婚約破棄された令嬢ですが、テーブルコーデでざまぁしてみました
煌びやかな燭台の灯が、宮殿の大広間を幻想的に彩っていた。今宵は王太子ルミエル主催の晩餐会。王族や貴族たちが一堂に会し、華やかな夜会が始まろうとしていた。
その中央、完璧な姿勢で立つのは侯爵令嬢リディア・フィルグレイン。深紅のドレスを纏い、琥珀色の瞳には気品が宿っている。彼女はこの夜、王太子の婚約者として正式に紹介される予定だった。
――だった。
「リディア・フィルグレイン!貴様の悪行、余はすべて把握している!」
晩餐が始まる直前、突如として響き渡った王太子ルミエルの声が、会場を凍りつかせた。
「……は?」
「貴様が行った平民の娘、メリッサ・ローゼへの数々の嫌がらせ――それらはすべて証拠として押さえてある!」
空気が一変する。
ざわつく貴族たち。目を見開き、唇を震わせるリディア。彼女の脳裏には、メリッサという名の少女の顔が浮かぶ。
確かに、何度か顔を合わせたことはある。けれど、彼女に対して何かした覚えなど、まったくない。
「私は何もしていません。いったい、どんな証拠があるのですか?」
冷静さを保ちながらも、その声にはかすかな震えが滲んでいた。
「これを見よ!」
そう言って王太子が差し出したのは、晩餐会で使用されるはずだったテーブルの設計図と、そのセッティング写真だった。
――否、テーブルコーデだ。
皿の配置、花の色、カトラリーの位置……どれも明らかに不自然で、故意に料理の映える演出を台無しにしている。配色もめちゃくちゃで、貴族に供される晩餐としてはありえないほど下品なコーディネートだった。
「この悪趣味なテーブルコーデは、すべてリディアの指示によるものと、証言が出ている!」
「……そんなもの、私は知らない。私が指示したものではありません!」
「証人がいるのだ。メリッサ嬢と、設営に関わった数名の証言が一致している以上、言い逃れはできぬ!」
「それは……捏造です!」
リディアの声は会場に虚しく響いた。
誰もが王太子に阿り、彼女に視線すら向けない。父母であるフィルグレイン侯爵夫妻は、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「よって、この場をもって貴様との婚約を破棄する!リディア・フィルグレインは、王家に不相応な者と判断する!」
国王は何も言わなかった。むしろ、既にすべてが筋書き通りに進んでいるような雰囲気さえあった。
リディアは、その瞬間理解した。
これは――罠だ。
誰かが、自分を貶めるために仕組んだ策略。証拠となるテーブルコーデの設計も、証言も、すべては綿密に仕組まれたもので。
――王太子と、メリッサ。
彼女はふたりの視線が交わるのを見逃さなかった。互いに微笑み合いながら、こちらを侮蔑するような瞳で見下してくる。
「……なるほど。そういうことでしたか」
リディアは一礼すると、ゆっくりと踵を返した。
「待ちなさい!今この場で謝罪と釈明を行わぬ限り、貴様はフィルグレイン家の名を背負うに値しない!」
「もう、背負っておりません。私の名は、リディア。それだけです」
静かにそう言い残し、彼女は大広間を去った。
背後からは誰も追ってこない。
その姿はまるで、絢爛なる世界から追放される一匹の蝶のようだった。
だがリディアの心は、不思議と穏やかだった。
すべてを失ったのなら、あとは自分の手で取り戻すだけだ。
この誇りと、知識と、美しさで。
そして何より――本当のテーブルコーデの力で。
それから数日後、王都の片隅――中央広場からほど遠い、雑踏の下町地区。
雨上がりの泥道を、汚れた外套を纏った一人の少女がふらふらと歩いていた。
栗毛の髪を濡らしたその少女――リディア・フィルグレインは、もう侯爵令嬢ではない。今や戸籍上も平民となり、姓すら名乗れない立場にある。
晴れていれば立ち止まる者もいたかもしれないが、泥で染まった彼女の姿は、ただの落ちぶれた少女としか映らない。
「……どこにも、行き場所がない……」
友人だった貴族たちは誰一人手を差し伸べてはくれなかった。
屋敷を追い出されたその夜、彼女は貴族街を離れ、二度と戻るまいと誓った。
懐に入っていたわずかな金貨も尽き、宿にも泊まれない。追い剥ぎに遭いかけ、命からがら逃げ延びた翌日、彼女は小さな広場の前で足を止めた。
そこには、古ぼけた看板が立てられていた。
《美食ギルド・王都支部》
「……こんなところに、ギルドなんて……」
半ば無意識に扉を押すと、錆びたベルがカランと鳴った。
「おや。珍しい顔が来たね」
中にいたのは、白髪交じりの隠居風の男だった。身なりは質素だが、瞳には長年厨房に立ってきた者の厳しさが宿っていた。
「その顔は、三日まともに食ってないな。まあ座りな」
「……すみません、でも、何も……」
「話は後でいい」
男は厨房に入り、程なくして熱いスープと硬めのパンを彼女の前に置いた。
無言で食べ進めるリディア。涙が止まらなかった。
「腹が満ちたら、名を教えな」
彼女は唇を噛みしめた。だが、怯えるように口を開く。
「……リディア、とだけ……名乗らせてください」
「ふむ、名家のお嬢さんだったな?」
「……え?」
「テーブルの座り方、ナプキンの扱い方、そしてスープを飲む角度。すべてが貴族式だ。俺の目は節穴じゃない」
リディアは驚き、スプーンを取り落とした。
「逃げるように来たんだろう?悪さはしてなさそうだ。俺は過去は問わない。ただ――」
男は一枚の紙を取り出した。そこには晩餐会の料理プレゼンに使うセッティング案が描かれている。だが、どこか野暮ったく、皿とクロスの調和も悪い。
「これが俺たちの限界だ。だが、お前なら……どう直す?」
「……ここはナイフを右端じゃなく、中央寄りに。あとは、クロスはもっと赤味を……皿は魔法属性に合わせた青緑の方が料理が映えます」
気付けば、手が勝手に動いていた。
それは、ずっと彼女が興味を持ち、愛し、鍛えてきた感性だった。
ふと、胸の奥で何かが軋む。いや――蘇る。
これは……前にもやっていた。どこか、遠い場所で。食卓に合う装飾を考え、セッティングを整えて、人に「素敵だ」と言われて喜んでいた。
(私……思い出してる……)
前世の記憶だ。今はもうない別の世界。日本と呼ばれる国で、彼女は「テーブルコーディネーター」として活動していたのだ。
その知識と経験が、今、この瞬間、蘇ってきた。
「なるほど。いい目をしてる。なあ、うちで働いてみる気はあるか?」
「……私なんかで、よければ」
それが、再起の始まりだった。
かつて侯爵令嬢だったリディアは、今、名もなき少女として、美食ギルドの晩餐会準備室に立っている。
彼女の真価が試されるのは、もうすぐだった。
ギルド主催の春の晩餐会は、王都でも年に数度の大きな催しである。上流階級の胃袋と目を満足させることで、料理人や食材商たちの評価が一気に跳ね上がる場でもあった。
「こっちの席は風属性の料理が中心だから、涼しげな水色のランナーを。あとはクリスタルの花器を中央に」
「かしこまりました!」
厨房でもない、食堂でもない、晩餐会の特設会場で、リディアはスタッフたちに的確な指示を飛ばしていた。
長テーブルには属性別に異なる料理が並び、その色合いや香りと調和するテーブルコーデをリディアが総監修している。
「こんなに……統一感のある装飾、初めて見ました!」
「料理が、まるで舞台の上の俳優みたいに輝いて見える……!」
給仕たちは感嘆の声を漏らしながら、次々と仕上がっていくテーブルに見惚れた。
「……リディア、お前の力、やっぱり本物だったな」
隠居した元ギルド長であり、彼女を拾った男――バルサムが腕を組んで感心している。
「ありがとうございます。でも、まだ完成じゃありません。照明の角度を少し調整して、魔道ランプの色温度を上げましょう。光が赤味を帯びれば、料理も温かく美味しそうに見えます」
リディアは前世の知識と、貴族時代のマナー教育、そしてこの世界で得た経験を統合して“魔法と季節を織り交ぜたコーディネート”という独自の美学を完成させつつあった。
今回のテーマは〈五属性と季節の饗宴〉。火・水・風・土・光の五属性に合わせた料理に、春の花や色合いを絡める――
それは王都でも類を見ない、革新的な演出だった。
「おい、聞いたか? 今回のテーブル装飾、謎の少女が監修してるらしい」
「名前は公表されていないけど、“美しき影の天才テーブルコーディネーター”って噂だぞ」
「どこかの侯爵家の血筋らしい、って話もあるが……真相は不明」
来場した貴族たちの間でも、すでに話題騒然だった。
その晩、ギルドの晩餐会は大成功を収める。
料理人たちの腕はもちろんのこと、リディアのコーディネートが料理の価値を一段と引き上げ、貴族たちの記憶に深く刻み込まれたのだった。
「君……一体何者だ?」
「良ければ、我が家の晩餐会にも来てくれないか?」
「このセンス……王宮でも見たことがない……!」
公爵家、商会、さらには外交のため来訪していた異国の大使までもが彼女の元を訪れ、依頼を申し出た。
だがその頃、王都の別の場所では――
「……なんなの、これは!」
ルミエル王太子の愛人、メリッサが叫び声を上げていた。
「これ、メインの鹿肉に合わせた赤系の花飾りじゃないの!何でピンクのクロスなのよ!」
彼女が主催を任された「戴冠晩餐会」の準備は混乱を極めていた。
見た目の華やかさだけを重視して選んだ装飾が、魔法属性や料理の内容とまったく合っていない。
「サラダとスープとメイン料理の皿が全部同じ大きさなんですが……」
「箸置きが……スプーンより手前に出てますね……」
会場に来た貴族たちは目をそらし、苦笑いを浮かべる。
リディアの手による完璧なコーディネートの記憶が、彼らの中で比較対象となってしまっていた。
「王太子殿下……これは、少々見栄えが……」
「ええい、黙れ!気にするな!」
だが、王太子ルミエルの不機嫌な表情がすべてを物語っていた。
無知と虚栄に彩られた宴は、かつての侯爵令嬢の才覚の前に、醜く崩れ落ちていったのだった。
リディアの名は、この夜を境に王都中に広まる。
誰も知らないはずの“平民の少女”が、次々と上流階級を魅了していく――。
初夏の風が心地よく吹くある日、リディアの元に一通の招待状が届いた。
それは近年急成長を遂げた新興貴族・カロル家が主催する晩餐会への依頼であった。主賓として迎えられる大使のために、最高のテーブルコーデを用意してほしいという内容だ。
「今度の会場は、貴族街の西端。あの辺り、王家の招待客も出入りしてるから……少し気を引き締めないとね」
「気をつけろよ、リディア。顔を知られてないってだけで、身元がバレたら騒ぎになるかもしれん」
バルサムの忠告に、リディアは静かに頷いた。
侯爵令嬢だった過去は、今や誰にも語っていない。新たな人生を歩む以上、それにすがるつもりもなかった。
だが、運命は皮肉だった。
「……え?」
会場に着いて設営の最終確認をしていたリディアの目に、あの男の姿が飛び込んできた。
王太子、ルミエル。
隣には、あのメリッサが控えている。
気づかれてはまずい、と顔を伏せて後ろへ下がろうとした瞬間、メリッサがこちらを一瞥して目を細めた。
「あら……その顔、どこかで……?」
「メリッサ。どうした?」
「いえ、なんでもないわ」
リディアは何事もなかったかのように準備を再開したが、その場にいる空気が妙に緊張を孕んでいた。
そして晩餐会が始まる。
大使や招待客たちが席に着き、リディアの手掛けたコーディネートが次々に絶賛されていく。
「見てください、この春風のテーブル……魔法属性にぴったりの色味と花材ですな」
「細部まで練られている……これはただ者ではない」
「この配置、前菜・メイン・デザートがそれぞれ際立つよう計算されている……美しい」
上流階級のプロたちが口々に称賛の声をあげる中、ルミエルとメリッサの表情が徐々に歪んでいった。
彼女の手腕を認めざるを得ない。かつての「テーブルのセンスがない」と断罪した相手が、今、絶賛の的となっているのだから。
「やはり……あれはリディアでは?」
メリッサの小声に、ルミエルがぎょっとする。
その瞬間、ホストであるカロル家当主が声を上げた。
「皆様、今宵の装飾を担当してくださった、天才テーブルコーディネーターをご紹介いたします!」
静寂が場を包む。
その中で、リディアはゆっくりと前に出た。
「私が本日の装飾を担当しました、リディアと申します」
ざわめきが広がる。リディア――あのリディア・エストリーム侯爵令嬢? いや、同名の別人か?と貴族たちの間で噂が飛び交った。
「なっ……!」
ルミエルの顔が蒼白に変わった。
だが、リディアは毅然とした態度で言った。
「私が王都を追われた日、偽の証拠が用いられたこと、覚えておられますか? あの“前菜にデザート用の皿を使った”という断罪」
「う、うるさい!あれは証拠が――」
「ええ、その“証拠”とされたテーブルは、通常使用されるカロス窯の器ではなく、異国の装飾皿でした。王宮の食器庫に、そんな皿は存在しません」
ざわっ……と空気が揺れた。
「つまり、あなた方が用意した偽物のテーブルコーデ。私を貶めるために用意された茶番だったのです」
貴族たちが次々とざわつき始める。
「た、確かに……あの時の証拠写真、おかしかった」
「王宮ではあんな装飾はしないと、誰かが言っていたような……」
「そんなバカな……」
王太子ルミエルは言葉を失っていた。
その時、リディアが軽く会釈して一言。
「――ちなみに、あの時使われていた皿。あれ、デザート用ではなく、前菜用です」
貴族たちが一斉に息を呑んだ。
「そんなことも判別できずに、私を断罪されたとは。やはり、“王族の資格”は誰にでもあるものではないようですね」
静寂を切り裂くようなその言葉に、ルミエルは震えた。
「以上です。今後、正しい審美眼をお持ちになることを祈っておりますわ」
リディアはその場を去る。場には言葉もなく、ただ彼女の凛とした背中だけが残された。
「王太子ルミエル殿下の婚約破棄に関する一連の騒動を受け、本日をもってその地位を剥奪する」
それは、事件から三日後。王国公報に記された正式な断が下された。
貴族社会では「晩餐会で断罪された王太子」の話題で持ちきりだった。名門エストリーム家の令嬢を虚偽の証拠で断罪し、果ては国賓の前で恥を晒したとなれば、王族としての信用は地に落ちる。
ルミエルは即日謹慎、王都を離れ辺境の領地に幽閉されることが決定された。
一方、共犯であるメリッサはというと――
「国外追放……甘くはないけれど、妥当なところね」
リディアはギルド本部の応接室で、ふうと小さく息をついた。
メリッサは平民出身という立場ゆえ、貴族社会に対しての影響力は小さかった。だが、彼女の罪状は重く、王室への不敬と虚偽報告の罪で追放処分を言い渡された。
「ついでに例の“偽の証拠”を製作した下級文官も連座処分らしいぜ」
「そう……少しは、過去の私が報われるのかしら」
バルサムの報告にリディアは苦笑した。
あの日からすべてが変わった。
王太子と愛人に仕掛けられた罠からはじまり、平民落ちしてからのギルドでの修行。テーブルコーディネーターとして名を上げ、そして“あの場”で真実を突きつけた。
「――リディアさん、王城から正式に“宮廷テーブルコーディネーター”の任命書が届きました」
部屋に飛び込んできたのは、ギルドの事務官リーネだった。嬉しそうに書状を差し出す彼女の手は、小さく震えていた。
「これってつまり……あなたは、王宮専属のコーディネーターよ!すごいわリディアさん!」
「……ありがとう、リーネ」
リディアは書状を丁寧に受け取り、ゆっくりと封を切る。
美しい筆致で綴られた文面には、彼女の功績と誠意、そして「真実を装飾で伝える」という稀有な能力が称えられていた。
かつて「皿ひとつも見分けられない」と断罪された女が、今や宮廷に認められた一流の専門職として返り咲いたのだ。
「これでようやく、スタートラインに立てたわ」
「なあ、リディア……これからどうする? ギルドからも独立して、本格的に宮廷付きでやってくのか?」
「ええ、もちろんそのつもり。でも――」
リディアは椅子から立ち上がり、窓の外に広がる街並みを眺める。
「自分のテーブルコーデで、誰かを救ったり、気持ちを伝えたり……そういう仕事も続けていきたいの」
「ははっ、お前らしいな」
バルサムが笑った。
そこへ、もう一人の男が静かに部屋へ入ってきた。
「……失礼。リディア嬢、お時間よろしいでしょうか」
リディアが振り向くと、そこに立っていたのは宮廷料理人にして美食ギルドの現長、エドモンだった。
「あなた……まさか、こんなところに来るなんて」
「正式に、ご挨拶に伺いました。いえ……その、個人的にも、お伝えしたいことがありまして」
彼はぎこちなく頭をかくと、小さな箱を差し出してきた。
「これは……?」
「次の王宮主催の晩餐会。その席で使う食器セットです。あなたの目で、どう感じるか教えてほしい。そして……」
少し照れたように、言葉を続ける。
「その席に、もしよければ“隣の席”を、僕と一緒に埋めてもらえませんか」
「……」
リディアは一瞬、言葉を失った。
告白――ではない。でも、はっきりとした“招待”だった。
「……光栄です。あなたのテーブルの隣なら、悪くないわね」
微笑んで答えたその表情は、かつて貴族社会の檻の中で閉ざしていた自分とは違う、新しい“リディア”だった。
もう過去に囚われることはない。
今ここにいるのは、誇り高く、強く、そして優雅に“生き直す”ことを選んだ、ひとりの女性。
皿一枚で世界を変え、装飾で人の心を動かす――それが、リディアの信じた新しい人生だ。
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