第12星話 バレエの星 後編
「ろくでなしのミザリー」
老人は言った。いや、老人と言うには、まだ早い年齢だった。しかし、長年の酒浸りと荒んだ生活で、年齢よりだいぶ老けて見えたのだ。
「わしの娘なんだ。たった1人の」
シャンゼ星の隣の星で。落ち葉のいっぱい積み上がった街路を歩いている時、エリクは何かを蹴飛ばした。よく見ると、落ち葉に埋もれていた老人だった。落ち葉の中で暖をとりながら、意識が遠のいていたようだった。
病院へ連れて行った。医者からは、もう治療はできない、まもなくだろう、と言われた。ホームレスだった。身分証明書も何もなく、身寄りもわからなかった。
まもなくだし。エリクは、病室で、老人を見守っていた。
老人の意識が戻り、ゆっくりとだが、しゃべれるようになった。老人は、ロザニと名乗った。エリクは、黙って話を聞いていた。
「ミザリー、たった1人の娘。あれが生まれてすぐ、母親は亡くなった。それで、わしが男手一つで、育てたんだ。わしも仕事に追われて、生活は苦しかった。それでも精一杯の愛情込めて育てたつもりだ。だがーー」
ロザニ老人は、涙ぐんだ。
「すまんが、一杯もらえるかの?」
「ダメです」
エリクは、応えた。
老人は遠い目をする。そしてまた、語り始める。
「わしは必死に働いて、ミザリーを育ててきた。確かに、いつもあの子に目をかけてやることはできなかった。でも、あの子を思う気持ちは、人一倍強かった。しかし、わしの心は、あの子には届かなかった。何がきっかけなのか、それはもうよくわからないが、子供の頃から、ミザリーは、悪さをするようになった。最初はちょっと、店のものを盗むことから始めた。見つかった時は、わしが必死に頭を下げて、大事にならなかった。でもそれを繰り返すうち、すっかりミザリーの悪さは、町の人に知られ、嫌われるようになった。学校でも問題を起こすようになった。友達に暴力をふるい、わしが学校に呼び出された。ミザリーは、わしに悪態をついた。しかし何があっても、ミザリーは私の娘だったのだ。わしはミザリーをなんとか守ろうとした。しかし無理だった。ミザリーは、悪い奴らとつるむようになった。どんどん悪さがエスカレートした。13歳のときには、とうとう監護院へ収容された。わしが方々へ掛け合って、何とか3ヶ月で出してやることができた。監護院へ迎えに行ったわしに、ミザリーは、またさんざん悪態をついた。監護院から、家に戻る事はなかった。監護院から出ると、そのままミザリーは、ぷいと、姿をくらましてしまった。わしは必死に探したが、どうしても見つけることができなかった」
老人の声は、だいぶ弱まっていた。
「わしはミザリーを失った。ろくでなしの娘だが、それでも、私にとっては、大事な宝物じゃったのだ。わしは酒に溺れ、すっかりボロボロになった。そうしたら最近になって風の便りに、ミザリーがシャンゼ星にいるという話を聞いたのだ。ミザリーの昔の知り合いが、シャンゼ星で見たと言うんだ。顔はすっかり変わっていたが、ふとした仕草が、絶対にミザリーのものだというんだ。わしは、シャンゼ星に向かった。だが、この星まで来た時、金もなくなり、体も動かなくなった。最後に一目でも、会いたかったのじゃが」
老人は、ごそごそと、ポケットから、指輪を取り出した。青い石の入った安物の指輪だ。
「もうわしはダメなようだ。ミザリーには会えぬ運命のようだ。なぁ、あんた、お願いだ。この指輪を、シャンゼ星のミザリーに届けてくれないか? これはミザリーの母親に、わしが送った指輪だ。わしに残ったただ一つの記念品だ。これをどうしても、ミザリーに届けたいんだ。お願いだ。頼まれてくれんか」
エリクは指輪を受け取って、じっと見つめる。
「シャンゼ星なら、これから行くつもりです。でも、ミザリーさんがどこにいるかはわかるんですか?」
「シャンゼ星のバレエ学院だ。そこへ、ミザリーそっくりの仕草をする若い女が入っていったと言うのだ。通用門だったから、多分内部の人間だと、見た人は言っていた」
「それが情報の全部ですか?じゃあ、何かの間違いの可能性もありますね」
「そうかもしれない。でも……ひょっとしたら、お願いだ、もし、できるなら、届けてほしい」
「その学院は、すごく有名です。バレエ観劇もするつもりでした。学院へ行って、ミザリーさんを探すことはできます。でも、見つからないかもしれません。その時はどうしますか?」
「そうだな。わしも、そこまで期待してるわけではない。ご足苦労をかけて申し訳ない。見つからなかったら、見つからなかったでいい。その指輪は、川にでも流してくれ」
老人はそう言うと、まもなく息を引き取った。
エリクが引き受けたのは、ミロクのことが、頭によぎったからである。エリクは、宇宙を旅しながら、ずっと生き別れになった双子の妹ミロクのことを探していた。
だから、たった一人の肉親である生き別れの娘を訪ねて旅に死んだ老人のことを、無視できなかったのだった。
シャンゼ星では、バレエ観劇だけするつもりだった。調べると、学院に一般人入学コースがあることが分かった。滅多に来るわけではない。ちょっと短期入学してみるのも、面白いだろう。何せ宇宙で最高のバレエの舞台なのだ。ついでにミザリーを探して、指輪を渡せばいいんだ。なに、人生なんて全て寄り道だ。いなかったらいなかったで、指輪は川に流せば良い。
「また、ずいぶん雲をつかむような人探しを引き受けたもんだね」
万能検査機は言った。
「見つからなかったなら、それはそれでいいって話だから」
「そうはならないよ」
ご主人様の少女をよく知るロボはかぶりを振る。
「君の心は、納得しないだろう」
◇
シャンゼ星のバレエ学院で。
ミザリーは、あっさりと見つかった。全宇宙のプリマ、フランソワーズがミザリーだったのだ。
夜の劇場の2階席。窓の下には、レーヌ河の流れが見える。
「あなたがミザリーさんだったんですね。ロザニさん、あなたの父親と名乗る人から、これを預かりました。ロザニさんは、亡くなりました。たまたま私が立ち会ったのです。ロザニさんは、ミザリーさんに、これを受け取って欲しいと言ってました。ミザリーさんの、お母さんの指輪です」
エリクは、青い石の入った指輪を差し出す。
フランソワーズは、受け取ると、劇場の窓を開け、指輪を外に投げ捨てた。
エリクが叫ぶ間もなかった。慌てて、エリクは外に身を乗り出す。
指輪は、夜のイルミネーションにキラキラ光るレーヌ河に消えていた。
窓を閉めて、向き合う。
フランソワーズ、大きく目を見開いていた。血走った目。どのような演技よりも高ぶった感情を感じる。
「ロザニは、あの出来損ないは、あなたになんて言ったの? ええ、聞かなくても、だいたいわかるわ。あのろくでなしの言うことなんて。私が泥棒で嘘つきのどうしようもないろくでなしだって、そう言ったんでしょう。ろくでなし! あの男よ! あの男こそ、嘘つきのろくでなしよ!」
フランソワーズは、ロザニのことを、決して父とかパパとか呼ばなかった。
「もうずっと。小さい時から、生まれた時から、ひどい扱いを受けたの。ご飯も食べさせてもらえなかった。あの男は家じゃただ飲んだくれてるだけだった。それでどうしようもなくて、近所の人が、食べさしてくれたりしてたの。でもいつもいつも、他人の厄介になるのが嫌で。それでとうとう店のものに手を出したの。最初うまくいったの。だから、二度三度、何度もするようになって。でももちろんずっとうまくはいかなかった。見つかった。捕まった。それであの男が呼ばれて、私のことを、この面汚しめって言ったの。家に戻ってから私のことをぶつの。迷惑ばかりかけてやがってって言って。それで私はわかったの。盗みをすれば、この男に迷惑をかけることができるんだって。だから、またやるようになったの。あの男は私をいつもぶつの。でも、絶対私は負けなかった。学校で、みんなに馬鹿にされていじめられた。それでとうとう相手をひっぱたいたら、みんなが、ミザリーが暴力を振るったって騒いで。先生も相手の味方をして。学校中が、こんな不良を置いておくなってって言ったの。呼ばれたあの男も、お前が全部悪い、お前みたいなのは生まれたのがいけなかったんだ。そういうの。私、もう学校に行かなかった。家にも帰らないで、いろんな連中と付き合って、悪さを繰り返したの。ヘマをやって、最初に監護院に入った時、あの男がきたの。酒臭くて、ボロボロで、ひどい状態だった。なんだろう。なんでこの男が、私につきまとうんだろう、そう思った。あの男は、顔を真っ赤にして言ったの。今度こそ許さない。徹底的にぶちのめしてやるってね。それで監護院を出て、すぐ逃げたの。もうそれっきり会ってない。やっと逃げることができたの。それからあちこち渡り歩いて、顔を変えて、いろんな人と出会って、やっと立ち直ることができたの」
フランソワーズの言葉は、ずっと、重く響いていた。
バレエには、言葉は無い。言葉のない世界で、全てを表現する。それがバレエだ。でも、このプリマ、こんなにしゃべれるんだ。エリクは思った。普段喋ってないことを、全部喋っちゃってるみたい。
宇宙一のプリマの声は、悲痛な音色を帯びていった。
「自分がどんなに変わっても、あの男との関係は変わらない。ただ遠くに行けるだけ。私はあの男が嫌いなの。あの男につながるすべてのものが嫌いなの。私は私が嫌いなの。変わろうとしたって変われないの。私はミザリーなの。永遠にミザリーなの。だからバレエをしてるの。踊っているときは、全く違う自分になれるの。自分じゃない自分に。誰にも追いつけない、誰にも届かない自分になれるの。でも、追いかけてきた。あの男が。あなたが追いかけてきた。ねえ、なんで追いかけてきたの? どこまで行っても、あの男は私につきまとうつもりなの? ねえ、お願い、もう私を追いかけて来ないで。私を追いかけてきたあなたのことが嫌い。顔も見たくない。お願いだから、出て行って。もう顔を見せないで。お願い。なんで私のことを放っておいてくれないの」
エリクは寮に戻った。
ライエルは心配していた。
「エリク、こんな遅く、どこに行ってたの?夜中に勝手に学院の中、歩きまわっちゃダメだよ」
「うん、ちょっと。あ、ライエル、私、明日ここ辞めるんだ。仲良くしてくれて、本当にありがとう」
「え? もう辞めるの?来たばかりじゃない」
「うん……その、故郷から連絡が来てね、急に帰らなくちゃいけないことになったんだ」
「そうなんだ。短い間だったけど、楽しかった。エリク、元気でね」
ライエルの屈託のない笑顔。
「今度、フランソワーズの舞台があるんだよ。せめて、それだけでも観ていったら」
エリクは、自分の枕に、顔を押し付けた。
翌朝。
エリクは、受付で、退学の手続きをした。
受付嬢は、ちょっと驚いていた。
「もうお辞めになるんですか? あの、入学金の返却はできかねますがーー」
エリクは学院を出た。
◇
星から星へ。
エリクの旅は続く。




