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たしか、6歳くらいの時だったと思う。
あの頃まだ私は、グレンおじいちゃんと一緒に暮らしていた。
おじいちゃんは私の横でちゃぶ台に向かい、いつもの作業を続けていた。
それは、おじいちゃんが頭の中に持っている物凄い数の本のうちの一つを、紙の上に書き連ねていくという作業。
この島にいるおじいちゃん、おばあちゃんはみんな、毎日その作業に勤しんでいた。文字によって埋め尽くされた紙が、毎日タワーを作るほどに掃き出されていく。
そして紙たちは、後から紐などによって綴じられ、本という形を手に入れていった。
私はというと、おじいちゃんが作業してる横に座って、おじいちゃんが書き上げた本をひたすらに読んでいた。
時々おじいちゃんのお手伝いをすることもあった。紙の片づけをしたり、出来上がった紙を紐で綴じて本にしたり。
でも大概は、グレンおじいちゃんやスタイン先生、あと島の人たちが持ってきてくれた本を読んで過ごしていた。
文字の書いてあるものは、なんでも読んだ。
時々、島の外からちゃんとした形の本が入ってくることもあった。その中には絵とか写真とかも載っていたので、スゴく楽しみだった。
そして、脇に置いておいた我が愛用のメモ帳に、気になったところをどんどん書き留めていった。
それは感想の時もあれば、疑問のこともあった。その本を読んで頭に浮かんだことは何でも文字や絵にしていった。
そしてそれを後でおじいちゃんに見せると、おじいちゃんは喜んだり驚いたりした。島のみんなに見せると、私を誉めてくれたり、頭をなでてくれたり、食べ物や新しい本を分けてくれたりした。
それが、私の最高の楽しみだ。
太陽が沈み、部屋の中が暗くなり始めれば、そえが作業の終わりの合図だった。
作業が終わると、おじいちゃんは台所に行った。その間に私はちゃぶ台の周りに散らばっていた紙をまとめる。私とおじいちゃんの間で決めた仕事の割り振りだった。
部屋はもう、紙の上の文字も見えないくらいに暗くなっていた。私は部屋の隅に置かれているランプに電池を入れて、スイッチを入れた。
ランプから光を発し、部屋全体をぼんやりと明るくする。私が本を読むには十分な明るさだったが、おじいちゃんはこの明るさでは文字を読むことが出来なかった。だから夕方に作業を中断せざるを得なかったんだ。
ちょうど私が準備を終えると、おじいちゃんが二人分のご飯を持って戻ってくる。私は台の前に座って待つ。
「さて、いただくかな、羽衣」
「うん、いただきます!」
ご飯を食べ始める。配給される簡易職に、野菜の煮物を合わせたものだった。島の隅に住む さんが作業の傍らに栽培しているものを分けてくれたものだ。
「おっと、忘れてた…!」ふとおじいちゃんが席を立ち、台所に戻る。
すぐに戻ってきたおじいちゃんの両手には、大きなビンとコップが握られていた。
おじいちゃんが大好きだった「お酒」という飲み物だった。配給でも滅多に届かないその飲み物。一年くらいの間隔でそれが届くたびに、おじいちゃんは子供みたいな笑顔を私に見せてくれた。
キュポッという音と共にビンの口が開く。おじいちゃんはビンの中身をコップに注ぎ、ぐいっと飲み干す。
「くーっ!五臓六腑に染み渡るとはまさにこのこと!」
「ごぞうろっぷって?」
「全身の隅々までということさ」
おじいちゃんのそんな嬉しそうな反応を見るたびに、私はその飲み物の味が気になってしょうがなかった。
一度飲みたいと言ったら「羽衣にはまだ早い」と言って飲ませてもらえず、さらに好奇心は増大した。その味を想像してメモ帳に書き込んだことも何度かあった。
でも、その時の私にはそんな好奇心を上書きする、全く別の興味がわいていた。
「ねぇ、おじいちゃん。おねがいがあるんだけど……」
既に顔が赤くなり始めていたおじいちゃんに、私はそっと切り出した。
「なんだ?酒なら飲ませんぞ」
「お酒のみおわったら、そのビンくれないかな?」
聞こえるのは波の音と、砂を蹴って進む私の足音。
月と星だけが、手元を照らす灯りだった。
私は両腕でしっかりと抱えたビンを顔の前に運んだ。そして、一緒に持っていた手紙を小さく折り畳んだ。
お酒を飲み終えたおじいちゃんは、不思議そうな顔をしながらも、空になったビンとフタを私にくれた。
私はおじいちゃんが使ってる紙を一枚もらって、その上にいつもより大きなサイズで文字を書き始めた。メモ帳のページを切り取るのでは足りないと思ったんだ。
たまたまだった。その日の夕食前に読んでいた本が偶然、ビンの中に紙を入れて海に流し、メッセージを残すというシーンがあるお話だったんだ。
お話の内容はどうでもよかった。あまり幸せな内容では無かったと思う。
でも、それを読み終わった後にビンを見て、半ば衝動的に思いついた行動だった。
「こんにちは。わたしのなまえは みすみうい です ビブロとうにすんでいます」
私は書いた。島のこと、自分のこと、おじいちゃんおばあちゃんのこと。
この手紙が海を超えてたどり着く世界、私がいつかこの目で見ることを、その時から既に憧れていた、外の世界。そこへのメッセージをありったけ込めた。
「いつかあえるひを、たのしみにしています」
私は手紙を書き終えた途端、家を飛び出した。
そして、海岸に来た。
私は折り畳んだ手紙を、ビンの口からその中に入れた。月明かりの下では少し手元が覚束なく少し時間がかかったけど、何とか入れることが出来た。
そしてフタをして、ゆっくりと波打ち際へ進んだ。
どうかこの手紙が、誰かの元に届きますように。
私の思いを、世界が受け取ってくれますように。
祈りを込め、私は全力を込めて肩を振り、ビンを思いっきり海へと投げた。
ビンは小さな放物線を描いたあと落下し、ジャポンというやや重い音が、波音にまみれて微かに聞こえた。
私はそれからしばらくの間、ビンの消えた方向をずっと見つめ続けた。
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