Ep7.推しが来たりてナイフを抜く
「錨?」
ヤオが首を傾げる。
彼が疑問を抱くのも当然だった。なぜなら、この時点でのアンクはまだ名付けられてすらいないのだ。
「古代エジプト語で生命を表す単語です。名付けたのは……私の主人です。ふふん」
「なんでお前が誇らしげなんだ」
彼は名前のない男だった。〈紅のオメルタ〉の主人公、クレアと出会った当初などは「俺のことは1と呼べ」などと言ってくる。
そんな無機質な呼び方をしたくないと考えた主人公は、自分が名付け親になると提案。〈ワン〉と韻を踏むような名前を考えていくが思いつかず、最終的に親友のベアトリーチェに案を出してもらい、それを採用する。
「お嬢様は博識でいらっしゃるので。ふふん」
「だからなんでお前が誇らしげなんだ」
アンクの前には、ステーキやらサンドイッチやらこの店のありとあらゆる食べ物が提供され出していた。それを顔色一つ変えずにすぐさま平らげ、次の皿に移行する。食事というよりエネルギー補充だった。それも大規模な。
それをチラチラ見つめつつ、リザはまた溢れてきそうな涙を抑え込む。
ようやく落ち着いたところで顔を上げると、ヤオが呆れ顔でハンバーガーの残りを頬張っていた。
「で、オシとはなんだ」
「好きなキャラクターのことです。ただ……私にとってのアンクは推しであり、同時に推しカプの片割れなんです」
ヤオは怪訝そうにアンクをチラ見する。理解できないと顔が言っていた。
乙女ゲームは得てして主人公に感情移入して遊ぶ向きがあるが、〈紅のオメルタ〉を遊んでいる時の風子はあまりその例に当てはまらなかった。
その上で、風子はクレアとアンクというカップリングに強く惹かれていた。珍しい遊び方なのは重々承知していたが、オタクなので萌えてしまったものは仕方がないのだ。
「ああ……同じ雇われの暴力稼業。相通ずるところがあるのか?」
ヤオはやはり勘所を掴めていない。大方、リザがアンクに惚れ込んでいると思っているのだろう。かっこいいとは思うので、否定はしないが。
「彼は……人に仕えるということの喜びを教えてくれたんです。彼との出会いで人生の行き先が決まったのです」
「あの男が……?」
「はい、彼は最初こそ刺々しい態度で主人公に……アッ主人公というのはご存知クレア・ヴィスコンティのことですよ。ご存知ではない? ああ、そういえば細かい概要までは説明していませんでした……ともかく彼は劇的にクレアを助けますが、いつもつまらなそうにツンケンしているんです。まさにあの顔。ですが主人公からの度々のアプローチで彼の無表情も少しずつ」
「おい、おい待て小狗。ストップだ」
「えっあっ、はい」
「突然早口になってどうした。キモいぞ」
サーッと血の気が引く。このまま貧血で倒れるかと思ったが、リザの肉体は頑丈なのでそうはならなかった。
「す、すみません、取り乱しました」
「お前そんなんで普段大丈夫なのか」
「一応……普段は集中しているので」
「そうか。まあ非番の内に、ここで醜態は晒し終えておくことだな」
醜態。酷い言いようだが、否定できないのが悔しいところ。正体を知る彼の前でしか晒せないのもその通りだ。
その時、背後でガタッと音がして、気配が立ち上がった。アンクが食事を終えたのだ。
リザは緊張で振り向けない。彼がそのまま素通りしていくのを待つほかない。
「奇遇だな」
ヤオが、彼を呼び止めた。
当然アンクは席の横で足を止め、対面で座る二人へ順に視線を向けた。
──見られている。私が、アンクに。
覚悟を決め、よくわからない汗を背中から流しつつ彼と視線を合わせる。
まるでお前に興味はないと言わんばかりの虚無の視線。気だるげにしているが隙のない風情。正に自分の知るアンク──それもシナリオ初期の姿──のそれである。
「紹介しよう。彼女は──」
殺気。
仕舞い込まれていた気配が刹那の内に爆発すると共に、アンクの手に現れたアーミーナイフの切っ先がリザの顔面を捉えている。
「オニール・ファミリーの──」
圧倒的な早業。ヤオなどは気づく間もなく、今もリザを紹介する文言を口に出している。
キン、とわずかに音が立つ。
リザは即座に机上のステーキナイフを手に取り、迫るナイフを弾いた。
「──番犬をしているリザというの、だ、が……」
ようやくヤオが気づいて口を止めた頃には、アンクのナイフは懐に戻っている。
そして、リザの頬に小さな切創が走った。
「ッ……おい馬鹿犬ども! こんな所でやらかす気か!」
店内の誰も気づかぬ刹那の攻防であった。むしろヤオが大声を上げたことで、他の客や店員たちの視線が集まりだした程である。
幸いリザの傷は目立つものではなく、ステーキナイフも既に机上に戻されていた。何が起きたかを知るのは三人だけである。
「焚き付けたのはそっちだろ」
無を浮かべていた相貌が崩れ、獰猛な笑みを浮かべる。無邪気な子供のようにも見える表情だが、ゲームの印象通りの可愛げは感じられない。
「あんた、いいね」
それだけリザに言うと、アンクは店を後にした。
作中最強クラスの戦闘能力を誇る用心棒、アンク。
その殺気は、実際にナイフが取り出されるまで察知することができなかった。強いだけでなく隠すこともできるのは、その道のプロの証だ。
「おいリザ、大丈──なんだその顔は」
「顔がどうかしましたか?」
「なぜ笑っている」
心配するヤオの声を受けて、リザは自分の顔が緩みきっていることに気づいた。
「ハッ……失礼しました」
「うおっ、いきなりクールな顔に戻るな! 調子が狂う」
推しが、私にナイフを向けてきた。
感動していた。本能が彼のナイフを受け止めたように、本能が推しの──憧れの恩人の存在を喜んでいた。
「私も自分の狂いにほとほと困り果てています……彼とは知り合いなんですか?」
「色々あってな。だが、ヴィスコンティとつるんでいるというのは初耳だ」
「当然でしょう。彼がヴィスコンティに雇われるのはゲーム開始直前のことです」
〈紅のオメルタ〉は、悪漢に襲われるクレアをアンクが助けるシーンから始まる。なお、彼がその職に至るまでの経緯は前日譚小説〈THE DAWN〉で描かれている。
そんなアンクは、強い人間と戦って勝つことを信条としている。路地裏で生まれ育って〈生きる術〉を仕込まれた彼の人生には、戦いしかなかった。
しかし、彼も主人公の用心棒として過ごす日々の中で、忠を尽くす喜びに、主人への愛に目覚めていく。それがアンクを取り巻く物語である。
「なるほど。いっそ奴をオニールに取り込んでみるか?」
「可能なんですか?」
「奴が断らなければな。それと、戦闘狂と隣で過ごす覚悟がお前にあれば」
「嫌です」
リザは即答する。即答すぎてヤオの反応も一拍遅れるほどであった。
「うむ……うん?」
「アンクはクレアと居てこそ正しい生き方を見いだせるんです。彼の道を邪魔するべきではありません」
「……それが推しか」
「推しカプです」
ヤオはもう隠すことなく呆れた顔をしていた。呆れられても仕方ないと私も思う。
◇
「お嬢様、ご足労おかけして申し訳ありません」
数日後──リザとベアトリーチェは、ヤオたちが待つ〈姚香店〉のビルへと赴いた。
周辺ではヤオの部下と見られる人間たちが警戒に当たっていた。主人とマフィアの令嬢が会談するという大変な場である。警護はいくら厳重でも足りないくらいだ。
「なんだか剣呑な雰囲気ね」
ベアトリーチェがどこか愉しげに呟いた。見た目には都市の一風景に過ぎないが、彼女はその奥のレイヤーにある緊張に感づいている。
正直なところを申せば、彼女をこうした裏の世界に触れさせたくはない。
聡明な主人がバカデカい銃をかつぐその日までどのような変化を辿るのかは不明だが、凄絶な未来に繋がる事件や情報に触れさせることは避けておきたかった。
だが、今回ばかりは仕方がない。リザの身分でヤオと接触させられるオニールの人間は彼女しか居ないのだ。
「今回お会いいただく方は、お嬢様と同じく警護される立場にあるので」
「あなたにアジア系の友人が居るなんて知らなかったわ」
主人の視線がアロマショップ〈姚香店〉の看板に注がれている。彼女はインテリアに凝る性質なので、あの店に並ぶ商品たちにも興味を持つだろうか。
「……下の店にも興味深いものがたくさんあります。後で覗いていきましょうか」
「そうしましょ。ふふっ、ちょっと楽しみになってきたわ」
ビルに入り、階段を登り三階へ。ヤオの待つオフィスに続く扉の前には、ドでかい男とスマートな女──ユン姉弟が立っている。
ベアトリーチェは一歩前に出ると、前に出した右拳を左手で包むようにして礼をした。
「初次見面。……これで合ってるかしら?」
すると、ユン姉弟も素早く中国式の礼を見せて何事か呟いた。おそらく中国語の挨拶なのだろうが、リザには何を言っているかさっぱりである。
礼を解いた姉弟が扉を開け、ユン・姐が中へ。弟はここに残るらしい。
ユン・ジェに先導され、二人は室内へ。数日前にリザが連れて来られた、このビルの裏側──白を基調とした家具の並ぶさっぱりした空間に通される。
そして、その中心にヤオが立っていた。
「ようこそおいでくださいました、ミス・オニール……新しき我が朋友」
うやうやしく礼をして見せたヤオは、青字に黄金の龍が走るチャイナ服を纏っている。
つまるところ、今の彼はよそ行きの姿でオフィスに立っていた。
「お目にかかるのは初めてね、ミスター・ヤオ。うちの子がお世話になってるみたいだけど」
「リザ・ストーンとは雀卓で出会いまして」
ヤオの提案で、二人は街の雀卓で偶然出会った麻雀仲間ということになっている。流石に無理があるだろとヤオに言っても「気にするな」と一蹴された。
「早速ですが、麻雀は嗜まれますかな?」
「本場の方と打つのは初めてよ」
「はっはっ。それを言ったら、この大陸で生まれた我々は本場の人間ではありませんな。ではミス、こちらにどうぞ。そこの〈銀狼〉も、隣に」
なにがシルバーウルフか。リザは後から中国語を調べ、自分が小狗──ワンちゃんと呼ばれていたことを調べ上げている。
心の中で嘆息しつつ、主人に続いて雀卓に着いた。
ヤオ、ユン・ジェ、ベアトリーチェ、リザの四人が雀卓を囲んだ。各人のそばには小さなテーブルが置かれ、湯気の立つ茶と菓子が置かれている。
ヤオが妖しげな笑みを貼り付けたまま告げる。
「では始めましょう」
麻雀はつつがなく行なわれる。ベアトリーチェも言わないだけで手慣れているらしく、順調に点を取りつつ状況は推移する。ドベはリザだった。
「〈姚香店〉の『香』は『商』とかけているの?」
「中国語も堪能とは、恐れ入りました」
「気になったら調べちゃうたちなの」
主人とヤオの会話に、リザはまったくついて行けない。ユン・ジェと共に、付き人組は黙ったまま麻雀に興じた。やはりドベはリザだった。
それからゲームが進む中で、ヤオがぽつりと呟いた。
「バーンズ兄妹と〈C〉が接触したそうです」
始まった。ベアトリーチェは視線だけをヤオに向け、つつがなく麻雀を続ける。
「会話の細かい内容までは掴めていませんが、オニール・ファミリーのシマについて語り合っていたようですね」
「……これは、ただゲーム中の雑談と捉えていいのよね?」
「もちろんそうですが、何分仕事が趣味のような性分でして。こういう時にポロリと仕事にかかってしまうこともあります。ご容赦を」
不意に、ポーカースマイルの瞳がリザに向けられた。主人の視線に気付けないリザではない。彼女に伝わるように、小さく頷いて見せる。
──信じても大丈夫です。
仕草と視線でそう伝えたつもりだが、伝わっただろうか。ベアトリーチェはヤオとの会話に戻った。
「その会合はバーンズが主導と見ていいのかしら」
主人が口にするバーンズ兄妹は、かつてオニール・ファミリーが抗争を繰り返したギャングたちの頭目である。現在は張り合いを諦め、隣の州で勢力を築いている。
この兄妹の名は風子の記憶にはなく、先日のヤオとの対面時に初めて聞かされている。それはすなわち〈紅のオメルタ〉には関与しない人物ということだ。
「いえ。〈C〉からのアプローチですね」
対して、この〈C〉には覚えがあった。
会社、暴風、崩壊──Cの頭文字を冠する言葉を好み、それを使ったグラフィティを残すことから呼び名の決まったストリート・ギャング。それが〈C〉である。
リザ=風子が知っている。それすなわち、この組織が〈紅のオメルタ〉のシナリオにも絡むことを意味している。
ストリート・ギャングは得てして人種的なルーツを持つものだが、この組織はその限りではない。要はゲームの設定上でっちあげられた、日陰者のチンピラ集団であった。
後に悪逆の女王と化したベアトリーチェは、この〈C〉と接触する。汚れ仕事を任せる兵士として、このギャングどもを雇い入れるのだ。
「情報屋さん、あなたはその情報をどう捉えているの?」
「高くつきますよ?」
「言い値で買うわ」
「はっはっは! 豪胆なお方だ。こちらからお招きしたんです、お代は結構ですよ」
「いいえ、払うわ。信用を買うために」
「人の情というものが信用できませんか」
「情報屋に情があるのかしら。密告がお仕事なんでしょ?」
「痛いところを突かれる……俺もまたこの街の住人。あなた方に潰れられては困るんですよ」
二人はくつくつと笑いながら、やはりつつがなく麻雀を続けている。
互いに熱心におしゃべりしているというのに、いつの間にかリザとユン・ジェの点は他二人の方へと吸われ続けていた。
やがて情報のやり取りの話が一段落すると、ベアトリーチェは湯気の消えた茶を啜った。
「どうして、わたしなの?」
主人が茶の器を置く音が、無言の部屋にカツンと響いた。
「あなたがウチのメイドと麻雀友達なのは置いておくとして、そのパイプを通してお父様やお兄様に接触した方がいいに決まってる。その手間を惜しむあなたではないでしょう?」
主人の言う通りである。ヤオがどのように言い訳をするのか、リザは純粋に興味が湧いた。
「あなたの未来を見たからですよ」
瞬間、リザは怖気を感じた。
「あなたはどこぞの嫁だとか、そういうモノに収まる器ではない。舞台に上がればきっとオニールはより大きくなる──それも、ヴィスコンティを食うほどに」
リザはヤオの方へと鋭い視線を向けたが、ものともせずにベアトリーチェと向き合っている。むしろ、鋭い気配を覗かせたことでユン・ジェがこちらに意識を向けてくる始末だ。
──こいつ、言いやがった。
〈To be continued〉




