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3、アホ王子がアホじゃないんですが?



 



 完璧ハイスぺ令嬢リリィディアへの道は険しい。しかも長くて果てしなくてどこまでも続いてて辛い。しくしく。

 誰も見てないと思って、つい庭の薔薇の花の植え込みの下で座り込んで泣いていたら、後から誰かの声が聞こえた。

「お嬢様も、そうやって泣くことがあるんですねぇ」

 焦って声がした方を見上げると、鳶色の瞳をした見覚えのない若い使用人が立っていた。

 よほど長くしているのか、木綿のボンネットに押し込んでいるブルネットが脇からはみ出している。公爵家の使用人という仕事は、下級貴族の子女にとって行儀見習いという箔付けに最適のものなのだそうで、この目の前で腰に手を当て仁王立ちしてる女性も、そんな貴族令嬢の1人なのかもしれない。それでも、どこか個性を感じさせるお仕着せの着こなし方に、こんな身だしなみでは侍女頭に怒られやしないかと俺は他人事ながらひやひやした。

「どうして、こんなところに…」

 誰にも見つからない筈なのに、と涙を擦りながら非難の声をあげると

「あっちのリネン室の窓から、木の根元にドレスの裾が見えて。洗濯物が飛んでったのかと思って見に来たんです」

 首を回して見上げると確かに邸の窓が見える。全然気が付かなかった。

 がっくりと項垂れる俺のすぐ近くに、その侍女は気安い感じでどさりと座った。

「…土の上に直接座ったりしたら、ドレスが汚れましてよ」

 侍女頭のメイスンさんに怒られるぞ? あの人滅茶苦茶オッカナイからな? 

 儚げな美女のような見た目とは裏腹に、静かにねちねちとエンドレス小言を言い続ける侍女頭をこれまで何度も見かけてきた。的確に心に抉り込むようなその言葉に心を折られ、何人もの使用人が入れ替わったんだよね。

 あぁ、でも。このちょっと生意気そうな使用人をねっとりしっぽり手取り足取り腰取りおはようからベッドの中でまで、丁寧に躾けるメイスンさん攻めはアリか。いや、杓子定規な侍女頭メイスンさんを自由奔放な年下の使用人が攻める方がオイシイ気がする。

 もわもわと妄想世界に浸りそうになったところで、侍女が急に黙った俺に怪訝そうな顔を向けているのに気が付いた。

 こほん。

 気を取り直して、完璧令嬢リリィディアたんたるべく表情を作る。いや、作ろうとした。

「大丈夫ですよぅ。私みたいな新入りは下働きもどきしかさせて貰えませんもん」

 ケラケラ笑って手を振る若い使用人の態度に、思わず表情を作り損ねてしまった。

 広い公爵邸には侍女だけでなく、洗濯などの力仕事をする下女もいる。

 どうやらこの新入りは、侍女と下女の間あたりの仕事しか任されていないらしい。そうだろうな。動きも言葉遣いも雑すぎる。

「侍女頭のメイスンさんに見つかったらお小言ではすまないと思うわ」

 俺のその言葉に、若い使用人は「見つかりませんよぉ」と笑った。

 いや、ホントに凄いからな? あの人のエンドレスお小言。ホントだぞ?

(あのメイスンさんが黙るのは、俺の前でだけだ)

 あの日、大魔法を使ったのが俺だと知っている古株の使用人達は、俺の前であまり口を開かない。恐怖という感情を表に出さないように、俺を怒らせないように、懸命に心を押さえつけ神経を尖らせているその様子は俺からしても苦しくて、傍に居るのが辛い。

 自分が何をしてこんな態度を取られているのか判らなかったゲームのリリィディアは、きっともっとずっと辛くて寂しかったことだろう。

 ぎゅっと胸元を押さえる。

 今の俺は、その原因となる理由を知ってる。

 使用人達はリリィディアがレイン・ラモント公爵が手に入れた竜の鱗の人非ざる力をリリィディアも使えるとだけ教えられていた筈だ。

 どうして使えるのかも、どれほど大きなことが出来るのも判らなくとも、人非ざる力を揮うことのできる少女に対して、努めて感情を悟られないよう遠巻きにしてきたんだと思う。

 リリィディアたんが感情をあまり表さない子供だったのは、産まれてすぐにおかあさんが亡くなってしまった事も原因ではあるんだろうけど、それだけじゃなくて自分の周囲にいた大人が自分を敬遠しているのを察知していたことも大きいんじゃないかなぁ。

 まぁね。俺は全部知ってるし、元が聡いからね。

 使用人達にどんな態度を取られようとも傷つかなかったとは言わないけど、理解はできた。うん。だから大丈夫。

 でも、たまーに。今日みたいに自分が駄目すぎて泣きたくなった時なんかは、自分の部屋で泣くのは躊躇われた。だってすぐ誰か来るんだもん。リリィディアが癇癪を起して人非ざる力を揮うようなことにならないように。もし使ったとしても原因を知って、即対処できるように。

 常にそんな風に冷たい瞳で観察されていたら、弱っている心にクルものがあんだよ。俺だって!

「大丈夫大丈夫。あたしみたいに端っこの使用人如きが高貴なる侍女頭様の目につくような場所に配置される訳ないもん」

 そういって、ぐっと両手を上にして伸びをする。自由な奴だな。下級かもしんないけど、貴族令嬢だろうに。

 思わず目を瞬く。するとその使用人は、にぃっと悪い顔をして笑った。

「それでも見つかったら『御気分が悪くなられたお嬢様をお見かけして』って言っとくから適当に話し合わせておいてくれると助かるわ」

 あまりに馴れ馴れしい態度に面喰っていると、「完璧お嬢様が植え込みの陰で泣いてたってお話、みんな喜んでくれると思いませんか~?」とにやりと笑われた。

「いえ、別に」

 さらりと返す。ホントに困んねーし。すると「え? え、だってバレたら恥ずかしくないです? 恥ずかしいから隠れてたんでしょう?」と何故か追い縋られた。

「いえ。家令と侍女頭から監視されている中で弱音を吐くよりはマシかなというだけです」

 そんな本音を吐かなくても、黙って立ち去っちゃえば良かったんだと思いついたのは、目の前の使用人がもんのすごーく不憫な者を見る目をして見つめてきた時だった。

 失敗した。

「うわー。なにそれ、キッツー。あの陰険婆と陰湿爺のコンボはそりゃキツいわね」

 なるほど、隠れて泣きたくなる気持ちもわかるわー、とうんうん頷かれて頭が痛くなる。

 しまった。変なのに懐かれた?!

「あたしならいつでも愚痴聞くよー。女の子には、そういう相手も必要でしょ?」

 そういって肩に掛けられそうになった手をすっと避ける。

「…わたくしに馴れ馴れしくしても、おとうさまには近づけなくてよ?」

 鳶色の大きな瞳をしたエロ体形の若い使用人。思い出した。ノベライズ版に出てきたレインに夜這いを掛けて公爵家を追い出される男爵令嬢じゃん。

 エロで男を落とそうとするとか、純愛と一番遠いところにいるような俺の一番嫌いな女だ。エロ禁止! 色気過剰禁止!!

 しばし睨みあっていると、ふぅ、と男爵令嬢が大きく息を吐いた。

「ちぇーっ。駄目か。娘から近付くのはいい考えだと思ったんだけどなぁ」

 目の前に立つ悪びれもしない女が異星人に見える。まぁ俺は異世界人だけど。

 そういえばゲームの中の人からは、現実世界のゲーマーってどんな存在になるなんだろ。

 異世界人でいいのかな。それとも創世神のいる世界の人扱い、神世人とかかな。うはっ。

「なに急にニマニマしだしてんのよ?」

 いかん。つい妄想が捗ってしまった。続きは部屋でにしよう、そうしよう。

 立ち上がってそのまま部屋へと戻ろうとした俺の前に、そいつが立ち塞がった。

「偉そうに。公爵家の令嬢って事になってるだけで、本当は血も繋がってない癖に」

 思わず視線を合わせる。

 そこには醜悪な顔をした女が立っていた。

「ふふん。何だ。お嬢様も知ってたんだ。残念。もっと絶望って感じの顔してくれると思ったのにぃ」

 くふふ、と嗤うその顔は醜かった。

 この女、どこまで知ってるんだろうか。というか、どこでそれを知ったのか。もしかして…?

「あたし、聞いたんだから。うちの因業爺が酔っぱらって喋ってたの。竜の鱗を持ち帰った時、公爵が腹の大きなすんごい美人を連れ帰ってきたって。その美人が生んだ女の子を公爵は忘れ形見として自分の子にしたって。美談だって、酒にも話にも酔ってるみたいだった」

 なんだ。つまんないの。転生者じゃなかったのか。

 俺は期待しちゃった分だけ心底ガッカリして、そのまま部屋へと戻ることにした。あーあ。

 スタスタスタスタ。

 なんの躊躇も持たず歩を進める。その俺の腕が、がっと掴まれる。

 振り返りもしないで、どうすっかなーと思っていると、

「待ちなさいよ! どこの馬の骨かも判らない子供が公爵家の令嬢だなんて知られていいって言うの?!」

 わお。脅迫されたった。さて、どうしようかなー、なんて。悩む必要もないか。

「手を離しなさい。わたくしがどこの馬の骨なのかはわたくし自身も存じません。しかし、そんなことはどうでもいいことです。わたくしは、ラモント公爵家の一女にして唯一の嫡子と認められている。そうお決めになったのは、この国、この国の国王陛下。そしてラモント公爵ご本人です。それ以上に必要なことなどありません」

 ぱんぱんぱん。

 わたくしが切った啖呵に合わせて、高らかに拍手が響いた。

「さすが僕のディアだ。本当はそこに僕の名前も入れてくれると嬉しかったんだけどね」

「…キャメロン殿下」

 振り向いた先に立っていた方へ向けてカーテシーを取る。俺を脅してた侍女も慌ててカーテシーを取ろうとして動揺が出たのか尻餅を付いてしまった。ふぇっふぇっ。見苦しいのぅ。

 今日も今日とてビジュアルだけは乙女系ゲームの王子様然としたきらきらしいキャメロン殿下は、最近、ゲームでは見たことのないような黒っぽい御召し物をよく着ているようになった。今日のウエストコートも、黒地に艶やかな漆黒の絹糸で精緻な刺繍が施されており、それが陽光を受けて妖しく煌めいていた。金属めいた黒と金色の髪とのコントラストが映える。

「リリィディア・ラモント公爵令嬢は、この僕、カルヴァーン王国王太子キャメロン・カルヴァンの婚約者だ。この婚約は、この国が加護を受ける聖なる竜に神聖な誓いを以って正式に交わされたもの。それに異議を唱えるとは、お前、勇気あるな」

 目が…目が笑ってない。

 完全に黒目のハイライトが消えて、目が死んどる。怖ぇぇぇ。

「いえ。あの…」

 それなりに綺麗な男好きのしそうな顔を歪ませた若い使用人は全身をガクガクと震わせながら口籠った。

 懸命に、少しでも殿下に受けの良い答えを探しているようだが、どうやら上手くはいっていないようだ。まぁそうだよね。全部聞かれてたのは明白っぽいし。

 すると、にぃっと口角を上にあげて笑顔を形作ったキャメロン殿下が、その口調を幾分明るくしていいことを思いついたとばかりに問いかけた。

「名を名乗れ。公爵に名前を憶えて貰いたいんだろう? お前の事は、僕から公爵へ伝えておいてやろう」

 その言葉に、俺まで思わずぽかんと口を開けてしまった。

 同じく呆けた様子をした使用人が、顔に満面の笑みを貼り付けて改めてカーテシーを取り、名を名乗る。

「トパル男爵家が二女レッサと申します」

「そうか。レッサ・トパル、追って公爵から声が掛かることを待つがいい」

 そう告げた殿下を、興奮に頬を染めてレッサは再び殿下を見上げ、

「ひぃっ」

 そこに、悪意の光を目に燈し冷たい微笑みをした誰も見たことのないキャメロン・カルヴァン王太子殿下の顔を見つけ細い悲鳴を上げた。

 レッサの身体が悪意ある視線に射抜かれて震え、そのまま崩れ落ちる。

「きっと、明日にでもトパルなる男爵家は無くなるだろう。楽しみしているがいい」

「?!」

 俺まで吃驚して、キャメロンを振り仰ぐ。

 すると、先ほどまでのハイライトの消えた目は何かの見間違いかと思うようなきらきらとした瞳をした殿下が俺に笑いかけた。

「安心して? ディアに悪意を以って接しようとする貴族なんて、この国にはいないから」

 僕が消してみせるよ、と甘い声で続けられて鳥肌が立つ。

 え? え? …誰、これ?

 前々から思っていたけど、目の前に立っているキャメロン殿下が俺の知っている殿下とは別人のような気がして仕方がない。

 これまであった違和感については、勝手に、俺があまりにもポンコツなので婚約者に委縮して駄目王子になる筈なのが上手く機能してないだけだと思ってたんだけど。

 なんか、根本的に別人?

 ぞくりと背筋に悪寒が奔る。それでも、目の前で俺に手を差し出している殿下の瞳は甘い。

「さあ、ディア。我が最愛の婚約者殿。ここは陽射しが強すぎる。あなたの陶器の様に白い肌にはよくないだろう。あちらのガゼボにでもいかないか?」

 完全に勝手知ったる我が家状態の殿下に、俺は自宅の庭へと混乱したまま連れ出された。



 当然ながら、殿下はあそこまで一人で勝手に入り込んできた訳ではなく、家令のセバスに案内されてきていたようだった。

 俺が連れていかれる後ろでは、レインに名前を教えられる前にセバスの命でレッサが取り押さえられていた。

 そうして今、ガゼボの中で座る俺たちの前には、いつものお茶会でもないのに紅茶が出されていた。

 勿論、俺の前にある紅茶からはいつもの甘い花の蜜の香りが立ち昇っていた。

 その湯気がゆっくりと少なくなっていくのをただ見つめる。

「何か、言いたいことがあると思ったのだけれど?」

 その言葉に、俺はずっと見つめていた紅茶から視線を上げた。

 宝石のように煌めく碧い瞳。

 先ほど見せた、ハイライトの消えたあれと同じものとは思えない明るい瞳。今は面白がっているようだった。

「殿下、わたくしと、婚約を破棄して下さい」

 ほろりと本音が口をついて出た。

 その瞬間、俺は、目の前に座っているきらきら王子様が、鬼に取って代わる瞬間を見た。



一時間ごとに続きが公開されます。

読む順番にお気を付けくださいませ。



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