Ep19.汗血病棟-②
リザは逃げ惑う一般客たちを追って病院内へ取って返した。その健脚にブレはなく、すぐに一般客たちを追い抜いてしまう。
その矢先、背後を走っていた男の気配が変わる。
リザがくるりと反転して銃を構えると、ナイフを抜いた男が立っていた。問題はない。頭に一発撃ち込んで即死させる。
すると、呼応するように周囲の男が二人がかりで躍りかかってきた。それ以外の客は、突然の事態に更なる混乱を来している。
男たちは接近戦を想定してナイフを抜いていた。一人目のナイフが大仰に振り抜かれる。
リザは銃のトリガーガードでその一撃を受け止め、蹴りを叩き込んで吹っ飛ばす。反転してもう一人に弾丸をお見舞いし、蹴飛ばした男にも一発。二つの死体が転がった。
戦闘の訓練を積んでいる様子はない。容姿からしてもただのチンピラ。彼らもストリート・ギャング〈C〉の人間と見るべきか。推察は置いておき、今は一路ベアトリーチェの居る病室を目指す。
「お嬢様!」
空き病室の扉を開けると、ベアトリーチェは変わらぬ風情でベッドに腰掛けていた。
「どこに敵が潜んでいるかわからない状況です。退避します」
「あなたに従うわ」
主人の手を取る。だが、闇雲に逃げるわけにもいかない。
病院の中を通るか、外に出るか。そもそもとして、ゴール地点を決めて動く必要があった。
──まずは主人の安全を確保し、それからこの病院へと舞い戻る。
忘れてはならない。本来の目的は、ボスの護衛だ。
病院の外も中も未知数だが、地理を把握している分中の方が安全だろうとリザは判断した。
「病院の中を移動します。ついて来てください」
ベアトリーチェが了解の首肯をする。守りながらの移動は難度こそ高いものの、今リザは発奮していた。お嬢様を守る。これ以上の偉業は存在しない。
リザは入ってきた病室のドアに手をかける。
ズン、と衝撃が響き、目の前のドアが歪んだ。
リザは足を止め、主人をドアから離れるよう促す。ドアは外側からの衝撃で歪んでいた。何かがドアを破ろうとしている。横にスライドすれば開く引き戸だというのに。
二度目の衝撃──ドアが破られ、血みどろの巨女がぬるりと病室へ侵入する。
バーンズ兄妹、その妹。
岩ほどもあろうかという拳がグンと伸びて来る。主人を突き飛ばして逃がし、リザはその拳をモロに受けて吹っ飛ぶ。受け身を取る間もなくベッドに衝突した。
顔面と背中に打撲傷。口の中が一瞬の内に血で溢れ、リザは折れた歯を吐き出す。
「ンギギギギギギギギギギギギギギギギ…………」
シャークリンに撃たれた顔面は赤黒い包帯でぐるぐる巻きにされ、いびつなシルエットを描いていた。リザとハワードが撃った傷もそのまま。先刻の戦闘の後、その足でここまでやって来たのだ。兄を殺した自分を殺すために。
「兄いいいいちゃ! 兄いいいいいちゃ!」
妹は相変わらず鉄板仕込みの腕で顔をガードしていた。リザは問答無用で弱点である関節部を狙った銃撃を叩き込む。クリーンヒット。
しかし、バーンズ妹が揺らぐ気配はない。
包帯の隙間から覗く抉れた額に極太の青筋を浮かべ、白目を剥いたままこちらに迫って来る。麻薬で感覚をバカにしているのだ。そうでなくては説明がつかない。
「お嬢様、ルートを変えます」
リザは立ち上がり、ベアトリーチェの体を抱きかかえる。雲のように軽い。
病室の窓を開け、周囲を確認してから飛び越えるようにして外へ出た。
外は緑が広がる庭のような空間になっていた。普段なら患者たちの憩いの場になっているのだろうが、和んでいる暇は一秒もない。整備された花壇を避ける余裕もなく、草木を踏み潰しながら走り出す。
すると、背後で壁が爆ぜた。リザが飛び越えた窓どころか、窓枠ごとすべてバーンズ妹がタックルでブチ破って外に出てきた。
「っ……化け物が」
「リザ、前!」
ベアトリーチェの指摘を受けて前を見ると、壁の破壊音に吸い寄せられたようにチンピラたちが集まり始めていた。
抱えた主人を下ろし、淀みのない動作で銃を構えて狙い撃つ。長距離射撃は訓練を重ねているこちらに利がある。チンピラたちはリザの一発ごとにもんどり打ってその場に崩れた。弾が切れる。
「お嬢様、走ります」
後ろを向き、主人の顔を確認する。こちらを信頼してくれている微笑み。
そのすぐ後ろに、巨人が立っていた。
──速い。
「兄いいいいいいいちゃ! お前の! 兄いいいいいちゃ!」
意味不明の絶叫を上げながら、妹は今にもタックルを放たんと身をかがめた。
「お嬢様!」
手を引いて抱きしめ、飛ぶ。二人が元居た場所を血みどろの巨人が駆けて行き、その突進で病院の外壁がまたも崩れた。
「お嬢様、お怪我は」
「大丈夫」
そう言うベアトリーチェは、笑いながら手を震えさせていた。体は抗えないということか。ともすれば、武者震いか。
無礼を承知で主人の手を強く掴み、走り出す。
ストリート中からならず者を引き連れてきたかのような敵の量。巻き込まれすぎた一般人。まるで抗争を超えた戦争の域に達している。
冷や汗と熱い血が同時に額を滑り混じり合う。使命に燃える体は、背後から迫る巨大な殺気に怖気を覚えていた。ここでしくじれば主人を失う事実が、リザの心を奮い立たせると共に震えさせている。
駆け抜けた先で、リザたちは開けた空間に辿り着く。
バーンズ妹から逃げるのに必死で、それが裏口に続く空間だと気づくのに一瞬の時間を要した。
裏口で銃撃戦を行っていたチンピラたちの視線と銃口が、一斉にこちらに向かう。
リザの銃は弾切れだった。
「お嬢様、失礼します」
その場で敵に背中を向けながら、主人を強く抱きしめた。
「リザ?」
背後で銃声が轟く。その最中に、リザは既に亡き父の声を聞いた。
『使命を成し遂げてください、リザ・ストーン。我が娘よ』
果たすべき使命。命の使い方は決めている。
「大丈夫です」
銃声が連続する。チンピラどもの銃撃は下手だった。それでも、数を撃てば命中はする。
「リザ!」
この土壇場、主人ですら笑顔をなくした刹那。己の体に弾丸が突き刺さっている今。
リザは、笑みを浮かべていた。
──負ける気がしない。
この身を賭してお嬢様をお守りし、生きながらえていただく。その歓びが脳を、体を満たしている。
そして、奥底から湧き上がってくるその力を体中の筋肉に行き渡らせる。
リザ・ストーン。石造りの蜥蜴──魔除けの石怪物。
それを育て上げた父は、主人を守り切ることが叶わなかった。
──父上、私はやり遂げます。
石どころか鋼の域まで鍛え上げた肉体は、一切の侵徹を許さずすべての弾丸を受け止める。
同時に、リザは拳銃のリロードを済ませていた。敵の銃撃が止んだ瞬間を逃さず振り返り、一発ごと丁寧に銃弾を脳髄へと送り込む。全員残さず地獄へ叩き込んだ。
「リザ! リザぁ!」
「すべて大丈夫です、お嬢様。耳を塞いでいてください」
言われた通り耳をふさいでくれたのを確認し、弾倉に詰まった銃弾を迫り来るバーンズ妹の膝関節にすべて叩き込む。
膝を完全に破壊したのを確信する。
が、膝を突くことはなかった。想定していなかったわけではない。リザは次の弾丸を装填しつつ、抱きしめた主人を連れてその場を離れんとする。
不意に足がもつれ、リザは主人を押し倒す形でその場に転倒した。
──あれ?
幸いベアトリーチェの後頭部に腕を回していたため彼女を傷つけることはなかったが、こみあげて来た嘔吐感に抗えずにいる内に吐血。ベアトリーチェの頬から首にかけてを、リザの血が濡らした。
背中から、急速に体が冷えていく。血を流しすぎていた。
「……申し訳ありません。逃げてください」
二人を覆う巨大な影。リザは自分がまだ動けることを確認しつつ、もう間に合わないことを悟っていた。
「お疲れ様。よく頑張ったわ」
主人に、逃げる気配はなかった。
「……どうして、笑っているのですか?」
艶然と笑む。それは正に、勝者の笑みであった。
「死んだら承知しないわよ」
覆いかぶさる影が濃さを増した。二人の上空だけ夜になったかのような錯覚。おそるおそる上を見やる。
巨人が二人、リザたちを中心に置いて対峙していた。
新たに現れた巨人は、その強靭な肉体をパツパツのチャイナ服に詰め込んでいる。肌の色からしてアジア系。
出血の末に見ている幻覚でなければ、彼は。
「カワイコチャン、オツカレ!」
「ユン・ディ……?」
情報屋ヤオに仕えるユン姉弟、その弟──ユン・弟。
「兄いいいいいいいちゃ! 兄いいいいいいちゃンギイイッ!」
ユン・ディの振るった剛腕が、バーンズ妹の顔面を捉えた。
岩同士がぶつかり合うような轟音が頭上で響いたが、バーンズ妹がダメージを受けている様子はない。ユン・ディが更に一撃を叩き込むが、バーンズは腕の鉄板でそれを防いだ。
鉄板を全力で殴ったユン・ディも特段怯む様子はなく、二対の巨人はリザたちを間に置いたままねめつけ合う。
「ンギ! ンギ! ンギ! ンギ!」
「吵! 吵! 吵! 吵!」
意味不明の絶叫を交わし合う二人を他所に、リザはベアトリーチェと共にその場をなんとか脱出した。窮地を抜け出した安堵からか、リザはその場に突っ伏してしまう。
「リザ、大丈夫?」
「……お嬢様に怒られたくは、ないので。大丈夫にしてみせます」
今にも意識を失った方が楽になれるだろうが、まだこの人生を手放すつもりはない。
目の前で起きている怪獣対決に意識を向け直す。両者共にそのまま動かず、互いを罵り合うかのように言葉を投げつけ合っていた。
「兄いいいいいいいちゃ! 兄いいいいいいいいちゃ!」
「你太爱了你哥哥……心很疼吧? 那么、我干掉你!」
突然ユン・ディが流暢な中国語を喋り出したのを皮切りに、二人の距離がズンズンと近づいていき──剛腕同士の取っ組み合いに。さながら相撲のごとく、がっぷり四つに組み合った。
「ユン・ディ! やっておしまい!」
誰の声かと思ったら、傍らに座るベアトリーチェの激であった。それに習い、リザもかろうじて出せる声で「が、がんばれ~」と声を上げる。
明らかに負傷を重ねたバーンズの不利に見えたが、状況は拮抗していた。脚の関節から大量の血を噴き出しながら未だに倒れることはない。
その戦いぶりを目にしてか、ユン・ディの顔は晴れやかだった。心なしか、ヤク漬けのバーンズすらも愉しげに見える。
「ンギイイイ…………お前、も?」
「是」
交わしあう言葉は通じ合っているのだろうか。地を揺らすような巨体の大一番は、ここに来て最高潮を迎えつつあった。
「弟弟、なに遊んでるの」
重たい銃声が一つ鳴ると、バーンズの側頭部が血を噴いて消し飛んだ。
ユン・ディが押し切るまでもなく、その体は地面に倒れ伏す。もう動くことはなかった。
龍の入れ墨が走る腕に、ドでかいライフルを担いだユン・姐がそこに立っていた。
「随分と派手にやったな、小狗」
ユン・ジェの背後には、他の護衛たちを引き連れた彼らの飼い主──情報屋、ヤオの姿もあった。いつも通り青地に金のチャイナ服姿である。
「ヤオ……なぜここに」
「きな臭い情報を掴んでな。教えてやろうと思ってみればこの事態……なので、降りかかる火の粉は払うことにした」
そう言うと、ヤオはベアトリーチェの前でしゃがみ込んだ。
「ミス・オニール、俺の私兵を使っていただいて構いません。この場を制圧してきてください。あなたなら、できますね?」
ベアトリーチェは笑う。いつものポーカースマイルよりも深い、愉しげな笑みだった。
「お安い御用よ」
ユン・ジェがヤオの護衛に残ることとなり、ユン・ディを含むヤオの兵士たちを連れたベアトリーチェが歩き出す。去り際、主人はこう言い残していった。
「リザをお願いね」
「朋友をみすみす死なせるつもりはありません」
ヤオは拳を合わせ、中国式の礼をしてみせた。
「……なぜお嬢様を行かせたんですか」
「俺が行くより、顔が知れてる彼女が行く方が話が早い。それに、俺と積もる話もあるだろ」
ヤオが自分の背中を指差す。おぶられろと言うことか。渋々ながら、リザは彼の背に己を委ねることとした。
「重いな」
「筋肉質なので」
彼の足取りはフラついていた。この分ではユン・ジェにおぶられた方が良さそうだが、銃を手にする彼女の手を煩わせることはできない。
「軽口が言えるなら大丈夫だな。ボスは存命か?」
「……はい、おそらくは」
二人は歩き出し、ガラ空きの裏口から病院内へ。そこら中に死体が転がっており、ここが病院だとはまるで思えない惨状が広がっていた。
「最悪の結果は防げたようだな」
言われて、リザは歯噛みする。最悪は防げた。だが、最悪とはなんだろうか。起きた問題のことごとくを取り上げた時、最悪の基準はどうにでも変わり得る。
「なにがあった?」
ヤオにはお見通しである。リザは事の一部始終を手短に伝えた。
「そうか、アンクが……あいつにはユン・ジェを通して高額の案件があるとチラつかせていたんだが」
そういえば、彼にはアンクをヴィスコンティの護衛になるよう誘導するという仕事を頼んでいた。ちゃんとこなしてくれたらしい。結果はこの通りだが。
「金で動くときの目をしてなかったよ」
ユン・ジェが、珍しく口を開いた。その鋭い瞳が、こちらを見据えている。
「おもちゃを見つけた目だ」
アンクは金より私欲を取ったということだ。リザ・ストーンと戦うという欲を。
──私が、いたずらに未来を変えてしまった。
もはや、揺るぎようのない事実だった。
「顔を上げろ、小狗。今にも死にそうな顔をしているぞ」
病院の中心部に近づくにつれ、銃声が近づいてくる。オニールの人間やベアトリーチェの連れた兵士たちが戦っているのだ。自分の有り様が不甲斐ない。
「お前に死なれては困る。せっかく面白くなってきたんだ、もっと楽しませろ」
しかし、この男はブレなかった。情報を拾い上げながら、この街、この世を楽しんでいた。
「……ふっ、あなたのエンタメのために長生きするつもりはありませんよ」
「それでいい。愚かなメイドがお嬢様の尻を追い駆ける三文芝居が見たいんだ」
不意に、眠気が襲って来る。強い眠気だった。
「……ヤオ、感謝します。どうか、お嬢様をお願いします」
「おい、なにを言ってる。ユン・ジェ、外科治療の心得はあるよな?」
「そんな重傷人は無理」
「急いで外科医に診せるぞ。ミス・オニールに殺される」
大丈夫ですと言いたかったが、リザの意識はもう滑り落ちようとしている。
死ぬつもりはなかった。死ぬときはお嬢様と共に。今はまだその時ではないとわかっているから、リザは死ぬ気がしなかった。
〈To be continued〉




