第1 星話 救世主の星 【最強ヒロイン登場!】 【地獄に可憐な天使が舞い降りた】 【プロローグあり】
【プロローグ】
紀元前。仏陀ーー釈迦牟尼はインドの地で生まれ、悟りを開き、衆生に教えを説き、その地で滅した。
仏陀の死を寂滅という。
56億7千万年の後に仏陀は再び現れ、衆生を救うという。
寂滅より56億7千万年。
その時は迫っていた。
◇
どこを見ても砂と石の世界だった。
ガルド星。
何もない巨大な無用の物質の塊。いや、何もないというのは人間の視点に過ぎない。悠久の宇宙の時間の流れの中で物質が集まり、交わり、姿を変え、そして散っていく。その繰り返しの1コマにすぎない。
オレたちはいったい何をしているんだろう。
トロッコを押しながら、リギドは考える。頭をすっぽり覆う丸型ヘルメット。全身防護服を着ている。ガルド星に降り注ぐ恒星の熱線と光線。保護なしには一瞬たりとも外気の中で生きていけない。ガルドには大気はあった。大昔にガルドに移住した人間が造った人工大気だ。この星は、一時期、宇宙輸送航路の中継基地として利用され、すぐ捨てられたのだった。だが、人工大気はそのまま残された。おかげでヘルメットの濾過口を通じて呼吸は十分にできた。人工でもなんでも、大気は大気だ。いや、今の時代に本物の大気なんて残っていない。すべて人工大気。原大気の複製の複製の複製の複製。
複製か。
リギドは思う。押すトロッコが、ギィーコ、ギィーコと揺れる。
オレたちだって、遠い昔の遺伝子の複製だ。複製。でも、それでいい。生きていけるんだから。
生きていく?
このガルドで?
強烈な熱線光線を遮るヘルメットに全身防護服。そして、水と食料があれば、生きてはいけるーー
いや、だめだ。
生きてはいけない。このままでは。
僕はーー凶悪で人間に激しい敵意を見せるトカゲ型種族グーリク星人に囚われた労働力だ。
◇
「よう、リギド」
トロッコの終着点で、班長が声をかけてきた。ヘルメットに全身防護服。ここにいる者は、みな同じ格好だ。黙々と作業をしていている。
「精が出るな。その緑星石を下ろしたら、今日の作業は終りだ。宿舎に戻れ。あんまり無理するなよ」
リギドはトロッコに積まれた緑星石ーー人間の頭より少し小さな岩塊を、輸出宇宙船用の荷箱に積み換える。岩塊は鈍い緑の光を放っている。
ふう、ヘルメットの下で、リギドは息をつく。
今日の作業は終わった。人間労働者の宿舎ーー囚われた労働力の小屋というべきだがーーに戻ると、全身防護服を脱いで、ベッドに横たわる。
窓から見えるのは、砂と石だけの世界。どこまでも続いている。
◇
やがて、陽が翳った。
ガルド星の自転周期は6〜10時間。周辺の複数の恒星惑星の引力重力が絡み合い、地軸が不安定なのだ。昼と夜がめまぐるしく入れ替わる。
強烈な熱線光線から解放される時間。今日は4時間といったところだろう。
リギドはベッドから起き上がる。
死んだようにベッドの上で身動きしない作業員たちを後に、リギドは宿舎の扉へ向かう。
「また外に行くのか。いつも外で何をしてるんだ?」
後ろから訊かれた。年配の作業員だ。他の作業員同様、ベッドに寝そべりながら、リギドを見上げている。
「宿舎にいたって、何もないから」
リギドは答える。
「外を歩いたって、何もないぞ」
年配の作業員は、物憂げに言った。
「どこまでいっても、砂と石だけだ。いくら歩きまわったって……リギド、お前、それでも〝何かあるかもしれない〟そう思ってるんだな?」
リギドは黙る。
「お前、まだ来たばかりだからな。まだ希望ってやつがあるんだ。探してるんだろう? 救いを。きっと助かる、そう思ってるんだ。でも……救いなんてねえよ。オレたちは、もう助からないんだ。それとも、救世主でも現れるっていうのか」
年配の作業員は、ふふ、と笑い、ベッドの上でゴロンと背を向ける。
「救世主、そんなもの来ねえよ。早く慣れるんだな。何も考えないほうが、楽だぞ」
リギドは宿舎を出た。
砂と石の上を歩く。どこまでも歩いていく。
陽が翳っている間は、ヘルメットも全身防護服も必要なかった。大気を濾過する簡易マスクさえつけていればよかった。この星の大気には有害な微粒物質が多く混じっていた。強い風が吹き砂塵が巻き起これば、危険な水準の有害物質を吸い込んでしまう怖れがある。簡易マスクは最低限必要だった。
夜。危険な陽の沈んだ時間、外を歩くのが日課となっていた。リギド。少し痩せてはいるが、長身、がっちりした体格の、短い金髪の青年であった。
外を歩いたって何もない。それはわかっている。無駄に体力を消耗するだけだ。それに、宿舎の外の脅威は陽の熱線光線だけではない。突発的に吹き荒れる砂塵も時には人間の命を奪うこともある。
しかし。リギドは歩き続ける。
どこまでいっても、砂と石だけ。死の危険。
宿舎には、少なくとも水と食料、ヘルメットに全身防護服がある。
でも。ダメだ。このままじゃ。
このまま生涯、グーリク星人の労働力として終わることになる。
リギドは宇宙航行中に、グーリク星人の宇宙海賊に囚われたのだった。そして、ガルド星に送られ、緑星石の採掘搬送のための労働力にされた。
それからは、延々と、緑星石を掘り、トロッコで運ぶ毎日である。
緑星石。工業的な価値はないが、グーリク星人は異様に尊重する。人間が黄金やダイヤモンドに魅せられるように、グーリク星人は緑星石に魅せられていたのだ。緑星石を産出するガルド星は、グーリク星人とって宝の星だったのである。人間に棄てられたこの星は、長い歳月を経た後、グーリク星人の緑星石採掘場となったのである。
グーリク星人が好むのは緑星石。そして彼らが嫌うのは人間だった。グーリク星人の宇宙海賊は人間を囚えては労働力としていたのである。
逃げたい。脱出したい。当然だ。みんなそう思ってる。でもすっかり諦めている。リギドと同じように囚えられここに連れてこられた宿舎の作業員たち。
オレも結局は、ああなるのか?
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
リギドは目を血走らせて周囲を。
希望。救い。
それは目に見えないものだ。形のあるものではない。
どこを探してもあるわけがない。なぜそう言えるのか。
強い風が吹いた。砂塵が巻き起こる。
リギドは両手で目を覆う。しまった。ヘルメットはともかく、ゴーグルはしてきたほうがよかった。こんな強風が吹くなんて。リギドは地に伏す。じっとして凌ぐしかない。
風が収まった。
リギドは、ほっとして立ち上がる。
顔や体についた砂塵を、払い落とす。
また。無機質な砂と岩の世界。
いや。そうではなかった。
人だ。
人影。間違いない。ガルドの大地に、人が立っている。
おかしいな。さっきはいなかった。真っ平な砂と石の世界だ。身を隠くす岩陰も建物もない。砂塵が巻き上がる前、どこにいたんだ?
まさか。砂塵が誰かをここに連れてきたのか?
ありえない光景。
人影は、ゆっくりと、リギドに向かって歩いてくる。
リギドは身動きできなかった。これはオレの幻覚なのか?
非現実的すぎたーー
もう、すぐ目の前に。
人影ーー少女が立っていた。
◇
少女だった。間違いなく。
いや、そんなことがあるはずがない。きっと、幻覚。それとも夢でも見ているのか。リギドは放心したように、少女を見つめる。
幻覚というには、あまりに現実。でも、やはり非現実的だった。
少女はーー
背は小さい。160センチくらいか。ヘルメットも全身防護服も着ていない。簡易マスクさえ、付けていない。
無防備。
頭巾も帽子も被らず、豊かな亜麻色の髪を幾房も編んで肩まで垂らしている。くりくりした黒い瞳。白いブラウスに、襟元の赤い蝶リボン。青い金百合柄のマントを肩から翻している。ライトブルーの膝上スカート。右足は膝まである黒いブーツ。左足は白い生足に、銀の羽根のついた銀のサンダル。風がそよぐと、亜麻色の髪にマント、そしてスカートがひらめく。スカートが捲れると、左の太腿に、水色のガーターリングが見えた。肩から、鞄を提げている。
砂と石の世界に。
絶対にありえないその姿。
「あなたは、この星の住人?」
しばらく見つめ合ったあと、少女が口を開いた。
「私はエリク。あ、女だからね。エリクって、もともと男の名前だけど、今じゃ多くの星で女も使っているから。私も気に入ってるの、この名前。親が……つけたんだけど」
エリクと名乗る少女は、言葉を切った。リギドの様子に気づいたのだ。
「あの、私、びっくりさせちゃった? この星は、滅多に旅客とか来ないの?」
リギドは。声を出そうとしても出せない。考えようとしても……
息がハァハァと、簡易マスクの下で。なんだこの子は。どこからどうやって現れたんだ? そもそも、何で簡易マスクもなしで平然としてられるんだ?
旅客?
この子は宇宙船に乗ってこの星に来た。間違いない。事情も知らずに。どこかに着陸して。
そうなのか? それならーー
リギドは、必死の思いで声を振り絞る。
「エリク、あの、君は、どうやってここに?」
「え?」
エリクはキョトンとなる。
「ええと、宇宙船で、さっきここに着いたばかりなの。水や食料補給しようと思って。人間の生命反応があったから」
「宇宙船……宇宙船……」
リギドは譫言のように繰り返す。では、もしかして、
救い。
遂に。
希望が。
「宇宙船が……あるんだね? 君は……奴らに見つからず、ここにきたんだ。……なんていう、なんていう……奇跡」
「え?」
目を血走らせるリギドに、エリクはややたじろぐ。
「奴ら? 見つかる? この星には何か事情があるんだ。私はただ、水と食料が手に入ればいい、そう思って寄ったんだけど」
「事情……とても事情なんてもんじゃ……」
ぶるぶると震えるリギド。ガバッとエリクにすがりつく。
「きゃっ!」
とっさのことでエリクはビクっとなるが、リギドが無害なのは見てとれた。
リギド、震える手で、エリクの肩をつかんでいる。
「頼む、助けてくれ!」
「助ける?」
「そうだ。ここにいちゃ危ない。いいかい。君は何も知らずに来たんだね。ここは、怖しいところだ。地獄だ。グーリク星人が人間を囚えて緑星石の採掘をさせてるんだ。僕らは奴等の労働力なんだ。一生コキ使われて、捨てられる。君の宇宙船がここに着陸したことが、奴らにまだ知られてないなら、それはとんでもない幸運だ。すぐに逃げなきゃいけない。さぁ、君を助ける情報を教えた。だから、僕のことも助けてくれ。君の宇宙船で一緒に連れて行ってくれ。ここから脱出しないといけないんだ」
リギドの話を聞くエリク。その表情は何も変わらない。そして、思案顔になる。
「グーリク星人? そっか、グーリク星人て、緑星石が好きで人間が嫌い。人間に無闇と敵意を向けてくるんだよね。なるほど。話はわかったよ。でも、ちょっとよくわからないな。グーリク星人って宇宙航行中の人間を襲って攫う科学文明力があるんだよね。それでなんで、鉱物の採掘搬送に人間労働力を使ってるのかな。機械とかロボットとか使ったほうが早いと思うんだけど」
「奴らは、人間労働力を使って掘った緑星石の方が価値がある、そう考えてるんだ」
エリクは目を丸くする。
「そうなんだ……グーリク星人の人間憎悪ってそこまで凄いんだ。でも憎悪嫌悪の感情をプラスに価値付けるなんて、よくないよね」
「ああ。わかっただろう? 奴らは危険なんだ。こうして話をしてる間にも……さあ、早く、一緒に逃げよう」
「う、うーんと……あの、ごめん、あなたを一緒に連れて行くことはできない」
「どうして!」
リギドのエリクの肩を掴む手に力が入れる。絶対に離したくない。伝わってくる。エリクは慎重に言った。
「私の宇宙船は1人乗りなんだ。2人で乗るのは無理なんだ」
無理。
そう言われたリギドの手、震える。エリクの肩がガタガタする。
「1人…… 1人だけ……つまり……ここから、この地獄から脱出できるのは……ただ1人だけ……そういうこと……」
リギドは譫言のように。ギラギラした視線をエリクに向ける。エリクは慌てて、
「あの、あなたのことを、あなたの仲間のことを見捨てるってわけじゃないよ。宇宙に出たら、すぐに宇宙警察に連絡するから。助けが来る。みんな助かる。だから安心して待っていて」
じっと、リギドはエリクを見つめる。
「助かる。安心して待っていて」
リギドが重く、低い声で反芻した。
やがて。
リギドは、エリクの肩から手を離した。
「わかった。君を……信じるよ。必ず僕たちを助けてくれるんだね?」
「うん。もちろん。約束。安心してね」
「あ」
リギドは、ぎこちない笑顔を浮かべた。かなり無理をしている。
「君は……エリク、水と食料が必要なんだよね」
「うん」
「じゃぁ、ここで待ってて、持ってくるから」
「いいの?」
「ああ。助けてもらうんだ。そのぐらいなんでもないよ。絶対ここで待っててね」
リギドは宿舎へ戻ろうと背を向ける。
「あなたの名前は?」
と、エリク。
「リギド」
金髪の青年は、横目でエリクに微笑むと、足早に宿舎へ向かう。
◇
リギドが戻ってきた。
ずいぶん早いな、宿舎はすぐ近くなんだ。エリクは思った。
リギドは重そうな背嚢の背負っている。走ってきたのだ。ハァハァと息をしている。手には、1メートルくらいのスコップを持っていた。
「持ってきたよ。水と食料。あ、これどうぞ」
リギドは、腰に下げた水筒を、エリクに差し出す。
「ありがとう」
受け取ったエリクは、水筒の蓋を外して、ゴクリと飲む。水筒を受け取ったとき、エリクはこっそりと肩から提げた鞄を指でコンコン叩き、何事か反応を確かめると一つ頷いたが、リギドは気づかなかった。
「あのーー」
リギドがやや、かすれた声で、
「水と食料、君の宇宙船まで運んであげるよ」
「え? 私、これでも力あるから、大丈夫だよ」
「あはは。助けてもらうんじゃないか。このくらいするの当たり前だよ。運ばせてくれ。ただで助けてもらうわけにはいかない」
「そう……じゃぁお願いするね……ところで、それは何なの?」
エリクはリギドの持つスコップに目をやる。
「これは……僕の相棒さ。この星じゃ、宇宙船が飛び立つ時、ちょっと大地に細工をするんだ。おまじないさ」
「ふうん。そういうの、初めて」
「あはは……星ごとにいろいろやり方があるのさ」
リギドはぎこちなく笑った。頬が引き攣っている。
「そうだね。いろいろあるよね」
2人は並んで歩き出した。
風が吹く。エリクのスカートが捲れ水色のガーターリングがチラチラする。
リギドは落ち着かなかった。冷静でいられるわけがない。
エリクの宇宙船が着陸したことを、グーリク星人たちが嗅ぎ付けていたら……
「着いたよ」
エリクの声に、リギドはあたりを見回すが、砂と石だらけ。どこにも宇宙船はない。
エリクが大地をそっと撫でる。
すると小型宇宙船が現れた。保護迷彩装置で風景に同化して、隠していたのだ。よほど近づくまでは、わからない。
「これ、〝ストゥールーン〟ていうの。私の愛機。小さいけどいい船よ」
突如現れた船。リギドは、じっとストゥールーンを見つめる。
「1人乗り用なんだよね」
「うん」
「これでここから脱出できるのは、1人だけなんだよね?」
「そう。今はね。すぐに宇宙警察に連絡するから。みんな脱出できるよ」
「わかってるよ。さぁ、これを持っていって」
リギドは、ドサッと背嚢を下ろした。
「ありがとう」
エリクはしゃがんで背嚢を持ち上げようと、手を伸ばす。
気づいた。
顔を上げる。目の前。
リギドがスコップを振り上げている。
エリクの黒い瞳。リギドの血走った目に向けられる。
物悲しい目をしていた。
エリクは無言。
幾房にも編んだ豊かな亜麻色の髪をサラサラとさせて。
それにしても、スコップとは。
今まさに、自分の脳天に振り降ろされんとするスコップを見ながら、エリクは思う。
彼らは作業労働力だから、ナイフや銃などの武器は厳しく禁止されているんだろう。それはわかる。スコップは錆びてはいるが重量がある。あれを思いっきり脳天に振り下ろせば、致命傷を与えることができる。エリクは、ナイフでも銃でもスコップでもない、作業員たちに身近で手頃で有望な凶器について考えてみたが、何も思い浮かばなかった。
「この船で脱出するのは、僕だ……これは1人乗り用だ。君の席は無い。1人しか乗れない。それならば、それならば、乗るのは君じゃなくて、僕だ。僕じゃなきゃいけないんだ。」
押し殺したリギドの声。嗚咽というべきか。震えている。
「すまない。許してくれ。でも、でも、こうしなくちゃいけないんだ。出口。やっと見つかった脱出路。これは奇跡だ。この奇跡を逃すわけにはいかないんだ。君は必ず僕たちを助けてくれると言った。でも、どうしてそんなのが信じられるんだ。会ったばかりじゃないか。見ず知らずの他人じゃないか。君がこの星を飛び立った後どうするか。それは僕にはわからない。助けてくれるかもしれない。そのまま僕たちのことを忘れるかもしれない。はっきりしてる事は、僕はここを脱出できる。その方法がある。この船がある。だから脱出するんだ。この船に乗るのは僕だ。たとえ何があっても。どんなことをしても」
リギド、目に涙を浮かべている。
「わかるだろう? エリク、君だって、君だって、僕と同じ立場だったらどうする。きっとこうするだろう? 僕と同じことをするだろう? だから恨まないでくれ。君のことは忘れないよ。君は確かに僕を助けてくれたんだ。でも、恩人であっても、殺さなければいけない。そうしないと、僕が生きることができないんだ。僕は生きたい。ただ、生きたいだけなんだ」
スコップを振り上げるリギドの手、ぶるぶると震えていた。
エリクは立ち上がる。
黒い瞳で、しっかりとリギドを見つめる。少女の声は、落ち着いていた。エリクはゆっくりと、
「もし、同じ立場だったらなら……そうだね、リギド。私も同じことをしたと思う。でも、私は君と違う。君は私と違う。私なら迷わず殺せた。だけど、君には無理だ。できないよ。だって君は、私よりも、強いんだもの。君にはできない」
エリクは特に防御するでもなく、スコップを振り上げるリギドの前に立っている。風が吹くと、編んだ亜麻色の髪の房が、マントが、スカートがひらめき、水色のガーターリングがチラチラと見えた。赤い蝶リボンがサラサラと揺れる。
リギドは。
汗をダラダラと流していた。瞳からは、大粒の涙が。ハァハァと、荒い息。
大きく見開いたその目は、エリクをーー
ドサ、
リギドが乾いた地面に膝をつき、スコップを放りだした。カラン、スコップは地を転がる。
リギドはオイオイと泣き出した。絞り出すような嗚咽。
「ちくしょう、ちくしょう、なんで、なんで、ダメなんだ、ダメなんだ、僕は、僕は、もう、どうしたら……」
エリクは黙って見下ろしていた。
◇
強い風が吹いた。濛々と砂塵が巻き上がる。
エリクの耳に。爆音が聞こえた。自走車だ。大地を走る音。1台や2台ではない。爆音で大地を切り裂きながら近づいてくる。
やがて砂塵が消えると、エリクとリギドは、ジープとバギーの一隊に囲まれていた。
乗っているのはグーリク星人。透明の円形ヘルメットに、全身防護服。
「ひっ」
リギドの声。目をいっぱいに見開いて。絶望と諦めに押しつぶされた表情。まともに悲鳴をあげることもできない。
ジープが2台、7人。バギーが5台。8人。
エリクは数えた。ジープに10人乗った方が、バランスがいいはずなんだけど。グーリク星人の感覚はわからない。
「よう、お客さん」
ジープの後ろにふんぞりかえっていたグーリク星人が、ゆっくり立ち上がる。口が開くと、大きな赤い舌に、ギザギザの牙が見える。グーリク星人はトカゲ型種族。二足歩行のトカゲと考えれば良い。背丈は人間より、ちょっと大きいくらい。
「人間の嬢ちゃん、ガルドへようこそ」
馬鹿丁寧な物言い。グーリク星人たちは、へ、へ、と笑う。トカゲの冷たく青い瞳が、エリクを捉えている。立ち上がって話してるグーリク星人がリーダーなんだな。エリクは様子を見る。
「観光客か?」
「水と食料の補給に寄っただけだ」
エリクは答える。
へ、へ、とグーリク星人たちは笑う。
リーダーは、ニヤリとして、
「そりゃあいい、おめえは幸運だぜ。俺たちは水も食料もたっぷり持っている。喜んで提供するぜ。だが、タダってわけにはいかねえ。きっちり働いてもらうからな」
「よかったな、俺たちのところで、働けて」
バギーに乗ったグーリク星人がこんな愉快な事は無い、と言わんばかりの声で叫んだ。
「俺たちは人間の作業員様には特別最上級の待遇をしてやってるんだぜ。宿舎もヘルメットも防護服も、何でも用意してやる。喜んで働きやがれよ」
へ、へ、
へ、へ、
グーリク星人たちの笑い声、もう止まらない。ギザギザの牙を剥き出しにして、赤い人をチロチロさせている。
「ここの採掘場は、閉鎖だ」
エリクは、しっかりとグーリク星人のリーダーを見据えて言った。
「宇宙警察が来る。お前たちは自首するんだ。誰かを裁くのは、私の仕事じゃない」
しばしの沈黙があった。リギドは地べたに両手をつき、ずっと震えている。目からは大粒の涙を流していた。
グーリク星人たちが、一斉に光線銃を抜いた。
リーダーはひときわゴテゴテと装飾の多い光線銃を手にしている。銃口をエリクに向ける。
「人間の嬢ちゃんよ、こっちが丁寧にものを言ってやりゃ、ずいぶんな態度するじゃねえか。今から頭下げて謝ったってだめだぜ。来るんだ。てめえはすぐには殺さねえよ。小屋の前でな、人間どもみんな集めて見てる前で、蜂の巣にしてやるさ。見せしめだ。ちょっとでも逆らったらこうなる、きっちり教えてやらにゃならねえ」
グーリク星人たち、ヒ、ヒ、と残忍な笑みを浮かべる。
「逃げるんだ…… 」
声がした。エリクは振り向く。リギドだ。うずくまってエリクを見上げて涙を流している金髪の青年。かすれて震えて、ほとんど声にならない声。でもそれは、エリクにはっきりと聞こえた。
エリクはリギドに一つ微笑む。
そしてまた、グーリク星人のほうに向き直る。
エリクは、肩から下げた鞄を指でトントンと叩いた。
「あいつらの武器、どう見る?」
「そこそこだね」
鞄の中から声がした。そして、鞄は内側から開く。顔を出したのは、箱型ロボ。黒い箱に短い手足がついている。エリクの相棒、万能検査機である。
箱型ロボが、敵の解析を行う。
「連中の装備、軍隊と言うより警備員だね。連中の組織も。警備員にしては、そこそこだと思うよ」
「警備員? 宇宙海賊とかじゃないのか?」
「僕が言っているのは、装備の質や組織についてさ」
ロボの声は、ややむくれる。エリクは宇宙海賊と警備員の武器と組織の質の違いついて考えるが、よくわからない。
「どのみち大した相手じゃないよ」
ロボが続ける。
「エリク、君にとっちゃ連中の光線銃はそこにうずくまっている青年のスコップと、たいして違わないさ」
「そうだね。最初からわかっていたよ」
「じゃあ聞くなよ」
ロボは、またむくれる。
「何をごちゃごちゃいってやがる! さぁ、来い。ジープに乗るんだ」
グーリク星人のリーダーが怒鳴る。
「行かないよ」
エリクは表情を変えない。
グーリク星人たちは、光線銃の引き金に長い鉤爪のある指をかける。
「超駆動!」
エリクが叫んだ。少女の体が黄金に輝く光に包まれた。
グーリク星人たちの光線銃が火を噴く。エリクは避けない。光線銃の放つ光線がエリクに集中するが、全て少女の纏う光に弾かれた。
エリクは右手を一旋させる。
「光の気、剣となれ!」
エリクの右手に光の剣が現れた。
ビュオッ、
エリクは光の剣を振るう。幾条もの光の線が空を走り、グーリク星人を斬り裂いていく。
15人のグーリク星人。頭を、胴を、腕を、足を、ヘルメットや防護服ごと寸断され、バラバラになる。光線銃の2発目を撃てた者はいなかった。一帯に血煙が充満する。
一瞬の出来事だった。エリクを纏う光が消える。
2台のジープと5台のバギー。その上の、そして地に落ちたグーリク星人の15体の死骸。散乱している。バラバラになって。
静寂。
「あーあ」
鞄に入った箱型ロボが首を振る。エリクはずっと肩から鞄を提げたままだった。右手1本で決着をつけたのだ。
「君は後先のこと考えてないね。どうするの? 後片付けするの、面倒だよ」
「後片付け?」
「あのジープ、これから使うじゃない」
「なんで?」
言ってから気づいた。リギド。青年は、地面にうずくまりワナワナと震え、放心したように目を大きく見開いてエリクを見つめている。
立ち上がれる状況じゃない。宿舎まで歩いて行くのは無理だ。ジープで送るしかない。でもジープの中は、グーリク星人のバラバラに飛び散った死骸と血糊血溜まり。とても同乗できる状況じゃない。
後片付け。ジープの掃除。リギドに頼む?……もちろんできる状況じゃない。
「ええっ!」
エリクは叫んだ。
「私がやらなきゃいけないの!? 私が1人で!?」
戦闘は一瞬だったけど。ジープの中の死骸を拾って放り出して、タオルを見つけて拭けるところはなるべく拭いて綺麗にーー掃除。後片付け。すっごく面倒そう。生臭い匂いが充満してるし。
「やだああっ! そんなの! 絶対やだああっ!」
箱型ロボは、何も言わずに、鞄に潜って内側から閉じる。声は聞こえない。でも、笑っているに違いない。
エリクは鞄を睨みつける。こいつはこういう時には、まったく役に立たないんだ。
「掃除だ後片付けだなんて、絶対やらないから!」
エリクはガルド星の夜空に向かって叫ぶ。星々の無機質な光は何も答えない。
結局。
ストゥールーンのハッチを開け、エリクが操縦席に座り、リギドを膝の上に抱え、宿舎まで飛んでいくことになった。ストゥールーンの搭乗部はとにかく狭い。完全な1人用だが、ハッチーー透明なドーム状の操縦席に被さる蓋ーーを上げれば、2人乗りも可能だった。
宇宙航行はできないが、地上を低空低速で飛ぶのは、問題ない。
グーリク星人の死骸血糊血溜まりの掃除をするのも、死骸血糊血溜まりと一緒にジープに乗るのも、論外だった。
リギドは完全に力が抜けきっていた。何も言えない。時々思い出したように瞬きするだけ。視線はいつもエリクへ向けられていた。
エリクは、リギドをストゥールーンに担ぎ上げ、自分の膝に乗せ、愛機を発進させると、しっかりと抱きしめた。落っこちると困るからだ。
ストゥールーンは地表のすぐ上をゆっくりと飛んでいく。エリクの頬はやや赤く染まっていた。男性ーー若い青年とこんなに密着するのは初めてだった。
「もっとしっかり抱きしめなよ。彼氏、落っこちちゃうよ」
エリクの膝のすぐ横に置いた鞄から、からかうような声が。
「ぎゅうっと抱きしめなきゃ。姫が王子を抱っこして凱旋って、今時らしくてなかなかいいじゃない。絵になってるよ」
「黙れ」
エリクは言った。
あ、そうだ。気づいた。青年のスコップを忘れてきた。でも、いい。もうあれを使う事はないんだ。
宿舎に着いたストゥールーンを、飛び出してきた人間作業員たちが出迎えた。エリクは確認した。ここを支配していたグーリク星人は、あれで全部だった。
皆さん、もう大丈夫です。安心してください。私がすぐに救援を呼びますから。待っていて下さい。
エリクはストゥールーンで飛びたった。ハッチをしっかりと閉めて、本物の全速力。重力圏をあっという間に飛び出す。
やっと立てるようになったリギドは、いつまでも、いつまでも、ストゥールーンの消えた空を見上げていた。結局、エリクとはあれから会話を交わしていなかった。
ガルド星の重力圏を後にしたエリクは、宇宙警察にあれこれ通信すると、鞄の中から箱型ロボを取り出した。
万能検査機。電光板に赤と黒の光がチカチカ点滅している。
「おい、こんな物騒な星だって、なんでわからなかったんだ?」
エリクは万能検査機を睨む。万能検査機の赤と黒の光の点滅が激しくなる。
「人間以外の生命反応もあるって、ちゃんと伝えたじゃないか」
やや興奮気味。万能検査機には高度な人工知能が搭載されていて、喋ることができるのである。
万能検査機はその名の通り大抵の事は探査することができた。ガルド星に着陸する前、エリクはこの機械を使って、一通りの事は調べたつもりだった。それなのにーー
「人間以外の生命もいる。そんなざっくりとした情報じゃ、役に立たないよ」
「それ以上の事はわからないよ! 遠距離から探査できることなんて限られてるって、いつも言ってるだろ」
万能検査機はさらに興奮する。妙に感情を示す機械なのだ。
「だいたいグーリク星人の連中、大した事なかっただろ? 何の問題もなかったじゃないか。エリク、君からすればただのゴミだ」
「強弱の問題じゃないんだ。人間が絡むと、いろいろややこしくなるんだ」
「もう、人間の事情なんて知らないよ!」
万能検査機は、ぷーと膨れた。
◇
エリクがガルド星を去って2日後。
宇宙警察がやってきた。
ついに来た救援に、グーリク星人に囚われていた人間作業員たちはみな、涙を流して喜んだ。
宇宙警察の捜査員は、あれこれ、訊き糺した。彼らの関心事はグーリク星人宇宙海賊の蛮行ではなくーー
エリクを見たんですね? 奴がここに現れたんですね? あなた方は本当に運がいい。奴に遭遇して無事でいるんだから。エリクを知っていますか? どんな奴か知っていますか? エリクは恐ろしい人間です。宇宙で唯1人の超人です。我々が全力で追っている指名手配犯です。宇宙最凶の犯罪者、大量殺戮鬼です。宇宙史上最高額の賞金首です。なんとしても捕まえなければいけません。そのためにわれわれは日夜頑張っているんです。安心してください。我々はきっとエリクを捕らえてみせます。だから協力してください。情報を教えてください。どんな小さな事でも構いません。必ず役に立ちます。
救出された作業員たちは、口々に証言した。
エリク、そうですね、年配の……60歳くらいの赤ら顔の男でした。ヒゲがもじゃもじゃでした。だいぶ歳がいってましたよ。皺が深かったですから。ええ、メイクとかじゃありません。間違いなくあれは年配の男です。ごまかしようがない。わしには角が1本生えていたように見えたな。あ、そうだ、あったね、角……
捜査員たちは、目を光らせ、証言を必死にメモしていた。やったぞ。ついにエリクの尻尾をつかんだ。いよいよだ。宇宙警察の威信に懸けて、必ず追い詰めてやる……
◇
「ふざけるな、バカヤロウ!」
故郷へと向かう宇宙船の中で。
リギドは船窓から見える星々に、叫んだ。
宇宙警察のことだ。なんだ、あいつらは。僕たちが散々苦しんでいるときには、何もしないで。現れたかと思うと、エリクを追い詰めるから、情報をくれと。
作業員たちは、宇宙警察が来たらいろいろ聞かれるだろうから、でたらめに答えておいてくれと、エリクに頼まれていた。みんなエリクに従ったのである。何しろーー
「エリクこそが、救世主だ!エリクが僕たちを救ってくれたんだ!」
エリクが宇宙最凶の犯罪者? 大量殺戮鬼? そんなことあるもんか。嘘だ! 無能な宇宙警察の言うことなんて信じられるものか。何かの間違いだ。でたらめだ。そうに違いない。
救世主。間違いなくエリクは輝く光を放つ奇跡の救世主だった。
あの時。
エリクに向けてスコップを振り上げた時。
リギドを見上げるエリクのまなざし。
それは、見くびりでも、蔑みでも、哀れみでもなかった。
エリクはリギドを受け止めようとしていた。必死に、リギドの全てを受け止めようとしていた。そういうまなざしだった。だから、どうしてもスコップを振り下ろすことができなかった。
リギドは、エリクの面影を思い浮かべる。
まっすぐな黒い瞳。亜麻色の豊かな髪の房をたなびかせ、青い金百合柄のマントを翻し、ライトブルーのスカートの下からは、水色のガードルリングがチラチラとーー
救世主。
それよりも。
天使。
そう呼びたかった。
◇
星から星へ。
エリクの旅は続く。