#0 朝夕《ちょうせき》の出逢い
これはあの日より6年前の十二月二十四日だった。
雪は吹雪になり、さらに酷くなっていた。
「こりゃ……ひでぇな、」
「そう、ですね…」
ここは氷の戦都と呼ばれる『ニヴルヘイム』の郊外。
万年、雪と氷で覆われ、作物は育たず、中心部でも食べ物が少ない不毛の大地。
そのために内戦が長く続き、多くの孤児を生み出した。
内戦が収まりつつある現在でも、孤児院があちこちに存在する町となっている。
目の前にはそんな孤児院のひとつだったであろうものが、跡形もなく雪崩に押しつぶされていた。
こんな所にいる理由は、ある任務が届けられたからだ。
その内容は「護衛騎士隊=シツジと共に、ニヴルヘイムで起こっている連続襲撃事件の原因を『保護』、それが不可能なら『抹殺』せよ」というものだった。
「すぐに生存者の確認、および保護を行ってください!」
「「「了解!!」」」
騎士隊の隊員たちは副隊長のディンセントの一言で、それぞれ作業を始めた。
「それで、これの原因はどこいったんだ?」
「ここにはいないみたいですね…ですが、まだそれほど遠くへは行っていないようです」
孤児院を押しつぶしている雪はまだ柔らかく、さほど時間が経ってないのがわかる。
「よしディンセント。お前の“眼”で探しだせ」
「了解しました」
少年の一声で額に巻いていた鉢巻きを取ると、その下にあったのはまさしく“目”。
左右の目と同じスカイブルーの色した“第3の目=アイシズ・アイズ”はキョロキョロと辺りを探る。
「見つけました!ここから北に3キロ、東に5キロ先の、民家付近です!」
「…急いだ方が良さげだな」
「ええ。いきましょう!」
さびしい、さびしい、さびしい、さびしい、さびしい、さびしい、さびしい、さびしい、さびしい。
「……、さびしいよ」
少女がひとり、氷原を歩いていた。
「?」
しばらく歩くと、目の前に明かりの点いた家が見えてきた。中ではボクと同じくらいの子供が元気に走り回ってる。
暖かそうな室内には豪華な食事があり、きっと今日はなにかの祝い事なのだろう。
「……」
ボクが祝ってもらったのはどのくらい前のことだっただろうか。
去年の誕生日もこうして放浪してたっけ。
「……」
パパとママ、もしかしたら、かわいい妹がいた、かも知れない。
でも今はもう、その顔すら思い出せない。
(……ちゃん)
自分の名前を呼んでくれた人は一人だけ覚えてる。
孤児院の院長先生。院長先生は優しかった。
(……ちゃん)
いつもボクの近くにいてくれた。
ほしい物はなんでもボクにくれた。
行きたい所にはどこにでも連れて行ってくれた。
おそらく、ボクが一番しあわせだった瞬間。
でも。院長先生の目はいつも、なにかを恐れていた。
(……ちゃん!)
恐怖。慄き。畏え。
院長先生の目にはいつも、そんな感情があった。
理由はわかってる。
ボクが悪いんだ。ボクに、こんな“力”があるから。
ボクの近くにいる人は必ず不幸になる。
「もっと、もっと雪が降れば、明日はたのしく遊べるよね」
院長先生と遊びたかった。みんなと遊びたかった。ただ、そう思っただけなのに。
そう思っちゃったせいで、院長先生は死んでしまった。みんなと一緒に。
でも院長先生の目は最後まで変わらなかった。
何度、このまま死ねたら、と思っただろう。
なのに“運命”はボクを殺してはくれなかった。ボクだけはどうやっても生き残ってしまう。
だからボクはひとりで生きるしかない。
たまに、ボクに近よってくるヒトはいた。だけどみんなボクだけ残して死んでいく。
だからボクはこうして放浪するしかない。
「……さびしい」
なんと暖かそうなことか。
だけど、ボクはあの輪には入れない。近づけば、あの家族を不幸にしてしまう。
「いいな…」
最近は幸せなものを見ると、ボクの心はしおしおと枯れてしまう。
(だったらこんなキモチ…なくなってしまえばいいのに…)
ゴ
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
どこからか、地響きが響き渡る。
「どうして…?」
ボクは何もしてないのに。ただ思っただけなのに。
轟音を立てながら、雪が迫っていた。
雪崩。それが目の前の家を潰そうとしている。
「…なに、この音!?」
幸せな空間は一瞬にして、絶望に代わる。
雪は家を潰し、家具を壊し、人を喰らうだろう。それがいま決められた“運命”。
「……さびしい」
また、ボクのせいで人が死ぬ。人が死ぬのはさびしい。
「なら、オレがずっと傍にいてやる。さびしい、さびしいって言ってたら幸せは逃げてくぜ?」
「氷防壁・アイスバーン!!」
ディンセントを中心に並んだシツジたちの魔力が氷の壁となり、雪崩を押しとどめる。
行き先を遮られた雪崩の地響きは、しだいに静かになり止まった。
「危ないところでしたが、ギリギリ間に合いましたね」
「あぁ、おつかれ。んで、コイツが例の“運命奏者”か?この世界の法則=シックザールを自在に操る能力、それを持つのがまさかこんなガキだったとはな」
周囲の氷原に溶けて消えてしまいそうなほど白い肌、白い髪、白い眼の少女。
しかしその白さは、使い古されて汚れた服が少女を黒く侵してしまっていた。
「ええ。ですが、最強クラスの能力を侮らないでくださいね」
「あん?オレは相手がガキだろうと油断なんてしねぇよ」
ディンセントはすでに鉢巻きを取り“目”で少女を警戒している。
「…だれ?」
少女が問う。
「しっかし、こんなガキ1人にこの大人が力ずくってのも、みっともねぇな…」
少女は見たところ5歳くらいだろう。まだ母親に甘えていても、おかしくない子供。
そんな少女が一連の事件を起こしていたなんて想像しにくい。
「私達はあなたを保護しに来ました。おとなしく付いて来てもらえませんか?」
「…ほご?」
「そう、保護です。あなたと戦うつもりはありません」
ディンセントは丁寧に、少女と交渉する。
「そういうヒトたち。みんな死んでった」
「死んだ…?“殺した”の間違いじゃねぇか?」
「…おそらく、自身の力を理解していないのでしょう」
少女の年齢を考えれば、それも当然だろう。
「…どうして?どうしてみんな死ぬの?どうして、ボクだけおいてくの?」
無垢なその身に宿した残酷。
少女はすでにディンセントたちを見ておらず、どこか遠い過去をみながら去ろうとしていた。
「オレたちについて来れば、友達もできるさ」
「ちょっと、危ないですよ!?」
ディンセントの忠告を無視し、少女に近づいて行った。
「いやぁっ!…近づかないで!!」
少女の肩に手をかけようとした瞬間、それは飛んできた。
…バスンっ!!
着弾すると、雪が噴煙となり舞い上がった。
「コォォォォォォ…」
「スノウマン!?そんないつの間に!」
うなり声をあげて現れたのは町を守護するモンスター、スノウマンだった。
警戒はずっとしていたはずなのに、いつの間にかスノウマンの領域に入ってしまってのか。
「どうして…私の“目”が見逃した…?そんなはずは…」
通常ならば人を襲うことのないスノウマンが襲ってきた“異常”に動揺し、そして自身の“目”が見逃したことに落胆していた。
ディンセントの“第3の目=アイシズ・アイズ”は周囲10キロ以内なら対象を見つけることが簡単にできる。1キロ以内なら砂漠の中から米粒を見つけるのも容易だろう。
それなのに見落とした。ずっと警戒していたのにどうして。
「…コイツがいるんだから、なんも不思議じゃねぇ。コイツが“願った”からスノウマンが出現したんだ。これが“運命”だ」
少女との距離はいつの間にか、10メートル以上は開いていた。
「こりゃあ、先にコイツを片付けねぇと近寄らせくれそうにないな」
「ディンセント様。我々も援護いたしましょうか?」
「いえ、あなた達が手に終える相手ではありませんよ。それに、このために彼を呼んだのですから」
「おい!いつまでくっちゃべってんだ。行くぞ!」
少年は右腕をだらんと下げた、独特の“構え”をする。
「よっしゃ、やっと俺の出番だな!」
スノウマンは目の前に対峙したまま動こうとしない。それは偶然にも背後の少女を守る形になっていた。
大きな雪玉2つの5メートルほどの巨体に、多数の小さい雪玉が繋がった腕。その腕の雪玉を投げるのが主な攻撃なのだ。
「で、この雪ダルマ、どうしたらやれるんだ?」
「スノウマンの頭になってる雪玉を破壊すれば倒せるハズです!」
「なんだ簡単じゃねぇか…だったら、」
はぁ~と大きく息を吐くと、すぅ~と大きく吸う。
それを何度か繰り返した後、止める。
それは少年が使う『呼吸法』と呼ばれる技だ。
「コ…?」
スノウマンの目の前から突如、少年の姿がその場から消えた。
「こっちだっ!」
少年はスノウマンの右側から回り込んでいた。
スノウマンまでの距離は約5メートル。
…バスンっ!バスンっっ!!
スノウマンの放った雪玉は再び白煙をあげるが、それを少年はかわしながら間合いを詰める。
「破城拳!!」
それは突きだった。魔力を拳に宿した一撃。
その一撃をまるで壁のようなスノウマンの腹に叩き込んだ。
「コッ!」
雪の壁は拳の入ったところから、“ひび”が広がる。
スノウマンの腹に入った“ひび”は限界まで広がりきると、雪玉は崩れはじめた。
「とと…!」
そのままバランスの取れなくなった頭が転げ落ちる。
後は、ダルマ落としのように顔を破壊すれば…と思ったが…
「ちっ!厄介だな…」
「ゴォォォォ……!」
崩れた雪が再び集まり、大きな雪山が出来あがる。
そして雪山から再びスノウマンが再び出現した。
「復活が早ぇな…ってか、でかくなってねぇか?」
スノウマンはその名の通り、体はのほとんどは雪でできている。
だから、こんな雪原ではいくら倒してもほどなくして復活するだろう。
しかし、それには失った部位のサイズになるまで、雪玉を転がし生成する必要がある。こんな復活の仕方は普通ではない。
その上、体が2玉から3玉に、体長は10メートル以上になっていた。
「気をつけてください。このスノウマン“異常”です!」
「あぁ…お前も気付いたか?アイツが魔力を分け与えてるぜ」
一流の魔術師でも、一瞬で尽き果てるほどの魔力が少女からスノウマンへ流れているのが、オレの“眼”には見えていた。
「運命奏者。想像以上ですね…」
「さて、どうしたもんか…」
スノウマンを排除しないと、少女には近づくのは難しいだろう。
だが、少女を止めなければ、スノウマンの排除は無理だろう。
「だったら、難しい方を選ぶまで…」
少年は覚悟を決めた。
「ディンセント、“剣”の準備をしろ」
「しかし、それでは…」
ディンセントの持つ剣は柄のみで刃はなく、その形状から『アイスロッド』という名前が付けられている。その柄によって変換された冷気によって刃をつくる魔剣だ。
その冷気はすさまじく、抜刀すれば燃え盛るマグマも氷原にする事ができる。
さっきの雪崩を押さえた壁も、この剣の力を応用した技だ。
「あのスノウマンを閉じ込められるほどの力を使ったら少女も、それにあなたも氷漬けになる可能性がありますよ!?」
「俺のことなら心配するな。使うタイミングは俺が指示する!とにかくやれ、今はそれしかない!」
すぅぅ…はぁぁ…すぅぅ…はぁぁ…。
いつもより深く静かに呼吸すると、多くの魔力が体内に満ちてくる。
「よし、行くぞ!」
再び駆け出した。
コレは無謀な作戦かもしれない。
だが、これしか方法はない。
バスンっ!バスンっ!バスンっ!バスンっ!バスンっ!バスンっ!バスンっ!バスンっ!
さっきより多くの雪玉が飛んでくる。
だが、今回の狙いはスノウマンではない。
雪玉を避けながら、狙うはちいさな、ちいさな、
「ゴォォォォォォォ!」
スノウマンは飛び上がり迫ってきていた。
体重はおそらく100キロ以上。押しつぶされたら、ひとたまりもないだろう。
「邪魔だ!!」
魔力の流れを読む。
スノウマンの周りにあったわずかな影までの道筋。
その隙間に魔力を流し込む。
「影牙・陰牢!!」
「ゴォ!?」
影が実体をもちスノウマンを取り囲む。
それにより動きを一瞬だけ止めることができた。
だが、その一瞬だけあれば、スノウマンを横をすり抜けるには十分だった。
残りの距離は3メートル。
「いや!こないでっ!!」
2メートル。
少女は怯えていた。
迫り来る、未知に。
バスンっ!
1メートル。
スノウマンの雪玉が飛んでくるが、それを紙一重でかわす。
「いやっ!いやっ!」
少女は後ずさる。
「さあ、一緒にいこう」
その時だった。
急に足元が沈む。
受身を取ろうとするが手元も新雪に沈んだ。
「ーーッ!!」
つぅーと一筋、頭から血が垂れて雪を赤く染める。
わずかに出ていた石に頭を強打した。
「いやぁ…」
起き上がると、目の前で雪のような少女がちいさくなっていた。
少女の目に映るのは恐れ。
畏れられて、怖れられて、恐れられた者の眼。
いったい、このちいさな体に、どれほどの恐怖を宿してしまったのか。
傷ついた頭を押さえながら、少年は少女を抱きしめた。
残り0メートル。
「…いまだっ!!」
背後にいるディンセントに叫ぶ。
「いきますっ!氷結界アブソリュート・ゼロ!!」
すべてを永遠の万年氷に閉じ込めるアイスロッドの絶技。
氷すら凍らせて、あたり一帯が氷河に閉じ込められた。
「…どうして?」
「?」
少女が言葉をつむぐ。
「…どうして、ここまでするの?」
多くの人間がこの『力』を恐れ、近寄ってはこなかった。
それなのに少年は力の意味を知りながら、危険を顧みず歩み寄って来た。
「どうして、か…」
少年はただ、知っていた。
誰にも分かち合えず、誰にも理解されない“力”の意味を。
孤独。それは何よりも強い、恐怖。
だが、少年には唯一の支えがあった。
だから、最後まで道を外れることはなかった。
だから、今度は自分はこのちいさな少女の支えになりたかった。
「そっか、あなたも…」
少女にも考えていること解るようだ。
それも、同じだった。
力を持つ者同士では言葉は必要としない。
「…大丈夫ですかぁぁ!?」
ディンセントの声が響く。
周辺を氷塊に変えた魔剣の力も、二人の周りにだけは“偶然”にも効力をなくし、氷山の中央にぽっかりと穴があいていた。
スノウマンにあれほどの力を与えた“運命奏者”。
それを自分を守るために使えば、はねのけるのも容易だろうと考えての賭けだった。
もし、そこまでのコントロールができない場合に備えて他の策も容易していたが、そんな心配は無用だったようだ。
「おぉい!早く引き上げてくれ!」
「はい、今すぐに!」
しばらくすると、騎士隊員がロープを使って降りてきて、2人を氷の上に引き上げた。
「それじゃ帰るとすっか、」
周辺はやって来たときと一変してしまっていた。
氷原には巨大な氷山が出現し、雪崩の片付けもまだまだ時間がかかりそうだった。
これこそ最強クラスの能力“運命奏者”を使用した結末だった。
「ねえ、」
「あ、どうした?」
少女は少年の大きな背中に身を預けていた。
「あれ、ホント?」
「友達もできるってやつか?」
「そっちじゃなくて…『ずっとそばにいてやる』ってほう」
少女と出逢ったときの、なんとなく放った言葉をいっているのだろう。
思ったことをすぐに言ってしまうのが少年の悪い癖だった。
「あぁ、約束しよう。ずっとお前の傍にいてやるよ」
「やー!」
「お、おい!暴れるな!」
少女はうれしそうに、はしゃいでいた。その表情は歳相応のものだった。
「ところでお前、名前はなんて言うんだよ」
「んー?むかしはアサってよばれてたよ。あなたは?」
「あ?オレか?オレはナギ…ユウナギだ」
この世界で呼びやすいように『ナギ』と登録しているが、本当の名前は夕凪という。
「なんか、おんなじだね!」
「ん?ああ、そうだな」
朝と夕。
この偶然の出会いが新たな“運命”の始まりとは、この時はまだ知らなかった。
「ちょっ!なにやってんだよ!」
アサが肩によじ登ってきた。
「いいから、そのまま」
ナギの頬に口付けをした。
その場所がやけに熱く感じる。
ずっと降り続けていた雪は、いつの間にかやんでいた。
これが2人の最初の物語。