勇者の幻影
青年は、丘の上から王都の賑わいを眺めていた。
何の感情も映さない顔で。
今、王都には魔王を倒したという勇者一行が凱旋してきたのだと言う。
・・・真っ赤な偽者だ。
なぜなら、魔王を倒したのはこの青年なのだから。
聖女と、そして聖剣と共に。
でも、そんなことはどうでもいい。
ただ。
魔王を倒したという、その事実は。
青年にとって。
それから、聖女にとって。
とても。
とても残酷な現実だった。
~~~
青年と聖女は、ついに魔王の城の最奥部にやってきた。
聖剣に選ばれた者として、そして聖女として。
青年と聖女は、この3年、魔王を倒すために苦楽を共にして来た。
最初の頃はいがみ合うことも多かったし、そうかと思うと、思わぬことで意気投合したりもした。
そうして、通る道すがら、人々を助けながら長い道のりを歩き。
二人はいつしか、お互いのことをなによりも大切な人と認識するようになった。
二人が結ばれたのは、いよいよ魔王の城に乗り込むという、その前日のこと。
青年にとって、それはそれまでの人生で最も幸福な時間だった。
そして、聖女にとっても、きっと、そうであったことは、その幸せに満ちた顔で分かった。
そして、夜が明けて。
二人は魔王の城の前に立ったのだった。
今、二人は無事に魔王の城の深奥、魔王の待つ魔王の謁見室の扉の前にやって来た。
この扉の向こうに、魔王がいる。
魔王は侵入者のことなど分かっているだろうに、動きがない。
二人を待ち構えているのだろうか。
二人はお互いに頷き合い、青年がその扉に手をかけようとしたところで、聖女は手を伸ばして、青年の手を止めた。
「ちょっと待って。
魔王に挑む前に、聖剣を貸してもらえる?
最後の祝福。
貴方の無事を祈らせて。」
「分かった。」
青年は聖剣を鞘ごと聖女に差し出した。
聖女が手を伸ばしてそれを受け取る。
しかし、青年はその手を離さなかった。
「ただし、無事を祈るのは、俺だけじゃなくて君もだ。
約束してくれないと渡せない。」
その言葉に、聖女はふわりと笑った。
それが答えだと受け取った青年は一つ頷いて、手を離した。
「真剣に祈らないといけないから、少しだけ一人にさせて。
さっきの部屋で祈るわ。」
聖女はそう言うと、先ほど様子を見て中に何もないことを確認した部屋を見た。
その視線を追って、青年もその部屋を見る。
「そうね、ちょうど10分。
10分ぴったり経ったら部屋に来て。」
「分かった。
気を付けろよ。
何かあったら、すぐに呼んでくれ。」
「ええ。」
聖剣を受け取った聖女は、その部屋に入って行った。
そうして、青年は魔王を警戒しながら、ちょうど10分。
魔王に動きはない。
青年はそっと扉の前を離れると、聖女が入って行った部屋に向かった。
そして、その扉を開けた瞬間。
そこには信じられない光景があった。
聖剣が。
聖女を。
刺し貫いている。
いや、正確には、聖女が自らの心臓に聖剣を突き立てていた。
その状態で、聖女は膝をついて前屈みのまま、下を向いていた。
扉が開いたのに気が付いて、青年の方を見る。
聖女は青年を見て、優しく笑った。
青年は慌てて聖女に駆け寄った。
聖女の身体から聖剣を抜いて放り出すと、聖女を抱きかかえる。
すると、聖女は手を伸ばして青年の頬を撫でた。
「ごめんなさい。
貴方には悲しい想いをさせてしまうわね。」
「喋るな。
それより、早く回復を。」
しかし、聖女は首を振った。
「いいえ。
私はもう死んでいるわ。
血が流れていないでしょ?
聖女の血が、聖剣を覚醒めさせる鍵なの。
だから、私の体内には、もう一滴も血が残っていない。
聖剣が気を使って、貴方にお別れする時間をくれたのよ。」
「そんなのどうでもいい!
早く!
早く回復を」
「いいえ。
もう、無理なの。」
青年はがくりと頭を垂れた。
必死に否定してみても、もう聖女が助からないことは、青年にも理解出来た。
「なんで・・・。
なんでだよ・・・。
なんでお前が犠牲にならないといけないんだよ・・・。」
「そうしなければ聖剣が覚醒めないから。」
「聖剣は今までもちゃんと機能してたじゃないか。
覚醒てないってどういうことだよ。
そんなことしなくても、お前と一緒なら、魔王は倒せる!」
「いいえ、聖剣が覚醒めなければ魔王は倒せない。
それが、魔王の持つ力だから。」
「だからって、お前を。」
顔を上げて聖女を見た青年の口に、聖女は指先を当てた。
「それ以上は言わないで。
だって、これしか方法がなかったから。
聖剣に選ばれた者は魔王と戦う宿命を背負わされる。
そして、聖剣が覚醒めなければ、魔王を倒すことは出来ない。
だから、貴方が助かるためには。
これしか方法がなかったの。」
青年は悟った。
聖女は魔王を倒すためではなく。
青年を助けるために、その命を投げ出したのだと。
青年は聖女を強く抱きしめながら、力なく項垂れる。
青年の目から、いつの間にかはらはらと流れていた涙が、滂沱の涙になった。
「どうして。
どうして!」
言葉にならない慟哭が青年の口から洩れる。
「今までありがとう。
貴方と過ごした3年間は、なによりも幸せな時間だった。
この生涯で、一番の宝物よ。」
聖女の身体から力が抜ける。
それを感じて、青年は聖女の顔が見えるように抱き直した。
すると、聖女は最後の力を振り絞って、青年に口付けした。
「貴方は優しい人。
私を忘れて、なんて残酷なことは言わない。
でも、貴方は、これから、多くの人と、出会って、手を、取り合って、幸せに、暮らしてね。」
そう言うと、聖女の身体がふっと軽くなった。
聖女の身体が光に包まれる。
そして、聖女は光に包まれながら。
徐々に、その身体が、その存在が、薄れていった。
「おい・・・。
待てよ。
待ってくれよ。
お前がいない世界になんか、意味ないんだよ。
お前がいてくれないと、俺は幸せになんかなれないんだよ。
だから。
だから、待ってくれよ。」
青年は腕の中で消えていく存在を、この世に繋ぎとめるように力を込めて抱く。
しかし。
それも空しく。
青年は聖女を抱きしめた姿勢のまま、いつしか自らを抱きしめていた。
青年はしばらくそのまま身動き出来ずにいた。
どれくらい時間が経っただろう。
しん、と静かなその空間で。
青年は、ただ、聖女の名を叫んだ。
~~~
青年はその丘を後にした。
その手には聖剣があった。
聖女の命を奪った憎むべき物であると同時に、青年を護るために聖女が命を投げ出した物だったから。
その聖女の祝福の言葉と共に。
この世界に暮らす人々と共に生きるために。
青年は再び、長い旅に出るのだった。