被疑者、エピソード1
少し難しいテーマですが、読んでいただければ幸いです。
初夏の朝日に一部が照らされた受付カウンター、そこに毎朝届けられるリストがある。
それは奥村慎二の憂鬱な時間の始まりでもあった。
そのリストには予定時間、区分、氏名、よみがな、性別、担当者、内線番号、待合場所などが記載され、区分には9割の人が被疑者と記載されている。
「被疑者」とは犯罪の疑いを掛けられ、捜査の対象になっている者を指す。
担当者は検事、副検事、捜査官を指している。
もう一つ、同じ建物内にある保護観察所からのリストもある。
こちらは名前と担当者、内線番号と4号やPなど暗号が記載されている。
普通に毎日を平和に暮らしていれば、検事や保護観察員及び職員以外踏み入れる事は無いこの施設で奥村慎二は今年働き始めた。
漠然とした知識しか無かった彼にとって、この施設での対応の難しさと人間の側面をまざまざと見せつけられる場所であるとは想像もしていなかった。
そう、ここは彼らが働いているとある地方検察庁。
検察庁の建物は四角く無機質な銀色の建物である。曇り空の時などは空と同化し不気味さをも醸し出す。
右隣りには裁判所があり、左側には法務局が入った合同庁舎が並んでいる。
余談ではあるが検察庁と法務局は法務省、裁判所は司法省の管轄であるが、この仕事に関わらなければ余り気にする事はないかもしれない。
彼らの職業は警備員で、職員では無く警備会社の社員である。
検察庁の受付業務は警備会社が入札を経て、委託3名体制で行っている業務であり、メインは受付業務であるが巡回、駐車場業務も行っている。
相方はベテランで几帳面な同世代の高原敏行、もう一人が中堅の服部雄二さん彼は我々より年配ではあるが、歳を感じさせないエネルギッシュな方である。
リストに載っている人たちには、呼び出し時間が記載されている。時間通りに来る人がほとんどではあるものの、来ない人は毎日数名はいるのが現状。
調べてみると呼び出しに応じるのは任意だそうだが、最悪の場合は逮捕されるケースもあるらしい。
朝9時前に一人目がやってきた。
「おはようございます、受付はこちらです」私は立ち上がり男性を向かい入れた。
男性は少し緊張気味だがどこかふてぶてしい感じもする。 きょろきょろしながら受付のカウンター前にやってきた。
男性は、「○○検事に会いに来た……」呼び出し状を差し出しながら言った。
「お名前は何と言いますか?」「えっ、名前……上村……!」
ここに来る人たちの多くが、なぜか自分から名前を名乗らないのが特徴であり、呼び出し状があればすぐにわかるが、電話呼び出しでの時には名前とリストの照合から始まる。
「上村さんですね、それでは消毒と体温を測って下さい」
現在では、コロナ禍で入室するための当たり前の行為だが、誘導しないとなかなかやらない人が多いのも特徴かも。
「こちらが入館証になります、コレを付けて白いテーブルのところに移動してください、金属検査を行います」
受付の横には金属探知のゲートがありその横のテーブルに移動してもらう。
男性は少し面倒臭そうな顔をしている。テーブルの前には服部さんがいる。
「荷物をテーブルに置いて下さい、ポケットの中に鍵、携帯、小銭、タバコやライターが有りましたら出して下さい」
男性は服部の呼びかけに応じてはいるものの「こんなの意味ある……」と言っている。男性は面倒くさそうな態度でゲートを潜った。ブザーは鳴らなかった。
「鞄を開けて見せてください」服部は男性の表情を無視しながら淡々と進めていく。男性は、それ以上何も言わなかったが明かに顔が不機嫌である。
(意味があるに決まっているだろ、国の機関が金属探知をするってことは過去に何かがあり無意味な事はしないんだよ……)と奥村は心で叫んでいた。
実際、過去に検事が刺されるという事件があったと後日、聞かされ奥村は少しびびっていた。
「担当者が迎えに来ますので、あちらに座ってお待ちください」
検察庁では、無断で上には上がれず受付で確認した後、内線連絡を入れその後迎えに来るシステムになっている。それを担当しているのが彼らの仕事である。
だが彼らには、リストの被疑者が何をし、どんな犯罪を起こしたのか知る由もない。
だからか、緊張感は半端ないかもしれない得体の知れない人を相手している現状があるからだ。
あくまで想像だが、彼らが呼び出されるのは軽微な犯罪だと思われる。
重罪犯の場合、裏手にある駐車場に護送車で運ばれそのまま収監される。
巡回時に刑務官に連れられ手錠を掛けられた被疑者を、検事の部屋へ搬送するのを時々見かけるが、受付では彼らを見かけることは一切無い。
「△△検事に呼ばれて来ました」次の被疑者がやってきた。
「あなたのお名前は?」若い女性20代前半だろうか?
「田中です」「下のお名前は?」
田中はよくある名字で名前を聞くことが必須となる。
「海です」
受付にやってくる被疑者は女性も多い。そして、偏見かも知れないがキラキラネームと言われる一時期流行った名前が多い気がする。犯罪と名前は何か関係がある気がする。
名は体を表す奴かもしれないと、彼らの妄想は膨らむ。
(あなたは何をしたんだ?)
彼女の服装はブランドの服を着て派手な化粧をしている、どこかの街並みに出ていく様な格好である。少し場違い感がある。
しかし、そんな彼女だが帰り際駐車場の通路で涙を拭っていた。
やはり虚勢を張っていた彼女の心が見えた気がした。
その後、続々とやってくる。
「保護観察―〇Xさん!」
「お名前は?」相変わらず名乗らない。
「黒田」
リストに乗っている彼の名前の横に『薬P3回』と記載されている。『薬P』とは薬物のプログラムの3回目で、彼が薬物で逮捕され現在保護観察中である事が分かる。
「消毒と体温を測って下さい、入館証を付けて金属検査へお願いします」彼は慣れていて手際よく進む。
金属検査においても、自らポケットから携帯や鍵を出していく。
「鞄を開けて見せてください」こちらも言う前に開けていた。
「これは?」カッターナイフが見えた。
「預かるんだったら、やるわ!」(そんな物いらない、なんで持っている、分かってて持ってくるなよ)と、私の心は叫んだ。
「お預かりします」建前上の言葉を発しカッターナイフを籠に納めた。
(ここは検察庁―舐めてんのか!)
待合で待ってもらい、担当者が迎えに来た。彼の態度はイライラとしている感じに見えた。
彼はプログラム終了し、担当者と受付まで降りてき預かっていたカッターナイフを粗々しく取り、無言で去って行った。
「今日は彼、荒れている……!」担当者はポツリと独り言を言って2階に上がって行った。
(あのカッターナイフはファインプレーだったかも!)と思ったが、背筋がゾッとした瞬間でもあった。
……憂鬱な元凶はまだまだ続くが、また後日!
ありがとうございます。