シャインマスカット
冷蔵庫の中を少しあさっていたら、この話が、シャインマスカットの様にキラキラとみずみずしく輝いて見えたから、ひとくちおすそ分けするわね。
いい子ってなんなのかしら。
勉学に励んでいて偏差値の高い学校に合格した人間が、いい子?
部活動でいい成績を残した人間が、いい子?
先生や親の言うことをきちんとこなせる人間が、いい子?
それとも、他の人の事を考えられる人間が、いい子?
その前に、いい子って何歳から何歳までの人間を指しているの?
まだ若い私のことだから、この範囲の例しか挙げられないのだけれども。
上に挙げた四つの例、あれは全部いい子っていうものに属していると私は思うの。
けれど、いい子って言葉がバクっと抽象的すぎてなんだか気に入らないわ。
だから、そんな抽象的な言葉なんかに縛られなくていいと思うのよ。
あら、わたし、前にいい子に生きましょうって言っておきながら否定しちゃったじゃない。
でもね、よく、
「いい子にしてなさい」「ほんとにいい子だね」
なんて類の言葉、今まで生きてきて山ほど言われたり、聞いてきたと思うの。
何だかそれが明確にはわからないけれど、いい子でいればいいのか…って考えたことがある人も多いと思うわ。けれど、そのいい子って誰が定義づけて、私たちはいい子って呼ばれてるわけ?
その言葉を発してる人の頭の中にしか、定義が存在してないじゃない。
なんだかそれって、私たち、そんな訳の分からないものにさせれらてるって感じるの。
そんなものにまとめられても嬉しくないわよね。言葉の雰囲気に惑わされちゃだめよ。
かっこいいやかわいいなんて言葉も同じよ?
どんな人がかっこいいだとかかわいいなんて、人それぞれでしょう?
好みがあるからしょうがないじゃない、みんな一緒なんて可笑しいわよ。怖いわよ。
だからね、無理に核のない言葉に自分を定義づけて生きなくたっていいの。
私たちをすべてそんな抽象的な得体のしれない言葉で定義づけて、それになりなさいなんて言われても困っちゃうわよね。山ほどの例があって、人によって定義が違う。
そんな言葉になんて、当てはまろうとしたら負けよ。
自分のやりたいこと、好きなものに囲まれて生きるの。
そうしたら、いい子だとかかっこよくとか、かわいいとか定義づけられる前に、勝手に輝いちゃうんだから。誰かが自分を何かにしようとする前に、自分が輝いちゃえばいいのよ。
そしたら素敵な世界になるのになあ。
自己肯定感なんて言う最近よく耳にするような言葉なんて聞かなくても生きてられるのにね。
私はみんながそれを先天的に持ち合わせてると思っているの。
けれど、みんなひとまとまりにされに行こうとしているから悲しいわ。
もっと自分の可能性を信じて、自分をもっと大切に磨いてほしいの、きっとみんな素敵な宝石だから。
明日も自ら輝いていきましょうね。