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第37星話 賢者の贈り物の星 3 菓子職人の話 



 エリクは、星都を歩いていた。

 

 ジャケットの胸ポケットには、たった今宝石店で買った虹彩石の指輪を納めた小さなケースが入っていた。


 マーシャへの贈り物(プレゼント)。買えた。最高のものが買えた。間違いなく、マーシャがこれを買えるように、導いてくれたんだ。


 買い物も済んだし。ホテルに帰ろうか。


 その時。


 胸のポケットの中の虹彩石モンドが、囁いた。


 いや、そんな気がしたのだ。何か聞こえたような。


ーーこれから、まだ出会いがあるよ。しっかりつかまえなきゃ。響く心に、従っていけばいい。


 なんだ?


 エリクは、足を止めた。


 聞こえた。確かに聞こえた。


 思わず、胸のポケットを押さえる。


 宝石がしゃべった? まさか。


 なんだろう。奇跡の宝石の話を聞いて、気が高ぶっているせいかな。


 ちょっと落ち着こうか。


 エリクが立っていたのは、小さな喫茶店(カフェ)の前だった。

 

 急に空腹を覚えた。今日は遅く起き出して、遅い朝食をとって、出かけて、それから何も食べていなかったのだ。もうだいぶ遅い時間になっていた。薄暗くなってきている。


 エリクは、喫茶店(カフェ)に入った。ちょっと寄って行こう。



 明るく感じ良く、落ち着いた喫茶店(カフェ)だった。結構人が入っている。


 エリクは、メニューを見て、にっこりとする。


 そして大好物の、チェリークリームパイと、ミルクティーを注文する。そしてちょっと考えてから、サンドイッチも追加した。散々歩き回って、昼ごはんもまだなのだ。



 賑わう喫茶店(カフェ)で。


 エリクは、のんびりとサンドイッチにパイを食べ、ミルクティーを啜った。


 ゆったりと流れる時間。陽だまりに浸っているみたい。


 「ここにいると、まるでマーシャと一緒にいるみたいだな」


 柔らかく温かな刻が過ぎていく。


 この星都とも、この星とも、そしてマーシャとも、もうじきお別れなのだ。


 それでいい。それが当然なのだ。エリクは、永遠に宇宙の放浪者なのだ。1箇所にとどまっていてはいけない。


 エリクは、眼を閉じる。マーシャの笑顔が、いっぱいに広がる。



 ◇



 目を覚ます。気がつくと。


 喫茶店(カフェ)の中にいたのは、エリク1人だった。


 ちょっと眠りこんじゃったみたい。喫茶店(カフェ)ガラス扉の外を見る。もう、真っ暗だ。


 しまった。結構遅い時間だ。マーシャが心配してるかも。


 そこへ。


 誰か近づいてきた。ん?


 喫茶店(カフェ)の女主人だ。


 歳の頃は30過ぎくらいだろうか。キリっとした顔立ちに、優しい笑顔。真っ白なエプロンをしている。


 「もう、閉店でしょうか?」


 まごつくエリク。


 「まだ、大丈夫ですよ。ごゆっくりどうぞ」


 女主人は、にっこりと。


 「そうですか」


 でも、もう店を出なきゃ。ホテルに戻らないと。


 エリクは、席を立とうとした。


 その時。


 胸ポケットの虹彩石モンドが、カタカタと動いた。いや、そんな気がしたのだ。


ーーもう少しここにいなよ。


 エリクは、ふと、メニューに眼を落とす。


 『最後の贈り物』


 目に飛び込んできた。おかしいな。ここで注文する前、メニューはさんざん見たのに。その時は全然気付かなかった。


 『最後の贈り物』


 お菓子だ。小さな焼き菓子(プチフール)


 今日は。マーシャへの別れの、最後の贈り物(プレゼント)を探しに星都に出たんだ。お菓子の名前。何かの符号だろうか。


 「これ、注文できますか?」


 「ええ、もちろん」


 「コーヒーもお願いします」


 「かしこまりました」


 女主人は、エプロンを翻し、カウンターの奥へ。


 ほどなく、運ばれてきた。コーヒーと、小さな焼き菓子(プチフール)。最後の贈り物。


 真っ白な皿の上に、小さな焼き菓子(プチフール)が三つ。飾り気ない、可愛いお菓子。


 エリクは、1つつまんで、口に入れる。


 「美味しい」


 普通の焼き菓子だ。小麦粉とバターと砂糖と卵とミルクを練って焼いたもの。質素だ。でも、とても香りがよく、豊かな味わいが口いっぱいに広がった。


 なんだろう。エリクは微かな震えを感じていた。これは、体と心に沁み入る。心のずっと奥まで、広がって、重なり合って、響く。


 そうだ。虹彩石を見て、触ったときの感じと一緒だ。胸のポケットの中の宝石。カタカタと鳴っているような気がする。


 浸されていく。マーシャの陽だまりのように。


 ふと、傍を見る。女主人が立っていた。にこやかな笑顔を浮かべて。


 「お気に召しましたか?」


 「はい」


 エリクの胸が騒ぐ。虹彩石の導く出会い、ここにあるんだ。この小さな焼き菓子(プチフール)に。よし。訊いてみよう。


 「このお菓子の名前、最後の贈り物。それって、このお菓子が、食事の1番最後に出るからですか?」


 「そういう意味もあります」


 女主人の笑顔、一層深く。


 「でも、それだけではありません。もう一つ、その名前には、意味があるのです」


 悪戯っぽい表情をする女主人。


 「もう一つ?」


 「はい。このお菓子のレシピは、人から贈られたものなのです」


 誰かに贈られたレシピで作ったお菓子。お菓子のレシピ。それが最後の贈り物なんだ。


 エリクは、考える。いや。お菓子から、自然と情景(イメージ)が、浮かんでくるのだ。


 「このお菓子のレシピを贈ってくれた人。それは、店主(マスター)にとって、大切な人だったんですね?」


 「ええ、そうです」


 「このお菓子を食べると、なぜか心が震えるんです。きっと素敵な想いの詰まった贈り物なんですね? 大切な人の」


 女主人は、しばし沈黙した。そして言った。


 「お知りになりたいですか?このお菓子の由来を」


 「はい」


 エリクは、頷く。


 贈り物を集めるために、ここに来たんだ。かけがえのない想いの詰まった贈り物を。


 「わかりました。お話ししましょう」


 今主人は、語り始めた。




菓子職人(パティシエ)の話◇




 私は、小さい頃からお菓子が好きで、菓子職人(パティシエ)に憧れていました。そして、菓子職人(パティシエ)の学校に入りました。


 学校ではみんな熱心で夢中になってお菓子作りに取り組んでいました。激しい競争がありました。自分より圧倒的に才能がある人たちばかりで、ついていくのが大変でした。その時、リミューと出会いました。リミューも菓子職人(パティシエ)を目指す、同い歳の男の子でした。リミューも私も、キラキラ光る才能でいっぱいの生徒たちの中で、目立たない存在でした。それで私たちは、仲良くなりました。お互い励ましあって、絶対に菓子職人(パティシエ)になろうと、誓いあっていたのです。


 しかし、現実は厳しかったです。必死に努力しました。でも、なかなかみんなの中で、抜け出すことができませんでした。いつも自分は人に劣っている。そんなことばかり考えて、心が折れそうになりました。


 リミューは、私を励ましてくれるくれました。リミューは楽天的でのんびり屋でした。


 「君のお菓子、とってもおいしいよ。そんなに焦らなくても、大丈夫だから」


 「気やすめを言わないでよ!」


 私は、そんなリミューに当たり散らしていました。


 「私の腕前がどんなものか、私が1番わかっている! あなただって本当はわかってるんでしょ? 私が劣等生だって。気やすめなんて言われても、嬉しくない!」


 私は必死でした。何も見えてませんでした。リミューは、そんな私を、ずっと温かく見守ってくれていました。


 でも、気づいてしまったんです。


 リミューの方が、遥かに菓子職人(パティシエ)としての技倆が、上だということを。


 私はショックでした。優等生のクラスメイトだけでなく、のんびり屋のリミューにも私は勝てないのです。こんなに必死に頑張っているのに。もうダメだ、そう思いました。リミューとは、口も利かないようになりました。


 学校で私はずっと落ち込んでいましたが、何とか卒業できました。でも、就職はしませんでした。すっかり自信を失っていたのです。小さい頃からの夢をあきらめて、目の前が真っ暗になっていました。


 しばらくふさぎ込んでいた私ですが、一流の菓子店に就職することができました。先に就職していたリミューが、紹介してくれたのです。


 私も、一流になれなくても、二流三流でも、どんな仕事でも、お菓子作りに関われるならそれでいいと、気持ちを切り替えて働き出しました。


 大きな店でした。そこで学ぶことがいっぱいありました。自信は全くなかったのですが、日々の仕事を精一杯頑張ろうと決めました。大きな店で、菓子職人(パティシエ)もスタッフも大勢いました。リミューとは、あまり話もしませんでした。


 何年かが経ちました。


 リミューは凄腕の一流菓子職人(パティシエ)と認められるようになっていました。私も、そこそこ仕事を任されるようになりました。一人前の菓子職人(パティシエ)として認められたのです。失っていた自信も、少しずつ取り戻していきました。それでも、周囲のキラキラした才能に自分は遠く及ばない、その思いはずっと引きずっていました。


 ある日のことです。


 リミューに、声をかけられました。


 「僕はこの店を辞めるんだ。実は、他所から声をかけられてね。新しくできる店の、店長を任されることになったんだ」


 彼は、大手の一流お菓子店グループにスカウトされ、抜擢されたのでした。リミューには、それだけの実力があったのです。


 「ふうん。おめでとう」


 同級生の成功と出世に、私は内心穏やかではありませんでした。リミューは、少し恥ずかしそうにいました。


 「ねえ、君も一緒に来ない?一緒に働きたいんだ?」


 「なんで? いかない。私、この店でまだすることがあるし」


 私は即座に断りました。リミューは、私にとって、目の前に聳える大きな壁でした。ずっとこの壁を前にするのは、嫌だ。当時はそんなことしか考えてませんでした。


 「そう」


 リミューは、寂しそうに言いました。


 「じゃあ、もうお別れだね。最後に、君にお願いがあるんだ」


 「お願い? 何?」


 「小さな焼き菓子(プチフール)を焼いてよ」


 「え? あなたのレシピの?」


 「そうだよ。君の焼いた小さな焼き菓子(プチフール)、すごく好きなんだ」


 「また、そんなこと」


 小さな焼き菓子(プチフール)。リミューの得意のお菓子でした。みんなが感心していました。リミューは、私に、レシピを教えてくれました。私は、リミューのレシピの小さな焼き菓子(プチフール)に挑戦してみました。でも、ダメでした。同じ材料、同じ配合、同じ焼き時間、レシピ通りに、どれだけそっくり同じに真似しようとしても、彼の味にはならないのです。シンプルなお菓子だけに、作り手の技倆が問われるのです。


 小さな焼き菓子(プチフール)。それは、私とリミューの技倆の差、壁の象徴のように思っていました。


 それを食べたいから、焼いてくれだなんて。


 ずいぶん嫌味だな。当時はそう思いました。でも、彼から教わったレシピですし、もうこれで最後だと思って、頑張ってお菓子を焼きました。


 「うん、美味しい。やっぱり君のが最高だよ。これで、お別れなんだね」


 リミューは、言いました。すごく素敵な笑顔を浮かべて。そして、店を去って行きました。


 

 彼が去ってから。私の心に大きな穴が開いたような気がしました。学校からずっと一緒だったのです。途中からは、大きな壁として、いつも私の前にいたのです。


 リミューは、絶対勝てない届かないライバル、私にない大きな才能でした。でも、それだけじゃなかったのです。


 しばらくして気づきました。


 リミューが、私を新しい店に誘った理由。彼は、菓子職人(パティシエ)の同僚としてだけでなく、私と一緒になりたかったのです。気づいた、というのは違いました。最初からわかっていたのです。ずっと。リミューの私への想い。そして、私のリミューへの想い。わかっていた。でも、菓子職人(パティシエ)として、誰にも負けたくない。自分が劣っていると認めたくない。絶対に勝ってやる、そんな思いに押しつぶされて、認めようとしなかったです。見ようとしなかったのです。


 私はまた、彼から贈られたレシピの小さな焼き菓子(プチフール)を焼きました。


 自分で食べて、涙が出ました。彼は、美味しいと言ってくれました。最高だと。お世辞や気やすめで言ったのではなかったのです。リミューはただ、私の焼いた小さな焼き菓子(プチフール)が好きだったのです。決して彼と同じ味にはなりませんでしたが、私の小さな焼き菓子(プチフール)には、私の味、私だけのよさが、あったのです。


 私はやっとわかりました。私は周囲との勝ち負けとか、比較とか、そんなことばかり気にしていました。でも、そうじゃないんです。自分の好きな味を、みんなに喜んでもらえる味を追求していけばそれでいい、それでよかったんです。


 私はずっと泣き続けました。そして、小さな焼き菓子(プチフール)に、接吻(キス)しました。彼との永遠の別れでした。


 次の日から、また私はお菓子作りに精を出しました。少しずつ、自分のお菓子が作れるようになっていきました。仕事が楽しくなっていきました。周囲がどうとか、もう考えませんでした。


 また何年か経ちました。


 私は、自分の店を持てるようになりました。リミューとは、ずっと会っていません。成功して、結婚して、幸せに暮らしているそうです。


 

 ◇



 菓子職人(パティシエ)である女主人の話、最後の贈り物の小さな焼き菓子(プチフール)の物語は終わった。


 エリクは、小さな焼き菓子(プチフール)を食べ、コーヒーを啜った。


 「この小さな焼き菓子(プチフール)、お土産用に、一つ包んでください」


 エリクはバッグに、小さな焼き菓子(プチフール)の包みを入れる。


 そして、店を出た。


 また一つ、最高の贈り物(プレゼント)を抱えて。




(第37星話 賢者の贈り物の星 4 身投げ少女の話 へ続く)

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