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第一話 出会い  作者: 太刀川博夫
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2-2

蕾が花開くときのように、羽衣はゆっくりと目を開いた。

見慣れた天井が視界に入ってくる。そこがスタインの家であることはすぐに分かった。

「羽衣ちゃん……!よかった、気づいた!」

のぞき込むように入ってきたのは少女の顔、目を潤ませながら笑顔を向けている。

「理愛……」それは少女の名前、今日、生まれて初めて出会った同年代の少女だ。

意識が少しずつ戻るのに合わせて、羽衣は記憶をたどり始めた。

さっきまで、夢を見ていた。

それは、グレンがまだ生きていた頃の夢。

物心付いたときの羽衣が、一番最初に認識した他者がグレンだった。

ビブロ島で一番の年長者であり、島で一番の知識を持ち、島の住人たちのまとめ役だったグレン。彼こそが、羽衣にとって親というべき存在だった。

グレンは、あの日から一年ほど経った頃、死んだ。医学に詳しい老人の一人は、酒を飲みすぎたのも原因の一つだろうと診断した。

島で暮らしていた羽衣にとって、そして生まれて初めて経験した死だった。

7歳だった羽衣は、目を閉じたままもう動かないグレンの体を前に、ただ震えることしか出来なかった。

そうすることしかできなかったのだ、初めて目の当たりにした「死」という得体の知れないものに対しては。

ー死ー

羽衣の脳裏に、さらによみがえり始める記憶。

炎に包まれる三人の兵士たち。少し前まで生きていたそれは、炎に包まれた瞬間、ただの黒い柱となり、やがてボロボロと崩れ落ちた。

「ーっ!」羽衣はこみ上げてくる物を押さえ込むように口に手を当て顔を伏せた。

「羽衣ちゃん!大丈夫!?」

「だ、大丈夫だよ理愛……はは、なんか昼とは立場が逆になっちゃったね」

羽衣は何とか笑顔を作って理愛に向ける。

「羽衣、無理せんでいい。いきなりあのような場面に放り込まれたんだ、」

「先生……みんなまで」

スタインの背後には、島の老人たちが全員集まっていた。皆一同に、羽衣への心配を顕わにした表情を浮かべ、島の中で一番広い居間に控えている。

羽衣はゆっくりと身体を起こし、スタインの方に顔を向けた。

「どうして理愛がこの島に来たのか、どうしてあんな兵隊とロボットがこの島に来たのか、そしてどうして私が、あんな姿になったのか・・・・・・先生、全部知ってるんだよね?」

スタインは無言のまま、重々しく頷いた。

「話して、くれるよね」

「……分かった、羽衣。全てを話そう」

羽衣とスタイン、互いにまっすぐ向け合った視線が重なる。

「私たちが何者なのか、どうしてこの島に来たのか、そして羽衣、お前自身の身の上についてもな……」

長きに渡り閉ざされていた鉄の門が開かれていくかのように、スタインの話が始まった。


人間は社会的動物である。

社会、すなわち他者との関わりの中で生きる存在である人間は、様々なものを共有して生きてきた。

その中で、共有の手段の発達に力を入れられてきたのが「情報・知識」であった。食糧・土地・金銭……実体を持っているものとは異なり、世界における明確な形を持たない存在。

そんな情報―知識を他者と共有するための手段、すなわち媒体の発展は、人類の歴史における重要な柱であった。

最初は、人間が生まれながらに持っているものに頼った。

表情・手足の動き、あるいは声。

しかしそれらを媒介として伝えられた情報は、一時的な共有こそ可能であるものの、それは一過性のものにすぎず、また共有できる範囲も、極めて狭い範囲に限られていた。

しかし人間は、それらの問題点をすぐに解決した、新たな情報伝達手段を生み出す。それが「記録」だった。

世界に存在する形あるものに、情報を刻み込む。そうすることによって、その物が残り続ける限り、情報も残り続け、時や場所を超えて情報の共有が可能となった。

とりわけ記録という手段にとって大きな原動力となったのは、文字と紙の発明だった。

決められた数の文字を覚えることで、その組み合わせによって表現される膨大な量の情報を表現・認識することが可能になり、かつ石板や羊皮に比べ保存性や持ち運び、そして量産性に優れた紙に記録することで、情報の超える時間と距離は格段に長くなった。


しかし、情報媒体の進化はそこで止まらなかった。

数世紀が経過し、情報伝達における時間・距離・運搬の問題をさらに発展させた媒体が現れた。

それが、デジタルメディアだった。

電気の流れが生み出す信号の形に変換された情報は、瞬時に波や光となって世界中飛んでいく。

紙に比べてはるかに迅速に、膨大な量の情報の共有が可能となった。

デジタルメディアは、あっという間に情報媒体としての地位を紙から奪っていった。

やがて、紙は世界から求められなくなっていった。


「……でも、それでどうして紙が消えなきゃならないのさ。デジタルってのが出てきても、紙の完全な代わりにはならないじゃん!」

「デジタルメディアは、もう一つ紙が持たない大きな優位性を持っていたのだ。そしてそれこそが、世界の人々の心を紙から引き離し、デジタルメディアへと取り込んだ最大の原因だった」

「それって……?」


それは、デジタル化された情報の柔軟性だった。

デジタルメディアは、それが受容する者の求めに応じて、様々に形を変えることが出来た。

手に収まる小型の端末の小さな画面に表示されるように、表示される大きさは自由自在に変えられた。

情報を自動的に分類・分割し、受容者にとってもっとも都合の良い形で提供することも可能だった。

人々は自らが求める情報だけを瞬時に、場所を問わず、極めて効率よく得る事が可能になったのだ。


「人間は自身にとって必要な情報だけを手に入れることが出来るようになった。世界に生きるためなら、例えば自分が暮らしている場所の天気や地理情報を知っていればいい。自分が関わる人間に関する情報だけ知っていればいい。人間の生きる世界は狭い。そしてそんな世界に生きていれば、例えば哲学や歴史などはその大半が必要なくなる。科学に関しても、自分の周りに存在する世界についての知識を持っていれば十分だ。人間が生きるのに必要な知識など、この世界にあふれる全ての知の、欠片ほどのものですらないのだ」


人々の情報に対する欲求全てを、デジタルメディアが満たすようになった。

これまで紙が伝えてきた情報も、全てデジタルメディアによって取り込まれた。そしてそれもまあ、受容する人間の都合の良い形に変換されて受容される。膨大な文字量によって生み出された哲学に関する古典など、全て読まずとも、要点だけを切り取り、絵や映像など理解しやすい形で触れることが出来る。そしてそれだけで、世界に生きていくには十分な「知識」だった。


やがて、紙は不要の存在となった。紙によって情報が伝達されることはなくなった。

最初は、紙媒体による情報の新規産出が止まるだけであった。

だがやがて、紙によって残された情報が有害視されるようになった。紙は生きていくのに必要のない、余計な情報まで伝達してしまう。そしてそれを受容した人間は余計な知識を身につけてしまう。

「出る杭は打たれる」これもまた人間社会の原則だった。余計な知識を身に着けること自体が悪とみなされるようになった。

また紙は、そうした余分な情報を、記録された紙が物として残り続ける限り、情報も残り続けてしまうという点が問題視された。

デジタルメディアならば、必要とされている情報、それが記録されている箇所だけを選別し、不要なものは排除・削除するのは容易であった。しかし物である紙は残り続け、余分な情報を伝達し続ける恐れがある。

そうした認識が、世界の多数派の人間の中に浸透していった。

そして世界は、紙を排除する方向へ動き始めた。


紙を形を持つ情報を排除するために、各地で専門機関が作られた。そしてそれらはやがて地域を超えて統合され、世界規模の集団となっていた。

彼らの名は「451機関」。451とは、一部の地域で用いられている温度の単位において、紙が発火する数字だった。紙を焼却してこの世から余分な情報を排除し、世界に安寧をもたらす。それが彼らの掲げた大儀だった。

彼らは汚物を消毒するがごとく、世界に存在する紙という紙を燃やし、この世界から物に刻まれた記録を抹消するために、世界中で活動を始めた。

強力な火炎放射兵器に、四足歩行の物質消却ロボット・ファイヤーリザード。彼らの用いる武装は、次々に凶悪なものになっていった。

暴力を伴う彼らの活動は、本来の世界にとっては悪であるの行為も、既にデジタルメディアを受け入れていた多くの人にとって、それらの施策はほとんど何の抵抗もなく受け入れられることとなった。

紙の排除に、必死に抵抗した人間も世界には残っていた。彼らはひたすらに紙や本を表の世界から隠し、その存在を守るために様々な手段を執った。

やがて紙や本と共に生きる人々も、地域を超えて一つの集団を作り、防衛力と抵抗力を強めていった。


「それが、おじいちゃんたちだったんだ……」

「そうだ。私たちは『本の民』。本と共に生きる人間の中でも、特に記憶力に優れた者の集団だ」

羽衣は顔を上げて、スタインと、その背後に控える老人たちを見回した。当たり前のように接してきた彼らの姿が、いつもと全く違って見えた。

「私たちは、覚えられる限り多くの本の内容を頭の中に収めた。いわば私たちは生きている本なの。そして本の存在を世界に保ちながら、本を守るために戦い続けた」ハンナがいつもと変わらない、優しげな口調を保ちながら羽衣に語った。

「そのリーダーが、グレンだったのだ」

「グレンおじいちゃん……」

「だが、世界はすぐに私たちの存在に気付いた。しかしその時には既に、本を守る人間たちもある程度の力は身につけていた。私たちは彼らの支援を受け、グレンの指導の下、世界中どんな地図にも載っていないこの島に移り住んだのだ。一人の赤ん坊を連れてな」

「それが、私……」

「グレンはお前の両親からお前を託されたのだ。この島で、あらゆる知を脳に詰め込んだ我々の中で育てることによって、お前の中の力を開花させるためにな」

言葉が終わりに近づくにつれ、スタインの声はやや小さくなっていった。

孫同然に羽衣を可愛がってきた、その裏には別の目的があった。その事を羽衣に謝罪し、そしてそれを行った自分たちを責めるような、そんな気持ちが込められていた。

羽衣の方でも、スタインの内心を察していた。羽衣はスタインの方を見ようとはせず、少し俯いたまま低い声で、再びしゃべり出した。

「……この小さいプレートは、その力っていうのに関係してるの?あの黒い鎧みたいなのも」

羽衣はショートパンツのポケットに入っていたそれを取り出した。

厚さは数ミリ、掌の中に納まるほど大きさのそのプレートは、翡翠やエメラルドに似ながら、それらとは明らかに異なる材質である。それは羽衣の手の中で輝いていた。部屋の光を反射しているのではない。それ自体が緑色の光を放っていた。

「それは、私から説明するね……」

足を動かして前に出た理愛が、首元に手を入れてそれを取り出す。理愛の手の中にあるプレートも、同様に自ら光を発していた。

「これは『アルシーブ』。私や羽衣ちゃんの中にある知への意思を、力として具現化するための物質です」

「ちへの、いし……?」

「簡単にいえば、『知りたい』という気持ち。自分のこと、他人のこと、周りのこと、遠い場所のこと、世界のこと……自分の外にある世界を求める気持ち、みたい。人の中で形の無いまま燻ってるそういう気持ちを、力という形で発現できる性質がある物質が、グーテンベルグによって発見されたの」

「知りたい……はは、確かに私にぴったり当てはまるね、それ」

「この物質については、グーテンベルグのマイケル・フー博士が中心になって研究してる。でもまだ詳しいことは全然分かっていないの。でも、知への意思を持っている人間―これもよく分からないんだけど、それが並外れて強い特別な人間に所有されることで、世界を変える力を発揮する」

「私も理愛も、その「特別な人間」なんだ……!」

「そう、そしてこの力を扱える人間を、グーテンベルグでは「セイヴァー」と呼んでいるの。グーテンベルグ本部には私の他にあと二人、そしてセイヴァーの使命は、紙を守るために、そして知を守るために、それを排除する力に全力で立ち向かうこと…!」

理愛はそこまで一気にしゃべり終えた後、ふっと息をついた。

「おじいちゃんが私を引き取ったのも、もしかしてそれが理由だったんじゃ……」

羽衣の質問に対する答えはスタインが引き継ぐ。

「……グレンは知っていたのだ。お前の心の底に、常人とは比べものにならないほどの『知への意志』があることを。この島で、我々『本の民』に囲まれて育つことで、その素質が磨かれるであろうことも。そしてその予想は、見事に的中したというわけだ……」




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