2、完璧ハイスぺ悪役令嬢って大変すぎやしませんか
「なぁんてね」
部屋から人がいなくなったのを確認した俺は、そっとベッドから抜け出した。
「誰もいないって判ってるのに、挙動不審になるのはなんでだろうね」
まるでコントの泥棒の様に抜き足差し足動く自分が滑稽すぐる。でもやっちゃう。
そうして、俺は目的の姿見に近付くと大きく深呼吸して「よし」と小さく掛け声を出しその前に立った。
「うはー。マジ天使かよ。すげぇ、幼女っぽさゼロ」
モチロン顔の作りは子供なんだけど、切れ長の瞳も、陶器の様な肌の艶も。完成度が異様に高くて人外の美しさだ。
「…ほんとに俺、リリィディアたんなんだなぁ。レイン様も、麗しかった…」
熱くなった頬をてのひらで押さえ、ほう、とため息を吐く。
夢じゃないんだなーって思ってる自分もちょっと不思議だったりするんだけど。
ほら、ネットの小説とかアニメで異世界転生物とか観てた時、なんでみんなすぐに納得できんだろって思ってたんだよね。
だってさ、夢でも、何年分もの長編を観る時もあるじゃん? 俺はたまーに自分が老衰で死ぬ時の夢とかそこまでいかなくても結婚して子供とかできる夢を何度か見たことがある。目が覚めたら『相手誰よ』ってなるんだけど。だから、寝て目が覚めてを繰り返しても夢の中にいるような気がすんじゃないかって。
でもあれだね。夢の中で夢って思わないし、思った時って、そのまま目が覚めるもんだよね。
それに、俺の記憶の中に、ちゃんとリリィディアたんとして生きてきた時間? 経験? があるんだよね。だからかな。不可解だとは思うけど、納得してたりする。
「よし。んじゃ、お約束の攻略メモでも作っとくか」
それにしても、さすが日本のゲームの中なだけはある。言葉も文字も完璧日本語でやんの。でも名前が片仮名で髪色カラフルきらきらなのがね。笑うしかない。
別にゲームのリリィディアたんの行動をなぞんなくてもいいんじゃないかなって気もするんだけど、最推しには合体じゃない会いたい訳で。その為には俺はなんとしてもハイスぺスパダリと化したリリィディアにならなくちゃいけないのだ。
そうじゃないとルート開かないしね。
ダンスは誰よりも軽やかで美しく華やかに踊れるように。でもファーストダンスだけで終わり。
近隣諸国の言葉は全部ネイティブのように話せるように。でも使わない。
経済も、化学も、武器の扱いも、無手での試合も。
すべてにおいて、我が国の王太子にして我が婚約者を軽く凌駕できる存在に……。
「そんな簡単にできるかっつーの。くそっ」
俺は自分のものの筈の金髪頭を両手で激しく掻き回した。うがーーっ。
確かに元がいいからか、やればすぐに理解できるし、できるようにはなる。
でも、一番最初の、”知る”ことと実際に”やってみる”ことは、自分でやらないといけないのだ。
知らないことは知らない。やったことのないものはできない。当然だ。
前世の俺を思い出すのが、学園入学直前とか王妃教育完了した後じゃないことを、俺は猛烈に呪った。
それっぽいダンスなんてワルツしか知らない。それだってTVの中でタレントが踊っているのを見たことがあるだけで自分でやったことなんかない俺が、ワルツですらないダンスを踊れるようになることが、簡単な訳がなかった。
カドリールにウインナ・ワルツ。つーか、俺の知っているワルツとウインナ・ワルツは違うものだった。ウインナ・ワルツはテンポが速くて、その一区切りの中でどれだけ複雑なステップを踏めるか競ったりしやがる。なんということだ。足が攣る。
つか、あんな小さい靴に足を突っ込むこと自体がね。ありえん。マジ拷問かよ。
いやね? 今の5歳の俺の足だって小さいよ。靴だって最高級の特注品だ。足の厚みや指の長さまで合うように調節されている。それこそ完璧に。
でもさ、そもそも骨も細くて小さくて柔らかい幼女には、爪先の尖ったヒールはまだ無理なんじゃないかと言いたい。言えないけど。
これ履いて誰よりも早く走れるとか。リリィディアたん、マジ凄すぎるよ。
でも実は、俺の中のリリィディアたんになり切れば不思議と乗り越えられる。ダンスだって、実はかなり軽やかに踊れる。踊りまくれる。
頭の中で俺がおとなしくしてようと思うだけで、この身体の動かし方や感覚がリリィディアたんがするそれに切り替わる。結構お手軽簡単だ。
でも、つい難しいステップを踏む時躊躇したり、重たくて足に纏わりつくドレスを蹴っ飛ばしながら歩くのに悪態を吐いた途端、リリィディアたんはどこかに霧散して俺がそこに立っている。
んで、足が痛くて泣きそうになる。
だから実際のダンス実技の結果は…訊かないで欲しい。
…なんて。俺がまったく上達しない理由は他にもある。
「どうしたんだ、リリィディア。お前らしくないな」
そう。こいつである。
言葉はちょっときつく聞こえるけれど、俺を見るその表情は何故か甘い、このダンスレッスン中のパートナーは、勿論、この国の王太子でありリリィディアたんの婚約者であるキャメロン・カルヴァン殿下だ。
同じ歳だからゲーム画面で見るより幼い。細くてちっちぇえ。まぁ今の俺はもっと小さいが。
つい、ゲームで見ていたあのアホ王子と比べてしまう。うん。尊い。
ゲーム画面でキラキラしく笑っていたり拗ねていた顔も美形だったけど、その幼女…じゃなかった幼児版がリアルで目の前にあって何かが噴き出しそうだ。物凄い勢いで脳みそが働く。勿論悪い方へ。
う、薄い本が作りたいです。
頭の中に渦巻く妄想に気を取られ、まったく身体が動かない。
日本にいた時はまったく食指が動かなかった筈の殿下が、いきなり俺の主食でオカズで別腹デザートと化してくれちゃったお陰で俺の脳内は大忙しなんである。
おっと。一応言っとくけど健全本だから! 汁気があるのは読まなかないけど書かない。
別にブレーキ掛けてる訳じゃなくて、萌えにエロは不必要だと思ってるからだ。くっつくまでが好き。両片思いとか最上級のご馳走やん。なぁ?!
「…どうした、変な顔して。体調でも悪いのか?」
すぐ真近から顔を覗き込まれる。うはっ。近っ。
きらきら金髪、碧眼の王子様(幼体)アホの子ポンコツ王子。それが画面…じゃなかった俺の眼前いっぱいに迫っている(錯乱)
「な、なんでもない…じゃなかった、ありませんわ、です。お気になさらずおす…お、捨、て、おきください」
くそっ。混乱中に令嬢言葉なんかでてくるか。
俺の言葉に、キャメロンの野郎がくすくす笑う。
「お前が、リリィディアがそんな風に焦った姿を見たのは初めてだ。いつも余裕綽々といった様子だから、新鮮だ」
そっと、ダンスを踊ってほつれた前髪を耳に掛けられて、なんでか甘く見つめられる。
きらきら王子様オーラに目が潰れそうだ。なにこれ。ポンコツ王子なのに可笑しくね? こいつホントに5歳なの?
これ赤面するなって無理でしょ!!
おかしいよ。俺はポンコツ王子になんか萌えたことないのに。
言葉もだせずにあうあうと口を動かしていると、手を取られた。
「もう一回踊る? それとも、サロンで少し休んでからの方がいいかな」
やわらかく微笑まれて、今度こそ俺は全身が紅くなっているのが判った。
ほんと全然ポンコツっぽくない。俺入りリリィディアたんの方がよっぽどポンコツで切ない。なんでだ? なに余裕の笑みとか浮かべてくれちゃってんだよ。
動揺を押し隠して大きく息を吐く。
「いえ。結構ですわ。もう一度通して踊りましょう、殿下」
俺は心を静めてリリィディアの後ろに隠れることにした。うん。これが正解だ。
『あいきゃんのっとすぴーくいんぐりっしゅうぇる』
スピーキングタイムという苦行を、この一文のみで乗り越えた過去の自分を思い出す。
ヒアリングはなんとかできるんだけど、自分の気持ちをリアルタイムで翻訳しようとすると緊張で頭が真っ白になってマトモな文章にできないんだよね、俺。本番に弱いタイプ。我ながらポンコツすぎぃ。
日本人には異世界の異国語なんて、発音が難しすぎるんじゃないですかねぇ。ううう。
いかん。心を無にしておかないと、またリリィディアたんがどこかに消えてしまう。
ただただ、リリィディアたんがその生来の高いスペックをフルに活用して外国語を習得していく姿を後ろに隠れてじーっと観察する。
俺がリリィディアたんなんだけど。でも、なんというか、もう一人リリィディアたん自身がいるような気もしてる。入れ替えが出来るのがその根拠だ。
だとしたら、リリィディアたんと俺ってどうなってるんだろ。話しかけてもリリィディアたんは返事をしてこない。心というか感情も特に伝わってこないんだよねぇ。
果たして、俺の愚痴はリリィディアたんに伝わっているのか。
つか、愚痴よりなにより萌えとかカップリングについてバレてたら死ぬる。
そういえばあれは結構よかったよなー。コリーン×リリィディアのヤンデレ本。このカプなら普通は逆だよなぁ、まぁ俺はリバでも美味しく頂いちまう男だけどね! それでも手に取った時の俺の「無茶しやがって」という思いを完全に裏切る、闇わんこコリーンに絆されていくリリィディアの姿に浄化された気がしたもんだよ、って。あー…
『では、レディ・リリィディア。貴女は誰かの事をよく知る為に何が一番だと思いますか?』
ぐはぁ。なんということだ。こんなところでリリィディアたんが消えた。完全なる自業自得感がやばい。くそっ。
相手が何を言っているのかは判る。でも、それに対しての回答をあっちの言葉に変換して、口でいうっつーのがどうも苦手なんだよね。焦る。
それにしても設問。うーん。うーん。こういうのが一番困る。リリィディアたんの時って何にも考えなくても俺も納得できる答えがするすると口から出ていくんだけど、俺が前にいる時は、俺がちゃんと考えないといけないんだよね。オート戦闘とマニュアル戦闘くらい違う。
『はい。わたくしならば、その方から食事のお誘いを受けたいと思います』
『ほう。その理由は?』
『地元産のものを使った地元の料理を勧められたなら愛国心に溢れた自信に満ちた方でしょう。遠い地から集めた食材を使った凝った料理を勧められたなら少しご自分を大きく見せたいとお考えなのかもしれません。自らの手元にあるものだけでなく、いろいろな場所からより多くの珍しいものを集めることで、より自分を大きく力ある者に見せたいと考える御方かと思います』
堂々と、でも内心ひやひやでそれっぽい事を頭の中でリリィディアたんの知識を使って翻訳していく。口にするときは発音のイメージだってリリィディアたん頼みだ。
インプットは俺。データの保存はリリィディアたん。アウトプットは半々といったところだろうか。
『ぷっ。リリィディアが食べ物の話をするとか』
くすくすどころか完全に腹を抱えて、隣に座る殿下が笑い出す。
しまった。そういえば、リリィディアたんは花の蜜入りの飲み物ばっかり飲んでてケーキだって1個食べ切る事だって少なかったような気がする。
変な汗がだらだら出てくる。
『…勝手に我がラモント邸にいらしてわたくしの授業へ強引に参加された挙句にそのおっしゃりよう。いくら殿下であられようとも失礼なのではありませんの?』
ぷいっと横を向いて視線を逸らした。
会話を誤魔化すには、拗ねた振りが一番だ。
『それは失礼。婚約者殿との交流を持つことは大切なことだと侍女たちがいうのでね。従ってみたんだ』
くそう。あのお喋り雀どもめ。余計なことを言いやがって。
ちらりと椅子を並べて講義を受ける、涼しい顔をした婚約者に目をやると、ばちん、とウインクをされ慌てて視線を教科書に落とす。
おかしくね? こんなの低スペック王子っぽくない。俺の知ってるキャメロン・カルヴァン殿下じゃない。全然ちがう。
ゲームでは、他の誰に向かっても明るい笑顔を見せることの多いこの王太子殿下は、リリィディアたんにだけは常に冷淡な視線をぶつけていた筈だ。幼い頃の回想シーンでもそうだったから間違いない。
少し癖のある金髪も、宝石みたいに煌めく碧い瞳も。いつだってリリィディアたんに拒絶を突きつけていた筈だ。
『レディ・バウダー。講義の途中で大変失礼だとは思うのだがどうやら時間切れのようだ。有意義な時間だった。機会があればまた一緒に講義を受けさせて貰えたら嬉しい』
まるで猫のように足音も立てずに席を立った殿下が、講師のレディ・バウダーの手を取り軽く礼をする。
10歳。まだ少年のはずの王太子の声は、少年ならではの無邪気さだけでなく不思議な色艶をもって耳に届いた。
『ディア。我が最愛の婚約者殿、また来る』
その言葉、できれば”ディア”じゃなくて”レイン”で言ってくれないだろうか。
腐すぎる妄想が口から洩れそうになった時、丁度のタイミングで侍従が城から王子の迎えが来たと告げに来た。
それに鷹揚に頷いてみせた王子は、振り返りもせず部屋から出て行った。
──ゲームの世界と、違う?
その夜、俺はベッドの中で今日あった出来事を思い返していた。
キャメロン殿下が別人過ぎる。
大体、学園に通うようになる前のリリィディアとキャメロンは、公式な挨拶が必要な席以外では定期的に開催されるお茶会以外では会うことは無かった筈なのだ。
それなのに、俺が前世を思い出してから、もうずっと何年もの間、ダンスの練習は一緒だし、今日みたいにラモント公爵邸まで勝手にやってきて講義を受けていくことまである。
「しかも、あんな甘い言葉を残していきやがった…」
ベッドの中で寝がえりを打ち羽まくらに顔を俯せる。
そのまま、ぼふぼふと両手で枕を叩きまくり八つ当たりする。
「うがーー!! なんなんだよ、あいつ! あんなキャラじゃないだろ?! アホ王子の設定どこ行った!!!」
思う存分、枕に八つ当たりをした俺は、息を整えてもう一度冷静に思考を巡らせた。
確かに、俺の最推しに会う為には、ある程度、あのアホ王子とも好感度を上げておく必要はあるんだ。ヒロインとの好感度を上げさせない為にも必要だ。でも、でもさ。いくらなんでもおかしいよね? 俺はまだあの王子への働きかけは何もしてない筈なんだけど。
…あー。そうか、判っちゃったかも。
キャメロンがアホ王子になるのは、婚約者であるリリィディアが完璧優秀スパダリすぎた反動だった。
でも、この世界のリリィディアは、俺で。完璧とも優秀ともスパダリとも遠い、ポンコツすぎる存在だ。
「…つまりは、俺のせいなのか」
ばたり、と無力感から身体が弛緩する。
「頑張ってるつもりなんだけどなー」
でも、ダンスも冷静な時はリリィディアたんが頑張ってくれているからイケるんだけど、ターンの時とか難しいステップに入る時なんかに、キャメロン殿下に腰を強く抱き寄せられた途端、リリィディアたんは後ろに引っ込み、俺が表に出されたその途端、すべてが台無しになる。
「頑張るしか、ねぇか」
俺が完璧ハイスぺ悪役令嬢になるしか、最推しに会う方法はないのだから。
そうそう。聡い俺は、いろんなフラグが回避できる気がしたので、レインにリリィディアたんのおかあさん竜であるリリィのことを聞いたりもしなかったし、殿下から『リリィと呼んでいいか』と聞かれた時は「いやです」とにっこり笑って答えたぜ!
でも、殿下から『では、ディアと呼ぶことにしよう』と軽く返されちゃって、今も実行されているのが納得できないんだよねぇ。
一時間ごとに続きが公開されます。
読む順番にお気を付けくださいませ。