Ep23.仕込み銃の女
一段落ついたところで、ティーブレイクをすることとなった。二人はリザが淹れた紅茶を前に、先程と同じくルーレット台を囲んで座している。
「この世界が物語の中、ねえ……」
浮かべたポーカースマイルに反して、声色はやや沈んでいる。誰しもヤオのように自分の境遇に納得できるわけではないだろう。
「申し訳ありません。このようなことをお伝えする結果となり……」
「リザ、あなたは自分が物語の登場人物だと思う? 生きてる実感はない?」
「……いえ。今、この上なく自らの生を感じています」
「私もよ。今さいっこうに生きてるって感じるわ。……ちなみに、物語での私はどんな風に死ぬの?」
「……お嬢様の最期は、描かれませんでした」
「ふうん。ちょっと残念」
これが、今の自分につける最大限の嘘。
そして、いつかよりよい未来を現実にして見せるという、決意の嘘でもあった。
幸いその嘘が怪しまれることはなく、話題は次のフェーズに移った。ベアトリーチェはノートとペンと取り出し、そこに〈The omerta of crimson〉と記入する。
「乙女ゲームにまつわる情報をたくさん挙げ連ねていきましょう。そこから見えてくるものもあるだろうから」
紅のオメルタの情報をリストアップし、整理する。それは既にリザが一人で行っていた。
が、そこで作った資料はすべて破棄している。見られた時に困るのは、このお嬢様の手で痛いほど経験させられていた。
約一時間後、数ページ埋まるほど書き連ねたところで一度切り上げる。疲れたのか、ベアトリーチェはペンを置いた手をふらふらと揺らしている。
「やはり気になるのはリンおばさまね」
主人は既に冷めきったアールグレイティーの残りを啜った。
「物語がクレアを中心とするロマンスだとして、わたしとケヴィン兄様が出るのにおばさまに言及がないのは妙だわ」
シナリオにおいては、オニール・ファミリーの内情にも切り込んで行く。だが、相談役であるシャークリンへの言及は何一つとしてない。
「……お嬢様、こうは考えられませんか。人数が多いと読み手は混乱します。削ぎ落とせるものを削ぎ落としてシナリオを作ったのでは?」
「面白い観点ね。でも、仕込み銃のおばあさんなんて面白い題材、拾わないと思う?」
その通りだった。シャークリンは絵になる。イケメンたちとのロマンスには少しのノイズになるかもしれないが、物語に出さない手はない。
だが、〈紅のオメルタ〉は完全なフィクションである。今リザが生きるこの世界と、クリエーターたちが作り上げた世界がどこまで相関関係にあるのか。その判断がつかない限り、この観点は参考にはならない。
「お話をシンプルにするため消された、お父様と共に死んだ、もしくは……なんらかの形で死んだ」
ベアトリーチェが指折り数えながら言う。最後の一つが気がかりだった。
「なんらかの形?」
「彼女が裏で糸を引いていて、わたしたちで始末していたとしたら?」
それは、まず勘案しない──否、したくない選択肢であった。
「常に冷静なファミリーの相談役よ。味方のフリをするのも容易いでしょうね」
「根拠がありません」
「わたしたちを襲った大男は、シャークリンが始末した筈ではなかったの?」
「それは……」
現場での対応に苦心していたリザの頭は、そこまで回っていなかった。
ベアトリーチェはスッと立ち上がり、トレードマークの黒傘を手に取った。
「外出ですか?」
「おばさまに話を訊きにいきましょう。あなたも来るのよ」
正気ですか、と言いたくなったが言葉を飲み込む。この方は常に正気であり、常人から見て正気ではないのだ。
「まだ証拠は出揃っていません」
「まるで彼女が犯人みたいな言い草ね」
「そんなつもりは……」
「わたしだっておばさまがクロだなんて思いたくない。こちとら、女としての立ち居振る舞いはあの人から学んだんだから」
シャークリンとベアトリーチェ。背格好は違えども、毅然として在るその姿には近いものがある。ともすれば、主人の〈黒傘の君〉たる所以の傘は、シャークリンの杖を参考にしたのかもしれない。
「リザ、行くわよ」
主人がさっさと出ていってしまうので、リザもそれに付いて部屋を出る。すると、スーツを着たファミリーの兵士が近づいてきた。
「お嬢、ちょうど良かったです。〈姚香店〉のヤオさんが来てます」
意外な来客だった。病院の時しかり、彼がわざわざ足を運ぶような情報の動きがあったのだろう。
「ねえ、シャークリンがどこに居るかわかる?」
しかし、ベアトリーチェはそんな事を気にも留めていない。
「さあ……書斎じゃないですかね。ヤオさんはどうします?」
「後で会うわ。お兄様が暇だろうから話し相手にあてがっておいて」
完全に後回しだった。リザのよく知る攻略対象たちが苦笑いを浮かべて対面する様が目に浮かぶ。
ベアトリーチェの先導でオニール邸の書斎へ。リザもそうだが、この部屋に寄り付く人間は多くない。中でも足繁く通うのは、読書に多くの時間を割くベアトリーチェくらいのものだ。
部屋に着く直前、主人は端的に告げた。
「リザ、ポーカーフェイスを維持しなさい」
「……了解」
ベアトリーチェが扉をノックし、「おばさま、居る?」と呼びかける。
「居るよ」
そっけない返事が返ってきたので、ドアを開けて中に入る。
シャークリンは椅子に足を組んで座っていた。眠っているかのように目を閉じているが、気配はこちらにまで伝わって来る。粗相をすれば撃たれてしまいそうな気迫である。
「どしたい、二人揃って」
「息子の身柄はこちらで押さえているわ」
放り捨てるように、主人は告げた。
「いつまで忠義者のフリが続けられるかしら」
堂々と振る舞う主人の言葉の真偽は、ポーカースマイルの奥にある。
ただ話を訊きに行くものと思っていたが、尋問という意味での「話を訊く」だったのだ。
隣に立つリザですら意表を突かれている。それゆえの、ポーカーフェイスを維持という指示だったのだろう。
シャークリンはおもむろに立ち上がると、窓の外を眺めた。足を悪くし、怪我も負いながら、それでも今なお年齢を感じさせないしなやかな立ち姿は、強靭に立つ冬の枯れ木を思わせる。
その右手が握る杖には、散弾銃が仕込まれている。
シャークリンのしなやかな腕が、杖をゆっくりと持ち上げる。
「……腕が鈍ったね。ちゃんとブッ飛ばして忠義を示すつもりだったんだが」
「やっぱり、バーンズの妹は殺すつもりだったのね」
「散弾銃で頭飛ばして立ち上がるバケモノとは思わなかったのさ」
主人の中には確信があり、シャークリンは事実を語っていた。
つまり──シャークリンはバーンズ妹を殺すつもりだった。だが頑丈な巨人は生き延び、病院の襲撃に加わった。それが、シャークリンが疑われる一因になった。
リザの思考は既にして周回遅れだった。だが、それでいい。自分の仕事は主人の盾にして鉾となること。頭を回し、判断を下すのは主人の役目である。
「息子は、まだ生きてるのかい……?」
「それを知る意味、ある?」
「……ベアトリーチェ。あたしはね、もうあんたの笑顔が恐ろしくてならないよ」
こちらを振り向いたシャークリンは、微笑みを浮かべながら椅子の背を撫でる。
「玉座に座りたいわけじゃない。むしろ、若い子が座ればいいと思ってるくらいさ。フレデリックでもケヴィンでもない。才知に富んだあんたがね」
二人の間に沈黙が流れる。
「さて、どうするさね?」
「理由を訊くわ」
「反論の余地なしかい。ババアには優しくしなよ」
ベアトリーチェは至って冷静に見える。たとえ焦りや動揺を覚えていても、それはおくびにも出さないだろう。
「……ウチの息子はね、組織を恨んでたんだよ」
そう言いながら、シャークリンは机に置いた写真立てをこちらに向ける。
白黒写真に写るシャークリンはまだ白髪ではなく、隣には細身の利発そうな男性が。そして、二人の間には快活そうな青年が仁王立ちしていた。
「旦那を殺したマフィアっつーもんをね」
彼女に息子が一人居て、夫が抗争で亡くなっていることはリザも知っている。だが、それらの事実を巡る家族の関係まではノータッチだった。
「あたしはオニールの舵取りで手一杯で……いや、違うね。あたしも旦那が死んでショックだったんだ。それであのバカ息子……軍人になるとか言い出してね」
「思い出話はまだ続くの?」
急かすような主人の言葉。珍しい態度であった。
「年長者の話は聞き得だよ」
「相手を選ぶ権利はあるわ」
「ああ言えばこうだ。あの子を思い出すね」
あの子。おそらく、既に亡きケヴィンとベアトリーチェの母親のことを言っているのだろう。
「ババアの昔話は嫌いかい……。巷で〈C〉って呼ばれてるチンピラ共。アレの頭は、あたしの息子だ」
その言葉で、すべてが繋がった。
裏切ったのは、やはり彼女だ。
リザは瞠目するが、ベアトリーチェはまるで動じていない。
「軍に入って、本物の戦争経験して……あいつは体だけじゃなくて、気まで大きくなったんだね。俺にも戦争ができる、なんて言い出して……チンピラ連れてマフィアと事構える。親父の敵取るって言い出したのさ」
リザたちが生きるジャズ・エイジは、第一次世界大戦を終えたばかりの戦後である。
多くの人々は好景気に湧いていたが、その影で戦争の余波に苦しむ軍人は多かった。体だけでなく精神を壊した兵士も数知れず、ある意味でシャークリンの息子もそれに当たるのだろう。
「あたしは止めたんだが、息子は始めちまった。チンピラ雇って、バーンズ兄妹なんて引っ張り出して……あげくとんでもない殺人マシーンを連れてきたみたいだね」
「おばさま。あたしじゃなくて、あたしたちなら、止められたんじゃない?」
おそらく、〈C〉は──マクガヴァン家の一人息子は、最初にシャークリンに接触を図ったのだろう。その段階でオニール・ファミリーが介入していれば、事はここまで大きくならずに済んだかもしれない。
「……母親らしいこと、なんにもしてやれなかったからさ」
「それで父やハワードが死んでもよかったの?」
シャークリンの目が見開かれる。クリティカルな話題だった。彼女にとっても、リザにとっても。その証拠に、シャークリンの瞳は一度こちらに向けられたものの、逃げるように背を向けてしまった。
「フレデリックの野郎は……放っといても死ぬ。年々くたびれて来て、もう。ならいっそ……ってね。ハワードは……これくらいで死ぬタマじゃないって思ってたんだが」
「シャークリン様、これ以上の言い訳はやめてください」
いけないとわかっていながら、リザは口を挟んでしまった。
「父はボスをかばって死にました。あの人ならそうすると、シャークリン様ならわかっていたはずです」
リザは付き人だ。ベアトリーチェ・オニールの付き人として、彼女が死ぬときにはそこで死ぬと決めている。己を殺し、主人を生かすことを厭わない覚悟を固めている。
こんな自分を作り上げてくれた父が、そうでなかったわけがない。
「シャークリン様のそれは、父上の強さに甘えた言い訳です」
「……そうだねえ」
シャークリンの声は、震えていた。
「あたしは、どうすべきだったのかね」
「シャークリン様……」
母親の経験がないリザに、彼女の心奥は理解できない。子を想う情は、長年の友情や忠誠心をも捻じ曲げてしまうものなのだろうか。
リザは見えない己の未来を想い、不安を覚える。シャークリンですら揺らいだ。自分のそれが、なにかの遠因で揺らぐ日が来ないとは言い切れないではないか。
シャークリンは年甲斐もなく泣き崩れ始めていた。
その顔面が、爆音の銃声と共に吹っ飛んだ。
「……は?」
自分の口から出た驚愕の声が耳の中で響いている。銃声による耳鳴りが起きていた。
隣に立つベアトリーチェは、手にした黒傘を銃のように構えている。その先端から、硝煙らしきものが立ち上っていた。
黒傘の仕込み銃。
紅のオメルタにも登場した、彼女を象徴するガジェットの一つ。リザですら存在を知らずに居た、まさに本物の仕込みであった。
「いたたた。肩外れちゃうかと思った」
ベアトリーチェは、珍しく晴れやかな笑顔を向けてきた。
「ごめん、イライラしたから撃っちゃった」
そう言いながら、ベアトリーチェはもう一発撃った。視界の端でピクピク動いていたスーツの老淑女は、壁際に転がったボロ雑巾と化している。
〈To be continued〉




