Ep25.恩讐の彼方-②
一週間後、自室にて。
ストレッチをしてコンディションが戻っているのを確認し、リザはメイド服という名の戦闘服へ袖を通す。
拳銃は使い慣れた物を二丁と予備の弾倉を複数。そして、アンクのアーミーナイフ。あまり重装備にするのもどうかと思い、機関銃の類の傾向は避ける。
外に出て用意しておいた車の元へ向かうと、そこにベアトリーチェが佇んでいた。
「行くのね」
リザは強く頷いた。
「ちゃんと帰ってきなさい」
「行ってまいります」
これより、リザは主人の「アンクを殺せ」という命令に背く。
だが、殺すことによって彼を生かす。新しい道へと導き、すべてを丸く収めに行く。
今、リザは堂々と前を向いて歩き始めていた。
車に乗り込み、郊外に位置するオニール邸から都市部を目指した。盗まれないようオニール傘下の店に車を置き、今度は都市部から歩きで逆方向へ。その先に、目的地がある。
さびれたレンガ造りの六階建てアパートメント、〈リバティ・ハイム1〉。ナンバリングされているのは、労働者用の団地として何棟も作られた経緯を持つためだという。
時々漂ってくるすえた臭いは、放置されたゴミから発されていた。それを狙うカラスたちの視線が行き交う中、道の端々に佇む人々が、カラスに負けない鋭敏な視線をリザへ向けている。外様は出ていけというように。
──私も元は同類だと言っても、信じてはもらえまい。
ここら一帯は低所得者層が多く住み着いており、スラムと呼ぶ風潮も存在している。実際、見かける人々は見すぼらしい身なりの人間が多かった。
ふと、ベアトリーチェの言葉を想起する。
『どれだけ経済が発展しても貧富の差はあるし、都市は貧しい者たちを浮かび上がらせるようにできている』
都市部の発達に合わせて団地が整備されたが、車が普及したことで長距離の通勤が可能になった。すると、金のある労働者たちは都市部から離れた場所に家を持ち始めたのだ。
結果、できあがった都市部近くの空白地帯に貧困層が流れ込んだ。これが、一見華やかな都市の近くにスラムができ上がるメカニズムであるという。
ここについて教えられる際に聞いた、ヤオからの受け売りである。それは同時に、ベアトリーチェの教えをリザに実感させた。
アンクはこの〈リバティ・ハイム1〉の一室に居を構えているという。部屋番号までは知らされていないので、どのように当たるべきか考えあぐねていた。
その時、上方で乱暴に窓が開かれる音が立つ。
「よく来たなぁ!」
三階の窓から顔を出したのは、アンクであった。
「上がってこいよ、メイドさん!」
無邪気とすら言える笑みを浮かべたアンクは、こちらに向かって手を振っていた。まるで友人の来訪を喜ぶ子供だ。
ここで警戒し過ぎても仕方がない。リザは敷地に足を踏み入れ、階段で三階へ。建築計画が杜撰だったのか、そこらにレンガのブロックなどが放置されている。
砂埃の積もる階段を登り切り、共用廊下に出る。すると、一室のドアが開いてアンクが現れた。
「待ってたぜ」
「……いつから待ってたんです?」
「初めてやりあったあの日から。これ以上待たせるなら、俺から行こうかと思ってたよ」
リザは万全を期すため、ヤオたちと話した日から更に一週間待った。おかげで万全ではあるが、それはアンクも同じらしい。その顔面に、リザが殴った痕はほとんど残っていない。
互いに調子は良好。ナイフ戦にはやや遠い程度の間合いで、二人を隔てるのはアンクが開けたままにしている鋼鉄のドアのみ。
リザはいつでも懐から獲物を抜けるように手を構え、その場に立つ。
対するアンクは、まるで力の入ってない立ち姿でドアを押さえて立っている。
「いつまでそうしてる。入れよ」
「……は?」
「コーヒーが冷めちまうだろうが」
言い捨てて、アンクは部屋に引っ込んだ。ドアが勝手に閉まるのを、リザはぼうっと眺めていた。
ドアを開けてまず広がるリビング・ダイニングは、粗雑な暮らしを絵に描いたようにモノが散乱していた。かろうじて人が生活できるスペースは残されている。
リザは前世の自分の家を思い出していた。仕事に身を投じるばかりだった風子は、家を整えるということをひたすらに怠っていた。
奥には廊下があり、部屋が連なっているらしい。家族で暮らせるようになっていることを鑑みれば、間取りは日本で言う2LDKだろうか。
「まあ座れよ」
粗末なテーブルの上には、店で買ってきたであろう山盛りのドーナツと湯気を立てるコーヒーが並んでいた。
「ちょうど今淹れたんだ。ドーナツも買ってきたばっかりだぜ」
「……どういうつもりですか」
「ただのメシだよ。コーヒーは嫌いか?」
アンクは席につくと、ドーナツを一口で頬張ってコーヒーで流し込んだ。味わうというよりはエネルギー補給といった食べ方は変わらない。
リザは渋々といった具合に彼の対面に腰を下ろす。そして、コーヒーを口に含んだ。苦味が強いばかりの味だ。甘いドーナツに合わせないと飲んでいられない。
リザの食べる様を見て、アンクは少し驚いているようだった。
「……なにか?」
「躊躇なく食うんだな」
「あなたはここで毒を盛るような人ではないでしょう」
「俺のなにを知ってる?」
なにもかも、と言いかけて飲み込んだ。乙女ゲームで描かれた面も、リザ=風子として対峙してきた面も、すべては人間を構成する一部に過ぎない。
「刃を交えた分くらいは、知っているつもりです」
「そうかい」
二人はそのまま、無言でドーナツとコーヒーを食した。結局ほとんどのドーナツはアンクの方で平らげてしまったが。
「ごちそうさまでした」
「流石メイドさん、礼儀がなってるな」
「父からしつけられて来たので」
口に出してから気づく。育ての父、ハワード・コリンズ。彼を殺した男が、目の前に居る。
「育ちがいいんだな」
アンクは、自分が殺した老紳士がリザの父とは知らないのだ。それでいい。自分もそういう心持ちを戦いに持ち込むつもりはない。
「いいえ。出身はあなたと同じですよ。拾われたんです」
「そうかい」
それから、また二人は黙り込んでしまう。互いに雄弁な方ではない。言葉ではなく行動で尽くすのが付き人だった。
だが、アンクは付き人ではない。今の彼がより雄弁になるのはただ一つ。
アンクは懐から白い柄を有するナイフを取り出した。リザが主人より賜った、彼の手にはやや小さい獲物。
反射的にリザもナイフを取り出す。アンクが扱う、リザの手にはやや余る無骨な獲物。
「返すぜ」
そう言って、アンクはナイフをテーブルの中心に突き刺す。リザも同じようにし、互いのナイフを交換した。
「特注品か?」
「はい。主人に作っていただきました」
「あんたは女にしちゃ手がでかいみたいだが、俺ほどじゃないな。俺の手にはこいつが馴染む」
「あなたのは、既製品ですね」
「軍人のナイフだ。でかくて頑丈で壊したり失くしても替えが効く。武器なんざ使い捨ててナンボだろ」
アンクは手に取ったナイフをくるくるともてあそぶ。重さを感じない器用な取り回しだった。
対するリザは、握ったナイフを優しい眼差しで眺め回していた。
「あんたみたく獲物をうっとり眺めるシリアルキラーを知ってるよ」
「その方は武器を大事にしているんだと思いますが、同時に武器の奥にある思い出や、人を大事にしているのかもしれません」
「へえ」
リザは相手に聞かせるでもなく、そっと呟く。
「……あなたにも、いずれわかる時が来ます」
そして、ナイフを握り直して立ち上がる。
「私が勝ったら、ある人のもとで護衛として働いてもらいます」
「は?」
アンクもナイフを握って立ち上がったが、おもてには不満がありありと浮かんでいる。
「働き口を探しているのでしょう?」
「……俺を雇いたいってことか?」
「そう取っていただいて構いません」
「仲間の仇を取りに来たんじゃなかったのかよ」
「私とあなたの因縁で主人に害が及んでは困るので、こちらから出向いたまでです」
「……そうかよ」
気だるげにしているアンクが、ナイフを構えた──瞬間、研ぎ澄まされる。
戦いを前にした狂犬は、先刻までドーナツを頬張っていたのとはまるで別人だった。近づけば噛みつかれると肌でわかる程の獰猛。針のような殺気を周囲一帯に撒き散らしている。
リザもまた、ナイフを構えて戦闘態勢を取る。
おそらく相手は銃を使う気がない。ならこちらも対等に挑み、倒し、認めさせる。
構え合った瞬間、既に始まっていた。ただし、両者共に大きくは動かない。じりじりと前に進み、互いの間合いを食い合いながら距離を詰める。
刃を振るえば、もう戻れない。互いにそれを理解しているから、間合いであってもまだナイフを振らない。
もはや刃と刃が触れ合いそうな距離まで来ながら、刃を振らない。
そして最初の火花が散る前に、
「っ……」
アンクがかすかに呻き声を上げる。
彼の脛に、リザの前蹴りが突き立っている。
リザはクラシカルなメイド服ゆえに長いスカートを履いている。それは動きにくさというデメリットを有しながら、足運びを隠すという利点を有していた。
リザはそのまま懐に潜り込むようにして突きを放つ。
が、アンクはすぐさま反応し、リザの一撃を弾いた。これが最初の火花となる。
「怪力女」
「褒め言葉と受け取っておきます」
絶え間ない刃音と火花の応酬が始まった。
果敢に攻めかかるリザ。アンクは流れるような動きで避け、受け、カウンターを返す。火花の隙間に血飛沫が舞う。路地裏で対峙した時とまるで同じ様相を呈している。
大きく異なるのは、他者の介在がないこと。
防戦の構えでアンクの立ち位置は徐々に下がり、二人は奥に続く狭い廊下へ移動していた。
リザがナイフを振り抜くと、やわい壁に刃が突き刺さった。なまじリザの膂力が強いために刃は深く刺さっている。
──不味い。
咄嗟にナイフを放して手を引っ込める。
リザの手首があった場所を、アンクのナイフが駆け抜けた。
「借りるぜ」
アンクは壁に突き立ったリザのナイフを引き抜くと、両手の刃を閃かせた。
攻防が完全に入れ替わる。リザは防御と回避に徹するが、構えた手にいくつも切創が走り始める。このまま受け続ければ指を落とされるか太い血管を切られる。
「抜かねえのか?」
銃のことを言われていた。アンクにはこちらが銃を持ち、あえて抜いていないのが見通されている。
──対等に。認めさせる。
リザは台所の片手鍋と机上のティーカップを手に取り、ティーカップをアンクの顔面目掛けて投擲する。
直撃軌道のそれをアンクは難なく回避するが、リザは同時にアンクの手を狙って片手鍋で殴りつけた。アーミーナイフがはたき落とされて部屋の端に転がる。
拾っている余裕はない。このまま鍋で応戦する。
「……足りねえ」
アンクが半身を前に出す。フェンシングを想起する姿勢。刺突を狙って来るのか。
銃声が轟いた。
アンクの右手はジャケットのポケットへ収まっていた。
そのポケットには穴が空いており、硝煙が立ち上っている。
「本当に俺を殺さねえつもりなのか?」
銃弾は安物の片手鍋を貫通し、リザの下腹部を貫いていた。
油断していたとしか言いようがない。彼が銃を使うことを想定していなかったリザの落ち度だった。
「俺よりいい暮らししてる内に忘れたか? 俺とあんたが会った時点でここはもう死地だ。命を取り合う場所だ。あんたの提示した条件なんてハナっから破綻してんだよ」
アンクはポケットから銃を抜いたが、撃ってくる気配はない。
「メイドさん、頼むから寝ぼけたこと言わないでくれよ。俺は、お前を殺す。必ず殺す」
先ほどまでのアンクが放っていた殺気が、どこか無邪気さを孕んでいたのだと今ならわかる。
彼は今、怒っていた。
「……なぜ、そこまで」
そう問いながら、リザは心のどこかで──米山風子の思考を抜きにしたリザ・ストーンの魂で、相手の返答を知っていた気がした。同じものを、感じ始めていた。
「本能が言ってんだよ。あんたは、俺の天敵だ」
元より友人同士であった主人公と悪役令嬢のそれではない。
付き人と付き人。似たような出自を持ち、食うか食われるかのスラムから生まれた二人。対立という運命の首輪に繋がれている二人の戦士。
どこかで、理解していた筈だった。
──私では、駄目なんだ。
──クレア・ヴィスコンティじゃなきゃ、駄目なんだ。
〈To be continued〉
お読みいただきありがとうございます。
なんと、残り二話です。最終話のあとがきにダラダラ書いて余韻を壊すのもどうかと思うので、活動報告にあとがきめいた何かをしたためられればと思っています。完結後、よければ覗いてみてください!




