第18星話 偉人の星 【栄誉とは何か】 【チョモランタンはいつも快晴】
「見えたよ。あれかな。わあ、すごい!」
宇宙の旅人17歳の少女エリク。愛機である小型宇宙船ストゥールーンは、星の成層圏の最上空を、飛んでいた。ここは雲の上。いつも晴れの世界である。星を照らす2つの恒星の光の乱反射によって、空はエメラルドグリーンだった。
「すごい、この高さで、はっきり目視できる。あ、エリク、ぶつからないようにね」
愛機の操縦席で操舵管を握るエリクの膝の上にちょこんと座っていた万能検査機が言った。エリクの相棒はおしゃべりな箱型ロボだった。
ストゥールーンは1人乗り用の小さな船である。操縦席は、透明なドーム状の蓋で覆われていた。外の景色は、よく見えたのである。
エメラルドグリーンの超高度な空を飛ぶ船の目の前に、遥か下に雲を見下ろす巨大な山塊が、傲然と聳え立っていた。
チョモランタンである。
◇
この星で、つい最近、大規模で急激な地殻変動が起きた。この星は気候の厳しい無人星だった。それは幸いだった。有人星だったら、住民が全滅するレベルの天変地異が突如起きたのである。地表は裂け、深部のガスやマグマが噴き上がり、陥没や隆起が起きた。そして、星のエネルギーはやがて1カ所に集中し、宇宙史上でも稀な大隆起が起きた。巨大な山塊が誕生し、どんどん空高く突き上げていったのである。激しい地殻変動は、最近になって漸く治まった。治まったときには、宇宙最高峰の山脈が誕生していた。チョモランタンと命名された。
「いやー、ほんとにすごいね。山っていろいろあるけど、あれじゃ山っていうよりも塔かな」
ものすごい鋭角の山だった。エリクは感嘆する。天空に突き刺す針だ。
「下のほうの山塊も入れたら、すごい質量だね。この星の質量の、0.13%が、ここに集中して突き出たって言うから」
万能検査機は、忙しく情報精査している。
「0.13%っていうと、大したことないように思えるけどね」
「星全体の0.13%がここに突出してるんだよ。信じられないスケールさ」
ロボも興奮気味。ロボは、山の威容より、大地殻変動に、興味があるらしかった。
エリクはストゥールーンで宇宙を航行中、付近の星で突如大地殻変動が発生、宇宙最高峰の山脈が誕生、とのニュースを聞いたのだ。早速この星に寄り道して、チョモランタンを見に来たのである。
ストゥールーンで、山頂に飛ぶ。
「あそこが頂上だね」
万能検査機が、山塊の最高高度の位置を、正しく計測する。遠くから見ると、天空を貫く針だが、近づくと、巨大な山塊であった。
その頂上に、小型宇宙船は、着地する。頂上は台形の平坦なスペースで、かなり広かった。超高度である。船内で防寒コートを着て耳当て帽をしっかり被ったエリクはハッチを開けると、万能検査機を抱えて、飛び降りた。
「ここが宇宙最高峰なんだ」
感慨に浸る。快晴の美しいエメラルドグリーンの空で、風もないが、とにかく寒い。零下30度である。歯がガチガチする。エリクは超駆動を微弱起動する。黄金の光の気が微かに少女の体を包み、保護する。
エリクはぐるっと回りを見る。どこまでも空。そして、ゴツゴツして、凍結した山塊。
「ここってこの前、急に隆起したんだよね。もうこんなに冷えてるんだ。急な温度変化で、山がポッキリ折れたりしないのかな」
「折れるかもね」
万能検査機が言う。
「なかなかのスペクタルだね。この巨大な針が、ポッキリ折れて、君がここにしがみつきながら、悲鳴をあげて落下するんだ。めったにできない体験だよ」
「もう。私が落ちるって事は、あんたも一緒に落ちるんだから。あれ?」
エリクは気づく。誰かが山頂に登ってきた。
姿を現したのは、青いアノラックの男だった。ピッケルを持ち、背中にボンベなどの装備を背負っている。
「やったぞ! 初登頂だ!」
青いアノラックの男は叫ぶ。だが、それと同時に、頂上の反対側からも、男が現れた。こちらは赤いヤッケを着ている。ピッケルを持ち、ボンベや装備をずっしり担いでいるのは同じ。
「初登頂成功だ!」
赤いヤッケの男が叫ぶ。
2人の男は、しばし沈黙し、睨み合う。どちらも登山家らしい。できたばかりの宇宙最高峰の初登頂を目指してきたんだ。
こんなに早くにすごいな、とエリクは感心する。下から登ってきたの? この天空を貫く針の山を?
青いアノラックの男が言った。
「登頂おめでとう。あんたはツルドの隊かい? 悪いな。初登頂の栄誉は俺がもらった。だが、あんただって2番手だ。立派なもんだぜ。お互い歴史に名を残そうじゃないか」
2番手と言われた赤いヤッケの男、とんでもない、と言わんばかりに両手を広げる。
「おいおい。何をいってるんだい。おたくは、サミュールの隊だよな。悪いけど、初登頂したのは、俺と隊ツルドだ」
「え? いったい何を言ってるのかな? この頂上に先に足をつけたのは俺だ。それは間違いない。認めるよな? 登山家の誇りにかけて、他人の栄誉の横取りなんて、絶対許されねえぜ」
青いアノラックの男、やや興奮気味。赤いヤッケの男は、両手を腰に当てて、笑みを浮かべる。
「はは。おたく、自分の足元をよく見てみろ」
「え?」
青いアノラックの男、改めて台形の頂上を見回す。赤いヤッケの男は、トントンと、地面を踏む。
「わかったかな。よく見ればわかるように、ここの最高度地点は、俺の足元だ。つまり、ここが頂上。先に頂上を踏んだのは、お前じゃなくて、俺。よーくわかっただろう」
頂上はかなりのスペースがある。確かに緩やかな勾配があり、赤いヤッケの男の足元が高いのは間違いなかった。もっとも、ほんのわずかな高さの差であるが。
青いアノラックの男、顔を真っ赤にする。
「おいおい、隊ツルドさんよ。何を言っているのかな?あんた、山の基本も知らないのか?。誰がどう見たって、頂上って言ったら、この平坦な土地全部が頂上だ。そんな小さい凸凹なんて、意味ないんだぜ。妙なことを言うのはやめてくれ。頂上を先に踏んだのは俺だ。これは間違いない。宇宙登山協会に申請すれば、絶対俺が先だと認められる」
「何をおっしゃる、隊サミュールさん。どうしたのかな?山の男の誇りは途中で落っことしてきたのかな? 協会なんか関係ないね。俺たちは頂上を目指してきたんだ。頂上と言えば、最高地点のことだ。そんなのガキだって知ってるさ。正しく高度を計算し、ルートを設定し、先に最高地点にたどりついた者、それこそが初登頂の栄誉を担うんだ。なぁ。おたく、計測がちょっと雑だったんじゃないのかね?」
「なんだとお!」
青いアノラックの男が、顔をさらに赤くして怒鳴り声を上げた時、
「初登頂達成! ここが宇宙最高峰の眺めね」
もう1人、頂上に現れた。若い女性だ。体にピッタリの銀の全身スーツ。耳当て帽からは、長い金髪が溢れている。
金髪の女は、青いアノラックと赤いヤッケ、2人の登山家の男に手を振った。
「は〜い、あなたたち、酸素で観光に来たのね? ねえ、見た? 私の宇宙最高峰初登頂の瞬間を。あなたたち、歴史に立ち会えて本当に幸運よ」
「……ちょっとさ」
青いアノラックの男がやや戸惑った様子で言った。
「何を言ってるのかな。あんた、俺たちのことが見えてるんだよね?チョモランタンに初登頂したのは、俺だぜ」
「いいや、俺だ」
赤いヤッケの男が言う。
「あのー」
エリクは、やっと口を挟んだ。3人の登山家は、一斉にエリクを振り向く。
「皆さん、誰が頂上に先に来たかで揉めてるんですよね。一応言っておきますが……私の方が先に着いてましたけど」
青いアノラックの男、なんだ、と言う顔をする。
「ああ、お嬢さん。あんた観光客だね? 登山ってものをよくわかってないんだな。俺たちは登山家だからね。あくまでもここに自分の足で上るのを登頂といってるんだ。だいたいここに来るだけなら、とっくに科学省やテレビ局が、何十機もエアカーや船で乗り付けているんだぜ」
「あいつら、この神聖な頂上を土足で踏み荒らし、削りやがったんだ」
赤いヤッケの男が、まるで自分の栄誉が削られたといわんばかりに叫ぶ。
「そういうこと!」
金髪の女が、勝ち誇ったように言う。
「ね、認めたでしょ。誰が先にここに足をつけたかが問題じゃない。どうやってここまで来たのか。それが問われるのよ。登山家の初登頂の栄誉っていうのはそういうこと。酸素背負ってお散歩に行きました? そういうのは登頂とはいわないの。私みたいに極限の環境でも身体一つで克服する訓練を徹底的にし抜いて、そしてたった1人で山を征服する。これを登頂って言うのよ。あなたたち、大勢の隊で山ほど装備積んで、ここまでえっちらおっちら担いできたんでしょ? そんな観光旅行なら、誰でもできるじゃない。お金をかけさえすればね」
2人の男は、これ以上ないという極限まで顔を真っ赤にする。
「いい加減にしろ!登山を侮辱するんじゃねえ!」
青いアノラックの男が叫ぶ。
「そうだ!」
赤いヤッケの男も叫ぶ。
「あんたの言う価値観て、そんなの30億年前のものだぜ。そういう主義が流行ったこともあるけどな。今は標準式が盛り返しているんだ。あんたの身体頼み主義は、結局、大量のトレーニングバカを生み出しただけ。トレーニングの段階でみんな脱落する。だから登山を本当に楽しむことができなくなったんだ。それで人間と自然、そして技術の調和こそが登山だとなったんだぞ。いったい、あんたはどこの穴倉に潜ってトレーニングしていたのかね? ちょっとは周りを見たほうがいいな。あ、そっか、あんた1人なんだっけ。あはは。1人1人って言う奴ってなんなんだろうね。1人でやることの何が偉いのかな? それって友達や仲間を作れないやつがでっち上げた価値観に過ぎんね。いいか、隊をつくる、みんなで協力する。作戦を考える。助け合う。そして成功したときに肩を抱き合って喜ぶ。それが人間本来のあり方なんだ。そんなこともできないようなやつが、山を語るなんて50億年早いんだよっ!」
「ムキー!」
女は金髪を逆立てる。
「私が単独無装備登頂するために、どれだけのことをしてきたと思ってるの?あんたが装備を買う金稼ぐために働いている時、必死に極限トレーニングに耐えてきたのよ。山に全てを捧げているの。そして身体を造ってきたの。侮辱するなんて、絶対許さないんだからーっ!」
3人の登山家の諍いは、まだまだ続きそうだった。
「そろそろ行こっか」
万能検査機に声をかけると、エリクはストゥールーンに乗り込み、山頂を飛び立つ。
上空から見るチョモランタン。本当に雄大な光景だ。宇宙の神秘だ。この宇宙最高峰初登頂に成功したのは誰なのか。未来の辞書にはいったいどう載っているんだろう。考えてみたが、エリクにはわからない。
大地殻変動は、もうすぐ完全におさまる。科学省は、そう発表していた。
神秘で雄大な宇宙最高峰だ。ここは大規模な開発がされるだろう。莫大な資本が投下される。山麓には、ホテルにリゾート、レジャー施設が立ち並ぶことになる。大勢の人が移住してくる。宇宙最高。その言葉の響きの虜になる人々は、いつの時代も絶えることがないのだ。無人星が、有人星として、大発展をする。
いずれ、この星の発展に貢献した偉人たちの像も立てられるだろう。
100年後には。チョモランタンを目指す登山ルートの入り口に、エリクが山頂で出会った3人の登山家、青いアノラックの男、赤いヤッケの男、そして金髪の女、宇宙最高峰初登頂の栄誉を担う3人の偉人が仲良く笑顔で肩を抱き合っている像が建てられるのである。
◇
星から星へ。
エリクの旅は続く。




