Ep5.芳香は鉄の味-②
巨漢はにっこりこちらに微笑みかけながら、
「カワイコチャン、ヤルネ!」
と、カタコトの英語で言った。
見る限り、巨漢は丸腰だった。ただ丸腰で立っているだけで、リザが焦りを覚える程の殺気を放っていたのだ。ヤオに子飼いの化け物が居るという情報はゲームにはなかった。
巨漢から離れて態勢を立て直さんとする──が、別の殺気がリザを刺す。ヤオの背後に、先程ボディチェックをした龍の入れ墨の女が拳銃を構えて立っていた。
惚れ惚れするほど美しい射撃姿勢。ブレることのない体幹から成る正確な狙い。今から避けようと動いても確実に仕留められると本能でわかる。
確信した。ヘタをすれば、ここから生きては出られない。
「俺の護衛を務めるユン姉弟だ。中々のものだろう?」
「素敵な番犬ですね」
「お前の育ての親ほどじゃない……自分の出自を掘り返されるのは気持ち悪いだろ?」
やはり、彼はリザが捨て子だったことを把握している。
「……秘密にしているつもりはないので」
「そうか。裕福な家に拾われてよかったな」
ヤオがゆらりとこちらに歩み寄る。貼り付けた笑みとは違う穏やかな面持ちだが、その狐のごとき眼がこちらを捉えて離そうとしない。
「目は心の鏡と言うが、汗もまた然り。そう思わないか、小狗」
言いながら、彼は中華風の刺繍が施されたハンカチを差し出す。
返事の代わりに、リザはメイド服の袖で自分の汗を拭った。
「……ふっ。かわいこちゃんか。さて、商談と言ったな。どこかのファミリーと強く結びつくのは本意じゃないが、内容によっては承ろう。だが──事と次第によっては、失禁どころでは済まされんぞ、犬」
ヤオが声を低めた。それに伴って強まるユン姉弟の殺気で押し潰されそうになる。
「ファミリーは関係ありません。ゆくゆくは関係しますが……あくまで、私本人との取引と考えていただいて結構です」
「お前のようなタイプの人間が俺をどう必要とするのか想像もつかないが……もっと想像がつかないことがある。話してくれれば、商談ができるかもしれないな」
なぜ俺の本名を知っているのか。言外にそう問われている。
──この人、めちゃくちゃキレてる。とてつもなくキレてる。
もう少しこちらに興味を持つ感じで来てくれるものとリザは想定していた。しかし、結果はブチギレであった。
それも当然と言えた。ヤオにとって、リザが告げた本名は捨てた名前だった。
故郷のアジア系コミュニティに良い思い出がない彼は、情報屋という立場を得るにあたって過去の自分を捨てた。
それを、初めて対面する無愛想な女に突然掘り起こされたのだ。彼の心中は察するに余りある。とはいえ煽られたのはこっちも同じなので、対等ではあるのだが。
撃つ弾を間違えたら殺される、綱渡りの情報戦。
告げる言葉の弾丸は、既に選び終えていた。
「ヤオ、あなたをアジア系の人間と見込んで訊きます──輪廻転生はご存知ですね?」
「……もちろん知っている」
返答の前のかすかな間は、興味を引けた証左だろうか。この調子で畳み掛ける。
「私は今より百年ほど先の未来から、前世の記憶を持ったまま転生してきました」
「ああ……うん?」
「そして、この時代……いえ、この世界は私の知る物語の世界と酷似しています。ゆえに、私はあなたの個人情報を知り得たのです」
「おい、大丈夫か? 熱でもあるんじゃないのか?」
妙ちきりんな話をクソ真面目に披露する女を前に、流石のヤオも動揺を滲ませ始める。だが、こちらが芯からクソ真面目であることは伝わってもらわねば困るのだ。
リザは躊躇なくヤオの手を掴むと、その手を自分の額に当てた。かいた汗の分、リザの素肌は冷え切っている。
「私は至って冷静です」
ヤオがリザの手を振りほどいて後ずさる。
次の瞬間、背後から飛んできた巨大な拳がリザを壁までぶっ飛ばした。
回避はしなかった。営業に必要なのは誠意。そして興味を持ってもらうこと。アイドルマネージャー時代に得た経験則である。
頭部に一撃を貰い、壁に激突した際に背中と腕を強打した。浅い呼吸を繰り返すたび脳を刺す芳香に血の臭いが混じる。幸い骨はイカれていないが、ぶつかった壁の方が凹んでいた。
額から熱い血が滑り落ちるが、痛みで逆に頭は冷えていた。顔を濡らすそれを拭うこともせず、リザは立ち上がってヤオに頭を下げる。
「ミスター・ヤオ……ご無礼を、働いたこと。大変……申し訳ございませんでした」
少しづつ呼吸の調子が戻り始めるが、言葉は途切れ途切れになる。それでも、今誠意を見せるしかなかった。
「あなたがご家族を失ったことで故郷や名前に思うところある旨、把握しておりましたが、利用してでも私はあなたの興味を引きたかったのです」
何が彼の心を打つか──それは〈おもしれー女〉だと思わせること。
人嫌いゆえに人々の情報を集め、その中で気に入ったものはとことん追いかける。家族のような近しい者はとことん大事にする。
人嫌いゆえの人好き。それがヤオという男だった。
ユン姉弟は今なお殺意を見せているが、ヤオが押さえているようだった。少なくとも今、話を聞いてもらえている。
「気に入らなければ、殺していただいて構いません」
死ぬつもりはない。これは真っ赤な嘘である。
だが、主人のためなら死んでもいいという覚悟だけは、本物だった。
「その上で、その上で……もし気に入っていただけるのなら」
リザは顔を上げる。額の血が目に入ったが、痛みを我慢しヤオの目をじっと見据えた。
「私の仕える主人の未来のため、あなたにご協力いただきたいのです」
先ほどまでの妖しげな笑みを貼り付けていた男が、たじろいでいた。見覚えのある立ち絵と同じような、意外と可愛げのある面持ちで。
たじろぐヤオ、不動のリザ、今にも飛び出しそうなユン姉弟。四者動かぬまま、香の煙が漂う室内は沈黙が支配している。
ヤオが動けば、状況が動く。リザは誠意を込めて彼を見つめながら、状況を見計らっていた。殺されるとなれば、抵抗しない理由はない。
果たして──ヤオは、くつくつと笑い始めた。
「俺としたことが、情報に踊らされたな」
ヤオが手を叩く。すると、彼の部下らしい人々がわらわらと部屋に入ってきた。
「傷の手当と修繕作業。それが終わったら、ユン姉弟はそのメイドを連れて上に来い」
テキパキとしたヤオの指示に、部下たちが「是的」と返して動き出す。彼自身は言うが速いか、バックヤードに消えていった。
リザはあれよあれよという内に手当を受け、姉弟に連れられ店の外へ。上階に続くコンクリ打ちっぱなしの階段を上がる。
「カワイコチャン、サスガ! オレ、ユン・弟」
弟が言うのに続き、これまで一切口を開かなかった姉が端的に告げた。
「ユン・姐でいいよ」
「はあ……よろしくお願いします」
つまり、認められたということでいいのだろうか。判然としないまま、リザはビルの最上階に当たる三階まで連れて行かれた。ユン・ジェが扉をノックし、開く。
先ほどとは打って変わって、白を基調とした飾り気のない空間が広がっていた。机上やそこら中に本や紙束が散乱しているが、先程まで真っ赤で雑然とした部屋に居た分さっぱりとした印象を受ける。
「驚いたか?」
その一角に、白いワイシャツ姿のヤオが座していた。中華然としていた先ほどまでとは大違いだ。
「……いえ。あなたがアジア系であることを演出に使っているのも知っていますから」
ヤオは故郷に思うところあるが、その肌の色ゆえに出自を隠すことはできない。
ゆえに、彼はそれを利用することに決めた。パブリック・イメージにおけるアジアの妖しさをアロマの煙で飾り立て、情報屋としてのキャラ起ちを狙ったのだ。
プライベートの彼は故郷のそれと無縁の装いを好む。このシャツ姿は彼と仲良くなった者しか観られない、いわば裏の姿であった。
「なんでも筒抜けだな、ああ恥ずかしい恥ずかしい」
故郷を嫌っておきながら、故郷の言語はその別らしい。ニーハオシェーシェーツァイチェン以外は全部英語にしてくれないと、重要なニュアンスを取りこぼしそうで不安になる。
彼の前には、緑色の四角いテーブルが置かれていた。ユン姉弟も彼の元に向かい、テーブルを囲うように席に着く。
「小狗、ここに」
テーブルを囲む椅子は一つ空きがある。そこに腰を下ろしたリザは、下の店舗とは違った芳醇な香りを嗅いだ。サイドテーブルでは、あたたかいお茶が湯気を立てている。
その上、テーブルが見覚えのある代物だと気がついた。リザの視線を見て取ったヤオが箱を取り出し、中身を机上にぶちまける。絵図の書かれた白い駒。麻雀牌だ。
「前世でも麻雀は流行っていたか?」
「はい……私も、嗜む程度ですが」
生前の風子は、一時期アプリ麻雀で時間を潰していた。強くはないが、基本的なルールは熟知している。
「そうか。では、始めるとしよう」
皆でじゃらじゃらと牌の山を崩し、並べ始める。
「……本物の牌は初めてです」
「本物? なにを言ってる」
「いえ、なんでもありません」
慣れない手つきで牌を並べていると、横のユン・ディがドでかい手で器用に牌を並べているのが見えた。この巨漢、何者なんだ。
「さて……にわかには信じられん話だが。転生のことは主人にも伝えていないのか?」
信じられないと口にしながら、ヤオの態度は落ち着き払っていた。リザは「はい」と首肯する。
「ということは、ここに来ることも誰にも伝えずじまいか」
続けて頷く。転生なんて誰が信じるだろう。ましてや、情報屋に会いに行く言い訳も思いつかなかった。
「ふむ……俺はお前に興味を持った。だが、信用はしていない」
ヤオは単刀直入に告げた。
「俺を信用させてみろ。手段は問わん」
「それは、構いませんが……この二人は?」
ヤオに情報を提供することは作戦の内だが、今卓を囲んでいるのは四人。他の人間にまで共有されるとなれば話は別だ。
「安心しろ。二人とも口は固く義に篤い俺の心腹……懐刀だ。俺が見聞きすれば二人にも伝わると思え」
そう言われては話さぬわけにもいくまい。そもそも、リザは相手のテリトリーに身ひとつで飛び込んでいるのだ。郷に従わなくては、目的も達せない上に最悪殺される。
「わかりました。では──」
リザは乙女ゲーの根幹を成す攻略対象たちのことを思い出しながら、社会に関わることを中心に訥々と語り始めた。
悪徳警官の所業、ごく普通の学生と裏社会の意外な繋がり、エトセトラエトセトラ。ゴシップであれば大層面白いだろうが、すべてここでは現実のことだった。
半荘(1ゲーム)が終わり、リザが大敗を喫したところで「いいだろう」とヤオが言う。
ユン・ディが麻雀に没頭している中、ヤオとユン・ジェは常に鋭い視線をリザに向け続けていた。それで麻雀もしっかり勝っているのだから容赦もなにもない。
「こちらも把握している事実が大半だが、そうでない話もいくつか。カタギの情報は掴みづらいから仕方ないが──少々悔しいな」
ヤオの口の端に笑みが浮かぶ。都市を行き交う情報を掴み、ばら撒き、時に街を制御する。そんなゲームを愉しむプレイヤーの悪どい笑みであった。
「ありがとう、オニールの番犬。これでお前も用済みだ」
「……は?」
すると、ヤオとユン・ジェが席を立った。
ユン・ジェはそのまま部屋を離れ、ヤオはお茶のおかわりを注いでいる。ユン・ディは麻雀牌を片付けていて、新しい話が始まる気配はまるでない。
「おしゃべりな犬もいるものだな」
茶を継いだヤオが、呆れた風に言いつつ卓に着いた。
「っ……商談だと言ったではないですか」
「なにを言う。お前が勝手に商品を無償提供したんじゃないか」
牌を片付け終えたユン・ディの笑顔が、こちらを見据える。
「ここには誰にも伝えずに来た。そうだな?」
会話の中のさりげない一幕だと思っていたそれは、自分を沈めてもオニールの家へ露見しないことの確認だった。
──ハメられた。
リザの中には、ゲームにおけるヤオの記憶があった。彼が熱烈に人を愛する姿。家族に近しい者たちを心の底から愛する姿。それがリザの知るヤオだった。
──私、まだ家族でもなんでもなくないか?
それに気づいた瞬間、顔から血の気が一瞬にして引いた。
興味を持って接された時点でクリアだと考えていた。卓に着いたのはゴールだと思っていた。だが、そんな保証はどこにもないのだ。
ゲームで抱いた印象は、あくまで信頼を重ねた主人公であるクレア・ヴィスコンティに対する態度に過ぎない。
──私は、クレア・ヴィスコンティじゃない。
あたたかい筈の室内で寒気を覚える。ここに来て、リザは己の浅慮を恥じた。ここはゲームの世界だと思っていたが、生きている感覚はとことん現実だ。ゲームと寸分違わず同じとは限らないのだ。
「っ、ヤオ、あなたは──」
「なんてな、冗談だ」
緊張に強張っていた体が、一瞬の内に弛緩する。死の危険を肌感覚で感じていたリザは、本当に失禁してしまうかと思った。
「おかげで大事なことがわかった」
「……ヤオ、私は真剣に」
「お前は途方もない馬鹿正直の阿呆だ」
「は?」
「まったく、お里が知れるな」
「はあ?」
お里。つまり、それは、ベアトリーチェ様のことを言っているのか。リザは思わず立ち上がり、雀卓をヤオ目掛けてぶん投げようと手をかけた。
「待て待て! 話は最後まで聴け!」
雀卓はユン・ディの怪力に押さえつけられ、持ち上げることは敵わなかった。リザは渋々席に着き、ヤオの言葉を待つ。
「冗談が通じないのかこの女は……。ともかく、俺の所に最初に来たのは正解だ。なぜなら、俺は貰ったら返さないと気が済まない方だ」
麻雀卓の上に、菓子が並んだ大皿が置かれた。見覚えのある洋菓子や、月餅らしき物も並んでいる。
「商談の続きは、食いながらするとしよう」
笑うヤオの眼光が鋭さを増す。
ひとまず〈おもしれー女〉認定ゲット──ということで、いいのだろうか。
〈To be continued〉




