私は
お久しぶりです、にとろんと申します。
ようやっと復帰でございます。誰も待ってはいなかったかもしれませんが。今回のお話はまだ本編ではございません。プロローグだと思って読んでいただければと思います。
それではどうぞ。
私は、田舎へ来た。祖父のいる町。祖父と言ってもかなり昔から会っていないから、もう顔も覚えてもいないんだけれど。
私は高校二年生。いや、正しくは高校二年生だった。学校はもうやめてしまったから、もう私は高校生じゃなくなったんだ。
なんで学校をやめたかって?よくあることだよ、いじめにあってね。そうだなあ、この話をする前に先に私を産んだ人のことを話しておかないと。私を産んだ人はいわゆるシングルマザーってやつでね、ああ、夫が死んだわけじゃないよ、逃げられたのさ、兄貴と私がまだかなり小さかった頃にね。
ん?兄貴の話はまたあとで出てくるからそう焦らないでおくれよ。とにかく、私を産んだ人は夫が逃げたことが原因なのかはわからないけれど、私と兄貴の教育にとっても熱が入っていてね、とても厳しく育てられたよ。そのおかげで中学校まで学校の成績で一位をとれないことなんてなかったし、習い事でだっていくつも賞を貰ったよ。でも、私は誉められることはなかった。
なんでかって?そこで兄貴の登場さ。兄貴は凄い人だよ、私よりもずっと。私が学年で一位をとれば、全国模試でトップクラスをとるし、私が優秀賞を貰えば兄貴は最優秀賞を貰ってた。そんな人がすぐ側にいて比較対象にされるんだ、よく言われたよ、「どうしてお兄ちゃんのようにできないの?」ってね。まあでも問題はそこではなくってね、一番私が辛かったのは高校入試の時さ。学年で一位だったし先生に有名私立校を薦められたんだ。そこは兄貴の進学先でね、私もそこにいけばやっと誉めてもらえるかもしれないって、兄貴と並べるかもしれないって、そう思って頑張ったんだ。
でもね、人にも限界はあるんだよ。私にはその学校は理想が高すぎた。私の限界はもっと下だったのさ。ある日ポストに入ってた茶封筒から出てきた不合格通知を見たときは涙すら出てこなくって、帰ってきた二人がその封筒を見たときの表情は今でも覚えているよ。こういうのをトラウマって言うのかな。とにかく、そこから私の生活は変わったよ。習い事も私の知らない間に全部退会させられていたし、私を産んだ人と言葉を交わすことはほとんどなくなった。まあ、もともとそんなに話をする関係ではなかったのだけれど、それ以上に、挨拶すらしなくなった。結局学区内で一番の高校には入ったけれど、そのことを話しても何も反応しなかった。
そうして私は元母校に入学したんだけど、もちろんそんな家になんて帰りたくなかったし、習い事のない放課後なんて何をすればいいのかわからなかったから、とりあえず部活をしてみようと思ったんだ。許可?そんなものいるわけないじゃないか、実際突然私の帰りが遅くなっても何にも言われなかったよ。私の入った部活は写真部。もともと写真にはあまり興味がなかったけれど、他に興味のあるものなんてなかったし、担任の教員が顧問っていうこともあって何となく入部したんだ。カメラは部室にあるものを貸し出してくれたし、担任も新任で気合いが入っていたのか色々と良くしてくれて、私は今までにないくらいに幸せに感じていたよ。写真にもだんだんと興味がわいてきて、気がつけば大会で賞を貰えるくらいには上達してた。
え?いじめられてなんかないじゃないかって?気がついていないのかい?私は大きなミスをしていたのさ。ある日、いつものように部室に行くと私のカメラが消えていた。私のって言っても借り物なんだけどさ。びっくりして職員室にいた担任に話をしに行った。担任もそれは大変だって一緒に部室を探してくれた。一日探してやっと出てきたのはプリンタの裏だった。もちろんこんなところに直すはずなんてないし、誰かのイタズラであることは間違いなかった。その日の活動の後に担任が犯人探しをしてくれたけど、結局誰も名乗りでなくてね、カメラを直すロッカーに鍵をかけることでひとまず落ち着いた。それからだんだん私にとって写真部は幸せの場ではなくなっていった。当然でしょう、自分を快く思ってない人がいる空間なんて、いても気持ち良くない。なんでそんなことわかるかって?手紙が入っていたのさ、机にね。「一年生のくせに調子に乗ってんじゃねーよ、ボッチ野郎」ってさ。そこでやっと気がついたんだ。私は部活に"入部"していただけなんだって。仲間なんて言える人はいなかったし部室に行くのもカメラを取りに行くためだけだった。友達の作り方なんて知らなかったし作ろうと思ったこともなかったからそれが異常なことだなんて思わなかったんだ。周囲の人間から見れば陰気な気持ち悪いやつが賞だけとってるのは面白くなかっただろうね。それからも物がなくなったり、私の写真のデータが勝手に消されていたり色々されたなあ。結局私は写真部にも行かなくなって、担任もカメラのことを知っていたしそんな私を止めることはしなかった。そこまではまだ良かったんだ、家に帰らないのは放課後に適当に寄り道をしていれば時間は過ぎるんだから。でもね、これを聞いているあなたには覚えていてほしい。一度他の人間に対する優越感を味わった人間は自身を制御できなくなるってことを。とある同学年の写真部のやつがいてさ、そいつも結構頑張っていたらしいんだけど一度も私より上の賞をとったことがなかったんだってさ。ある日私はそいつが私の悪口を言っているのを聞いてしまったんだ。私はトイレに入っていたから気づかなかったんだろうね。何の根拠もないようなことをよくもまああそこまで並べられるなと思ったよ。やつはいじめの範囲を写真部から外に広げたんだ。それからは結構キツかったな。朝教室に入れば小声で何か言われるし机には何度消しても罵詈雑言のラクガキがある。イスが中庭に捨てられていたこともあったっけ。テレビドラマで見るような典型的ないじめばかりだったよ。さすがに耐えられなくなった私は担任に相談したんだ。いじめられてます、助けてくださいってさ。担任はすぐにこう言ったよ「わかった、親御さんにもこの事を伝えてみよう。」ってさ。いやあ、最近の教師にしては凄いんじゃないかな?一番怖いだろう親へのいじめの報告を決断したんだからさ。さすが新任はやることが違うなと思ったよ。でも、私の親と呼ばれている人、私を産んだあの人間はさっき紹介した通りだから期待なんてしなかったけどね。まあ、あの時は学校をやめて働くことになるのかな、私をいじめていたやつらは反省文くらい書かされるのかしら、くらいには思ってたよ。後日放課後の教室で私たち三人は集まった。ずっと下を向いてる私と、真剣な顔に冷や汗をかきまくっている担任と、私が見たことのない笑顔をしているあの人。「どうも、お忙しい所を」みたいな担任のテンプレ挨拶から私を除いた二人の会話が始まった。一応私も言葉を発したけど担任に確認をとられて「はい、そうです。」くらいしか言っていなかったから会話に参加していたとは言えなかった。淡々と説明がされていき、最後に担任が頭を机に擦り付けて謝った。私のとなりの人は担任が謝るのを見て口を開いた。
「まあ先生、そんな謝ることはございませんわ。聞いていたところ全てこれが悪いんじゃありませんか、これは兄と違って昔から何もできませんでしたから、先生にも大変ご迷惑をおかけしました。ところで一つご相談なのですが、私の子、ああ、これではなくて兄の方です。彼は来年大学受験を控えておりまして、このようなことを公にして何か影響があれば悔やんでも悔やみきれません。先生や学校におかれましてもこのようなことは内密にしていた方がよろしいのではありませんか?これの退学後の処分は私の方でアテがありますのでご心配いりません。いかがです?どうかこれが自主退学したということでこの件は収まりませんか?」
耳を疑った。今でも一言一句覚えているよ。人間ここまで腐ることができるんだってね。その後の担任も滑稽でさ、自分が助かる道を示してもらえた瞬間それに食いついたんだ。なにが「お母様がそう仰られるなら。」だよ。結局誰でも自分が可愛いんだね。恐ろしく冷たい二つの笑い声が教室に薄く響いていくほんの数分は私が人生を諦めるのには十分に長すぎて、むしろまだ諦めていなかった自分を褒めてあげたかったくらいだった。そこからはとても早かったよ。昨日の時点で決めてあったんだろうね。家に帰ると私の荷物がまとめてあってさ、玄関で地図と交通費だけ渡されて、「もう私たちは親子じゃありません。」だってさ。親子らしいことしたことあったっけ?笑っちゃうよね。そうして今の私は名前も知らない路線の終着駅に立ってる。いやはや、ここまで急展開でビックリしたよ。これから私はこの町で顔も覚えていない祖父と暮らして死んでいくんだ。こんな何もできない私の救いもない人生の終わりになるだろう場所。私は田舎に来たんだ。
ありがとうございました。久しぶりに書いた文章はなかなかの読みにくさだったと思います。ここまで読んでくださったあなたは本当に優しいお方です。
さて、実はこのお話今後はほんのり決まっているのですが肝心の主人公の性別も名前も決まっておりません。いつも通りの見切り発車ですが気ままに書いていけたらなあ、なんて思っております。今回はそこそこ暗いお話になってしまったなあと感じているので今後は主人公にも幸せになってもらいたいものです。
ではでは、いつかまた見かけていただけた時にはお付き合いくださいませ。