第12星話 バレエの星 前編 【宇宙1のプリマの秘密】 【華麗な女の園の闇】 【エリクの衝撃的審美観が明らかに】
バレエ。それは至高の身体芸術。人間が人間であることの極限を極めるダンスである。そして女性踊り子の最高位をプリマという。
◇
シャンゼ星。
この星のバレエ学院は、宇宙一有名であった。宇宙で名だたる一流の踊り子を輩出していた。
学院を卒業してプロとして活躍している一流の踊り子の中には、学院の指導教授や、研究員として若い生徒を指導し、自らもバレエの技に磨きをかけている踊り子もいた。学院の上級生徒は、トッププロに比肩する実力があったのである。
全宇宙からトッププロを目指すエリートが集まる学院だが、在籍しているのは、トッププロ志望者だけではない。広く一般にも門戸が開かれていた。一般コースには、誰でも入学することができたのである。
「入学を希望します。あ、一般コースで。ええと、一般コースなら、入学試験とかないんですよね?」
エリクは、学院の受付で、必要な書類を提出する。受付嬢は、笑顔をみせる。
「はい。一般コースに入学試験はありません。この学院の規則に従って頂けるなら、どなたでも入学できます」
もちろん、巨額の入学費用がかかる。払える人間は、ごくわずかだろう。
エリクは、1番短期の入門コースを選んだ。それでも費用は莫大だ。
「寮はどうされますか?入寮を希望されますか?」
エリクはちょっと考える。懐に余裕がある。ホテル暮らしがしたかった。でも。
学院に来た目的。
それを考えると、寮のほうがいいだろう。
「入寮でお願いします」
寮費もバカ高かった。高級ホテルに宿泊するより、ずっと高くつく。しかしエリクは、気前よく支払う。
全てが超一流の世界。金で何とかするなら、こんなものだろう。
受付嬢はずっとにこやか。
「バレエの経験はありますか?」
「ありません」
他のダンスの経験はあるが?とは訊かれなかった。ここでは、バレエ以外の経験は、全く意味を持たないのだろう。エリクは、社交ダンスの経験があった。だから聞かれたら、「社交ダンス、やってました!」と言おうと待ち構えてたんだけど、まあ、こんなもんだ。
エリクは入学した。寮に案内される。
何はともあれ、学院に潜り込むことができた。まずは成功。
エリクがこの学院に入学したのは、絢爛たる美しさを誇るバレエの世界への憧れ、それだけではなかったのだ。重要な任務があった。
宇宙の旅人エリク。正体はいつも隠しているが、宇宙でただ一人の超人である。見た目は普通の17歳の少女だった。豊かな亜麻色の髪を垂らし、黒い瞳をキラキラとさせている。
◇
「私はライエル、よろしくね」
寮は2人部屋だった。ルームメイトの、ピンクの髪の内気そうな少女が、微笑みかけてきた。16歳だと言う。
「よろしく。私はエリク」
ここに来た目的を考えると、1人のほうがよかった。2人分の料金払って1人で寮生活しようかとも思ったけど、あまり目立ちすぎるのはまずい。おとなしくルームメイトとの同居を選んだ。いろいろ気をつけないと。ライエル。普通の女の子だ。性格は良さそうだ。とりあえずよかった。
「ねぇねぇ、エリク、あなたは誰のファンなの?」
ライエルが、瞳をキラキラさせて、にじり寄ってくる。
「ファン?」
エリクにはちょっと意味がわからない。
「そうよ。推しがいるんでしょ? ねぇねぇ、誰?」
やっと意味がわかってきた。なるほど。ここには、全宇宙選りすぐりのトッププロとトッププロの卵がいる。一般コース組と、プロやエリートレッスン生は、寮もレッスンも、当然別だが、一般コース組がエリート組のレッスンや発表会を、見学鑑賞することは許されていた。同じ学院で生活しているのだから、食堂やら何やらで、姿を見かけることもある。一般コース組はトッププロとその卵たち目当てで来る連中が多いんだ。熱烈なバレエファンが、スターと一緒の空間に居れて、生のレッスンを見学できるんだから、当然そうなる。バカ高い一般コース組の入学費も、むしろこれなら安いくらいだろう。
もちろん、エリクがこの学院に来たのは、そういう目的ではない。
「私は、なんていうか、特定の人のファンていうより、ここのプロ踊り子は、みんな好きかな」
「箱推しなんだ!」
ライエルは、エリクの事情など、もちろん知らない。頬をピンク色に染める。
「でも、ここにいれば、絶対推しができるよ! こんなすばらしい空間で、誰かに夢中になって、本当に本当に……あ、私、フランソワーズの大ファンなの。キャーっ、言っちゃった!」
ライエル、ピンクを通り越して、顔を真っ赤にさせる。
フランソワーズ?
その名はエリクも聞いていた。バレエ界の大スターの若きプリマ。トッププロとして活躍しながらここで学院の指導教授をしている。確か、まだ20歳そこそこ。その若さで指導教授というのは、長い歴史を誇る学院でも最年少記録である。
ライエルは、フランソワーズについて、熱烈に語り出した。究極の美であること。不世出の天才であること。同じ空間にいるだけで、失神しそうになること。何よりも内面の美しさを表現する第一人者であること。踊り子としてだけではなく、1人の人間として、全人格的に尊敬されているスターであること。
ファントークと言うのは、興味のない人間にとっては徹底的に面白みのないものである。しかし、ルームメイトとうまくやるのも必要だ。エリクは笑顔でうんうんと話を聞いていた。
「本当に澄みきっているの。心なのよ。心。フランソワーズは。心の美しさが踊りを支配しているの。だから技術だけではどうしても上れない高みに行けるの。ああ、フランソワーズの世界! 私もそこへ飛び立ちたい。キャッ!」
◇
「ここでじっとしててね。絶対喋っちゃっだめだよ。とにかく、黙ること!」
ライエルが部屋から出て行った後、エリクは鞄から取り出した箱型ロボの相棒、万能検査機に、きつく言う。黒い箱に短い手足のついたロボットである。
本来、おしゃべりで饒舌なロボは、ふてくされる。
「黙っていたら、僕がここにいる意味ないよ」
「そうじゃなくて。私が何か訊いたときにだけ、しゃべればいいってこと。うっかり見つかったら、大変なのよ。ここはあなたみたいなのは、持ち込み禁止なの」
「そうなんだ」
「うん。だってあなたには高度撮影解析機能も、情報記録機能も、とにかくいっぱいついてるんだもん。ほら、寮や、学院の中で、勝手に生徒や踊り子を撮影するのが、問題になってるのよ。だから、そういうことができる機器は一切持ち込み禁止。外部のロッカーに預ける。そうなっているの。わかった?」
「うん……エリク、君と気ままにおしゃべりできないなんて……本当に辛い。でも、僕、きっと耐える、耐えてみせるから……鞄の中から、君の無事を祈ってるよ」
「大げさね。今回の仕事は、危険なこと全然ないんだから」
◇
「アン、ドゥ、トロワ、」
先生の掛け声が響く中、生徒たちはバレエの稽古に励む。
エリクは、最初の審査で、一般コースの中級クラスに編入された。
「すごいすごい、ここの中級クラスって、一般コースだとしても、相当なもんだよ。エリクやるじゃない!」
ライエルは、目を輝かせていた。
そうなんだ。せっかく大金払って学院にきたんだし、ちょっと頑張ってみよう。
エリクは片足でつま先立ちし、もう片方の足を上げて、腕を伸ばす。
アラベスク。バレエの基本のポーズだ。壁面の鏡で確認すると、なかなか決まっている。我ながら美しいぜ。
「はい、ダメ、エリク!」
先生の声が飛ぶ。
「もっとしっかり足を伸ばして! 姿勢! 姿勢! ほら、腕がブレてる。もっと、ピっと伸ばして! 重心を意識して!」
エリクは必死になるが、余計にガタガタになる。レッスンは厳しいのだ。
厳しい指導を受けた後の一休み。エリクは、ふう、と息をつく。
なかなか大変な世界だ。でも、レッスン生の少女たち、みんながんばっている。レオタード姿、とても美しい。
しかし。
エリクは思うのである。
レオタードだけじゃ、何か物足りないな。レオタードに、ガーターベルトとガーターリングをしたら、より完璧な美しさになるのに。
でも、ここに来たのは、審美観を主張するためではない。
任務。どうしようか。
「エリク、レッスンはどうだった?」
昼食の時間。食堂で。並んで食べるライエルがいう。
「うーん。なんだかついていくのに精一杯で。もう冷や汗かきっぱなし」
「ふふふ。最初はみんなそうだよ。でもだんだん楽しくなっていくから。それにここにはフランソワーズがいるのよ。究極の美と、一緒の空間でバレエができる。ああ、なんて……」
ライエルは、夢見心地。
「ね、午後の空き時間に、フランソワーズのレッスンを見に行こうよ。まだ見たことないんでしょ? 一発で推しになるよ。でも、推しにかけては、私、絶対、エリク、あなたには負けないからね。あ、そうだ。あんまり夢中になったからって、フランソワーズに飛びついたりしちゃだめよ。それをやって、退学になった子いっぱいいるんだから。見てて失神するだけならOKよ」
午後。フランソワーズのレッスンの見学。
全宇宙のプリマ。フランソワーズ。学院の生んだ最高のスター。
美しかった。本当に。
視線を一身に集めている。抜群のプロポーション。すらりとした長い手足を優雅かつ正確に動かす。長身でありながら、驚くほどキレがあった。跳躍、回転、姿勢、どれも完璧だった。いや、正確な動き、技術だけではない。
心。心そのものの表現。心で踊っている。
横で陶然となっているライエルの言っていたこと、エリクにもわかった。エリクは、震えていた。息をのんだ。もう、呼吸もできない。プリマの虜になっている。
確かに究極の美だ。宇宙に一つだけの美。唯一無二の美が目の前に。見学する生徒の中には、早くも失神しかかっているものがちらほら見えた。
入学して3日目となった。
まだ早いかと思ったが、学園に来た目的、務めを果たさなければならない。
「ミザリーって人、知りませんか?」
エリクは、訊いて回った。
「ミザリーって人を、探してるんです」
「ミザリー、知らないなぁ」
「聞いたことないね」
みんな、首をかしげた。
結局、わかった事は、学院にミザリーという人物はいない、最近いたこともない、だった。
「おかしいな」
寮の部屋。ライエルのいない隙に、箱型ロボを取り出す。
「ねえ、万能検査機、ミザリーはここにはいないって。どういうことだろう」
「それは、単純だね」
「ミザリーは、そもそもここにはいなかった。ミザリーがここにいるという情報が間違っていた。もう一つの可能性は、ミザリーはここにいる。だけど、名前を変え、正体を隠している。ま、どっちかだね」
「うーん、どうすればいいんだろう。学院のメインデータベースを解析すれば、何かわかるかな。できる? 万能検査機」
「どうやってアクセスするの? あっちこっち、ぶっ壊して、情報端末室に突入するの? そうとう強力なセキュリティがあると思うんだけど」
「そっか。困ったな」
エリクは途方に暮れる。どうしよう。
◇
翌日。
「ガビョーン!」
エリクは悲鳴をあげながら、右足を抑える。
「どうしたの?」
ライエルが駆け寄ってくる。
「あ、ごめん。なんでもないよ。ちょっとお腹の調子がおかしくなっちゃって」
何とか笑顔を作るエリク。
うお、痛い。
画鋲だ。ロッカーを開けて、トゥシューズを履こうとしたら、シューズの中に画鋲が入っていたのだ。気がつかないで、思いっきり踏んづけちゃったのだ。こっそり確認すると、血がにじんでいる。
この日は、まともになレッスンにならなかった。
その翌日。
エリクのロッカーの内側に、張り紙がしてあった。
「今すぐここから出ていけ! さもないと殺す! いいか、決して、脅しじゃないぞ!」
いったいどうしたんだろう。エリクは頭を悩ませる。昨日の画鋲といい、今度の脅迫状といい。女の世界のいじめ、嫌がらせか? それにしても、まだ入学したばかりなんだけど。いじめの標的になるようなこと、何かしたっけ。
あ、そうだ。
エリクは、はっとする。
ひょっとしたら。自分で気づいてないだけで、私にはものすごいバレエの素質があるんじゃないだろうか。それを見抜いたエリートコース上級生が、嫉妬に駆られて嫌がらせをしてきた? 将来のライバルを潰しに来た? 若き才能を芽のうちに摘もうと。
なんてこった!
宇宙最高峰の美の世界は、とんだ魔窟だった!
光あるところ影がある。美しい薔薇には棘がある。
そういうことなんだ。
気をつけよう。潰しなどに負けるわけにはいかない。
「才能は罪。美しさは罪」
エリクはつぶやく。
◇
「ねえ、君、バカなの?」
箱型ロボは、呆れていた。
「何よ、その言い方。ご主人様に向かって」
「だってさ。自分の才能が妬まれたとか本気でそう思ってんの?救いがたいね。全く。人間ってのは計測不能だよ」
「じゃぁ、なんだって言うの?」
「エリク、君は、一昨日、何をした?」
「一昨日? アラベスクの基本の続きだよ。先生に、だいぶ良くなってるって褒められたよ」
「そうじゃなくて!僕たちは、ここに一体、何しにきたんだっけ」
「あ、そっか。えーと、ミザリーのこと、みんなに聞いて回った」
「それだよ。やっぱりミザリーはこの学院にいるんだね。名前を変えてるんだ。そして素性がバレるの嫌がっている。で、君がミザリーを嗅ぎまわっている。素性がバレるのが嫌なミザリーは、君をなんとしても追っ払おうとしてる。そう。そういうこと。それしか考えられないね」
「つまり、ミザリーはここにいる。じゃあ、一歩前進だね」
自信を深めるご主人様に、ロボはため息をつく。
「そうでもないよ。君は、正体を隠したがっているミザリーを最大限に警戒させたんだ。もう絶対尻尾は出さないだろうね」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「もう知らない! 自分で考えて!」
ロボは、珍しく、自分から鞄の中に潜り込んだ。
そのまた翌日。
エリクのロッカーの内側には、次のような張り紙があった。
「今日の夜12時に、劇場2階席の右手に来い。ミザリーのこと、教えてやる。いいか、必ず1人でくるんだぞ」
ほら、やっぱり。
エリクは呟く。
「私のやり方が、正しかったんだ」
その夜。学院付属のバレエ劇場。
小さな常夜灯が並ぶ中、エリクは、2階席の右手に、立つ。
外を見る。劇場の窓の下には、星都を流れるレーヌ河の美しい水面が、夜のイルミネーションに照らされて、キラキラと光っていた。
そろそろ12時か。
エリクは、窓から、レーヌ河を見つめている。
来た。
忍び足だ。ゆっくりと、でも確実に近づいてくる。靴は履いてないようだ。常夜灯の陰をくぐって、近づいてくる。窓の外を見ながらでも、エリクにはわかった。
ゆっくりと近づいてくる影。息を押し殺して。でも、強烈な殺意は、感じた。強い殺意。抑え切れないのだ。黒々とした殺意の塊が、迫ってくる。
それにしても。エリクは、息を呑んだ。なんていう優雅な足取りなんだろう。的確で、一定のリズムがある、なめらかな足取り。相手はこれからエリクを殺すつもりなんだ。美しい殺し、というものがあるとすれば、まさにこれだ。
エリクは背中で感じるだけだが、なんだかうっとりとしてきた。
もう、影は、すぐ後ろに来ていた。そして、ためらいなく、エリクに向けて、手を振り上げる。
すかさず振り向いエリクは、相手の手首を掴む。その手には、ナイフを握っていた。エリクは、超駆動を微弱起動していたのである。姿を見なくても、気配を察知し、動きを的確に読むことは、何の問題もなかった。
相手は黒のフードをかぶっていた。エリクは空いている手で、相手のフードを外す。
フランソワーズだった。全宇宙のプリマ。学院の生んだ大スター。
エリクを睨むフランソワーズ。目が血走っていた。ぶるぶると震えている。その右手から、ナイフがポトリと落ちた。
「あなたね。私のことを嗅ぎまわっていたのは。エリク……だったわね。あなた、何なの?でも、いい。教えてあげる。そういう約束だもんね。ミザリーのこと知りたいんでしょ? 私よ。そうよ。私がミザリーなの」
探していたミザリー。それは、学院一、いや、宇宙一のプリマ、フランソワーズだった。
( 第12星話 バレエの星 後編へ続く )




