Ep6.キツネ男と犬メイド
「お嬢様を救いたくて……」
「ではまずこの辺りか」
ヤオはそこらの紙切れの山から一枚を取り出して見せる。
「敵の正体を知りたくて……」
「これを参照しろ」
すると、ノートの山の中から一冊取り出し、放り投げてきた。
「その人物について……」
「紙面には残していないな。直接教えてやる」
と、いう具合に。
リザが己の目的を告げると、ヤオはそれに見合った情報を的確に提示してきた。
もちろん、それが真実だという証拠はない。リザ自身で裏を取り、真実とわかった所で主人や組織に上げる必要があるだろう。
だが、それに関して意外な言葉が続いた。
「この情報に関しては、俺がエビデンスになってやる。オニールの家に俺が出向くでもいいし、お嬢様をここに呼ぶでもいい」
「……いいんですか?」
「嫌なのか?」
マフィアの家と対面で話をするということは、下手をすれば命に関わる。
情報屋の彼が自ら出向くという事実は、それが情報の担保になることに他ならない。
「そんなわけがありません……ありがとうございます」
「うむ。では商談はひとまず終いだ。少し茶に付き合っていけ」
そう言って、ヤオはずるずる茶をすする。
これまで気分の乱高下を続けさせられたリザに対し、彼はどっしりと落ち着いて構えていた。自分のホームだから、だけでは説明がつかない。
「ヤオ、一つ訊いてもいいですか?」
「構わないが、その親仕込みの丁寧な口調をやめろ。そうしたら答えてやる」
「やめろと言われても……こう喋るように教育されているので」
「なるほど。友達付き合いも初めてか?」
「……友達?」
リザは返答に窮した。
前世ではそこそこ友達も居たものの、リザの人生に友達と呼べるような存在は居なかった。それに、自分を育ててくれる人や仕えるべき主人が居ればそれで満足だった。
「悪い、おかしなことを訊いたな。で、俺になにを訊きたい」
「自分が物語の登場人物だと聞かされて、困惑しないのですか?」
ある意味文字通りの、天地がひっくり返るような事実である。
しかし、ヤオはまるで動じることがない。不思議でならなかった。
「わからん」
真顔のまま、ヤオは素っ気なく即答した。
「よくわからんとしか言いようがない。俺は俺だ。俺を書いた奴が居ると言われても実感がないし、する必要もない」
理路整然と言語化していくヤオに、ただ頷くほかなかった。
「俺からも一つ訊くが、お前はこの世界のすべてを知っているのか?」
「そんなわけないでしょう」
「そうだろう。それは俺も然り。だが、お前がストリートの掃き溜めから拾われてここまで来たことは知っている。お前が教えてくれなくとも、な。つまりそういうことだ」
「どういうことですか」
「ただの情報アドバンテージの差に過ぎない、ということだ。俺は神仏の類は信じないし、どうでもいい。俺の世界にそれが立ち入ってくるなら話は別だがな」
情報を取り回す者ゆえの、腰の据わったユニークな考え方だった。
「変な人ですね、あなたは」
「お前にだけは言われたくない。絶対に」
こうして彼と話す内、少しだけ胸が軽くなっていた。抱えていた秘密を打ち明けられたことで──自分をさらけ出せる場所ができたことで、安堵している自分が居た。
「……たしかに、ここに来ることを選んだのは正解だったのかもしれませんね」
先ほどヤオの口から出た友達付き合いという言葉を想起する。
ともすれば、この退っ引きならないマフィアの世界で、初めて友人と呼べる存在を得られたのだろうか。
同時に、愛しい主人のことを想う。隠し事をしているのが口惜しくてならない。いつか、あの方にも自分のすべてを知ってもらいたかった。
すべてが上手くいった世界なら、そんな未来も有り得るだろうか。
「ふむ。鉄のごとき番犬女と聞いていたが、色々な顔を見せるものだな」
じっと顔を見つめられていることに気が付き、リザは緩んでいた顔を整え直す。ヤオがつまらなそうに嘆息し、茶の残りを啜った。
「その通り……正解だ、小狗。少なくとも、俺に対しては握った情報をバカ正直に話すという手が有効だった」
「それは……」
「それを見込んで俺の所に来た、か? だが、お前は自分の判断が誤りだったのではないかと不安になったな。そして、それは見事に顔に出ていた」
弱い所にズバズバと切り込んで来る。これが情報アドバンテージを持つ者の力か。
「安心しろ。勘のいい人間と、お前をよく知る人間ぐらいしか気付けん。俺はお前が生来の番犬だと知っていた。武闘派一筋で、交渉には長けていないこともな」
的確な指摘である。言い草は鋭いが、全て事実なので否定することも敵わない。
「お前がこれからも未来を変えようと立ち回るなら、その武器を晒して仲間に引き込むという使い方をする日がきっと来る。だが、誰しもバカ正直が有効なわけじゃない。それはわかるな?」
「……はい、痛感しているところです」
「ならいい。虚実を織り交ぜ、ついた嘘はすべて記憶し、編み上げた〈真実〉を顔色一つ変えずに突きつける。それが情報での戦い方だ。肝に銘じておけ」
「あなたもそうやって生き延びてきたと?」
「いや、俺はあくまで中立だ。信用をなにより大切にする。だが……我々を侵害する者があれば、風向きを変えるくらいはするかもしれんな」
彼の言う我々。それは部下たちを含めたこの情報屋勢力を指していた。
「……なぜアドバイスを?」
ヤオは愉しげな笑みを浮かべて言った。
「面白そうだから」
人嫌いはあるものの、興味を持った人間のことはとことん追いかけたくなってしまう──つまるところ、人好き。それがヤオという男だった。
ひとしきり話し終えたリザは、ヤオに誘われて付近のダイナーを訪れていた。
食事の誘いを断る理由はなかった。ヤオと話している時間は、正直なところ楽しい。
「俺はハンバーガーとカフェラテ」
「パンケーキとコーヒーを」
無愛想なウェイトレスが物珍しそうにメイド服の白人を横目に見つつ、カウンターに下がった。
ヤオは変わらずラフなシャツとデニムという装いである。顔立ち以外は、やはりゲームで見慣れた妖しいアジア人というイメージとかけ離れている。
昼時を過ぎたダイナーは閑散としていて、従業員も暇を持て余しているのだろう。飲み物は言わずもがな、料理もすぐに運ばれてきた。
「意外だな、お前がそんなものを食すのは」
シロップのかかったパンケーキを頬張ろうとするリザに、ヤオが言う。
「そうですか?」
「お嬢様を守るストイックなメイドが、甘ったるいケーキを食べていていいのか?」
目が覚めたようにリザは瞠目した。
──またデブへの道を進もうとしている。
メニューを見て無意識に注文していた。後で運動してカロリー消費しなくては。
「……前世の記憶を得てから、無性に甘い嗜好品を欲している私がいます。このままではケーキ作りでも始めてしまいそうです」
「いいんじゃないか、メイドらしくて」
しかしリザには聞こえていない。パンケーキを食べる手も止まっている。
──こんな体たらくで、お嬢様をよりよい未来に導けるのだろうか。
自分を不甲斐なく感じたことは数え切れない。それはリザであっても、風子であっても。
その度自分を鍛え直したり、趣味に没頭する時間を作ってリフレッシュしたりと様々な乗り越え方をしてきた。
だが、いつになく不安は大きかった。
「転生前の私のままだったら、お嬢様を生かす道を見つけることすらできなかった。ですが、今の私がお嬢様を守っていけるのかと……少し、考えてしまうんです」
内心を吐露できる相手ができたからか。心の奥底にあった不安が、顔を出し始めている。
その時、沈んだリザの視界にフォークが入り込む。
それはパンケーキをひとかけ奪い、ヤオの口へと運んでいった。
「私の……」
「代金は俺が持つ。一口くらい食わせろ、俺だっておかしな女に転生がどうこう言われて疲れてるんだ」
ヤオは程々に噛んで飲み下し、相変わらずパッとしない味だなとぼやいた。
「聞け小狗。記憶とは情報だ。そして、人間は記憶でできている……と、俺は思っている」
リザは前世で聞きかじった程度しか脳について知らないが、その言説はおおむね合っている気がした。
「大量におかしな記憶が入ってきたんだ、お前はお前では居られない。正気を保てているのが不思議なくらいだ。見る限り、なにかしら損なった部分もあるんだろうが……お前にはその分得た可能性がある。主人を守る刃として、それを磨き上げるのが先決だろう。落ち込んでいる暇があるのか?」
まるでこちらの心中を見透かしたような物言いだ。口の上手さも求められるであろう情報稼業。そんな彼の武器が、こんな風に働こうとは。
「……情報屋より詐欺師が向いているのでは?」
「慰めを言った人間への返事がそれか」
「ふふっ……あなたに励まされるとは。ありがとうございます」
ブレるわけにはいかない。私は愛しき主人を守るための刃。
混ざり合って不安定になった私という存在は、いわば前世の情報と今のフィジカルを両取りできる稀有な存在なのだ。
気を取り直したリザは、パンケーキを平らげてからステーキを注文した。PFCバランスは大切だ。この時代にそんな言葉はないだろうが。
「犬らしく、可愛らしいところもあるんだな」
特に表情も変えないまま、ヤオはぽろりとそんな言葉をこぼした。
「……いきなり乙女ゲーのキャラみたいなこと言わないでください」
「知らん単語だが失礼なことを言われているのはわかるからな」
この男は乙女ゲームの攻略対象なのだ。女の子をキュンとさせるセリフを突然こぼしたっておかしくはない。
「俺をガッカリさせるなよ、朋友……いや、狐朋狗友か」
「英語で喋ってもらえます?」
「悪友」
「……悪くないですね」
主人にも秘密で計画を立て、この世界の未来を変える──それは主人に対する背信ゆえに後ろめたさもあるが、悪友という言葉がリザの好奇心をくすぐった。
しかしこのシチュエーション、オタクだったらクラッと来そうな代物である。ましてヤオ推しだったら、その威力はとんでもないだろう。
幸いにしてリザはお嬢様一筋であり、ワクワクはすれど心を乱されるようなことはまったくない。そもそも推すことと愛することには巨大な隔たりがある。ベアトリーチェ様への気持ちは、まごうことなき愛だ。
いいぞリザ。このまま精神を研ぎ澄ませるのだ。お嬢様の未来のため、私は私を完成させる。
その時、来店を知らせるベルが鳴った。
「珍しい顔だな」
ヤオがぼそりと言う。リザは顔を入口に向け、来店者の姿を確認する。
刹那、リザはすぐさま向き直って俯き、手で顔を覆った。
その瞳には、涙が浮かんでいる。
目の前で感情ジェットコースターな有り様を見ていたヤオは「どうした、ついに気が狂ったか!」と流石に動揺を見せていた。
「お……」
「お?」
「推しが……」
来店した男は、無駄のない静かな歩みで二人の横を通り過ぎ、カウンター席に腰を下ろした。
無造作に切り落とした黒髪。ぼろいジャケット。見た目からして粗雑そのものだが、妙な色気が彼にはあった。研ぎ澄まされた野生の獣だけが放つコケティッシュな威容。
知っている。知りすぎるほどに、知っている。
乙女ゲーム〈紅のオメルタ〉攻略対象。
主人公に仕え敵を葬る、最強の猟犬。
用心棒、アンク。
「アンクが、存在してる……」
米山風子に従者という生き方を教えた──人生を変えたキャラクターである。
〈To be continued〉




