幼なじみ以上婚約者未満の君と、惚れ薬で乾杯を
十八歳の夏。もういい加減、トリムはローズを切りたいと思い始めていた。
確かに綺麗ではあるけれど、そもそも赤くて目を引くところが好きじゃない。面倒を見ないとすぐに萎れるし、金も手も時間も掛かる。
そのくせ少しでも触ろうとすると刺々しく撃退してくるのだから、もういい加減に剪定してやろうか。トリムがそんな風に思っていたとしても無理はない。
これは勿論、薔薇の話ではなく、隣に住む幼なじみのローズの話だ。正確に言えば、幼なじみ以上婚約者未満なわけだけど。
それは真夏のティータイムの時間。トリムが私室で仕事をしていると、トントントン、三回ノックが響いた。
『どうぞ』と返事をする前にドアは少しだけ開かれ、彼女はひょこっと顔を出す。そこで目が合うとニコリと微笑む。これが毎日のお決まりだ。
「トリム、お忙しいかしら?」
「んー? ひと段落ってとこかな」
「お疲れさま。これお父様からの差し入れですわ」
「ありがと、ローズ。今回はなに?」
トリムがペンを走らせながらも、紺色の瞳を向けて確認すると、かごの中には小瓶が入っていた。五センチくらいの小さな瓶が六つ。
ローズの父親は珍しい物好きで、周辺国から色々なものを取り寄せるという高位貴族らしい趣味を持っている。
だから、今回もそういった類の珍しい……というと聞こえは良いが、控えめに言っても激烈に怪しいやつだろう。小瓶の色は濁った紫色。怪しさ満点だ。
「なにこれ、飲み物? ははっ、おじさんからの差し入れなら毒見が必要だな」
トリムは持っていたペンを置いて、軽く笑いながらかごの中の小瓶を一つ取り出した。観察してみようと思ったところで、かごの中には二種類の紙も入っていることに気づく。
小綺麗な封筒と、小汚いメモ書き。
「……これ、招待状か?」
初めに小綺麗な封筒の方を手に取りながらトリムが尋ねると、ローズは「えぇ」と言いながら薔薇みたいに赤い髪をくるくるといじり出した。
―― あ、始まったな
トリムは内心でため息一つ。大嫌いなローズタイムの到来だ。
「わたくし宛に『幸運の招待状』が届きましたの」
「それって、王城主催の秋の園遊会の?」
「そうですわ」
王城主催の秋の園遊会。高位貴族を対象として、完全ランダムで招待されるというガーデンパーティーだ。あまりにも当選確率が低いため『幸運の招待状』と呼ばれている。
「へー、驚いたな。噂には聞いていたけど実物を見るのは初めてだ。今年は国宝の展示もされるんだろ? まさに僥倖だな」
「えぇ、楽しみですわ」
窓から注ぐ日差しに透かすように、幸運の招待状を掲げる。封筒の中身が透けて見えるわけもないが、これからの展開は透けて見える不思議。
「それでね、パートナーを決めなくてはならないの。お父様はトリムと参加しなさいと仰っていて……」
「だろうな」
「本当、お父様も困った人ですわ。王城主催のパーティーにパートナーとして参加するなら、ほら、正式な婚約者としてお披露目することになるでしょう?」
「おじさんは俺たちを婚約させようと必死だもんなぁ」
ローズは伯爵家の一人娘。トリムは伯爵家の次男坊。偶然にも、同じ十八歳。両家の関係は至って良好。政略結婚上等の貴族同士、条件がそろいまくっている。
トリムは頭が良いし優秀なわけで、ローズの父親から『どうか婿養子になってほしい!』と切望され続けて数年。トリムとしても伯爵位を継げるし、相手は気心の知れた幼なじみ。こんな良い縁談を断るわけもない。
しかし、面倒なことにローズだけが首を縦に振らないのだ。
まだ急ぐ年齢でもないとのことで、ローズの父親も無理に縁談を進めることもなく、幼なじみ以上婚約者未満の関係が続いているというわけだ。
「で、ローズはどうしたい? 俺でよければパートナーを務めるけど」
トリムは彼女に一歩近づいて美しく白い手を取り上げ、そこに招待状を優しく乗せてあげた。
それはある種のスイッチなのかもしれない。こういう色のある触れ合いをすると、彼女はパッと離れて棘を出し始める。
「ごめんなさい。先日、夜会で知り合った子爵家の方をお誘いしたいと思ってるの。どうかしら?」
「はいはい、どうせそんなことだろうと思ったよ。……まぁ、別にいいんじゃない?」
―― 出たよ、アバズレローズアタック
トリムが嫌う彼女の面倒なところが、これだ。夜会で出会ったとか一目惚れしたとかデートに行っただとか、それはもう数多の男を引っ掛けて、トリムをチクチクと刺してくるところ。
「それでね、お父様には……、」
「俺から断って欲しいってことだろ? 『トリムくん以外と出席するだなんて!』って、またショックを受けるだろうな。俺から上手いこと言っておくから大丈夫」
「そう? いつもありがとう」
「ドウイタシマシテ。子爵家の次男坊くんと、末永くお幸せに」
慣れっこのトリムは今回もすんなりと諦めて、気になっていたもう一枚の紙を手に取った。小汚いメモ書きの方だ。
「で、こっちの小汚い紙はなんだ?」
「異国の文字で書いてあるから分からないの。小瓶に付いてるから説明書だと思うのだけれど……。お父様がトリムに読んでもらえと仰っていたから、差し入れとして持ってきたの」
「それ、差し入れっていうのか?」
トリムは小汚い紙を開けた。目を左から右に移動させて読み進める。そのうち、何やら目を見開いて口元を押さえ、それでも抑えきれない笑みをこぼし出す。
「へ~、そうなんだ。なるほど、二本か……ふむふむ」
クスクスにやにやが止まらない。
「なんだか楽しそうですわね?」
「ははっ、今までで一番楽しい差し入れだよ。強烈。とっても役立ちそう。おじさんもすごいものをローズに持たせたね」
「トリムは読めますの?」
「西の国の言語だよ。なんて書いてあると思う?」
「そうですわねぇ……栄養剤の成分とか?」
トリムは小瓶を二つ取って、片方をローズに渡した。乾杯の真似っこ。カツンと音を立てて小瓶をぶつけ合う。
「惚れ薬だってさ」
「惚れ薬」
瞬間、ローズは顔を真っ青にする。赤い髪に青い顔。とっても鮮やかだ。
彼女は持っていた小瓶をトリムに押し付けるように渡して、大慌てで両手を上げる。無罪ポーズだ。
「ち、違いますの! わたくし、なにも知らなくて!」
「はいはい、慌てない慌てない。ローズのことはよく分かってるから大丈夫」
トリムが余裕たっぷりになだめると、ローズの青い顔は少しずつ肌色に戻る。
それを確認してから、トリムはかごからもう一つ小瓶を取り出し、にんまりと笑ってみせた。悪~いトリムタイムの到来だ。
「なぁ、誰かに毒見させてみないか? ちょっと面白そう。本当に効果があるのかなぁ」
「トリム、悪い癖が出てますわよ? そうやって誰かで何かを試す癖、昔から変わりませんわね。本当にひどい人」
「ははっ、お互い様じゃん? それに、そうやって咎めつつも、結局は俺に付いてくる共犯者ローズも、昔から変わらないよね。その綺麗な緑色の瞳に、好奇心が見え隠れしてる。行こ?」
トリムは小瓶をまた一つかごから取り出した。彼女の腰に手を添えて軽く引き寄せながら私室から連れ出す。もちろん、すぐに手は叩かれたけど。本当、彼女はアバズレてはくれない。
「で、どうなさいますの?」
「あいつらで試す」
十分後、二人は裏庭の茂みに潜んでいた。
悪いトリムの視線の先には、洗濯物を取り込んでいる使用人の男女が二人。とっても平和そうだ。
「どのように?」
「小瓶のままだと怪しすぎるから、この果実水に入れよう。ベンチに同じミニボトルの果実水が置いてあるだろ? あの二人、休憩時間になると必ずあそこで果実水を飲むんだ。それをすり替える」
いつの間にかトリムが持っていた果実水のミニボトル二本。そして、怪しい小瓶も二本ある。それらをキュポンと開けて、トリムは果実水に惚れ薬を注いだ。
「お、無色透明じゃん。匂いもナシか。これならバレなさそう。ローズ、もう一本の方に混ぜ入れて」
「……そうやってナチュラルに加担させるのよね」
「人聞きが悪いな。これは秘密の共有。よーく振っておけよ?」
トリムがミニボトルを楽しそうに振ってみせると、ローズは観念したようにキュポンと音を立てた。共犯成立、悪いやつらだ。
「ねぇ、これを飲ませた瞬間に恋慕を抱くのかしら?」
「あー……いや、小汚い紙には『飲んだ後、一番初めに肌が接触した相手に惚れる』と書いてあった」
「触れた相手……?」
「やってみよう」
トリムは惚れ薬入りの果実水を二本、ポケットに忍ばせて忍び足でベンチに近付き果実水をすり替えた。そして、また忍び足でローズが待つ茂みまで戻る。どうやら使用人にはバレていない様子。
十八歳男児、真夏の昼下がり、このスリルに酔いしれる。取ってきた果実水の片方をローズに渡し、またもやカツンと音を立てて乾杯の真似っこ。
「ふぅ、久々にスリリングな体験だった。軽犯罪の成立に乾杯だな。飲む?」
「飲みません!」
断られてしまったため、二本の果実水はポケットにイン。トリムのジャケットはやたらと仕立てが良いので、ポケットには無限に瓶が入るのだ。
そうしてしばらくあーだこーだ言いながら様子を見ていると、休憩時間を迎えた使用人の男女がベンチに座り出す。二人で談笑しながら、果実水をごくりごくり。暑い夏だ、それはもう美味しそうに飲んでいた。
「良い飲みっぷりだな。惚れ薬を盛られているとは知らずに哀れなことだ。痛ましい」
「盛ったのは貴方でしょう。……ねぇ、本当に効き目があったらどうしましょう? あの使用人はお二人とも独身なのかしら?」
「二人とも独身。まぁ、普通に考えたら効かないだろ」
すると、使用人の女性が飲み終えた果実水のミニボトルを男性に手渡した。
「あ! 見たか? 今、触れたぞ」
「本当に? 見えなかったわ」
「ぼーっとしてんなよ。指先が触れてたじゃないか。でも、なにも変化はなさ……いや、おやおや? おっと……これはすごいな。うわぁ、あちゃー」
使用人の男女は熱く見つめ合い、手と手を取り合い、そしてなんかいい感じの雰囲気になっちゃって、最終的にはめっちゃキスしていた。
「~~~っ! ととりむぅ! ききすしてますわ!」
「はいはい、静かに。これ以上は目の毒だからローズは見ないようにね」
紳士トリムは、彼女の目をそっと手で覆ってあげた。いないいないローズ。
「さて、毒見は終了。二人は晴れて恋人同士になったというわけか……。予想外にも、絶大な効果があるということが実証されてしまったな。何事も試してみるもんだなぁ。本当に軽犯罪が成立してしまったわけで、早々にずらかるぞ」
トリムは彼女の目を隠したまま、茂みを脱出。すたこらと私室に戻った。かなり悪い。
「とととりむ! どうしましょう、まさか本当に効果があるだなんて!」
「世の中にはとんでもないものがあると知ったよ。でも、考えようによっては有用だよな。ローズは『惚れてもらいたい相手』はいないのか? パートナーに誘いたい……伯爵家の次男坊、だっけ?」
「子爵家の方ですわ。でも、彼はもう好いてくれていますもの。必要ありません」
「確かに、子爵くんには必要ないな」
「……トリムは、誰かいませんの?」
「俺?」
トリムは小さく笑って、「どうかなぁ」とだけ答えておいた。
「そうだ。ティータイムを過ぎていたな。今日は暑いし、レモンティーはどうかなと思って用意させていたんだ。盛ってくるから……あぁ、イントネーションを間違えたな。持ってくるから待っていて」
そう言って、私室にローズを残した。
果実水や小瓶をポケットに入れたまま、用意しておいたティーセットを持ってトリムは私室に戻る。でも当然ながら、ドアを開ける前に三度目の悪~いトリムタイムが到来。
―― たまには試される側に回ってみればいい
少し意趣返し。ポケットに入れていた紫色の小瓶の蓋をキュポンと鳴らしてやった。その音は不思議なくらい良く響いた。
◇◇◇
キュポン。ローズはトリムの私室で、その音を聞いてしまった。ただのコルク栓の癖にやたらよく響く音だ。
―― この音、まさか惚れ薬!?
すぐさま、かごの中身を確認する。
―― かごの中には残り、一本。使用人の男女に二本使ったのよね。持ってきたのは六本だから、やっぱり! トリムは惚れ薬を持っているはずだわ! うそぉ……私に飲ませるつもりなの……?
瞬間、ローズの体温が急上昇。もうつま先から頭のてっぺんまで真っ赤っか。
お分かりだろう。当然ながら、ローズはトリムのことが大好きだった。
確かにイタズラが過ぎるし性格も悪いけれど、そもそも彼の顔が好みだ。サラサラの茶髪も好みド真ん中。
もちろん顔だけじゃない。意地悪なのに絶妙に優しいし、優しいのにとっても意地悪なところにキュンとする。それなのに、ローズが本当に困っていると、何でもない顔をして面倒事も悩みもサラリと解決してくれる。
常日頃から何を考えてるか分からないところも、どうにもくすぐられてしまう。恋を自覚した八歳のときから、もうずっと彼のことだけが好き。
でも、トリムは全くローズに興味がなさそうだった。子供の頃は『いつか好きになってくれる』と夢を見るだけで満足していたが、いつの間にか十八歳。
色々なアプローチをしてスルーされ続け、とうとう他の男性を無理やりリングにあげて『早くしないと取られちゃうわよ!?』と焚き付けて試し行動をしてみるも、あっさりと『お幸せに』なんて言われてしまう始末。
そのくせ、ベタベタと触ってくるのだから、初心なローズが身体目当てなのかと疑ってしまうのも無理はない。
実際のところ、身体目当てだったらもっと別のところを触っているのがトリムであるが、彼女は生粋のウブ乙女であるから、そこらへんの事情は理解していなかった。
そんな夢見る乙女は、親に決められた婚約話などに納得できるわけもない。目指すは相思相愛の一本取り。いい加減、幼なじみ以上婚約者未満の関係をぶち壊して、プロポーズくらいして欲しい。
そんな中で、幸運の招待状と惚れ薬が同時に舞い込んできたというわけだ。
―― 惚れ薬を飲む。そしたら、トリムが私に触れて、私はトリムに惚れる。……あら? もう惚れているからややこしいわね。ううん、重要なのはトリムの気持ちよ。トリムは惚れ薬に頼ってしまうくらいに、私のことが好き……?
惚れ薬を飲ませるということは、もはや愛の告白と同義。苦節十年、長すぎる片思いに、終止符を。
そうして、惚れ薬合戦開始。ゴングが鳴るように、ドアが開かれる。
「お待たせ。レモンティー、よく冷えてるよ。早速いただこうか」
「トリム……! それが、まさにレモンティーというわけね」
「うん? これが正真正銘レモンティーだけど、どうかした?」
「え!? いえ? なんでもありませんわ」
もうローズの目はレモンティーに釘付け。普通に飲めばいいだけなのに、緊張でグラスに手が届かない。こんなにバリュアブルなレモンティーがあるだろうか。心臓がはちきれそう。
「ローズ? クッキーばかり食べて、レモンティーは飲まないのか?」
「いえ、少し緊張しただけですわ。謹んでお受け致します!!」
「ははっ、やたら仰々しいね。じゃあ仰々しく乾杯しようか」
彼はニコリと微笑んでグラスを掲げる。
さぁ、幼なじみ以上婚約者未満の彼と、惚れ薬で乾杯を!
ローズはコクリと頷いてから、おずおずと、それでもしっかりとグラスを持った。顔から火が出そうだったけど、震える手で照準を定め、トリムのそれに重ね合わせる。気合いがグラスに伝わって、ガツンと猛々しい音が鳴る。あぁ、乾杯がこんなに恥ずかしい行為だったなんて!
恐る恐る口をつける。ごくりごくり、暑い夏。二人はバチバチと視線を合わせながらレモンティーを飲む。
もう味なんか全く分からなかった。とにかく必死に飲み込んだ。ご令嬢にあるまじき一気飲み。レモンも丸ごと飲み込んだ。
―― あとは触られたら、それ即ち愛の告白っ! お父様、わたくし嫁ぎます!
ちなみに婿養子なので、嫁ぐのはトリムだ。
「……ローズ。口元にクッキーのかけらが付いてるよ」
「え?」
「取ってあげる」
早速きた。ローズの口元に彼の手が伸びてくるものだから、彼女は覚悟を決めるように目を瞑った。お触りプロポーズという新しいスタイルに、ドキドキが止まらない。
―― 触れらちゃう! ……ん? 布?
「取れたよ」
「ハンカチですわね……」
「どうかした?」
「え、いえ。ありがとう」
「そういえば。さっきの招待状、もう一度見せて貰ってもいい? 幸運の招待状なんてなかなか見ること出来ないしさ」
そう言って、彼はローズの隣に座り直してきた。いつもだったら彼女の髪とか肩とか太もも付近とか、隙あらば触ってくるセクハラトリムなわけで、ローズは『とうとう来る!』と身構えた。しかし、どういうわけか触られない。
素敵な招待状だとか、天気がどうだとか超どうでもいい話が耳を通過する。一体これは何の時間なのだろうか。
ローズはじりじりと距離を近くして、小首を傾げる。
「ね、今日は触らないの?」
「ん? どういう意味?」
「いつもはベタベタ触るじゃない。なんで触ってくれないの?」
「ははっ、いつも嫌がるのはローズの方だろう」
意地悪に笑う彼。その表情を見て、ローズは分かってしまった。
―― 触る気がないんだわ……
じゃあ、なぜ惚れ薬なんて一気飲みさせたのだろうか。いや、勝手に一気飲みしたのはローズなんだけど。
その答えは一つ。きっと、とうの昔にローズの気持ちなんかバレていて、それが面倒だったから他の男性に惚れてもらい、この幼なじみ以上婚約者未満なんて宙ぶらりんな関係に終止符を打ちたいからに違いない。
―― 私、嫌われてるの?
ローズは思わず俯いた。飲んだレモンティーの味が今頃になって分かる。喉の奥が酸っぱくて、苦い。
「ローズ」
「……なんですの?」
「惚れ薬って何本あったか覚えてる? 今はかごの中に一本しかないけれど」
「たぶん六本ありましたわ」
「六本。かごの中に一本、さっき使用人に二本使って……あぁ、ポケットに入れっぱなしだった。おいそれと使えないしね、かごに戻さないと」
「え?」
ローズの目の前で、トリムはポケットから惚れ薬を取り出す。紫色の小瓶だ。
「つ、使ったのではないの!? さっきキュポンと音がしましたわ!」
「ははっ、やっぱり聞こえた?」
「もしかして、鳴らしただけですの? うそぉ……?」
「ごめん、嘘」
ローズが思わず脱力すると、トリムは笑いながらローズの肩を引き寄せた。右手で赤い髪をいじりながらやっとこさお触り開始。
「いつも俺を試すから、そのお返し。……と思ったんだけど、ローズってこんなに俺のこと好きだったんだね。これは予想外だったなぁ」
「うっ……試したんですの!?」
「お互い様。そういうことなら、もういい加減に俺との婚約話を受け入れたら?」
「……こんな風に結婚するなんてイヤですわ。簡単に触らないで」
「さっきは触られたくて仕方ないって顔をしていた癖に?」
トリムの意地悪な笑みに、ローズは頬を膨らませる。レモンティーを一気飲みしたせいで、ローズの気持ちはバレてしまったわけだ。これじゃあ惚れ薬じゃなくて惚れバレ薬だ。恥ずかしくてたまらなかった。
もっと言えば、ローズの気持ちを知ったところで喜ぶわけでも驚くわけでもない、彼の平坦な態度。何を考えているか分からないところが好きだけど、少しくらい彼の心の内を見せてほしかった。
どうにも居たたまれず、我慢できないほどに悲しくて、ローズは思わずポロリと涙を零してしまった。こんな風に泣くなんて、子供の時以来だ。不思議なくらい感情が溢れて止まらない。
このままじゃ全てぶちまけてしまいそうだと思ったローズは、そこで「帰ります」と立ち上がった。
「ローズ?」
「今日は帰ります」
「ま、待って。ダメだよ、ローズ。泣いたまま帰らないで」
「ううん、もうたくさんだわ。耐えられない。……しばらくはここに来ません」
「は? ちょ、ちょっと待って。ごめん、意地悪しすぎた。帰らないで、本当にごめん」
トリムは柄にもなく焦った。これが彼女の本音だと分かっているからだ。ここで帰られたら、本当に顔を出してくれなくなりそう。
彼女の白い手をきゅっと握って引き止め、俯く彼女の顔を覗き込む。
―― 泣き顔、可愛い。試し行動なんてやめて、いつもこれくらい素直だったらいいのに
でも、さすがにやりすぎたらしい。いじめっ子のトリムは反省だ。
かごに残された最後の小瓶をひょいと取り出し、彼女の膨れた可愛い頬に軽く当ててやった。幼なじみ以上婚約者未満の彼女と、惚れ薬で乾杯を。
「仲直りの乾杯」
トリムはキュポンと音を立て、そのままごくりと飲み込んだ。
「トリム!?」
「げ。これすごく酸っぱくて苦いなぁ」
「の、飲んでしまいましたの? な、なぜ?」
「それ、今更聞く? こんなの、飲んでも飲まなくても変わらないからだよ」
そして、彼女の頬に手を伸ばす。しっとりとしているのにサラサラで、柔らかい。
「その、どうかしら?」
「相変わらず触り心地は抜群だね」
「そうじゃなくて! ……私のこと、どう思ってるの?」
「うん……はぁ、すごい効き目だね。ローズ、好きだよ。愛してる」
「え、ほ、本当に!?」
「本当。だから、俺のお願いを聞いてほしい」
「お願い?」
トリムはチュッと軽くキスをする。十年間の片思いで激烈に重くなっていたファーストキスを軽~く奪う男。ローズの頭は大爆発した。
「とりむぅ……?」
「もう、他の男とデートしないで欲しい。手も繋がないで。エスコートなんかさせたくない。『幸運の招待状』は、俺と使ってほしい。ローズのこと、幸せにするから」
「と、とりむぅ……」
「いい加減、婚約者未満は嫌だ。触るだけじゃ足りない、もっとこういうこともしたい」
さり気なく十八歳男児的発言を混ぜつつ、またもやキス。
「もう観念して、俺と結婚しよう」
「~~~っ! しますぅ~!」
「あ、本当? 良かった、ありがとう。前言撤回はなしだからね? 誓える?」
「誓いますぅ~!」
トリムは「それは良かった」と言いながら、さらにキスを追加する。ライトじゃない方のキスに彼女はとろんと溶けていく。うん、口直しだ。
「トリム、大好き……」
「あのさ、一つ確認なんだけど、惚れ薬で相思相愛でもいいんだ?」
「背に腹はかえられないもの。結果良ければなんでもいいの……好き……」
「なるほど、同感。昔からこういう価値観は同じなんだよなぁ。じゃあ、めでたしめでたしだね。お祝いに乾杯しよう」
トリムはポケットに入れていた二本の果実水を取り出した。ローズはぽーっとしながらそれを手に取り、蓋を開ける。
「乾杯」
カツンと良い音が響く。ごくりごくり、暑い夏。婚約者になった彼女と、惚れ薬で乾杯を。
「なんか……この果実水。酸っぱくて苦いですわね」
「本当だね、不味い。あ、でも全部飲んでくれたんだ?」
「婚約記念ですもの」
「じゃあ、記念にもっとキスしていい?」
「うん……」
そうして彼女がキスに夢中になっている隙に、トリムは小瓶に付属していた小汚い紙をもう一度見る。キスをしながら翻訳。器用な男だ。
======
トリムくんへ
内緒話なので西の国の言語で書いています。
娘のローズも十八歳になり、婚約者がいないことで縁談がわんさかきています。もう断るのも疲れましたトホホ。
しかも、驚くべきことに『幸運の招待状』が届いてしまいました。正式に婚約者を決めなければなりません。
ここだけの話、ローズはトリムくんのことが大好きで、片思いをこじらせています。素直になれない娘で申し訳ない。どうかこの小瓶を使って、幸せにしてあげてください。
そして、どうか婿養子になってください。
【惚れ薬】
一本摂取:開放的になり、本音がダダ漏れる
二本摂取:ちょっとそういう気分になる
三本摂取:一番初めに触れられた相手に惚れる
ローズパパより
======
「……うん、なるほど。二本で正解だったな」
「トリム?」
「ねぇ、ローズ。夏だし、身体が熱くなったりしない?」
「そう言われてみれば、なんだか……変な感じがするような」
「同じく。婚約記念のキス、続けようか」
トリムの私室には空になった小瓶が六本並び、二人は無事に婚約者以上の関係に収まった。
そうして『幸運の招待状』でお呼ばれした秋の園遊会。幼なじみ以上婚約者未満だった彼と彼女は、幸せな乾杯の音を響かせたのだった。
【幼なじみ以上婚約者未満の君と、惚れ薬で乾杯を】完
お読み頂き、感謝です。




