満腹中枢
ねえ、不思議だと思わない?
音楽を聴いている時って、頭がそれでお腹いっぱいになるの。
だから、音に夢中になって何も考えられなくなるの。
他事なんてしないでって音楽に言われているみたい。その瞬間に生み出されている繊細な味をこぼすことなく、味わいつくさなきゃいけないように思えるのよ。絶対ねって。
だからこそ、すごく集中して聞かなきゃいけないの。だからずっと私のお腹はいっぱい。
そんな私は、最近街を歩いていて思うことがあるのよ。
みんなそれぞれの自分の選んだものを嗜みながら、各々の時間を楽しんでいる。
個人の限りある時間の中で、味わっている。それは、とても有意義で素敵なことであると思うの。私もその一人の時があるからね。
けれども、日常的に完璧に作られた音に満腹になった時、私たちの心を満腹にしてくれない音は雑音とされてしまうのかしら。それとも、それすらに味を感じられる人が素敵な感性を持っているってカテゴライズされていくのかしら。
私たちの生活の中にある、未完成な音を嗜む余裕は今の私たちにあるわけ?
常に完璧な音を自分中に収めて、満腹になった気になっていて、本当は満腹になってないんじゃないかしら。空虚な満腹が作り上げられているようにも思えるの、最近は特にね。
本当は、雨の音や木々の葉がこすれて生み出される音、みんなの話す声とか。全てが特別な音で、それが重なって奏でられるのが日常の中の音楽で、それがその時間しか嗜むことのできない音楽なのだけれども。なんだか、今を逃しても、味わえてしまうっていうような通念がみんなの中に存在しているわよね。
少し、切なくも感じるの。
今ここの場所でしか味わえない心の揺さぶりは、いつ私が出会うことができるかわからない。
私たちの聴覚は、少し麻痺してしまっていると思うわ。
もっと、もっと、耳を澄ませて。本当の意味で耳に心地の良い満腹になれる音を味わってみてほしいと思うの。
目の前の一か所の場面を切り取ってみても素敵な音が溢れているのよ。
そんな音たちを箇条書きにしながら、あなたの心に手を当ててみたら、
きっと心が落ち着いて、生きているなんて言葉にしなくても、生きていることが実感することができると思うわ。どうか、自分の中で満腹を作り上げてちょうだい。
麻痺せず、自然なままで生活を味わってね。