1-8:月の化身
その晩、ユウリは夢をみていた。
静かで無機質な病室、ぽつんと置かれた清潔な白いベッド。そこにはやせ細った小さな女の子が横になっている。女の子は左腕に刺さった点滴の管を恨めしそうに睨み、小さくため息をついて目を閉じた。
「起きて、ユウリ。かわいいユウリ…」
生暖かい感触にべろりと顔を撫であげられて、ユウリは飛び起きた。昨日出会った銀色の獣が、太い前足をベッドに乗せてユウリを見つめている。窓から差し込む朝日を浴びた銀色のたてがみは美しく輝いていたが、そんなことより顔が近い。
「また会えたね、うれしいよ。それにちゃんと町まで来られたんだね。えらいよ、ユウリはとても立派だ」
窓も扉も閉まっているが、異様に褒めてくるこの動物は一体どこから入ってきたのか。ユウリが固まっていると、誰かが扉をノックした。
「おはようございまーすっ!ユウリちゃん起きていますかー?開けますよーっ」
朝から元気なこの声は、昨日ユウリに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたメイドのエリナだろう。エリナは返事を待つことなくガチャリと扉を開けると、今にもユウリにかぶり付きそうな体勢でいる銀色の獣を目の当たりにした。
「きっ!騎士様ーーっ!魔物!魔物がいますうーっ!!!」
ただ叫ぶのではなく助けを呼ぶあたり、彼女はきっと優秀なのだろう。だがこれでは誤解を与えてしまうではないか、この動物は魔物では…いや魔物なのかもしれないが、とりあえず害はないというのに。ユウリは弁明を試みているが狼狽するエリナにその声は届いていない。
叫び声を聞いて最初に駆けつけたのはクロハだった。立ち竦むエリナを雑に押し退けて部屋に入ると、銀の獣を見据えて一瞬も躊躇うことなく真っ直ぐに剣を突き立てる。
「だめっ…!」
ユウリの静止は間に合わず、クロハの見事な剣筋は獣の喉を貫通した。が、穴の開いた喉元からはぷかぷかとシャボン玉のようなものがいくつか出ただけで、獣は一切動じていないようだった。それどころか悠長にも剣が突き刺さったままクロハに話しかけている。
「わぁ。とっても速い動きだね。ユウリを守ろうとしてくれたのかな?うれしいよ」
「…何者だ?」
「ボクは観測者。月の化身ギンネだよ」
「目的は何だ?なぜここにいる?」
「かわいいユウリに会いにきたんだ」
「……」
それだけ聞くとクロハは意外にもすんなり剣をおさめた。飄々としたギンネの言い分に納得したとも思えないが、戦う必要がない、あるいは戦っても無駄だと判断したのかもしれない。
騒ぎを聞きつけた人たちが続々と集まってきたが、誰もうまく状況を処理できないのか、部屋の前でザワザワと話しているばかりだった。よく分からないがギンネは特殊な存在のようだ。
「にぎやかで楽しいところだね」
今楽しいと思っているのはギンネくらいのものだろう。