【後編】王国のスパイ
偽白雪は城へ戻ると、王妃を特務機関の人間に引き渡しました。
「さて、これで任務完了だ。思ったより簡単じゃないか」
偽白雪は大きくため息をつき、関節をボキボキと鳴らしました。
「しかし本当の任務はこれからだ」
城の外に出た偽白雪は軽く深呼吸をして、歩き出しました。冷たい冬の空気が、ツンと鼻を刺すようでした。
薄暗い森の中を歩いていくと、いかにも日当たりの悪そうな場所に、古びたみすぼらしい小屋がありました。そこは、例の魔女の家でした。覚えているでしょう? 王妃をリンゴ売りの老婆に化けさせた、あの魔女を。
偽白雪は魔女の家のドアをガンガン叩きました。腐りかけの木のドアから、ポロポロと木屑が落ちました。魔女は耳が遠いので、こうでもしなければ出てきてくれないのです。
「おい、魔女ォー! 俺だ! ドア空けろ!」
偽白雪はガンガンドアを叩きながら叫びました。すると、ガチャリと鍵が空き、中から魔女が姿を現しました。彼女は少し怯えている様子でした。
「……さ、作戦は、うまくいきましたでしょうかねぇ?」
「バッチリだ。お前は王妃に寿命を50年奪う魔法をかけたから、王妃は死ぬまでずっと老婆のままだ。もう彼女が王冠を頭に乗せる日は来ない。待ってりゃ嫌でもじきに死ぬ」
魔女は王妃を老婆に変えるとき、12時になったら解ける魔法だと言いましたが、あれは真っ赤な嘘でした。本当は早く歳をとらせる恐ろしい呪いだったのです。残酷なことに、もう王妃の寿命はほとんど残っていないのです。
「では、王妃の悪事は王国民に公表を?」
「さすがにそれは無理だ。確かに作戦はうまくいったが、この事実は公にしないことになった。王国の信用が落ちるからな」
「えっ、それでは、一体王妃の座は誰が引き継ぐと言うのです?皆にはなんと説明なさるのです?」
魔女の言葉に、偽白雪はにんまりと笑いました。しかしその顔はどこか切な気で、とても深い意味を含んでいるように見えました。
「至極単純な話だ。新しい王妃を用意すれば良い。偽物の白雪姫を用意した時と、全く同じように」
「ま、まさか、あなたが……?」
偽白雪はにやりと笑い、首を縦に振りました。
「その通り。同じ手を二度も使うのは感心できないが……今日はそのために来た。時間がないから、早くしてくれ」
「しかし、そうしたらあなたは元々男性でありながら、王妃としてその生涯を送ることに……!」
「単なる長期任務だと思えばいい。それが過去に罪をおかした人間の贖罪というわけだ。俺は元々死刑になる予定だった。人を大勢騙したし、間接的にだが殺しもした。そこを条件付きで王国に拾ってもらったんだ。生きて贅沢させて貰えるだけ、ラッキーな話だろう。……まあ、あのババアの顔面で生きるんだ。鏡は極力見ないように努めるさ。でないとアイデンティティーが壊れる」
偽白雪はそう言って笑いました。
「はぁ……わかりました。では、ちょっと待っていてください。今王妃から採取した髪の毛を持って参りますので……」
魔女はそう言って、棚の上から1本の瓶を取ってきました。中にはまだ若かったときの王妃の髪の毛が入っていました。前に王妃がここへ来たときに、こっそり採取したのです。
「えー、では、まず今あなたにかかっている魔法を解きます。それからあなたを王妃に化けさせましょう」
魔女はそう言うと杖をふりました。金色の粉がキラキラと舞い、美しかった偽白雪は、たちまち大柄のゴツい男になってしまいました。いいえ、これが本当の姿なので、戻ったと言うべきなのでしょう。
「そのまま、少しだけ待っていてくださいね」
魔女は王妃の髪の毛をぐるぐると自分の杖に巻き付けました。そして大きく息を吸い込み、大きな声で叫びました。
「はい、いいですか! いきますよ! せっーの!」
髪の毛の巻かれた杖は綺麗な弧を描き、銀色の粉を辺り一面に撒き散らしました。部屋のなかは銀色の粉でほとんど何も見えなくなりました。
粉がすべて消えてしまうと、そこには若い王妃の姿がありました。
「ど、どうでしょう?」
魔女は不安気に尋ねました。
「上出来だ。これはもう誰がどうみても王妃だ。気持ちわり」
「こんなことして、本当に大丈夫なのでしょうか?」
魔女はまだ心配でした。
「舐めるんじゃないよ。私はスパイだ。誰にだってなれる。この事を少しでも口外してみるがいい。噂が広がる前に、お前の首は宙を舞うことになるからね」
偽王妃はそう言うと声高らかに笑いました。
「まあ、なんて早い切り替え……」
魔女には、目の前にいる偽王妃が本物の王妃にしか見えませんでした。
こうして、王国の平穏は保たれました。本物の王妃はというと、その後すぐに息を引き取りました。もちろん寿命のためです。どこの誰だかわからない老婆が死んでも、誰も気にもとめませんでした。
そして本物の白雪姫はその後王国に戻り、何も知らないまま健やかに成長しました。いや、もしかしたらすべての真実を知る日が来るのかもしれませんが、それはまた、別のお話。
おしまい