3-1
羽衣がこれまで目にした人間は、60を過ぎた年老いた老人だった。
彼らはみな体力を失い、力仕事をすることは全く無かったと言っていい。
唯一の例外は、定期的に物資を島に届けに来る輸送船の船員だった。しかし一人でやってくるその男も50代であり、荷物を運ぶのにはいつも苦労していた。だから羽衣は活発に動き回り、その運搬を手伝ったものだった。
そんな羽衣にとって、目の前の光景は新鮮なものだった。
太陽が照りつける砂浜の中を、軍服に似た作業着姿の人々が、木造の家の中から、箱の山を両手で抱えて軽々と運び出していく。
その箱の中には、これまで老人たちや羽衣によって書かれ、読まれてきた紙の山が隙間なく詰め込まれているのだった。
―昨夜―
羽衣と挨拶を交わした後、マーシャはスタインの家への案内を依頼した。
理愛、クリス、育美、そして機体から降りたった制服の集団をいったん待機させ、羽衣はマーシャと共にスタインの家に戻った。
家の中からは、すでに老人たちの姿はなく、スタイン一人だけが残っている状態だった。
玄関で二人を出迎えたスタインに対し、マーシャは一歩進み出て、直立不動の姿勢を見せた。
「グーテンベルグ代表、マーシャ・マクリーンです。この度はお目にかかれて光栄です、ミスター・スタイン」
「そう堅くなりなさんな・・・ほら、上がって上がって」
スタインは羽衣に対するそれと変わらない態度でマーシャを迎えた。
昼間に理愛を迎えたとき同様、、羽衣はスタインに命じられて三人分のお茶を入れて、平台を囲んで座る。
最初に口を開いたのはマーシャだった。
「451による襲撃があったそうで・・・残念でなりません。本当に、申し訳ない」
「なんのなんの・・・理愛ちゃんは必死に戦ってくれたそうじゃないか。いつまでも隠れていられるものでもなかっただろうしな。何より、羽衣のおかげだ」
「……私もずっと、この島については色々な話を聞いてきました。自らの脳に、古今東西の本を収めた賢人たちが住む島。そしてそこに住む、一人の少女の存在。451の脅威が激しさを増す中、その少女の力は是非にとも必要だと思ったのです」
そこまで言って、マーシャは一度姿勢を正すと、足の先にまっすぐに揃えた手をおいて、深々と頭を下げる。
「どうかこの羽衣さんを、私どもにお預け願えないでしょうか・・・」
スタインは一瞬の思案の後、マーシャに頭を上げさせて、答えを返す。
「分かった……どうか、羽衣をよろしく頼む」
スタインの方も、ゆっくり、深々と頭を下げていた。
「ちょっと待って!」
それまでじっと座っていた羽衣が、沸騰した湯が吹き出すかのように大声を上げる。
二人の会話が自分のことを話しているのは嫌でも察していた。話に置いてけぼりにされることが羽衣には耐えられなかったが、場の雰囲気に圧されて何とかしゃべり出したい欲望を抑えていたのだった。しかしそれももう限界だった。
「そりゃ私だって外の世界に行きたいよ。私に力があって、それを外の人たちの為に役立てるんなら、その為に働きたい・・・でも、先生を、この島のおじいちゃんおばあちゃんを置いてはいけないよ!」
外の世界にあこがれ続けてきた羽衣、外の世界をずっと自分で見て、聞いて、伝える。そんな日々を夢見てきた羽衣。
外の世界に行けるというこの機会を、手放したくないという思いは確かにあった。
しかし、これまで自分たちを育ててくれた島の老人たちを見捨てることなど出来ない。羽衣は彼らから世界に関する知識を与えてもらい、その代わりに彼らの生活の手助けをしてきた。
今、自分が島を離れるわけにはいかないと、理性の方が命じていたのだった。
そんな羽衣に、スタインは優しい笑みを向けて言った。
「羽衣、心配せずともよい。お前は私たちの心配をしなくてもよい。自分の行きたい道を行き、自分の見たいもの、自分の聞きたいもののところに行けばよいのだ」
「でも……!」
「……それに、もうこの島に残ることは出来ん。お前も、私たちもな・・・」
「え……?」
「これまで隠し通してきたこの島の秘密が、451側に明らかになってしまった。このままいても、連中の襲撃を待つだけだ」
「そんな……」
「マーシャさん、羽衣を渡す代わりといっては何だが、一つこちらからも頼みがある」スタインがマーシャの方に向き直った。
「この島に眠る書物・・・おそらく数千冊はあるだろう。それを、グーテンベルクの手で運び出してもらいたい」
「……承知しました。私もそのつもりで、人員を引き連れて来ております」
島の家の中から、次々と紙の山が運び出されては、飛行艇の中へと積み込まれていく。
羽衣も、部屋を埋め尽くす紙の山を片付けておくようスタインに命じられたので、自宅に戻っていた。
部屋のあらゆる場所を紙が埋め尽くす部屋。それを作り出したのはほぼ自分とは言え、片付ける苦労を思うとウンザリせずにはいられなかった。
とりあえずと、入り口付近を埋め尽くす紙から拾い集める。
紙を数枚拾い上げると、その中から紐で綴じられた物が見つかった。半年ほど前、老人の一人から貸してもらって、そのまま紙に埋もれてしまっていたのだろう。
羽衣はふとそれに手を伸ばし、ページをめくり始める。
そして、数時間が経過した。
縁側から差し込む太陽の光の色は、既に夕方のそれへと変わっていた。
我に返ったとき、羽衣の脇には紐綴じ本が二十冊ほど積まれていた。
そして、部屋の光景が全く変化していないことに気づくと
「しまったーっ!」
羽衣の叫びが、紙に埋め尽くされた部屋の中に染み渡る。
片づけは急ぎでやるように言われていた。いったい自分はどのくらいの時を読書に費やしてしまっていたのか。
呆然とした羽衣は、結局何も出来ず動くことが出来ない。
そこに
「羽衣ちゃん!」
扉が開く音と共に、少女の声が部屋の中に響いた。
入ってきたのは、理愛、クリス、そして育美だった。




