Ep20.メイドの本能
飾らない作りの部屋に、実用一点張りのデスクと椅子。
そこに、まるで不釣り合いな美少女が座してスマホをいじっている。
一瞬の内に理解する。夢だった。今の私には頑強な肉体も灰色の髪もなく、リクルートスーツに収めた貧相な体と野暮ったいちぢれた黒髪がある。
目の前に君臨する麗しきアイドルと私では、格が違う。
──へえ、今日からあんたなの?
初めてかけられた言葉。一言一句覚えていた。
米山風子です。誠心誠意お仕えしますので、今日からよろしくお願いします。そう言って、笑われた。嘲りからの笑いではない。純粋に私を面白がってもらえた。
──若いのに優秀なんだってね。期待しちゃってもいいのかなあ。
若いのに。自分より一回りも年下の彼女が使うような言葉には思えなかったが、彼女は使う側の人間だ。そういう口ぶりも頷ける。
なんでもします。なんとしても、期待に応えてみせます。
すると、彼女はスニーカーを脱ぎ、靴下を脱ぎ、そのお御足を私の前に差し出した。
──なんでもするんでしょ? じゃあさ、足舐めてよ。
さも自然な流れといった風だったが、私は疑問を呈した。記憶と違う。夢だからだろうか。
とはいえ舐めない理由もないので、私は四つん這いになって彼女の足に舌を這わせた。成長途上の細く小さな足からほのかに汗がツンと香り、舌に塩気を覚える。
──えっ、うわっ、キモ。
慌てて彼女が足を引くので、私の顔面が蹴り上げられる。どうということはない。バーンズ妹に殴られた痛みと比べれば。
申し訳ありません。舐め方がはしたなかったですね。言っていただければ直します。
──いや、えっ……?
命じていただければなんでもします。どんな我儘も聞き入れます。常識にとらわれる必要はありません。どれだけ便利に使っていただいても構いません。
だから、だからどうか。
クビだけは、勘弁してください。
あなたのお側で仕えさせてください。
視界が歪み、様々な光景を巡った。罵倒された回数は数え切れない。暴力の回数も数え切れない。一回り歳が違う子供に体と心を使って貢献する日々。お酒と煙草とエナジードリンクで体に鞭打ちながら、心の歓びを追う日々。
私が打ち据えられる分だけ彼女は輝いた。彼女の輝きを維持するために、できることはすべてやり通した。
──あんた、自分がなにやったかわかってるの?
なにって……あなたのためを思って、すべてやってきたのですが。
引きつった彼女の笑顔は、愛らしかったのを覚えている。
──あんたが仕事のできない愚図なら、すぐクビにできたのに。
それは、どういう意味ですか?
私に、なにが足りなかったのですか?
◇
寝覚めはとても悪い。体が重たいのもあって、起き上がろうとも思えなかった。
自室ではない。どこかの病院に居る。ここがどこなのか、今がいつなのかもわからない。
ひどい夢だった。少なくとも自分は担当アイドルの足を舐めたことはないし、舐めろと言われたこともない。蹴られるくらいなら日常茶飯事だったが。
夢など気にしても仕方がない。リザは節々の痛む体を起き上がらせ、のそのそと病室を出た。すると、看護師らしき女と鉢合わせる。こちらを見て、目を丸くしていた。
「あの、今日は何月何日で──」
「動いちゃだめですよ! 傷口が開いたらどうするんですか!」
「えーと……何月」
「ベッドに戻ってください! そもそもなんで動けるんです!」
「何日……」
それから駆けつけた医者にアレコレ診てもらうまで、リザは場所も時間も知ることができなかった。
郊外の病院だった。オニールの怪我人はほとんどがここに集められて治療を受けていたらしいが、もはや残っているのは最も重傷だったのになぜか生きているリザだけだった。
大病院での戦闘からは一週間が経過していた。負傷者よりも多い死者を叩き出した一連の戦闘は、連日のニュースを飾っている。
うち、死者の大半は病院を襲撃したチンピラたちが占めている。残りは応戦したオニールの人間と、巻き込まれた一般人で半々という割合だった。
街でその名を知らない者のないフレデリック・オニールは説明責任を問われたが、重傷のため取材に応じるどころか、外に出ることすらままならない。医者を引き連れ、彼の身はオニール邸へと移されていた。
市街戦で負傷したシャークリンも既に退院し、病院での戦闘に巻き込まれたベアトリーチェは無傷。そして、ハワードの遺体は無事に回収された。
そこまで聞いて、ようやくリザは安堵することができた。
ハワードが死んだ。その事実をしかと受け止めて消化するには、まだまだ時間がかかるだろう。だが生きている者たちは無事で、病院の件以降目立った事件もない。まだ運命は上手く運んでいる。
リザは一刻も早く退院して主人に会いに行きたかったが、もちろんそんなことは許されなかった。リザの背中には五つもの穴が開いているという。
驚異的なスピードで塞がりつつあるようだが、安静を強いられるのは辛い。
リザはひたすら眠り続けた。寝ている間にケヴィンやヤオがお見舞いに来てくれたらしく、目を覚ますたびに花やフルーツが増えていた。
だが、ベアトリーチェが見舞いに来てくれることはなかった。
当然だ。今は情勢も不安定で、外出からして避けるべきである。引きこもっていたはずのケヴィンが見舞いに来てくれたのが特例中の特例のようなものである。
期待はしないよう務める。早く主人に会いたい気持ちばかりが募る。
帰巣本能が治癒機能に働きかけたのか、リザは目覚めてからたったの三日で退院を成し遂げた。
病院を出ると、車が待機していた。運転席と助手席を組織のメンバーが固めているのを確認して後部座席に乗り込むと、意外な人物が隣に座っていた。
相談役の老淑女、シャークリン・マクガヴァン。その手には、鳥を象る持ち手の──仕込み銃の杖が握られている。
「シャークリン様、退院おめでとうございます」
「ふん、そりゃあこっちのセリフさね」
一週間前の戦闘で怪我を負ったとは聞いているが、まるでそれを感じさせない普段の風格を有している。
「わざわざ私を迎えに?」
「積もる話もあるからね。なにせあんたしか現場を見てない。あのデブは喋りたがらない」
あの豪放磊落なボスが消沈している様など想像できないが、喋らないというのであれば相当なものだろう。彼が失ったものは、それだけ大きい。
「ハワードのやつはどう死んだ?」
シャークリンは単刀直入に訊いてきた。
「言いたくなくても喋りな。その方が楽だよ」
「……ボスを守って撃たれました。私が油断したばかりに」
「油断?」
「刺客が、見知った顔でした」
「ずいぶん感情豊かになったね」
詰める意図はないのか、口ぶりは優しい。事実を告げられているのが、ただただ辛い。
リザ=風子だからこそ切り抜けられた局面でもあり、リザ=風子だからこそ失ったものがある。自分ならもっとやれたという後悔は、すべて済んでから際限なくやって来る。
『誰が相手でも躊躇なく仕事を遂行することができるように』
ハワードは実力十分と見て試験に合格をくれた。だが、肝心要の覚悟がリザにはなかった。
「あたしゃ昔言われたよ。それが敵なら、血を分けた息子でも撃つようにって」
シャークリンには息子が一人居る。その言葉を受けて産んだのか、産んでから言われたのか。なにがどうであれ、彼女は今もギャングを続けている。
「申し開きのしようも、ございません」
「謝らせようってんじゃない。あたしも女だ」
「……それは、つまり?」
「撃てないときもある」
それは彼女なりの助言なのかもしれないが、リザの心に納得をもたらすことはなかった。たとえ自分が男でも、アンクとの戦いには動揺したはずだ。
それでも、彼女が慰めようとしてくれるのがただただ嬉しかった。常に冷静な振る舞いを崩さない老淑女の心の内を、初めて覗き見ることができたような気もする。
「ウチにはお前が必要だ。励みな」
「はい」
「自慢の娘だと言ってたよ」
既にシャークリンはこちらを向いておらず、窓の外を見つめていた。
「いい奴から先に逝くのはなんでかね」
それ以上、リザはなにも言い返すことができなかった。
フレデリック、シャークリン、ハワード。オニール・ファミリーを支える重鎮たちは、リザの知る『紅のオメルタ』にはそもそも存在していない人物である。
移民二世として時代を駆け抜けてきた彼らがどのような関係を育み今に至っているのか、リザは主人から聞きかじった程度でしか知らない。
リザの知らない彼らの青春に思いを馳せようとして、やめた。
──詮索も、妄想も、するべきじゃない。
過去の残照ではなく、これからの未来について考える必要があった。
組織内の裏切り者という問題は、まだ解決していない。
メイド服に袖を通すのが随分久々な気がしてならない。この服を着ているのが日常ゆえに、身につけた時やっと帰ってきたという実感を覚える。
通夜のごとく静かな邸内を移動する。扉をノックし、「どうぞ」の声を受けて扉を開く。
主人は、窓の外を眺めていた。
彼女の傍らに寄り、ひざまずく。ただこれだけの、ある種日常のことがどれだけ尊いのか。今を以て、リザはそのことを実感する。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
主人は平生のようにポーカースマイルを浮かべていた。
「怪我の具合は?」
「激しい運動は禁じられていますが、良好です」
「そう、良かった。お見舞いに行けなくてごめんなさいね」
「いえ。お嬢様にご足労いただくわけにも」
「な~んて、形式的なやり取りをしたって仕方がないものね」
リザの前から離れたベアトリーチェは、ルーレット台を流用したテーブルの元へ移動し、椅子に腰掛けた。
「話の続きをしましょう。気になってることがあるんじゃない?」
心の内を見透かされている。病院での話は、襲撃により途切れてしまった。リザはここに来て、聡明な主人の元に無事戻って来られた歓喜を覚えている。
『お父様の体はね、取り扱い注意なの』
『お父様は糖尿病よ』
リザはベアトリーチェの対面に置かれた椅子に腰を下ろす。
その時、リザの本能がなにかを感じ取った。
主人の対面に座るという、従者として当たり前の行為。
それを、戦士としての本能が拒絶している。取り返しのつかないことになると直感が叫んでいる。
ベアトリーチェは、ポーカースマイルを浮かべている。
「ゲームをしましょうか」
〈To be continued〉




