表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

一般人の異世界転移

作者: 佐々木尽左

 中学校の卒業式を終えた巻時生夫(まきときいくお)は浮かれていた。大変だった高校受験は見事第一志望校に合格し、これからしばらくは春休みである。


「録り溜めてる今期のアニメをまず見るだろ、積んであるラノベや漫画も見なきゃだし、映画も見にいきたいってあれまだやってたっけ?」


 家路の途中で生夫はだらしない笑顔を浮かべていた。もう我慢しなくてもいいのだ。


 自宅である小さな一軒家にたどり着いた生夫は玄関の扉を開けた。狭い土間のすぐ向こうには狭い玄関ホールがあり、その奥の右側は二階に続く階段、左側にはまっすぐ延びる廊下が続いている。


 いつも通りの自宅内だ。階段の手前にある窓から差し込む日差しで室内が薄明るい。


 だから、風景が微妙に揺らいでいるのは光の加減だと生夫は思った。


 早く自室に戻りたかった生夫は気にすることなく土間へと足を踏み入れる。


「あれ?」


 次の瞬間、周囲の景色が真っ白になったことに生夫は呆然とした。まるで白いペンキで丁寧に塗りつぶしたかのように白一色である。


「なんでこんな所に人間がいるんだ」


 困惑する声を耳にした生夫は振り向いた。すると、金髪碧眼で顔立ちの整った冴えない雰囲気のイケメンが少し離れた場所でA4サイズの本を片手に立っている。


「巻時生夫、十五歳。丁七七三一世界の住民で、あー、転移ミスったんだね、君」


「は? 転移?」


「そうなんだ。本来ならそのまま別の世界に転移されるんだけれど、なぜか失敗して世界の狭間にはじき出されたみたいだね」


「マジで!? 元に戻してくださいよ!」


「僕にそんな権限はないんだ。だからこのまま予定通り別の世界に転移させるね」


「そんなお役所仕事な!」


「はは、神様業もあんまり融通が利かないところなんて似てるかもしれないね」


「神様!? あんた神様なの!?」


 周りの状況と怪しい人物、それに突飛な説明に生夫の混乱は深まるばかりだった。


 そんな生夫に神様を名乗る残念イケメンが言葉を続ける。


「ともかく、今から転移させるね」


「待って! オレはどこに転移されるんです?」


「君は中世ヨーロッパに似た世界に転移するよ。一ヵ月間だけ」


「期間限定?」


「そう、三十日経ったらまた元の世界に戻れるよ。しかも、転移先の世界にいる間は身体能力が強くなり、魔法も使えるようになるみたいだね」


「マジで?」


世界の記録(アカシックレコード)にそう書いてある」


 残念イケメンの説明に生夫は目を見開いた。ラノベの主人公と似たような状態だと気付いて震える。


「異世界の滞在を延長とかはできるんですか?」


「それはできない。ということで、これから君を転移先の世界に送ろう」


 色々と疑問の湧いてきた生夫だったが質問する時間はなかった。残念イケメンが口を閉じると急速に視界がぼやけてきたからだ。


 そうしてやがて何も見えなくなり、生夫の意識が途切れた。




 生夫の感覚としてはうたた寝をしてすぐに目が覚めた感じだった。意識がはっきりとすると自分が立っていることに気付く。周囲を見ると森の中であることがわかった。


 戸惑いつつも生夫は自分の体に目を向ける。服はブレザータイプの制服で、鞄代わりに背負っているリュックサックの中にはペットボトルと卒業証書が入っていた。


 ズボンのポケットから取り出したスマホに生夫は目を向けると電波は圏外である。


「マジで異世界に来た?」


 スマホから目を離した生夫は周囲の木々を見た。しかし、ここが異世界であることに確証が持てない。


 悩んでいる生夫は背後から声が聞こえたので振り向いた。すると、森の奥から小学生くらいの大きさをした人型の何かが近づいて来たのを目にする。全身が汚い緑色で目が大きめ、黄ばんだ乱杭歯を見せるそれは粗末な腰蓑に木の棒を持っていた。明らかに人間とは違う。


「ゴブリン?」


 不快な鳴き声を上げて向かってきたゴブリン二匹を見て生夫は顔を青ざめさせた。剥き出しの敵意を受けて慌てる。


 とっさに後ろへ退こうとした生夫は両足に力を入れた。すると、地面をえぐれさせて後方へと飛んで背中から木にぶつかる。


 混乱する生夫が振り返ると木が半分折れかけていた。しかも余程強くぶつかったはずなのに痛みはない。


「マジでオレ、強くなってる?」


 生唾を飲み込んだ生夫はゴブリンたちに再び目を向けた。尚も駆け寄ってくる二匹に若干の不安を抱きつつも殴りかかる。


 ゴシャ!


 ゴブリンの片方の頭に生夫の右拳が当たると、その衝撃で直撃した部分が凹んだ。更に首が本来曲がらない方向へと曲がり、地面を転がってゆく。


 右拳を不格好に振り抜いたままの生夫は直後にもう片方のゴブリンに木の棒で叩かれた。しかし、まったく痛くない。


 何が起きているのか理解した生夫は笑顔を浮かべた。


 それならば次に試すことは決まっている。生夫は一足飛びにその場から離れると、右の手のひらをまだ生きているゴブリンに向ける。


「炎よ、我が敵を焼き尽くせ。火球(ファイアボール)!」


 ラノベやアニメの知識を元に生夫はそれっぽい呪文を口にした。すると、本当に右の手のひらの前に頭ほどの大きさの火の玉が現れてゴブリンへと高速で放たれ、ぶつかった瞬間に大きな爆発音が発生する。


「はは、オレはラノベの主人公になれたんだ!」


 超人のような強さと元の世界では使えなかった魔法を手に入れた生夫は浮かれた。


 次いで思い出したことを試してみる。


「たぶんできるはず。ステータスオープン!」


 お決まりの言葉を口にした生夫はしばらく待った。しかし、目の前に何も現れない。何度か試しても、言葉を変えても同じである。


「ちぇっ、これじゃ何もわからないじゃないか」


 苛立った生夫は顔を歪めた。仕方がないので思い付く限り自分にどんな能力があるのかこの場で検証する。その結果、いくつかのことがわかった。


 魔法に関しては、火、水、風、土の魔法を使えることが判明した。しかも無詠唱でだ。しかし、アイテムボックスのような空間魔法は使えない。


 身体能力に関しては元の世界基準だと完全に超人だ。二十メートル以上ジャンプできて着地しても平気で、殴ったり蹴ったりすると木はへし折れる。おまけに生夫自身はまったく痛くない。


 これなら大抵のことは乗り切れると確信した生夫は森の中を歩き始めた。


 当初はリアルRPGのような気分で進んでいた生夫だったが、何時間も同じ風景の場所を歩き続けて次第に飽きてくる。


 やがて、ただでさえ薄暗かった森の中が更に暗くなってきたことに生夫は気付いた。上を見上げるとかすかに見える空の色が朱い。


「ヤバい。どっか休める所を探さなきゃ」


 今晩眠る場所が必要なことに気付いた生夫は焦り始めた。ところが、サバイバルの知識やキャンプの経験などをないので何をどうすればいいのかわからない。


 焚き火をするために生夫が木の枝を拾おうにも意外に落ちておらず、見つけても湿っているものばかりだ。愕然とした生夫だったが、右の手のひらに人間の頭程度の炎を出現させて明かりを確保する。


 すっかり暗くなった森の中、生夫はその炎を維持したまま近くの木の根に座った。腹の虫が大きく鳴る。今日は朝から何も食べていない。リュックサックの中には食べ物を入っていないことを思い出した。


 森の中で食べる物をどうやって手に入れたらいいのかわからない。動植物の知識を持ち合わせていないのだ。水の魔法が使えるので飲み水に困らないのが唯一の救いである。


 ペットボトルに残っている水を飲んで空腹を紛らわせた生夫は途方に暮れた。


 それから四日間、生夫は森の中をさまよう。水以外口にしていないため、空腹で今にも倒れそうだ。


 魔物には何度も襲われている。今も粗末なズボンを穿いてぼろぼろの斧や槍を手に持っていたオーク二匹を魔法で焼き殺したところだ。相変わらず食べ物は手に入らない。


 しかめっ面をした生夫はその場を立ち去ろうとした。しかし、足を止めて改めてオークの死骸に目を向ける。


「オークって、豚みたいなものか?」


 生夫はもしやと生唾を飲み込んだ。


 物は試しと生夫は風の魔法でオークの右の二の腕の一部を切り取った。そして、こんがり焼けるまで火の魔法で焼き続ける。


 人型であったことに多少の忌避感を抱きながらも生夫はそのオークの肉を口に入れた。途端に、臭みとおかしな味と表現するしかないものが口の中に広がったので思わず吐き出す。この世界のオークは食べられたものではないことを知った。


 目に涙を浮かべた生夫はしゃくり上げる。


「どうしてオレがこんな目に遭わなきゃいけないんだよ」


 異世界にやって来た直後のような喜びは今の生夫にはもうなかった。今は帰りたい気持ちでいっぱいだ。


 意を決した生夫は涙を拭くと再びオークの肉を切り取って焼き、口に入れた。そして、水の魔法で出した水を口に入れて流し込む。それを何度も繰り返した。


 翌朝、生夫は苦しんでいた。嘔吐と下痢を繰り返すし、更に衰弱してしまう。


 しかも、用便後に尻を拭く紙がないことに気付いて精神的なダメージも負ってしまった。紙の代わりになるようなものは周囲に見当たらず、生夫は本当に仕方なく来ていたシャツを脱いでそれで拭く。


「うっ、うっ、ちくしょう」


 うわごとを口にしながら生夫はぼんやりと顔を向けた方向を眺めていた。もう動く気力もない。


 そんな生夫の視界に動くものが見えた。大きな猪だ。全長五メートル以上もある。それが近づいて来た。しっかりと自分を見据えていることに気付く。


「ひっ。く、来るな」


 怯えた生夫は右手を大きな猪に向けて火球(ファイアボール)を打ち出した。しかし、それは小ぶりすぎ、大きな猪の鼻面に命中して爆発したが殺すには至らない。


 弱っていた生夫は怒りの鳴き声を上げた大きな猪に突撃されて地面を転がった。立ち上がろうとするものの、体が弱っているため思うように動かない。


 その後も生夫は何度も大きな猪の攻撃を受ける。ゴブリンのときと同じく外傷は受けない。しかし、体調はより悪化し、ついに気を失って動けなくなってしまう。


 そんな生夫にとどめを刺したのは、しかし大きな猪ではなかった。


 横から巨大な蛇が現れて大きな猪を狙う。敵わないと思ったのか大きな猪はその場を逃げ去った。獲物を取り逃した巨大な蛇は不満げに動き回るが倒れている生夫を目にする。しばらく様子を眺めていた巨大な蛇であったが、やがて生夫を丸呑みした。




 生夫の感覚としてはうたた寝をしてすぐに目が覚めた感じだった。意識がはっきりとすると自分が森の中で立っていることに気付く。


 気を失う直前のことを思い出した生夫は震え上がった。そうして次に自分の体を見回す。汚れていたはずの制服がきれいだ。リュックサックの中を見ると半分ほど水が残っているペットボトルと卒業証書が入っている。また、ズボンのポケットから取り出したスマホに目を向けた。充電率が異世界転移した直後と同じである。


「もしかして、時間が巻き戻った?」


 物語では有名なギミックなので生夫も知っている現象だが、実際に自分の時間がまき戻るとどうにも信じられなかった。


 戸惑う生夫の背後から声が聞こえる。振り向くと、倒したはずのゴブリンが森の奥から姿を現した。突っ込んでくるゴブリンを火球(ファイアボール)二発で爆散させる。魔法が使えたことに安心した。


 ここに至ってラノベやアニメにあるような死に戻りが発生したことを確信する。


「これ、三十日なんて乗り越えられるのかよ?」


 世界の記録(アカシックレコード)が世界の始まりから終わりまで記載されたものであるのならば、生夫がいずれ帰れることは間違いない。しかし、問題はどうやって三十日間もこの異世界で生き残るかだ。チート能力はあるが生夫の体は不老不死ではない。食べねば餓死するだろうし、恐らく病死する可能性もある。


 敵を倒す能力はあるが生き残る能力が意外に乏しいことに生夫は頭を抱えた。森の中で一人で生き抜く自信がないため、何としても異世界の現地住民に会わないといけない。


 前回とは正反対の方向へと生夫は進み、生夫は翌日の昼頃に開けた場所に出た。目の前は見渡す限り草原で、少し先に人と荷馬車で踏み固められた土が剥き出しの道が左右へと延びている。


 多少迷った後、生夫は道を右側に進む。夕方頃に城壁に囲まれた町にたどり着いた。


 町の入口にある城門に生夫が近づくと槍を持った兵士がやって来る。


「■■■■■?」


 兵士の言葉を聞いて生夫は顔を強ばらせた。相手は異世界人なのだから日本語でないのは当然だろう。


「あの、オレ、道に迷っていて、それで」


 兵士に日本語で話しかけた生夫だったが当然通じなかった。ラノベやアニメでよくある言葉の自動翻訳はまったくされている様子がない。


 面倒そうな表情を浮かべた兵士に生夫は手のひらを見せられた。入場料か通行税を要求されていることを直感する。しかし、異世界の通貨は持ち合わせていない。


 一縷の望みに賭けて生夫は財布から五百円玉を取り出して渡す。当然通用するはずもなく、軽く突き飛ばされた。


 日が沈んで門が閉じられても生夫はその場に立ち尽くしたままだ。夜中に壁をこっそりと乗り越えて町の中に入ることも考えたが止める。無一文な上に言葉が通じないからだ。


 呆然としたままの生夫は踵を返した。わずかな月明かりしかない道を歩いていると何かに蹴躓いてこける。今の身体能力では別に痛くはない。しかし、起き上がる気力は湧かなかった。


 悔しい、悲しい、つらい、帰りたいなどの思いが生夫の胸中にこみ上げる。地面に倒れたまま、生夫は泣き続けた。


 翌朝、生夫は町から離れれ、そのままぼんやりと道に沿って進む。


 空腹を抱えた生夫が道を歩いていると、誰かが争っているのが見えた。荷馬車を守る者たちとそれを襲う者たちが戦っているらしい。


 今まで喧嘩すらしたことのない生夫は腰が引けた。魔物はまだしも、人間と戦うのは正直避けたい。しかし、食べ物がほしかった。言葉はわからなくても、助けた事実を持って身振り手振りで説明すれば何かしら食べ物を分けてくれるかもしれないと期待する。


 荷馬車を守る側への加勢を決めた生夫は戦いの中へと飛び込んだ。高い身体能力と強力な魔法で荷馬車を襲う側を倒してゆく。


 あっという間に襲撃側を撃退した生夫は荷馬車を守っていた者たちに振り向いた。そして、商人らしき人物に近づく。


「あの、ちょっとお願いがあるんですけど」


「■■■!?」


 意思疎通を図ろうとした生夫は相手が怯えていることに気付いた。しかし、どうしようもなかったのでとりあえず自分の要求を身振りで示す。


 生夫が何度か繰り返していると、商人らしき人物に荷馬車から取り出した袋を差し出された。中には干し肉や黒っぽいパンなどの食べ物が入っている。ただし、あまり状態がいいようには思えない。


 微妙な目を生夫が商人らしき人物に向けると、何かしゃべりながら干し肉らしきものを手に取って囓った。次いで黒っぽいパンも噛みきる。どちらもかなり硬そうだが食べられるらしい。


 納得した生夫はその袋を受け取った。すると、商人らしき人物たちは急いで荷馬車を動かして去ってゆく。


 誤解が解けなかったことは残念であったが、それ以上に空腹感がきつかった生夫は袋の中の食べ物を(あさ)った。最初に干し肉らしきものを口にする。


「硬いしまずいな。なんだこれ。こっちのパンっぽいのは、ぐっ!? なんで干し肉みたいに硬いんだ!?」


 あまりの硬さとまずさに生夫は目を剥いた。せっかくありつけた食料だというのに全然喜べない。


 次に手にしたのは乾燥した黒い粒である。不安に思いつつも口に入れると濃い葡萄の味がした。ドライフルーツらしい。これはまだ食べられると喜ぶ。


 他にもソーセージを見つけた。火の魔法を使って充分に炙ってから食べる。他にも何本か口にした。


 こうして生夫は数日ぶりの食事で飢えをしのぐ。ようやく人心地付いた。


 ところが、翌朝になって生夫は猛烈な嘔吐と下痢で苦しんだ。立つことすらできずに地面に転がって垂れ流し状態である。


 延々と吐き気と腹痛に悩まされた生夫は急速に衰弱していった。ろくに動くこともできない。


 何もできないまま、生夫はその後数日間ひたすら苦しみ続けた。




 生夫は意識がはっきりとすると自分が立っていることに気付いた。周囲には木々が立っており、森の中であることはすぐにわかった。


 異世界の住人に分けてもらった食べ物が原因で死んだことを思い出して頭を抱える。


世界の記録(アカシックレコード)に書かれたオレってどうやって一ヵ月もこの異世界で生きたんだ?」


 元の世界に帰還することを約束されている以上、生夫はこの世界では死ねない。このままでは延々と今の状態を繰り返してしまう。そんな精神崩壊ルートは絶対に避けたい。


 ゴブリン二匹が襲ってきたので倒した後、生夫はまだ足を向けていない西側へと歩き始めた。方角に関しては前回草原の道を歩いたときに日の出日の入りの場所から見当を付けたのだ。


 丸一日以上も森を西側へと歩いた生夫は村を見つける。空が見える開けた土地の大半では人々が農作業をしていた。


 言葉が通じないことを知っている生夫は木の陰に隠れて村の様子を眺める。


「何か食べ物を分けてほしいけど、食べたら死ぬかもしれないし」


 村の全容を掴むため、生夫は村人に見つからないように森の端を隠れて歩き始めた。石造りの大きめの屋敷や教会らしき建物を中心に泥や木の枝で作られた粗末な小屋が点在しているのを目にし、鳴き声や臭いで家畜がいることも知る。


 森の端伝いに歩いていた生夫は途中で囲いに覆われた場所を目にした。中では放し飼いにされた羊が草を食んでいる。


「羊か。確か食べられ、たはず」


 羊が元の世界でも食べられていることを生夫は思い出した。同時に、盗むのは本当に羊でいいのかとも悩む。羊の肉は癖があると聞いたことがあるので食べられるか不安だったのだ。


 更に村の様子を注意深く窺った生夫は粗末な小屋ではそれぞれ鶏や豚なども飼われていることを知る。どうせなら知っている味の方がいいと盗むのはそちらに決めた。


 これも生きるためと自分に言い聞かせた生夫は周囲を警戒しながら村へと入ってゆく。やがて腰までの高さの塀に囲まれた家にたどり着いた。その庭先には鶏が何匹かのんきに歩いている。幸い周囲に人影はない。


 塀をひとっ飛びした生夫は一気に鶏に近づいて一羽を抱えた。暴れる鶏をがっちり両腕で抱えてるとすぐに村外へと駆ける。


 森の中に入った生夫はそのまま更に走り続けた。そうしてもう充分という所で立ち止まって振り返る。誰も追ってくる気配はない。


「次はこれを何とかしないといけないんだが」


 手元で暴れる鶏に目を向けた生夫は難しい顔をした。締めて捌くなどやったことなどない。


 意を決した生夫は土の魔法で調理のための石台を作り上げた。血抜きをするという知識はあったので風の魔法で石台の上に置いた鶏の首を切断し、しばらく鶏の首の切断面を地面に向けて放置する。血抜き後は羽を毟り取るが思うように羽が抜けない。それでも時間をかけて毟ってゆく。作業が一段落した後の鶏はまだあちこちに産毛のような羽を残していた。


 首のない鶏の体を生夫は風の魔法で適当に切断する。普段食べていた鶏肉を思い浮かべながら肉片にしていった。


 そこまでして生夫は一旦水の魔法で手を洗う。そして、適度な大きさの肉片を火の魔法で焼き、あちこちに焦げ目が付くくらい炙ると口に入れた。多少生臭いが鶏肉の味が口の中に広がる。


「うめぇ」


 鶏の味に感動した生夫は次々と肉を火の魔法で炙っては口に入れていった。しばらく食べ続けた生夫は満足すると大きく息を吐き出す。


 食欲を満たしたところで生夫は残っている鶏肉に目を向けた。正しい保存のやり方はわからないので、土の魔法で石の小箱を作り、その中に水の魔法で氷を出現させて鶏肉を入れる。これで少なくとも明日の食事は確保できた。


 二日後、手持ちの鶏肉を食べきった生夫は再び村へと向かった。後ろめたさはまだあるが、死に戻りを繰り返したくなければ盗むしかない。


 次はどの家から盗もうかと考えていた生夫は異変に気付いた。村内から怒声や悲鳴が聞こえてきたのだ。


 気になった生夫は村の中へとこっそり入った。すると、豚が一匹自分に向かって走ってくるのと同時に、それを追いかける剣を持つ薄汚れた男たち二人を目にする。


「ピギィ!」


「■■■!」


 突然のことに驚きつつも生夫は襲いかかって来た薄汚れた男たち二人をたちまち倒した。圧倒的な身体能力を活かしたわけだが、殺すことは躊躇われたのでとどめは刺していない。


 それよりも生夫は脇をすり抜けていった豚を追いかける。捕まえるとそのまま走って村から離れた。


 鶏を捌いた場所に戻った生夫は豚の解体を始める。まずは豚を殺して血を抜いた。待っている間にゴブリンやオークが寄ってきたので魔法を使って追い払う。血抜きが終わると風の魔法で豚の体を解体し、とりあえず火の魔法で肉を炙って必要なだけ食べた。


 余った豚肉は土の魔法で大きな石の箱を作り、水の魔法で氷を敷き詰めてからそこへと入れた。これで日持ちするはずである。


 この後、生夫は毎日氷で冷やした豚肉を少しずつ取り出してはしっかりと焼いて食べた。


 そんな生活が十日ほど続く。確保した豚肉の量から残りの日数をしのぐことは充分に可能だ。


 すっかり安心していた生夫だったが、異世界に転移して二週間が過ぎたあたりから体に異変を感じるようになる。


 疲れやすくなり、体調も悪くなってきたのだ。特にここ数日間下痢が続いていいて、更に風邪の症状も出てきた。他にも食欲不振や倦怠感など地味な症状が現れている。


 生夫は原因を何となく察する。その最たる原因は食事の偏りだ。穀物や野菜、それに塩などを口にしていないのだから当然である。


 健康に不安を抱えた生夫は再び村へと向かった。様子を窺うと物静かだ。よく見ると粗末な小屋は破壊されており、近づくと猛烈な異臭がする。何軒か回って村が全滅したらしいことを知った生夫は吐いた。涙目になりながら生夫は必死に野菜を探す。


 村の中を回った結果、畑の隅に荒らされずにそのまま生えていたキャベツと小屋の中にあった干しぶどうと岩塩を持ち帰った。これ以上村に滞在するのは精神的にきつかったので森へと戻る。


 豚肉の保存場所に戻った生夫は干しぶどうを食べ、水で洗ったキャベツを火で炙って口にし、豚肉を食べるときには岩塩を崩して振りかけた。すると、二日ほどして症状が良くなる。


 後はひたすらそのときが来るのを待ち続けた。




 この日、生夫はとても期待していた。記憶によると異世界に転移して三十日目だからだ。いよいよ元の世界に戻れるはずである。


 やや落ち着きがない生夫は早くそのときが来てほしいと願った。自宅に戻ったらすぐに風呂に入って着替えるつもりだ。


 やがてそのときは異世界に転移したときと同じく突然やってくる。目の前の景色が変わった。ちょうど転移直前の玄関の扉を開けた状態である。


「は、はは。やった、帰ってきた。帰ってこれたんだ」


 狭い土間に立った生夫は涙を流しながらつぶやいた。もう死ぬような目に遭うこともない。


「やった、オレは家に帰ってきたんだぁぁぁぁぁ!!!」


 ようやく現実を受け入れられた生夫は感情を爆発させた。近所迷惑など知ったことではないとあらん限りの力で叫び、そうして泣いた。




 転移した異世界で三十日間過ごした生夫だったが、元の世界に戻ってきたときの時間は正に転移した直後だった。そのため、元の世界で怪しまれることはあまりなかった。


 まったくではないのは、すっかり汚れきりひどい臭いがする中学の制服のせいである。体は風呂で洗えたが、洗濯籠に入れた制服を摘まみ上げた母親に追及されたのだ。本当のことを言っても信じてもらえないので言い訳にはかなり苦労する。


 また、高い身体能力はなくなり、強力な魔法は使えなくなっていた。特に魔法はあわよくばと思っていたので生夫は残念がる。


 結局、記憶以外手元に何も残らなかったわけだが、それでも生夫が気にしていることがひとつあった。それは例の死に戻りである。あれは世界の記録(アカシックレコード)に生夫が元の世界に戻ると記載されていたために発生した現象のはずなので、本来ならばもう気にしなくてもいいことだ。


 しかし、あの残念イケメンが言っていたことを生夫は思い出す。


『本来なら別の世界に転移されるんだけれど、どうしてか失敗して世界の狭間にはじき出されたんだ』


 原因不明の問題が発生してスムーズに異世界転移できなかった生夫が元の世界に帰還できたとして、果たして本当に元の状態に戻れたのだろうか。


 生夫はたまに思うのだ。もしかしたらこの元の世界で死んだとき、また死に戻るのではなのだろうかと。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
読ませていただきました。 サバイバル能力がないと異世界生活は厳しいですね。 しかし、言葉すら通じないとは…まあそれが普通ですよね。異世界なんですし。 しかし、不穏な終わり方だ。彼は老衰死を迎えること…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ