Ep4.芳香は鉄の味-①
──お嬢様に会いたいな。
タクシーの後部座席で揺られながら、リザは想う。毎日必ず会っているし、今日も挨拶をしてきているのだが。
メイドも人間なので、非番の日が存在する。今日のリザはベアトリーチェのそばを離れ、大きなアタッシュケースを抱えて車移動を行っていた。装いはもちろん、己の身分を一目でわかるようにすべくメイド服である。
先の夜の密会ではベアトリーチェの来訪にビビらされたものの、本当のところを言えばいつもいつまでもお嬢様のそばに控えていたいのだ。こうして離れてみると、その気持ちはより大きくなっていく。
だが、すべては愛する主人の未来を変えるためだ。
オニール邸は街の郊外に位置している。既に車が発達しているこの時代、郊外で暮らすことはデメリットにならない。むしろ、郊外への移住は盛んになっている。
都市部でタクシーを降りると、高層ビルたちが空を埋める大通りがリザを出迎えた。摩天楼とはよく言ったものだが、本当に空をひっかくような数十階建てのタワーマンションを知るリザからすればまだまだ発展途上だ。
リザの前には、こじんまりとした三階建てのオフィスビルが屹立していた。都市の中でもこじんまりとして映るこのビルには、看板を見るに得体の知れない会社たちが入居している。
その一階に居を構える〈姚香店〉というアロマショップ。ここがリザの目的地である。
中国人たちが切り盛りするこの店は、アロマショップと銘打ちながらお香や煙草だけでなく、中華系の雑貨や食品も扱っている。言うなれば、なんでも屋である。
路面店というのは往々にして道に開けているものだが、この店はビルの中に入口を配する形式であった。やたらに客が寄り付くのを避けている風でもある。
ビル入口の扉は開け放たれていた。店舗への導線を確保するためだろうか。リザは警戒を怠らず、しかし遠慮なく中へ踏み込む。
殺風景なコンクリ打ちっぱなしの空間に、店舗に続く木製の扉と上階に繋がる階段があるだけの飾らないエントランスだった。
背後で扉の閉まる音がした。
この時代、自動ドアは普及していない。ドアを動かすほどの風も吹いていない。
振り向くと、女が立っていた。
長身を包むチャイナドレスに、ボブで切り揃えた黒髪と丸いサングラス。露出した腕には龍の入れ墨が覗いている。ひどく目立つ威容ながら、気配を闇に溶かしてまるで存在を気取らせない影のごとき風情。
瞬時に察した。この女は同業──それも、格上だ。
リザはケースを置いて手を挙げ、女はボディチェックを始める。すべきことを理解している二人に言葉は必要なかった。
武装はすべて置いて来た。もちろん、主人から賜った大切なナイフも。可能なら肌身離さず墓まで持って行きたいナイフだが、今回ばかりは仕方がない。
たっぷり時間をかけて体をチェックされている間、リザはこの空間を改めて見回す。
おそらく、訪れる者を仕分けるための場所なのだろう。客人は店へ。友人は上に続く階段へ。順当に行けば敵は出口だが──リザはやけに掃除の行き届いた床が気になった。
ボディチェックが終わると、次は持参したアタッシュケースに視線が向かう。リザが無言でそれを開放すると、女はつまらないものでも見たような無反応。そして、女は顎で店の扉を促した。
店に続く扉を開くと、木々を思わせる華やかな香りに出迎えられた。
目に付くのは、色鮮やかな赤、赤、赤。
縁起の良さそうな漢字の羅列や鳴門文様が施された装飾品たちがそこかしこに配置され、カウンターで焚かれた香が煙を吐き出している。
「オニールの番犬が、なんの用かな?」
香り高い煙の舞うカウンターの奥に、男が立っていた。青地に黄金の龍が走る長衣に身を包み、狐を思わせる得意げな笑みを常に顔面に貼り付けている。
「お嬢様のお使い? それとも意外な趣味かな? ご希望のモノがあれば用意しよう、この街に連なる者として」
うやうやしく礼をする男──彼こそ乙女ゲーム『紅のオメルタ』攻略対象にして情報屋を営む男、ヤオ・フウリンである。
ヤオは貼り付けた笑顔はそのまま、こちらをじっと見据えている。
その出で立ちも、まとう雰囲気も妖しげで、今にも煙の中に消えてしまいそうだ。ゲームで相対した時とはまるで違う感覚であった。
リザはカウンターへと近寄り、ヤオとの距離を詰めた。そして、手にしたアタッシュケースを開放し、彼の前に突きつける。
中には、大量の札束がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
「これより先オニールの家を襲いそうな危機について、この金であるだけ教えてください」
まごうことなき、本物の金である。
リザはオニールの家に住み込みで働いているという扱いになっている。毎月少なくない額の給料が常に支給され、銀行へ預けられていた。
だが、リザ・ストーンは極めて禁欲的な生き物であり、金を使う用事がまったくと言っていい程なかった。
その結果、目をひん剥くほどの大金がリザの口座には詰め込まれていた。アタッシュケースの中身は、ドでかいケースに詰められるだけ詰めてきたこれまでの給料である。
「ほう……はっはっはっ! とんでもない額だな」
ヤオは高らかに笑い始める。少なくとも、妖しげな雰囲気はかなり薄れた。
「金ならまだ積めます」
「いや、いい。俺も金に困ってるわけじゃない。ただ、俺の質問に答えてくれたら、返答次第では応じるとしよう」
リザは態度に出ないよう務めつつ、歯噛みする。こうなる可能性も考えてはいたが、上手い対策は思いついていなかった。
「なぜお前が来た?」
情報が欲しいから以外に答えなどない。が、そんな言い分は確実に求められていない。
「こんな中国人を頼るくらいだ、俺の預かり知らぬところでオニール家の未来を占う重要な局面でも来ているんだろう?」
ヤオのおもてに、妖しげな笑みが戻る。
視られていた。隅から隅まで、リザという存在が発する情報を。
「なぜお前程度の子犬が来た。犬は犬でも、せいぜいお前の育ての親が来るものだろう」
わざわざヤオは育ての親という言葉を選んできた。リザの生い立ちと、ハワードとの関係を既に把握しているのだ。情報におけるアドバンテージは、既に握っているとでも言いたげな口ぶりだった。
「……その育ての親から命じられて来ました」
「言葉に詰まったな、作り話だ。顔にも書いてあるぞ、小狗」
最後の言葉は子犬を表す中国語だが、リザにはわからないので意味が汲み取れない。だが、侮蔑的なニュアンスを含んでいるのは察していた。
厭世的な情報屋、ヤオ。彼は自分の家族を見殺しにした故郷のアジア系コミュニティと、家族の死に関わった差別的な白人共を嫌っていた。
つまるところ、根本的に人間嫌いにならざるを得ない人生を送って来ている。
オニールという名はアイルランド語に由来しており、ファミリーの中核はアイルランドにルーツを持つ白人が固めている。そこに仕える白い肌の番犬。既にマイナスイメージから始まっていると見ていいだろう。
だとしても、口八丁で言いくるめるしかない。
が、先に言葉を紡いだのはヤオの方だった。
「お前が動くということは、〈黒傘の君〉の指令か、はたまたお前自身か……」
彼は一体どこまで把握しているのか。底知れないものを感じるが、同時にリザはそれを喜ばしくも思っていた。
彼の口ぶりと実力からして、抗争の芽を確実に掴んでいる。
ここさえ突破すれば、リザは勝利を掴み取れる。
策はある。この男もまた攻略対象の一人であり、米山風子は〈紅のオメルタ〉を全ルートプレイしている。彼がどう人を愛するのか、どういうものが彼の心を打つのかは把握済みだ。
であれば、今言うべきは──
口を開こうとしたリザだが、笑い混じりのヤオの言葉がそれを制する。
「英国かぶれのおこちゃまが、大人の世界で裏社会ごっこかな?」
「は?」
ヤオが発した台詞は、リザの逆鱗に触れた。たとえ妄言に過ぎないとわかっていても、それは我が主人への冒涜である。
その上、彼はわざわざ賢い男という言葉を用いた。
それは主にイタリア系組織の中で用いられる、マフィア構成員を意味する名詞である。さもこちら側は男の世界だとでも言いたげな言葉選びだった。
自然と拳に力が入る。駄目だ、まだ抑えろ。
「土台無理な話だ……それにお前も。ご主人様のために料理なり服なりを作る方が、組織人より性に合っているんじゃないか」
それもまた、構成員を表す語彙だった。
ただの人間という英語の一単語に過ぎない。
しかし、それが男という意味で以て振りかざされていることは、明白だった。
「……ギャンブル好きの主人からポーカーフェイスを教わらなかったか? お里が知れるな、ベアトリーチェ・オニールの飼い犬」
完全に喧嘩を売られている。既にリザの脳内は漂白され始めていた。
息を吸い、吐く。落ち着け。相手のペースになる前に、こちらのペースに持ち込む。
意を決し、リザは告げた。
「御託はいいので……商談を始めませんか。燕皓軒?」
それは、リザが即席で撃てる最も威力の高い弾丸──ヤオが秘密にしている『本名』という〈情報屋の情報〉であった。
彼の本名が明かされるのは、ゲームにおいてもルート突入後。主人公との確かな絆が築かれてからのイベントである。
興味を持ってもらうという意味ではまず確実な内容だった。それは喧嘩を売ると同義であるが、こちらとしては売られた喧嘩を買ったまで。
ヤオの笑顔がかすかに歪み、固まる。
「……発音がなってないぞ、白狗」
その唸るような声と同時。
頭蓋を叩き割られた。
リザの背後で爆発した殺気が、そう錯覚させた。
後ろに立たれている。この部屋には、自分とヤオ以外誰も居なかった筈なのに。
背筋を冷や汗が伝い落ちる。握り締めた手汗と、下着に染みた冷や汗の気持ち悪さで自分が生きていることを自覚する。
瞬間、リザは背後目掛けて肘打ちを放った。
が、巨大な手が難なくそれを受け止めた。まるで大木を打ち据えたかのような手応えのなさ。まったくと言っていいほど効いていない。
ヤオは仕事柄、身の危険を覚えることが多い。それに対応すべく、荒事のプロフェッショナルを雇っている。ゲームでも知らされる情報だが、護衛のキャラはゲームに登場しない。
おそるおそる、背後に顔を向ける。
筋骨隆々の肉体を、チャイナ服で無理くりに包んだような巨漢がそこに立っていた。
〈To be continued〉




