Ep21.不完全情報ゲーム
主人はどこからともなくトランプを取り出し、見事なカードさばきでシャッフル。五枚を互いの前に配った。
「ただ喋るだけというのもね。シンプルにファイブカード・ドローでいい?」
拒否する理由はない。妙に騒ぐ本能を押さえつけて首肯する。
きっと重い話になる。遊びながらの方が話しやすいのであれば、それがいい。
主人が台に放置されていたチップを十枚取ったので、リザも同じように取る。
ファイブカード・ドロー。別名として、ドロー・ポーカーやクローズド・ポーカーと呼ばれる。五枚の手札で作る役の強さで競い合うゲーム形式で、日本人の風子には一番馴染みのあるポーカーである。
互いに参加費のチップを一枚場に出し、配られた手札を確認する。
7とJのワンペア。お世辞にも強いとは言えない。
ベアトリーチェは笑顔を崩さず「ベット」とチップを三枚出す。得意のポーカースマイル。表情からは何も読み取れない。リザは「コール」で同じ枚数のチップを場に出す。
「いつぶりかしらね、こんな風に遊ぶのは」
「ヤオのところで麻雀をしましたよ」
「そういえばそうだったわね。またやりたいわ」
主人はいつ話の続きをしてくれるのか。やきもきするリザを前に、ベアトリーチェはチェンジするカードを三枚場に出す。リザは一枚。新しいカードが手早く配られる。
リザの元にやって来たのは、スペードのJ。これでJが三枚──リザの役はスリー・オブ・ア・カインドになった。スリーカードという名称の方が風子の認識には馴染み深い。
十分に強い役だが、勝負に出るには心許ない。そう考えてしまうのは、この主人が相手だからか。
相手がどう出るか次第だが、ここは無難にコールで行くと決めた。果たして主人の選択は。
「降参」
ベアトリーチェは顔色一つ変えないまま、手札をその場に放った。
五のスリー・オブ・ア・カインド。十分に戦える役だが、リザの手札には及んでいない。
恐るべきは、ここで切り上げることを選ぶ判断力だ。なにを以てリザの手札を感じ取ったのかはわからないが、その迷いなき判断は最小限の犠牲で場を切り抜けさせた。
お見事ですと言いたくなるが、勝つことを好む主人には失礼だろうか。
「前にも言ったけれど、お父様はね、糖尿病なの」
始まった。トランプについて考えていた頭は、その一言で真っ白になった。
「糖尿病患者の体はデリケートなんだそうよ。外科治療をした後に亡くなってしまうケースも多いそうだから、ちゃんとした医師に診てもらう必要があった……だから、あの病院なの」
「……インスリンは」
糖尿病患者は体に不足するインスリンを補うため、定期的に自ら注射を行う必要がある。
リザは前世の知識でそれを知り得ていたが、ボスがそのような事をしている姿は見たことがない。一週間行動を共にしていたのに。
「詳しいのね」
ベアトリーチェは笑みを崩さない。
──マズった。
この時代において糖尿病の研究がどこまで進んでいるのかをリザは知らない。ともすれば、インスリン注射自体が一般的でない可能性もある。
問い詰められたらどう答えるべきか。手が急速に汗で濡れていく。
「ねえリザ」
病気の知識。付き人には必要なものではなかろうか? ハワードに厳命されていたことにすればいい。いざ主人が病に陥った時のために。
「リザ?」
それなら辻褄が合う。ハワードが主人の病状を鑑み、育ての娘にも知識を仕込んだことにしよう。死人に口がないのをいいことに、私は父上を──
「ねえ。カード、いつまで持っているの?」
「……え?」
「次のゲームを始めたいんだけど」
手汗の滲むリザの手は、今もカードを把持し続けていた。
「ああ……申し訳ございません。なぜ迷いなく降参を選ばれたのか、考えておりました」
「それは企業秘密。まずは手札の開示よ。敗者は勝者の手の内を見る権利があるんだから」
リザは手札のスリー・オブ・ア・カインドを盤上に開示する。
主人はポーカースマイルを崩さず、カードをじっと見下ろしていた。その思慮深き瞳の奥で回転する思考に浮かぶのは、果たしてポーカーの戦略か。それとも。
わずかな沈黙にも耐えきれなくなったリザは、ゲームの話題を振ることにした。
「……お嬢様。たしか、降参を選んでも開示の必要はなかったはずですよね?」
「ええ、その通りよ。敗者が手札を隠す行為は、テキサスホールデムではマックと呼び名がついているわ」
しかし、ベアトリーチェは手札を開示した。自分の負け札を、自信に満ち溢れたポーカースマイルで。
「最後まで戦い切らなかったのが気に障った?」
「いえ、私がお嬢様の行動に不満を覚えるようなことはありません。ただ……なぜ開示したのか、と思いまして」
「それは……ポーカーというゲームの性質に依るわね」
主人はリザの手札をまとめると、山札に戻して機敏な手つきでシャッフルを始める。
「ポーカーは不完全情報ゲーム。場に出る情報一つ一つが鍵になるわ。伏せられたもの、開示されたもの。表情、声色、一挙一動……挙げ連ねたらキリがない。それは時に判断の材料になり、相手を騙すブラフにもなる」
「手の内を晒す価値がある、と判断されたわけですね」
「ええ、そういうこと」
丸裸にされている気分だった。その上で、自分が見つめる先の主人が本物なのか、はったりなのかもわからない。一方的に視られている状態だ。
「さ、次を始めましょうか」
次のカードが配られ、互いに参加費を支払う。
「お父様は自分が弱っているところを見せるのが嫌だったみたいだから。血の繋がった家族と、一握りの幹部クラスにしか知らせていなかったの」
ゲームの準備と共に、主人の語りは再開した。
リザの本能は、変わらずなにかを警戒し続けている。
配られたカードは色違いの三、四、五、六、A。
あと一枚でストレート。とんでもなくツイている。
「今度はリザからベットして」
不完全情報ゲームとはすなわち、場の情報がつまびらかにならないことを指す。つまり、相手の動きという情報を得てから行動できる後攻が自然と有利となる。順番を入れ替えながらするのは確かにフェアだ。
「ベット」
リザは無難にチップを二枚出す。
「オール・イン」
ベアトリーチェは、平然と告げた。
オール・インとは、手持ちのチップすべてを賭ける行動を指す。勝負したくとも手持ちのチップが足りない時や、ここ一番の大勝負で相手にプレッシャーをかける際に用いられる。
これにより、ベアトリーチェは後がなくなる代わりに次のベッティングをスキップする形となる。チェンジの後、リザがチップを出せば自動的にショーダウン──カードを開示し、役を比べるフェイズとなる。
リザは一枚。ベアトリーチェも一枚をチェンジした。
引いたのは、七であった。
ストレート。ツキは完全に回って来ている。
「あの体。糖尿。生活習慣を改めようとしてはいるみたいだけど、あの歳から修道士みたく生きるなんて無理。正直なところ、お父様はもう長くないわ」
急にボスの話題へと引き戻される。だがリザのすべきことは変わらない。
カードは五十二枚。その中からストレートを引き当てる確率がどれだけある? お嬢様には申し訳ないが、勝てるに決まっている。
「三年。かつて医師はそう言ったけど、今回の負傷は確実にお父様の寿命を縮めたわ」
勝つことを、勝ち続けることを信条とするこの方がオール・インを打ち出した。確信がなければ出せない選択肢だ。
──本当に、勝てるのか?
ポーカーは不完全情報ゲーム。ただし、身内同士で遊ぶ場合、相手の性格という情報を加味できる。
その笑顔に、吸い込まれそうになる。勝利を確信しているとしか思えない笑顔に、手札への自信が吸い込まれていく。
年相応の姿を幾度も見てきた。そうでない姿があることも熟知している。そのつもりだった。だが、リザはまだまだ、彼女のことを理解し切れていなかった。
ベアトリーチェのポーカースマイルは、今なお揺らぐことはない。
「もうそろそろ、わたしの時代が来る」
そして、リザは確信する。
この方は、自分がオニール・ファミリーの舵取りをしていく未来を既に見据えている。
わたしの時代。そうまで断言する彼女の野望は、ただファミリーの政治に参画するだけに留まらない。勝ち続けることを切望する勝者の血統の性なのか──この方は、もはや頂点にしか興味がない。
悪役令嬢による破壊の未来を防がなくてはならない。それを肝に銘じて、リザはこれまで動いてきた。
だがここに来て、その気持ちはあらぬ形で歪み始めていた。
──お嬢様のそばで、お嬢様の時代を見てみたい。
ボスの余命。裏切り者。後継者。まだ前日譚の域を出ないこの時期、オニール・ファミリーという組織は多くの問題を抱えている。
その上で、ゲーム〈紅のオメルタ〉におけるこの令嬢は、転生知識を持つメイドのアシスト抜きで組織の頂点へと上り詰めている。
言うなれば、自分など居ても居なくてもある意味では変わりない。
リザはその事実を悲しく思うと同時に、その主人の偉大なる在り方に感動すら覚えている。
──同じ景色を目に焼き付けていたい。このお方の、誰より近いかたわらで。
「リザ、あなたの番よ」
「降参です」
「あら、いいの?」
「あなたには敵いません」
リザが手札のストレートを開陳すると、ベアトリーチェも放り捨てるように手札を開示した。
役なしだった。
「お見事です」
リザは敗北の中に、確かな満足と決意を得ていた。
いつぞやにヤオが言った通りだった。彼女は放っておいても舞台に上がる。
わずかながら、ボスが亡くなるまでの時間を──準備期間を稼ぐことができた。その間に、乙女ゲームの知識を使いながら、彼女がより良い形で舞台に上がれるようサポートする。それこそが、自分がこの世に存在を許された理由だ。
「わたしに従順なあなたでなければ負けていたわ。やっぱりポーカーは運が大事ね」
ベアトリーチェはカードを回収して切ったが、配りはしない。
「次はルーレットをしましょうか」
そう言うと立ち上がり、箱からルーレット用のボールを手に取った。
「今殺さなくてもお父様は直に死ぬ。敵はそれを知らないか、知っていてそれ以上の恨みを抱いている人物、ということになるわね」
参加者は数字が羅列された台の上にチップを置く。ディーラーはルーレットを回してボールを投げ入れる。ボールが入った数字にチップがあれば、参加者の勝ち。それがカジノ・ルーレットだ。
──集中できるわけがない。
リザは適当にチップを置く。主人の語りを受けて緊張と高揚が混じり合い、意識は散漫になっている。
ルーレットは複数の数字セットにまとめて賭けることもできる。三つの数字に賭けるトリオ・ベットに何枚か賭けた。どれか一つでも当たればいいという無難な戦略だった。
ベアトリーチェは慣れた手つきでルーレットを回し、ボールを投入した。
ルーレットはディーラーよりベット終了の合図が出されるまでチップを置くことができる。しかし、どこに置くべきかなどリザには到底わからない。ボールは硬い音を立てて回りながら、徐々に減速を始めていた。
「とにもかくにも、その敵を排除しなくては何事も始まらない……だけど、もう一つ。わたしたちには喫緊の課題があるわ。なんだかわかる?」
検討もつかなかったので、正直に「わかりません」と伝える。
ボールが、ルーレットが回り続ける。リザは本能が覚える不安について改めて考える。
この時間はなんなのか。主人の意図は。
回転するそれらを見ていると、回し車の中を走るハムスターを思い出した。リザは自身を疾走するボールと重ね合わせる。ルーレットという世界。投げ込まれる自分。そして、すべての回転を司るディーラーたる主人。
「ノーモアベット」
ベット終了の合図。回転が緩み、ボールが穴へと収まっていく。
「もう少し遊んでいたいところだけど」
ボールは、黒の四──リザが賭けていた隣のマスに収まった。
リザは、ディーラーである主人が投げるより前からチップを賭けていた。
ベアトリーチェはそれを見て、わざとリザが賭けたマスの隣を狙ったとでもいうのか。一流のディーラーなら狙ったマスにボールを放り込めると聞くが、にわかには信じられない。
「……お見事です」
「わたしの勝ちね、ミス・ストーン……と、言いたいところだけど」
一拍の間。ルーレットから視線を上げる。
その瞬間、主人の言葉がリザを刺し貫いた。
「あなた、誰?」
主人はディーラーとしての成功を誇るでもなく、普段通りの微笑みと共に告げた。
〈To be continued〉




