つ、わしの知っている未来人の話をしようか」
店主が言う。
「え?」
エリクは驚く。
「未来人を? 未来人を知ってるんですか?」
思わず身を乗り出す。しかし、店主が見ているのは、エリクではない。
店主は語り始めた。どこか遠くを見つめながら。
これは遠い未来の、ずっと先の世界の話じゃ。
ある星に、若者がいた。どこにでもいる若者じゃ。その若者は、金も地位もなかった。しかし、若者らしい夢と野心だけは、人一倍持っていた。
若者の夢と野心。それはありふれたものじゃった。星で1番の金持ちとなり、立派な地位を築き、そして星で1番の美女を娶る、そういうものじゃ。
若者が自分の夢に燃えている時、パーティーが開かれた。その星中の若者が招待されるパーティーじゃ。若者は、貧しいながらも、一張羅の晴れ着を着て、精一杯のおめかしをして、パーティーに出かけていった。
パーティー会場で、若者は、同じ夢と野心を持った同輩たちが溢れる中、ただ1人の姿を追い求めていた。
それはナスターシャだった。
ナスターシャは、星で1番の美女だった。その瞳はどこまでも澄んで碧く、その髪は黄金のように輝き波打ち、そしてその胸は、ああ、どこまでも広がる豊満さを誇るその胸は、完璧な丸みで、そう、完全、非の打ち所のない胸じゃった。それは、間違いなく天然物でーー
「あの」
エリクが口を挟んだ。
「遠い未来、ずっと先の世界の話をしているんですよね? 遠い未来でも、胸のサイズとか、それが天然物かどうかとか、そういうのが重要なんですか?」
胸が決して豊満ではないエリク。エリクの胸はグレープフルーツ級といったところか。
「重要なのじゃ」
店主は、ピシャリと言った。そして、話を続ける。
若者は、もちろん、ナスターシャに近づくことさえ出来ぬ身分じゃった。ただ、ナスターシャを遠くからでもひと目見ればいい、そう思ってパーティーに参加したのじゃ。ところが、奇跡が起きたのじゃ。会場の隅にいた若者のところへ、ナスターシャが自ら歩いてきたのじゃ。人の波を掻き分けて。いや、ナスターシャの歩くところ、自然に道ができたのじゃ。
ついに、目の前にナスターシャが来た。若者は、身動き一つできなかった。何が起きているのか、わからなかった。ナスターシャは微笑んだ。若者に向けて。若者ただ1人のためだけに微笑んだのじゃ。それはまさしく燦然と輝く女王の微笑みじゃった。あらゆるものを包み込む豊満なその胸は、もう目の前にあった。
夢だ。若者は思った。これは夢だ。こんなことが現実にあっていいわけがないーー
だが、まだ夢は醒めなかった。ナスターシャが若者に手を差し伸べ、婉然と言ったのじゃ。
ーー 初めまして。お目にかかれて、とてもうれしいです。
ここで夢が醒めたのじゃ。
笑い声が起きた。ナスターシャは、いぶかしげに、辺りを見回す。つまり、こういうことじゃ。ナスターシャの友人たちの悪戯だったのじゃ。その日、ナスターシャは、星1番の金持ちの青年に引き合わされる予定だった。それで、友人たちは巫山戯て、ナスターシャに、貧しい若者のことを、あれがあなたを待っている金持ちの青年だよ、と吹き込んだのじゃ。
真相を知ったナスターシャは、もう、わしのことを見ようとはしなかった。踵を返し、去っていく。わしはつい、追おうとした。そこに、星1番の金持ちの青年が現れたのじゃ。青年はわしを突き飛ばした。わしはパーティー会場に転がった。ナスターシャと金持ちの青年は、手を取り合って、笑いながら、去っていった。若者は、パーティー会場の床にへたりこみながら、周囲に笑われながら、ずっと見送っているしかなかった。
それで、若者にはわかったのだ。ナスターシャが見ているのは、金、そう、金、金、金、じゃ。わしが星1番の金持ちの青年だと信じていたときには、わしに最大限の好意を見せてくれたのじゃ。つまり金さえあれば、ナスターシャを振り向かせることができる。ナスターシャを娶ることができる。ナスターシャをわしのものにできる。そういうことなのじゃ。
若者は決心したのじゃ。金を稼ごう。金さえあれば……もう若者の頭には、金のことしかなかった。金を稼ぐために若者にできる事といえば、それは発明だった。若者は発明家だったのじゃ。来る日も来る日も若者は、三角定規とコンパスを手に製図版とにらめっこしていたーー
「あの」
エリクが口を挟んだ。
「遠い未来、ずっと先の世界の話をしているんですよね? 遠い未来でも発明に三角定規とか、コンパスとか使うんですか?」
「使うのじゃ」
店主は、ピシャリと言った。そして、話を続ける。
ただひたすら、ナスターシャを娶る、その一念じゃった。ついに設計図が完成した。そして試作に取りかかった。スパナを握る若者の手は油で汚れ、スパナダコができていたーー
エリクは、スパナとスパナダコについては、コメントしなかった。
ーーそして、ついに完成したのじゃ。それがタイムマシンじゃ。若者はついにタイムマシンを完成させたのじゃ。そのときには、若者はもう、若者と呼べる年齢ではなくなっていた。
完成したタイムマシンを前に、震えるわしはーー
「あの」
エリクが口を挟んだ。
「さっきから、若者とか、わしとか、人称が一定していないんですけど」
「つべこべ言わず、黙って聴いてろ!」
店主は、ピシャリと言った。そして、話を続ける。
完成したタイムマシンを前に、わしはどうやってこれで金を稼ごうかと考えたーー
「あの」
エリクは、つい口を挟んでしまった。
「それだけの大発明なら、星系政府に売るとか、特許をとって大企業と契約するとか、そうすればいいんじゃないでしょうか?」
「そうでは無いのだよ、お嬢さん」
店主は、静かに行った。
「タイムマシンが量産されて、一般に普及したらどうなるか。想像もつかん。良いことが起きるかもしれん。だが、悪いことが起きるかもしれん。良い願いから生まれた発明が、人類に巨大な災厄をもたらしたことは、これまでに幾度もあった。人がタイムマシンを手にしたら、世界は激変するだろう。いったいどうなるか、誰にもわからない。わしは、世界が激変することが望まなかった。ただ、ナスターシャと2人で静かに暮らしたかったのじゃ」
「確かに人がみんなタイムマシンを手にしたら」
エリクが口を挟む。
「すごいことが起きるでしょうね。本当に想像もつきません。今までと全く違った世界になってしまうような。胸のサイズとか、誰も気にしない世界になったりとか」
店主は無視して、続ける。
わしは決めたのじゃ。このタイムマシンの完成は秘密にする。わし1人で使う。わし1人で使って、金を稼ぐ。それにはどうすればいいか。時間遡行で金を稼ぐ方法。考えたのじゃ。そして、思い当たったのじゃ。
ニュースを見て、このことを自分が前もって知っていれば、そう思った事は無いかな? 例えば、偶然ダイヤの原石が落ちてるのを見つけて拾った人が、大金持ちになったとか、そんなニュースじゃ。
タイムマシンがあれば、過去に戻って先回りしてダイヤの原石が落ちている場所に行き、自分が手に入れることができる。それで金持ちになることができる。そういうことじゃ。それがタイムマシンで金を稼ぐ方法じゃ。
「わかったかな、お嬢さん」
店主は、カウンター内側の引き出しを開ける。
ゴトン、音がした。金属の音だ。なんだろう。結構重そうだな。エリクからは、カウンターの内側は見えない。
「エリク、動くな」
店主が取り出したのは光線銃だった。エリクの頭に突きつけている。
「わしは未来で調べたのじゃ。エリク、お前の行動記録をな。お前が今日この喫茶店に寄ることがわかった。そこでタイムマシンで1ヵ月前のこの世界に来て、この喫茶店を買い取り、お前を待ち受けていたのじゃ。エリク、お前は宇宙史上最高額の賞金首じゃ。未来でもお前の記録は破られてはいない。お前をここで殺す。莫大な賞金を手に入れる。そして未来に戻って、ナスターシャを娶るのじゃ。わしの夢が、ついに叶うのじゃ」
エリクは瞳を落とす。ちょっとでも身動きすれば、頭を撃ち抜かれるだろう。しかし、店主と目を合わせることが、できなかったのだ。
「今、あなたの話を聞いて分かりました。タイムマシンを発明しても、時間遡行ができても、人はそれで幸せになることはできません。科学は人を助けることができます。でも、科学は人を支配することはできないんです」
「もう後戻りできぬじゃ」
店主は声を震わせる。
「このために、わしは生涯を捧げてきたのじゃ。エリク、覚悟しろ」
引き金を引く。光線銃が火を噴いた。
エリクの体は後ろに吹っ飛ぶ。
その瞬間ーー
「超駆動!」
エリクが黄金に輝く光の気に包まれる。
「光弾!」
エリクの左手の人差し指から放たれた光線が店主の胸を貫く。店主はカウンターの中に倒れ込んだ。
喫茶店の床。エリクは倒れている。起き上がれない。右肩を撃ち抜かれた。出血がひどい。左手で右肩を抑え、治癒する。損傷率12% 。危なかった。損傷率が15%を超えると、もう完全な治癒はできない。
やっと治癒を終える。エリクは立ち上がった。右肩。服が破れたまま。
「なんで教えなかったんだ?」
椅子の上の鞄から、エリクは万能検査機を取り出す。しゃべる機械。何でも探知できる。
「仕方ないよ」
万能検査機はふくれる。
「あの光線銃は、厳重な探知防御がしてあった。僕には破れなかったんだ。きっと未来の技術だね。未来の技術は怖いね。未来じゃ僕なんて、とっくに過去の遺物ってことさ」
エリクは、床に落ちていた光線銃を拾う。
「これ、私にロックオンしてた。私が店に入ってくる前から、ロックオンしてたんだ。時間遡行の技術が関係してるんだろうね。だから、動けなかった。動いたら、その瞬間、頭が吹っ飛ばされていた」
「それで、撃たれてから、超駆動したんだね」
「うん。避けるの、本当にギリギリだった」
エリクは、未来の光線銃を見つめる。未来からすれば、現在の人間は過去の遺物。でも、全く何もできないわけじゃない。
「あ」
エリクは目を瞠る。
光線銃が、突如、光りだしたのだ。そして、無数の光の粒子となって、たちまち消えた。一瞬の出来事だった。
エリクは、カウンターの向こうを見る。
胸を撃ち抜かれ、倒れ伏す店主の遺体。光りだした。やはり無数の光と粒子となる。そして消えた。
「なんだろうね、これ」
エリクが呟く。
「きっと、未来が過去に干渉したら、それを元に戻す原理が働くんだよ」
万能検査機が、電光板の赤と黒の光をチカチカと点滅させる。
「そうなんだ」
おしゃれで、素敵な喫茶店。店主が来る前に戻った。
「ねえ、店主は、うまく私を殺せていたら、未来に戻ってナスターシャさんを娶ることができたのかな」
「わからないね」
万能検査機が言う。
「ナスターシャさんの胸は、今、どうなっているんだろう?」
「わからないね」
万能検査機が、繰り返す。
エリクは喫茶店の天窓を仰ぐ。明るい光が差し込んでいる。
未来。そこでは、私の行動記録を調べることができるんだ。いったいどこまでわかっているんだろう。その記録とは、これから私が変えることができるものなのだろうか。これから何が待ち受けているのか、もうすっかり決まっているのだろうか。
それでも。
「行かなきゃ」
万能検査機を鞄に入れ、肩にかけると、エリクは喫茶店を出た。
◇
星から星へ。
エリクの旅は続く。