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寿命の旋律が聞こえる私と、残り100日の君  作者: 明石竜


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第4エピソード「音のない少年」

 転入生が来たのは、月曜日の朝だった。

 ホームルームの前に担任が教室に入ってきて、「今日から来ます」とだけ言った。廊下に向かって手招きをすると、男子生徒がひとり入ってきた。

 すらりと背が高かった。白に近い、薄い色の髪。色素が薄いのか、まつ毛まで明るい。肌も白くて、教室の中で一人だけ違う光を浴びているみたいに見えた。顔の造作はきれいだったけど、表情がなかった。愛想笑いも緊張もなく、ただそこにいる、という感じの顔。

「白神真白です。よろしくお願いします」

 短い自己紹介だった。声は低くて、落ち着いていた。

 席は、私の二つ隣になった。

 窓際から二列目、前から四番目。私が窓際の前から四番目だから、ほぼ真横だ。

 真白くんが席に着いた瞬間、私は気づいた。

 聞こえない。


 聞こえない、というのは——旋律が、だ。

 三年間、旋律が聞こえなかった人間はいない。どんな人からも、何かしら聞こえてきた。音の大きさも長さも質も違うけど、「無音」なんてことはなかった。

 なのに。

 真白くんからは、何も聞こえない。

 完全な無音。

 私は自分の耳を疑った。集中が足りないのかもしれない、と思って、もっと意識を向けてみた。目を細めて、息を整えて、耳を澄ます。

 無音。

 ノイズすらない。旋律が乱れているわけでも、小さすぎて聞こえないわけでもない。そもそも、音が存在していない。

 彼の方向から聞こえてくるのは、ただ——静寂だけだった。

 どくん、と心臓が鳴った。

 隣の福田さんが「かっこいいね」と小声で言ってきたけど、私は返事ができなかった。


 一限が始まった。

 私はずっと、真白くんの方向を気にしていた。さりげなく視線を向けると、彼は教科書を開いて、先生の話を聞いていた。当たり前の光景だ。何もおかしくない。

 でも——音がない。

 生きている人間から、旋律が聞こえない。

 今まで一度もなかったことだ。

 考えられる可能性を頭の中で並べてみた。旋律の強さは人によって違う。もしかして、極端に弱い場合は聞こえないこともある? でも「弱い」と「無音」は違う。弱ければかすかに聞こえるはずで、「まったく存在しない」というのは別の話だ。

 あるいは——この能力自体に、例外がある?

 三年間、そんな例外には当たったことがなかったのに。

 昼休みになった。私は屋上に向かいながら、どう考えても答えが出ないことに気づいて、とりあえず灯さんに話してみようと思った。

 でも屋上の扉を開けたとき、灯さんはいなかった。

 代わりに——真白くんがいた。


 フェンスにもたれて、空を見上げていた。

 昼食を持っている様子もない。ただ、立っている。

 私が扉を開けた音で振り返った。目が合った。

「……ごめんなさい、邪魔でしたか」

「別に」

 愛想のない返事だった。でも出ていけ、という感じでもない。

 私は少し迷って、フェンスから少し離れた排気口の前に腰を下ろした。お弁当を開く。

 沈黙が続いた。真白くんはまた空を見ていた。

 私はその間も、ずっと耳を澄ましていた。

 無音。

 彼のいる方向だけ、すっぽりと音が抜けている。周囲の空気の旋律は聞こえるのに、彼の輪郭だけが静かだった。

 不思議、というより——怖かった。

「さっきからこっちを気にしてるね」

 急に言われた。

 私は箸を止めた。

「そうですか?」

「何か聞こえる?」

「え?」

 真白くんがこちらを向いた。さっきまでの無表情が、少しだけ変わっていた。探っているような目だった。

「聞こえますか、って言ったんだけど」

「……何が?」

「音」

 心臓が、大きく跳ねた。

「音って」

「人の音。旋律みたいなやつ」

 息が止まった。

 私はしばらく、真白くんの顔を見つめた。表情を読もうとしたけど、読めない。ただ、真剣な目だと思った。

「なんで……そんなことを」

「顔に出てるから」と彼は言った。「さっきから俺の方を気にして、聞こうとして、聞こえなくて困ってる顔」

 どうして、そこまでわかるんだ。

「その能力、まだ消えてなかったんだ」

 真白くんがぽつりと言った。

 まだ、という言葉が引っかかった。

「——どういう意味ですか」

「消えるはずだったんだよ、本来は。三年くらい前に」

 三年前。

 能力を手に入れた時期と、一致していた。

「あなたは、誰なんですか」

 私は聞いた。声が少し震えていた。

 真白くんはフェンスから離れて、排気口の横に座った。向かい合う形になった。

「白神真白。さっき自己紹介した」

「そういう意味じゃなくて」

「わかってる」

 彼はしばらく黙っていた。迷っているのか、タイミングを計っているのか。

「その力は人間のものじゃない」

 静かな声だった。でも言葉の重さが、空気を変えた。

「人間のものじゃない——」

「もともとは別のものが持つ力。誰かが間違えて、あるいは意図的に、陰山澪に流れ込んだ」

 私の名前を知っている。今朝会ったばかりなのに、名前を言わなかったのに。

「私のことを知っているんですか?」

「知ってる」

「どこで?」

「ずっと見てたから」

 ぞくり、とした。怖さじゃなくて——確信に近い感覚。この子は本当のことを言っている、という感覚。

「ずっとって、いつから?」

「三年前から」

 やっぱり、三年前だ。

「その力が流れ込んだとき、から?」

 真白くんは少し目を細めた。驚いたように見えた。

「飲み込みが早いね」

「怖いからです。早く全部聞きたい」

「……」

 彼は少し間を置いて、言った。

「今日は全部は話せない」

「どうして」

「順番がある。話す順番が」

「誰が決めた順番ですか」

「俺じゃない」

 それ以上は言わなかった。

 私は奥歯を噛んだ。聞きたいことが山ほどある。でも彼は答えない、という顔をしていた。

「ひとつだけ聞かせてください」

「何」

「あなたから旋律が聞こえない理由」

 真白くんは少し考えて——答えた。

「俺は、あなたが聞けるものを持っていないから」

「持っていない?」

「旋律は寿命の音だろ。俺には寿命がない」

「……」

「だから音もない」

 私は言葉を失った。

 寿命がない、という言葉の意味を、頭が処理しようとして——できなかった。


 その日の放課後。

 灯さんに会ったとき、私は転入生の話をしなかった。

 できなかった、というより——どこから話せばいいかわからなかった。「音のない転入生が来て、私の能力を知っていて、寿命がないと言った」なんて、どう説明するんだ。

 灯さんはいつもの喫茶店でケーキを食べながら、「今日のバイトどうしようかな」と世俗的なことを話していた。私はその横で、返事をしながら、ずっと別のことを考えていた。

「澪ちゃん、上の空」

 灯さんに言われた。

「ごめんなさい」

「なんかあった?」

「……ちょっと、気になる人ができて」

 言ってから、言葉の選択を後悔した。灯さんが「え!」と前のめりになった。

「好きな人?」

「違います。そういうんじゃなくて」

「どういうの?」

「謎な人、です。何考えてるかわからない」

 灯さんは少し考えてから、「クラスの子?」と聞いた。

「転入生です。今日来た」

「あ、転入生来たんだ。どんな人?」

「白っぽい人」

「白っぽい?」

「髪が白くて、静かで、あんまり笑わない」

 灯さんはおかしそうに笑った。

「白くて静かで笑わない人が謎なの、当然じゃない?」

「それだけじゃなくて——なんか、普通の人と違う感じがして」

「違うって、どんなふうに?」

 答えに詰まった。

「うまく言えないんですけど。なんか、音が違うというか」

「また音の話だ」

 灯さんは笑いながら言った。

「澪ちゃんって、音で人を感じるんだね。おもしろい」

「おもしろい、ですか?」

「うん。音楽家みたいで、好きだよそういうの」

 好き、という言葉をさらりと使う。灯さんはそういう子だ。

「転入生の子の音は、どんな音なの?」

 私は少し考えた。

「——無音、です」

「無音?」

「何も聞こえない」

「それは、もしかして、静かすぎる人なのかもね。音がないくらい、静かな」

 私は答えなかった。

 灯さんのその解釈は、きれいだと思った。でも正しくない、ということもわかっていた。


 翌朝。

 真白くんは昨日と同じ席に座って、昨日と同じ無表情で教科書を読んでいた。

 私が席に着くと、視線だけこちらに向けた。目が合った。

「おはよう」

「おはよう」

 それだけだった。でも昨日と違って、完全な他人ではなくなっていた。

 一限の途中、真白くんがノートの端に何か書いて、消しゴムをすべらせてよこした。

 見ると、小さな文字でこう書いてあった。

 『放課後、話せる?』

 私は少し考えて、頷いた。


 放課後、真白くんは私を学校の裏手にある旧校舎の方へ連れて行った。使われていない棟で、今は物置になっている。人気がない。

 錆びた椅子が二脚、廊下に出されていた。二人で向かい合わせに座った。

「昨日の続き、話す」

 真白くんは開口一番、そう言った。

「聞きます」

「陰山は三年前、その力を手に入れたとき——何かに触れなかったか?」

「触れた?」

「何でもいい。見慣れないもの、音のするもの、感覚が変わったとき」

 私は記憶を辿った。三年前、中一の秋。

「……川辺で、何かが光ったのを見た気がする」

「川辺」

「学校帰りに川を渡って帰ってたんですけど。橋の上で、川の中に光みたいなものが沈んでいくのが見えて。そのあとから、聞こえるようになったんだと思います」

 「光」と真白くんは繰り返した。低く、独り言のように。

「そこに、力が落ちた」

「落ちた?」

「本来は俺が回収するはずだったものが、陰山の傍に落ちた。それが吸収された」

「……あなたが回収する? 何を?」

「死神の力」

 空気が変わった。

”死神”という言葉が、旧校舎の古い廊下に、静かに広がった。

「死神、って——」

「文字通りの意味だよ。人の寿命を管理して、終わりに立ち会う存在」

「あなたが?」

「俺は死神じゃない。俺は——監視者だ。死神が正しく動いているか確認する側」

「どう違うんですか」

「死神は能動的に動く。俺は基本、見ているだけ」

「見ているだけ、って——三年間?」

「ああ」

 私は少し黙った。

「なんで黙って見てたんですか」

「陰山がその力を使わなければ、問題はなかった。人の寿命を感じるだけなら、人間の側に影響はない。だから介入しなかった。旋律を聞くだけなら問題はない。だが——運命を動かした瞬間——

それは禁忌になる」

「でも——」

「使い始めた。先週、日向灯の危機に介入した」

 灯さんの名前が出た。

「監視者は灯さんのことも知っているんですか」

「知ってる」

「灯さんが残り100日だということも?」

 真白くんは少しだけ、表情が変わった。驚いたというより——何かを確認したような顔。

「陰山にはそう聞こえているんだ」

「違うんですか?」

「数字じゃないよ、本来は。でも陰山にはそう聞こえる。それはおそらく、人間の感覚に翻訳されているから。大体、合ってると思っていい」

「大体」

「誤差はある」

「どのくらいの誤差ですか」

「わからない」

「わからないって——」

「誰にもわからないよ。そういうもんだから」

 真白くんは淡々と言った。感情が読めない。

「それで、私に言いたいことは何ですか」

「止まれ、と言いたかった」

「止まれ」

「日向灯の運命に介入するのを、やめろ」

 その言葉は、思ったよりも重くなかった。

 たぶん私はもう、止まれないとわかっていたから。

「できません」

「わかってた」

 真白くんはため息をつくでもなく、怒るでもなく、ただそう言った。

「なんでわかったんですか」

「陰山は先週から、自分の旋律が削れているのを知りながら動いてる」

「……聞こえるんですか、私の旋律が」

「監視者だから、全員の旋律が見える」

 見える、という表現だった。聞こえる、ではなく。

「陰山の旋律は今週だけで、かなり削れてる」

「どのくらい?」

「具体的な数字は言わない。怖くて動けなくなっても困る」

「怖くても動くと思います」

「そういうやつだから言わない」

 真白くんは立ち上がった。夕日が旧校舎の廊下を斜めに照らしていた。

「俺が言いたかったのは、止まれ、ではなくて——本当は、知っておけ、ってことだ」

「知っておく?」

「その力はルールを持ってる。人間の感情や善意で動いていいものじゃない。だから——このまま動き続けると、陰山は消える」

「消える」

「旋律が終わる、ということだよ」

 静かな言葉だった。でもその静かさのせいで、言葉が全部、まっすぐに届いた。

「それでも止まれませんか」

 責める声じゃなかった。ただ、確認しているような声。

 私は少し間を置いて——答えた。

「止まれません」

 真白くんは何も言わなかった。

 ただ、かすかに——本当にかすかに——表情が変わった気がした。何かを受け入れるような、あるいは何かを決めたような顔。

「わかった」

「え?」

「止まれないなら、俺が傍にいる。最低限の損害になるよう、監視する」

「監視、って」

「見ているだけが仕事だから。でも——見ていることしかできないわけじゃ、たぶんない」

 その言葉の意味を聞く前に、真白くんは歩き出した。

「また明日」

 それだけ言って、夕日の中を歩いていった。

 白い髪が、オレンジの光に照らされて——すこしだけ、金色に見えた。


 夜、布団の中で私は天井を見上げた。

 死神の力。

 監視者。

 消える。

 言葉がいくつも頭の中で回っていた。

 怖いか、と自分に聞いてみた。

 怖い、と思う。消えたくない、とも思う。

 でも灯さんの旋律が消えるところを想像すると——それの方が、ずっと怖かった。

 理屈じゃない。

 ただ、そう感じる。

 スマホが光った。灯さんからだった。

「澪ちゃん、明日も屋上行っていい?」

 私は少し笑って、返信を打った。

「もちろんです」

 送信して、スマホを置いた。

 旋律が二つ、聞こえた。

 灯さんのは今夜も伸びていた。わずかに、でも確かに。

 私のは——また、少し短くなっていた。

 それでも今夜は、不思議と穏やかな気持ちだった。

 怖さより先に、明日が楽しみだと思っていた。


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