331ールティーナ
「本当にこのクッキー美味しいです。風味が全然違います!」
「でしょう?」
「何が違うのでしょう?」
「多分、バターですよ」
「殿下、バターですか。でも私が作る時もバターは入れますが。特別な物なのでしょうか?」
「特別ではないと思うよ。ただ、シェフは新鮮なミルクからその都度作っている様ですよ」
「まあ! バターを作るのですか!?」
おや、思っていたより明るい可愛らしい娘さんじゃないか。婚約破棄されたのに、落ち込んでもいないみたいだな。
「しかし、その元婚約者ですか。愛人なんてよく言ってきましたね」
「リュカ、そうだよね。失礼にも程があるよ」
ルティーナ嬢が経緯を詳しく話してくれた。
隣領のビスマス伯爵家を交えて三つの領主達は小さな頃から交流はあったそうだ。だから、婚約の申し出があった時もそう深く考えずに受けたらしい。
初等部に入る時は婚約者を決める一つのタイミングになっているらしい。
初等部の時は良かった。普通にそれなりにやっていた。が、高等部に上がって男爵令嬢が途中から編入してきてから変わった。
その男爵令嬢の家は、領地を持たない。
ルティーナ嬢の元婚約者の領地の一つの村を任せてもらえて、高等部に編入できたそうだ。
それからは、男爵令嬢の猛アピールが始まった。その上、ルティーナ嬢には身に覚えのない事を言ってきて責められた。
男爵令嬢の物を壊したり、わざとぶつかったり等色々言われたそうだ。
そして、どんどん元婚約者と男爵令嬢は親密になっていった。
それでもルティーナは、男爵令嬢とは婚姻前の一時の気の迷いだろう、程度に思っていたそうだ。
それが、どんどん男爵令嬢と深い仲になり、ルティーナは元婚約者に避けられる様になった。
決定的になったのが、学園の卒業パーティーだったそうだ。
男爵令嬢を虐めたと事実無根の事を責められ、男爵令嬢と真実の愛を見つけたと皆の前で婚約破棄を言い渡された。
ルティーナはそれをその場であっさり受け入れた。そして、婚約は解消された。
なのに、領地に帰ってきてから、愛人にしてやるから持参金を払えだの、虐めた事に対しての慰謝料を払えだの、と言ってくるらしい。
「何それ……」
「殿下、ですよね?
クッキー、本当に美味しいです! 作り方を教わろうかしら」
「アハハハ。ルティーナ嬢、あんまり気にしてないのですか?」
「殿下、だって意味が分かりませんもの。それに、特別仲が良かった訳でもありませんし。何より、そんな不誠実なお方は願い下げです」
「そうだね、もっともだ」
うん、俺もそう思うわ。そんな奴、やめておく方がいいさ。ルティーナ嬢を見ていると、それ程気持ちもなかったのではないかと思う。
あっけらかんとしている。むしろ、ホッとしている様にも見える。
「殿下、私の事はどうぞルティとお呼び下さい」
「そう?」
「はい!」
「じゃあ、ルティ。ボクはリリで」
「出た!」
「リュカ、もうそれいいよ。飽きちゃった。満腹だよ」
「えー、殿下。そう言わずに付き合って下さいよ!」
俺はリュカをスルーしてりんごジュースを飲む。エへへ。
「ウフフフ。リリ殿下とリュカさんは仲良しなんですね」
「リュカはボクのヒマ友なの」
「まあ! ヒマ友ですか!」
「殿下、マジやめてください」
「リュカ、何で? いいじゃん。本当なんだもん」
「従者の方と仲が良いんですね」
「ああ、リュカは従者兼護衛なんだ。リュカはこれでも3等騎士なんだよ」
「殿下、これでもって何スか」
「凄いですわ! 騎士に叙爵されるなんて! オクソール様と言い、ハルがいたら喜びますわ!」
「ハル? それは誰?」
「はい。私の幼馴染なんです。ビスマス鉱山のある町を任されている子爵家の長男なんです」
「へえ、仲良いの?」
「はい。小さな頃からズッと仲良くしてます。今は騎士アカデミーにいます」
「アカデミーか。テュール兄さまがいる」
「テュール殿下も騎士アカデミーでしたね。ハルも騎士アカデミーの1年です」
「もう夏のお休みなんじゃないの?」
「そうですね。そろそろ帰ってくるかも知れません。オクソール様を見たらビックリしますよ」
「やっぱ、オクは有名なんだ」
「そりゃあ殿下、最強の騎士ですから! リュカさんは2番ですか?」
「私は、2番ではありません」
「え?リュカさん、そうなのですか? すみません」
「ルティーナ様、謝らないで下さい。余計に落ち込みますから!」
「まあ! 申し訳ないわ!」
「アハハハ! ルティ、2番は誰だと思う?」
「殿下、そうですね。テュール殿下とか? いえ、騎士団長とかですか?」
「いいえ。ボクのシェフなんだ」
「えっ!? 殿下、クッキーを作ったシェフですか?」
「そう。ボク専属のシェフは、なんと帝国で2番目に強いんだよ」
「凄いですわ! 本当に、ハル帰ってこないかしら!」
ルティーナ嬢がハルと呼んでいるのは、ビスマス伯爵領でビスマス鉱山の管理とその近辺の町を任されている子爵の長男で、ハルコス・ビリューザと言うらしい。
しかし、ビスマス鉱山はビスマス伯爵領の要だ。そこを任されているのだから、信頼されているのだろう。
「ルティ、そのハルとは婚約しようと思わなかったの?」
「ハルは、自分が子爵家だと言う事を気にしているのです。領地もないからと」
「領地がなくても、鉱山のある町を任せてもらえているなら、そんなに気にする事ないのに」
「私もそう思います。私の両親も、今更ですがハルだったらと言うんですよ。なら、婚約の話が出た時に断ってくれれば良かったですよね!」
「あらら、ルティて結構ハッキリ言うね」
「父がお人好しで、押しに弱いタイプなんです。ですから、私達がしっかりしないと、と思って育ったからではないでしょうか?」
そうか。ルティーナの父親は見るからにお人好しそうだもんな。
――コンコン
「誰だろ?」
ニルがドアを開けに行く。
ルティーナ付きらしい侍女が入ってきた。
「失礼致します。お嬢様、お探し致しましたよ。あまりリリアス殿下のお邪魔をされてもいけません」
「あら、ごめんなさい。殿下、長居してしまって申し訳ありません! クッキー美味しかったです」
「いいよ。また話に来てね」
「はい! 喜んで!」
「もう、お嬢様」
「あのね、クッキーがとっても美味しいの!」
はいはい。元気だね。明るくて素直で良いご令嬢だ。幸せになってほしいね。
婚約破棄が変な噂にならないといいが。
「殿下、それは無理です」
ニルがまた俺の考えている事を読んで言った。