第14星話 天使の星 後編
エリクとリーザの文通が始まった。
明るい喫茶店のテラス席で、エリクは、手紙を書く。星庁舎の時計台が12時を告げると、翼をもつ郵便配達人アポロが、エリクの下に舞い降りる。そして、手紙を受け取り、翼を羽ばたかせ、バルコニーの長椅子で待つリーザへ届ける。リーザから返事を受け取り、それをまたエリクへと、届けるのであった。
「こんにちは、リーザ、今日は気持ちの良い日ですね。宇宙の冷たい光とは違って、空は青く、明るく柔らかな光に満ちています。いつまでもこの優しい光に浸っていたいとついつい思ってしまいます。しかし私は1つの星にとどまることができないのです。星から星へ旅を続けなければならないのです。でもこの星に足を止めることができて、本当に幸福です。リーザ、ありがとう あなたを誰よりも愛するエリクより」
「エリク、あなたから宇宙の旅の話を聴くたびに、体が震えます。本当に、私も行ってみたい!飛び立ってみたい、宇宙へ! この目で見たいのです。薔薇色の虫喰い穴を。枯れ果てた白色矮星を。漆黒の超重力場を。重力と磁力が吹き荒れる、恐ろしい宇宙嵐を。すっかり興奮してしまって、夜もなかなか眠れません。考えることが急にいっぱいできてしまいました。もう何かをする時間もないのですが。あの、エリク、私、すみません、本当に勝手なことを考えちゃってて、私を愛してくれるあなたが、宇宙へ飛び立つと、私も一緒に飛び立ってる、そんなふうに思うんです。私の魂が、あなたと一緒に宇宙を駆け巡る。ついついそう考えてしまうのです。ご迷惑ですよね。でも、そんなふうに考えざるを得ないんです。 あなたのリーザより」
「リーザ、私は何があってもあなたとずっと一緒です。一緒に宇宙を駆け巡りましょう。無窮の宇宙を旅していると、いろいろ考えさせられます。長い長い時間をかけて、人も、天体も、巡り合ったり、また別れたりを繰り返しています。人も天体も、あるときは冷たく、ある時は熱くなるのです。私が旅をするときは、いつもあなたの魂と一緒です。あ、私が書いた宇宙の光景には、ちょっと危険な場所もあるのです、薔薇色の虫喰い穴とか。あなたの魂と一緒の時は、なるべく安全な所を回るようにします。 あなたを愛するエリクより」
エリクは星都の街並みを、散歩する。そして、リーザのバルコニーの下まで来ると、上を見上げ、手を振る。手紙で約束したのだ。リーザも、バルコニーの縁まで長椅子を寄せて、待っていた。エリクを見つけ、手を振る。体を起こすのも難しく、弱々しく手を振るだけである。エリクは、精一杯大きく手を振った。
「窶れていたな」
宿に戻りながら、エリクはつぶやく。バルコニーの藍色の髪と茶色い瞳の少女。青白い顔。
「エリク、昨日は手紙を書けなくて、ごめんなさい。辛くて。腕を持ち上げることも、できなかったの。今日は薬が効いたのか、何とか書けます。書きたいことがいっぱいあります。でも、なかなか指が動きません。それ以上に、何を書いても何を書かなくても、全て伝わるようにも伝わらないようにも思います。あなたの楽しい手紙も、郵便配達人のアポロに読んでもらっています。自分で読むのも、苦しくて、もうできないのです。郵便配達人が手紙を読むのは、本当は規則に反する事のようですが、アポロは快くやってくれています。本当にみんなに感謝しています。幸せです。 心からあなたのものであるリーザより」
その次の日、リーザからの手紙は来なかった。エリクは手紙を書いた。そのまた次の日も、手紙は来なかった。
手紙を渡す時、アポロにリーザの事情を聞いた。アポロは、黙って首を振った。規則の問題ではなく、言いたくないのだ。
「そろそろなんだ」
エリクは、喫茶店のテラスで、ミルクティーを啜る。もうリーザからの手紙は、受け取れないのだろうか。でも、エリクの手紙は、アポロに読んでもらっているんだ。最後まで書き続けよう。最初からそういう話だったんだ。
◇
「ーー宇宙の旅で幸せを感じるところは、めぐる星々での出会いです。様々な人に出会いました。お金がないなら貸しでいいよと言ってくれる、優しい子もいました。すばらしい銃を譲ってくれたおじさんにも出会いました。そしてーー」
「リーザ」
アポロは、エリクの手紙を読むのをやめた。長椅子に横たわる藍色の髪と茶色の瞳の少女。目を見開いている。だが、苦しそうな息をしている。かすかに体が震えている。何も聞こえてないようだ。
「リーザ」
アポロはもう一度少女の名を呼ぶと、その手をとった。その瞬間、アポロの体に電流が走ったような気がした。こんなことをしたのは初めてだ。なんでしてしまったんだろう。良いのだろうか悪いのだろうか。いや、重大な規則違反には違いない。でも、もうそんなことはどうでもいい。苦しんでいる。リーザは。命の灯が燃え尽きようとしている。それに必死に抗おうとしているんだ。
リーザの口がかすかに開いた。少女の瞳は、しっかりとアポロに向けられていた。声にならない、かすかな声がした。
「アポロ、ありがとう……すごく嬉しかった。私はもう、別の世界へ行くから。エリクにも、伝えて」
リーザは目を閉じた。
アポロは、リーザの手をしっかりと握っていた。リーザの白い手は、冷たかった。アポロの手は熱かった。これまで感じたことのない熱さだ。燃えるようだ。
だめだ。
手紙を受け渡す。手紙を読む。それだけじゃだめなんだ。
助けなきゃ。
苦しんでいるこの子を助ける。僕が、なんとしても助ける。助けなきゃいけないんだ。僕しかいないんだ。
リーザは眠っているようだ。寝顔も苦しそうだった。そっと少女の手を置く。
「君の事は、僕が守る。決してどこにも行かせはしない」
アポロは、白い大きな翼を、羽ばたかせる。
星庁舎の星長室。
星長は、目を白黒させていた。
突然、翼をもつ郵便配達人が、怒鳴り込んできたのだ。アポロだった。
「星長、お願いがあってきました。僕の給金を支払って下さい。お願いです。お金が必要なんです。病気で苦しんでいる女の子がいるんです。今にも命の灯が消えようとしているんです。その子を助けたいんです。時間がないんです。僕は郵便配達人として、これまでずっと無給で働いてきました。今までの分の給金、今すぐきっちりまとめて支払って下さい。お願いします!」
「きゅ、給金? 郵便配達人が?」
星長の頭はパンクしそうだった。あまりにも前代未聞なことすぎたのである。星長は、ともかく職業的な笑顔をつくると、ハンカチを取り出して、額の汗をぬぐう。
「女の子を助けたいって、どうしたいのかね?」
星長の問いにアポロは堂々と答えた。星長は飛び上がった。
「とんでもない! そんなこと。ありえない。そのために給金がほしい?……あの、君は、郵便配達人だよね……郵便配達人に給金というのは、これまで前例がない……その、こういう事は、いろいろ決まりが、手続きや何やらがあってね、私の考えでこの星の金を勝手に動かすとかそういうことはできぬのだよ。いや、本当にね、君が考えているより決まり手続きルールって言うのはよっぽど複雑なんだ」
「それはどういうことですか? 給金は払ってもらえないんですか?」
「うーん、こういうのは、そうだ、星議会のほうに、請願してみてはどうかな。いろいろ面倒だけど。ハハハ。これは、わしが作った決まりじゃないからね。そこのところは勘違いしないでおくれよ」
「わりました!もういいです!」
アポロは、星長室を出ていった。バタン、と扉が閉める。
入れ替わりに入ってきたのは、黒縁のメガネをかけた星長秘書だった。
「星長、何があったんですか?」
「それがね。今、郵便配達人が怒鳴り込んできてね、とんでもないことを言うんだ」
「ええ、それは大変だ! 確かにとんでもない考えだ!」
星長からアポロの話を聞いた星長秘書は、飛び上がった。
「今すぐ、止めなきゃ。郵便配達人がそんなことするなんて、絶対に許されない」
◇
アポロは、バルコニーのリーザの元へ、再び舞い降りた。リーザは眠っている。アポロは、その手を取る。リーザの目が開いた。茶色の瞳。間違いなくアポロがしっかりと写っている。
「リーザ」
アポロは言った。
「願いを言ってくれ。僕がきっとかなえるから」
リーザの口から、かすかな声が洩れた。
「連れて行って。悲しみのない世界へ。決して悲しむことのない世界へ」
少女の瞳から、一筋、涙がこぼれた。茶色の瞳は、ぴったりと閉じられた。
「わかったよ」
アポロは、もう瞳を閉じた寝間着姿の少女を、両腕で抱え上げた。
「僕は郵便配達人だ。必ず届けるよ。悲しみのない世界へ。決して悲しむことのない世界へ」
大きな白い翼を、ゆっくりと羽ばたかせる。
エリクは星都の中心街を歩いていた。リーザの調子はどうなんだろう。早くアポロが来ないかな。様子を聞いてみよう。
「大変だーっ!」
星庁舎から、黒縁メガネの男が、飛び出してきた。星長秘書だ。
「君、アポロといういう郵便配達人を知らないかね?」
息せき切って、エリクに尋ねる。
「知っています。アポロがどうしたんですか?」
「それが、女の子を拐っていったんだ。リーザという子だ。今、連絡が入った」
エリクは目を丸くする。
「ええっ! アポロがリーザを拐った? ありえないですよ。いったいどうして」
「郵便配達人は、その前に星長室に怒鳴り込んできたのだ。その時とんでもないことを言ったのだ」
「ええ、そんな無茶な!」
話を聞いたエリクは、2度仰天する。
「とにかく、止めなければいかんのだ。君も、アポロを見かけたらすぐ星庁舎に連絡してくれ」
星長秘書は走り出す。
エリクは、まだ信じられない。
アポロがそんな無茶なことするなんて。でも、本気だったらどうしよう。どうなっちゃうんだろう。
その時、何かが空をすごい勢いで飛んでくるのを見つけた。
アポロだ。背に大きな翼を羽ばたかせる郵便配達人。天使。両腕に、しっかりとリーザを抱えている。リーザは寝間着姿のまま。
「うわあ、アポロ、リーザを連れて行こうとしてる。本当だったんだ。止めなきゃ」
エリクは右手で空を切る。
「超駆動!」
エリクは黄金に輝く光の気に包まれると、大地を蹴って飛翔し、空高く飛び立つ。
「アポロ、やめろ、そんなことしちゃダメだ。止まるんだ」
空中でアポロの前に立ちはだかり、通せんぼする。リーザを抱えて飛ぶアポロ、急停止する。翼を大きくばたつかせる。
「エリク、君か。何をするんだ。僕とリーザの邪魔をするのか。どくんだ」
「どかないよ。とにかく、話を聞くんだ」
エリクは、あくまで当番通せんぼ。
アポロは、星庁舎の赤いとんがり屋根に、降りる。腕にはしっかりとリーザを抱えたまま。エリクも屋根の反対側に飛び降り、超駆動を解除する。とんがり屋根の上で対峙する2人。
「エリク、どういうことだ。君も星長の味方なのか。なぜなんだ。僕がリーザを助けようというのを、なぜ邪魔するんだ」
「そうじゃない。君のしようとしていることは、間違っている。そんなのはリーザのためにならない。やめるんだ」
「僕は彼女を苦しみや悲しみから解放したい。そう思っているだけだ。頼まれたんだ、リーザに。悲しみのない世界へ連れて行ってくれと。僕は郵便配達人だ。だからこの仕事は必ずやり遂げなければならない。リーザを必ず送り届けるさ。邪魔をするなら、エリク、君だって許さない」
「ねえ、アポロ、違うんだよ。君はわかってないんだ。リーザが言ったのは、そういうことじゃないんだよ」
「エリク、君もリーザと同じ人間だろう。人間は、なぜ人間を助けない。なぜ同じ人間を大事にしないんだ。君たちがリーザを助けないなら、僕が必ず助ける!」
「ああ、もう、とにかくリーザをこっちに返して」
アポロの腕の中のリーザ、虫の息に見える。
「だめだ。リーザは渡せない。リーザは僕のものだ」
アポロ、背の翼を素早く羽ばたかせ、エリクに突進する。
「うわあっ!」
郵便配達人の全力攻撃。空を切る鋭い翼に、エリクは脇腹を抉られる。そのまま、とんがり屋根の上から落下する。
しまった。まさか、郵便配達人が攻撃してくるなんて思わなかったのだ。完全に油断していた。超駆動を解除してしまっていた。
「超駆動!」
空中で、光の気を再起動する。右手の指先をアポロに突きつける。
「光弾!」
エリクの指先から放たれた光線がアポロの頭を撃ち抜く。
アポロの腕からこぼれたリーザは、真っ逆さまに落下する。
エリクは、空中で体勢を立て直し、リーザを抱き止めに行こうとするが、アポロが猛スピードでリーザを追い、再びリーザを抱き止め、大地に着地する。
エリクもなんとか大地に着地した。
「ううっ」
立てない。座り込む。アポロの攻撃を受けた脇腹。傷が深い。出血がひどい。エリクは脇腹に手を当て、光の気で治癒する。損傷率14% だ。損傷率15%を超えると、もう完全な治癒はできない。危なかった。
アポロ。両腕にリーザ抱え、立っている。頭の半分は光弾に吹っ飛ばされ砕けていた。砕けた断面から、チカチカ光る計器コンピューター類が見える。翼をもつ郵便配達人とは、自律制御型ロボットだったのだ。
まずいな。エリクは座り込んで自分の治癒に集中する。そうしないと危ない。アポロは頭の半分を吹っ飛ばされても、動けるみたいだ。今、もう一撃を食らったら、終わりだ。いったいどうしたんだ、アポロ、もう君は完全にバグだ。
しかしアポロはエリクを見てはいない。アポロが見ていたのは、腕の中の少女。
リーザは息絶えていた。
「リーザ」
アポロが言った。
「君は死んでしまったんだね。ロボットに造り変えてあげるよ。もう決して死ぬことのないように。もう決して悲しむことのないように」
アポロは、背の大きな翼を羽ばたかせると、リーザを抱えたまま、空高く飛び立っていった。
◇
星から星へ。
エリクの旅は続く。




