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看板むすめ

作者: 日々一陽

ある高校生とひとりの老婆の、何気ない日常を描いたショートショートです。

さくっとお楽しみください。


 十字路のタバコ屋には一等綺麗な老婆が座っている。


 白髪を砂糖菓子みたいに纏め、目尻のしわを隠そうともせず、いつもしっとり微笑みながら通りを見ている。

 駅からも離れ、人も車も通り過ぎるだけのその交差点で、小さなタバコ屋が再開したのは1か月前。

 時代遅れのその店に客がいるのを、僕は未だ見たことがない。

 けれども彼女はにこにこと、品良い笑顔で通りを見ている。

 その笑顔はこの街で一等美しい……


「よっ、北丘!」

「清水じゃねえか、いつもより早いな」

「ちょっとな」


 同クラの清水は僕の肩をポンと叩くと。


「どうした、あのタバコ屋に何かあんのか?」

「あ、ううん。いつ見ても客がいないなって思って」

「だよなあ。自販機だけで十分なのにな。看板まで新調して何十年ぶりかに再開したんだろうけど、あれじゃあ大損じゃないの? 年寄りの暇つぶし、ってやつかな」

「ははっ、そうかもな」


 しかし。

 雪が降る日も風の日も、節分の日もバレンタインデーも、彼女はずっとそこにいた。

 通り抜けざま、ちらり店を振り向くと、彼女は必ず桜のように微笑んで……


 ある日曜日。

 その日は何もすることもなく、駅前散策しようかと早くから家を出た。


 何気なく歩いて。

 信号で立ち止まった十字路の、角のタバコ屋さんには白髪のおばあさん。

 下を向いて何かを読んでいた風な彼女は、やおら顔を上げると、いつもの笑顔で通りを眺める。何を読んでいたのだろう? あの歳だしスマホじゃなくて本だろうか。多分それも純文学。ツルゲーネフとかトルストイとかモームとか。いや、案外推理小説かも知れないぞ、アガサ・クリスティとかエラリー・クイーンとか。きっと彼女は昔からあそこに座って本を読むのが好きだったんだ……


 とかなんとか。

 僕は勝手に老婆の人生を妄想し始める。


 彼女の人生。

 僕が生まれるよりもずっと前、彼女はあのタバコ屋の看板娘だった。

 彼女は若く美しく、そこはとても流行っていたに違いない。

 そしてある日、彼女は運命の人に出会う。


「いつもありがとうございます」


 タバコを買いに来た若き日のご主人。

 彼の目的はタバコだけではなかったはずだ。数多あまたのライバルたちと同じく、彼もまた彼女の近くに寄りたい、自分の存在を知ってほしい、切ない気持ちに気付いて欲しい、ただその一心で毎日タバコを買いに通ったのだ。


 やがて彼女は彼が来ただけで(ハイライト)を一箱差し出すようになる。

 いつしかふたりは愛し合い、そして幸せな家庭を築いた。

 目許のしわは彼女の苦労を物語る。

 白くなったその髪は長い歳月を物語る。

 幾多の波乱もあっただろう。しかし、あの穏やかで優しい笑顔は、彼女が毎日を大切に、幸せに生きてきたことの証しだ。彼女は子宝にも恵まれ、その子供たちはみな立派になって離れていった。

 年老いた伴侶とふたり穏やかな老後を送っていた彼女、だがその最愛の人も彼女を置いて静かに旅立ってしまった。


 そうして。

 ひとり残ったおばあさんは想い出深いこの場所に心の拠り所を探しに戻ってきた……


 …… って。

 しまった。

 妄想に夢中になっている間に信号変わってた……


 目の前を黒のワンボックスカーが通り過ぎる。

 道の向こうを見ると、店に珍しくお客さんの姿があった。

 グレーのスーツを着た、毛の薄い小柄なおじいさん。

 肩に黒い袋を背負って彼女と楽しそうに話し込んでいる。


 また、僕の妄想癖が頭をもたげる。

 彼は……


 そう、彼はきっと彼女の初恋の人。

 昔々、年上の彼に淡い気持ちを抱いていた高校時代の看板娘。

 だけど彼はある日を境に姿を見せなくなる。

 学校を卒業し、東京へ行ってしまったのだ。


 次の冬、ふと見かけた彼の横には腕を組んで嬉しそうな垢抜けた女の人。

 彼女の淡い初恋が消えた瞬間だ。


 って僕、なに妄想してんだか……

 信号が青になる。

 今度はちゃんと横断歩道を渡らなきゃ。


 タバコを買ったおじいさんは彼女に手を上げ店を離れる。

 と。


 チャリン…………


 足元に10円銅貨が転がってきて反射的にそれを拾った。


「……はい」

「にいさん、ありがとうな」


 80は超えてそうな老紳士は笑顔で手を上げ去っていく。釣られて僕も頭を下げる。いいことをすると気持ちがいいな、僕が顔を上げるとタバコ屋さんのおばあさんが微笑んでいた。


「ありがとうね、お兄さん」

「あ、いえ……」

「いつもここを通る桐星とうせい高校の学生さん、ですよねえ」

「あ、はい」

「本当に桐星の学生さんは親切な人ばかりですよねえ」


 誉められた。


「あの……」

「はい?」


 せっかくのチャンス、聞くなら今だ。


「このお店って儲かってるんですか?」

「えっ?」


 一瞬キョトンと僕を見たおばあさんは、すぐに笑い出した。


「ふふふっ、いつも通ってるからお分かりでしょ。儲かってなんかいませんよ」

「じゃあどうしてこのタバコ屋を?」

「ああ、なるほどねえ。不思議に思うのも無理はありませんかねえ」


 いつしか店の前に立っていた僕に、彼女は柔らかに微笑んで。


「どうしてだと思いますかい?」


 逆に聞かれた。

 よし、思っていたことをぶつけてみよう。


「そうですね~ 多分ですけど…… ここはおばあさんが若い頃にやっていたお店だから、とか」

「もうかれこれ50年前ですかね、ここに座っていたのは。だけど、それだけじゃ儲からないのにお店を再開した理由にはなりませんよ」

「なるほど、確かに。じゃあ…… 郷愁? 昔が懐かしくなったから?」

「ん~ 郷愁ねえ。懐かしいのは懐かしいけどね、それは理由じゃありませんよ」

「えっ、違うんだ! えっと、それじゃあ…… あ、そうだ。気持ちが落ち着くから、とか?」

「気持ちが落ち着く?」

「はい、例えば、このお店はご主人との想い出があって、だから安心するとか」

「ああ、そう言うことね。主人との想い出はありますよ。それは大正解ね。実はね、ここには主人の写真もあるんですよ。もう、いませんけどね」

「そう、なんですか」

「一年になりますかねえ、わたしを置いていったのは。だけどねお兄さん、こんな婆さんでも想い出だけで生きているわけじゃないんですよ……」


 彼女はその皺だらけの顔で柔らかく微笑む。


「ここに座っていると色んなものが見えるんですよ。今だってこうしてお兄さんと楽しくお話ししているし。さっきのおじいさんも遙か昔の同級生。だから、正解は、そんなこと、なんですよ」

「そんなこと?」

「そう、ふふっ。そんなことっ」


 くすりと吹き出したおばあさんは愛嬌たっぷりにぺろりと舌を出す。だけどそれがすごく上品で、ふと若き日の彼女を想像してしまう。


「そうだわ、お兄さん。せっかくだからここに座ってみなさいな。このばあさんの気持ちが分かるかも。よいしょ、っと」


 彼女が立ち上がり姿を消すと、お店のすぐ横にある小さな玄関が開いた。


「さあさ、お入りなさいな」


 今知り合ったばかりの男子高校生を店にあげるって不用心じゃなかろうか、と思ったが、そんな僕の考えを見透かしたのか、彼女はにこりと。


「お兄さんだけ特別だからね」

「じゃあ、失礼します」


 狭いその玄関には茶色の靴が一足。僕が青いスニーカーを横に脱ぐと、彼女の靴は子供靴にしか見えない。

 玄関を入ってすぐ横にはタバコ売り場。三畳ほどのその狭い売り場への敷居は屈んでしか跨げない。


「ちょっと待っててな」


 廊下の奥へと消えた老婆は、すぐに両手に缶ジュースを持って来る。


「オレンジとぶどう、どっちがええ?」

「いえ、そんな……」

「ええからええから。若いもんが遠慮なんかしたらだめよ」


 僕はグレープジュースを受け取ると部屋を見回した。

 そこには古びた素っ気ない椅子がひとつ。

 出窓の横や上は棚になっていてたくさんのタバコの箱に並んで辞書やら本やらが詰め込まれていた。


「ほらほら座って」

「いいんですか?」

「ええからええから。滅多に客なんか来ないから」


 僕は椅子に座る。

 出窓の横には茶色い写真立て、背広姿の老紳士がマイクを持って歌っている。そしてその横には一台のノートパソコン。


「どう、通りがよく見えるでしょ」

「あっ、そうですね。左右も広く見えるんですね」

「だから毎朝お兄さんがここを通るのも知ってるんですよ、このばあさんは」

「何だか恥ずかしいですね」

「ふふっ。で、どんな感じ、座ってみて」

「…………」


 いつもお婆さんの姿しか見えない小さな窓。

 でも、その窓の中から見る外の世界は。


 道の向こう、楽しげに信号を待つ、手を繋いだお母さんと女の子。

 その手前をブロロロロと左へ通り過ぎる青い車。

 遠く桜を揺らすそよ風は春の香りを運ぶようで……


 そこに見える風景にはマイクを持つ写真の老紳士も、彼女が若き日に憧れた初恋の人もいない、そこにはあるのは女の子の嬌声、お母さんの笑顔、車の騒音、カップルのイチャイチャ、咲き誇る桜、犬を連れたおばさん、通り過ぎる自転車。そこにあるのは今このとき。未来へと続く今の世界。


「見晴らしがいいんですね」

「そうでしょそうでしょ」


 彼女の声を背にふと写真立ての横を見る。

 開かれたままのノートパソコン。

 画面には横書きで文字が並んでいる。




  ……目の前を青い馬車が通り過ぎる。

  レオナールを乗せて花咲く小道に消えていく。

  待ってよ、分かってるわよ、どうせわたしは悪役令嬢なんだって……




  ??


「じっくり見られたら恥ずかしいですよ」


  振り向くと彼女は困ったように、でもそこに立ったまま笑顔で。


「ね、ここに座っていると次々と面白いアイディアが浮かぶんですよ。アイディア、と言うより妄想ですけどね」

「小説ですか?」

「はい、このばあさんの妄想小説。ネットに載せると感想とかも貰えたりして、ふふふっ。最近はね、小遣いも稼いでるんですよ」

「……」


「そう、ここはわたしの書斎。ここから見える世界にわたしは毎日妄想し放題なんですよ。お兄さんもちゃんとカップリングしてますからね」

「じゃあ、とびっきり可愛い女の人とで」

「いいえ、いつもの清水さんと!」




 看板むすめ  完




最後までお読み戴きありがとうございます。


ご感想、コメント、つっこみなどいただけたら、おばあさんが更に張り切って妄想を繰り広げます!

ぜひお気軽にっ!

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