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マフィアン令嬢の武闘派メイド~お嬢の闇堕ち防ぐため、不肖メイドは乙女ゲームを終わらせます~  作者: いかろす


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Ep18.汗血病棟-①

 付近の病院に向け、一心不乱に車を走らせる。


 道行く車をすべて追い越しながら進みたかったが、スピードの出しすぎはボスの怪我を刺激しかねない。やきもきしながら、リザは車を操作する。


「リザ、そっちじゃねえ」


 かすれた声で、ボスが車の行き先を指定する。この耳に届く音量ではあるが、いつものドでかい声と比べれば蚊の鳴くようだと言っても過言ではない。


「しかし、距離が……」

「つべこべ言うな」


 どうやら、信頼できるドクターの居る大病院でなくてはならないらしい。身を隠す意味でも闇医者に預けるのがベターだと考えていたが、ボスの意思は固かった。


 従わない理由はない。可能な限り、それこそ父ハワードがやってみせたような精密な運転を心がけ、道を急ぐ。


 なにかに集中していないと、過去が追いついてきて自分を絡め取りそうだった。


 必要以上の力で握ったハンドルは、リザの膂力で歪み始めている。




   到着早々ボスを救急に預け、リザも簡単な外科治療を受けた。その内組織の者たちが集まり始め、周辺の警備を固めていく。


 一般客が詰め寄せていた大病院はあっという間に物々しい雰囲気へと変貌する。待合の客が恐々と帰っていく様も散見された。


 リザも警備に参加したいと願い出たが、怪我人は引っ込んでいろと言われてしまう。何かしていないと落ち着かなかった。後悔と己への怒りで死にたくなってくる。


 待合ホールで俯いたまま、拳を握り続けていた。左手に巻かれた包帯から血が滲み出ている。自分を痛めつけていないと気が狂いそうだった。


 その時、聞き慣れた足音が耳に入り、リザは思わず身を震わせる。その気配に恐れを抱いたのは、初めてのことだった。


 麗しき顔に虚無を浮かべ、目元を腫らした主人──ベアトリーチェが、そこに立っていた。


 〈黒傘の君(ラブ・パラソル)〉を象徴するトレードマークの傘を、今日の彼女は握っていない。


「……お嬢様、申し訳」


 ベアトリーチェはこちらを見向きもせず、手術室の方へと足を向けた。


 リザはその瞬間、死を覚悟した。


 誰に殺されるのでもない。自死だった。己の存在価値を使い潰し、生きていく道が見いだせなくなった。今この瞬間にも懐に入れているナイフで首をかき切って楽になりたかった。


 そのナイフは、大切に使い続けていた主人からの贈り物ではない。


 我が父を殺し、守るべきボスを傷つけた男のナイフだった。


 取り出してみると、リザの手にはわずかに余る。が、使えないことはない。手入れを怠っていないのは斬られたからこそよく分かる。


 不思議と、アンクに対する怒りは湧いて来なかった。


 アンクという男は戦いを好むが、あくまで仕事人。今回の襲撃も、ただ金のために雇われただけに過ぎないはずだ。


『あんたは、俺が殺す』

『俺はお前とやりあいてえんだよ、メイドさん』


 本当に、金で雇われただけだろうか。


 アンクがそのスタンスを変えるのは、クレア・ヴィスコンティと出会ってから。この世界において、アンクとクレアは出会っていない。


 彼は、リザ・ストーンがオニールの番犬だと知っていた。


 強い人間と戦うことを生きるモチベーションとする男が、しきりに自分と戦いたがっていた。そんな彼の元に、オニールのボスを狩るという仕事が持ち込まれたら。


 リザは前日譚のイベントで、既にクレアとアンクの出会いを捻じ曲げている。


 父の死を、ボスの窮状を、無明の未来を導いたのは。


 ──元凶は、私?


 震える手が、我知らず握った刃を首に当てていた。


「リザさん?」


 護衛の男たちを引き連れたクレア・ヴィスコンティが、そこに立っていた。


「……クレア様」


 彼女と目を合わせていながら、握ったナイフがリザの首に触れる。かすかな熱が走り、首元を伝い落ちる。


「だめ!」


 クレアが飛びかかるようにしてリザの元へ駆け寄り、首元からナイフを離した。彼女の手を刃がかすめ、付着していたリザの血と混じり合う。


「だめだよ」

「クレア様、危ないですよ」


 クレアの突然の行動に反応できなかった護衛たちが二人を取り囲むが、逆にクレアが護衛たちを睨みつけて静止させた。


「危ないことしてるのは、リザさんの方」

「これはオニール・ファミリーの……いえ、私の問題です。クレア様に関わりは」

「あなたの問題はもうわたしの問題。だから、死んじゃダメ」


 投げかけられた言葉を、リザはすぐに飲み込むことができなかった。それだけ彼女の言葉は理屈になっておらず、さながら無造作に練り固めたエネルギーの塊のようで。


 それが相手の事情に関わらず踏み込もうとする、主人公クレアの巨大な愛だと認識するのに、時間がかかってしまった。


「あなたが死んだら、ビーチェも悲しむよ」


 それを言われたら、リザは何もできなくなってしまう。たとえ主人が自分をどう思っているとしても、主人が悲しむ可能性が一片でもある限り、リザは命を無碍に扱えない。


 だが、主人は自分になにも言わず、一瞥もくれず、軽蔑の言葉もクビの宣告もなく去っていった。彼女の世界にもう自分は居ないかもしれないのだ。


「あっ……ビーチェ」


 クレアの顔が左方を向いた。そちらから主人が歩いて来たのだ。足音でそれは確実なものとわかったが、リザは顔を上げることができなかった。


「リザ」


 冷たい声が己を呼んだ。おそるおそるリザは顔を上げ、主人の方へと顔を向けようとする。


 強烈なビンタが頬を打った。


 じんじんと頬が痛む。今日負った体中のどの痛みよりも鮮明に感じられる。


 主人は、先程見た時よりも痛切な面持ちを浮かべていた。


「目は覚めた?」

「……はい。申し訳ありません」

「そう、よかった」


 そう言うと、主人はクレアの方へと向き直った。


「ビーチェ、大丈夫?」

「ええ。手術もひとまず成功したみたい」


 リザの心にのしかかっていた重圧がまた一つ取れる。ボスは生きている。父から託された使命と、主人の未来を守るという使命は、ひとまず首の皮一枚で繋がった。


「クレア、ここも危ないわ。お見舞いに来てくれたのも、私のメイドを助けてくれたのも感謝してる。でも早く離れた方がいい」

「……わかった。でもビーチェは?」


 ベアトリーチェは、普段通りの微笑みを浮かべながら告げた。


「大丈夫、わたしにはリザが居るから」


 主人の言葉は自信に満ち溢れている。それは付き人への、なによりの信頼のあらわれ。


 これ以上にリザの心を叱咤するものはない。


 クレアは納得いかない様子だったが、護衛の者たちにたしなめられてようやく折れたらしい。この様子だと、見舞いに来るのも強行軍だったに違いない。


「気をつけてね」

「あなたもね」


 言い合って、二人は別れる。クレアは名残惜しそうにこちらに視線をやっていたが、護衛たちに促されて病院を去っていった。


「リザ、ここじゃなんだから場を移しましょう」


 そう言って、ベアトリーチェは病院の中へ。静かな院内を主人に着いて歩き、空いている病室に入った。


 ベアトリーチェはベッドの上に腰を下ろし、リザに隣に来るよう手招く。


 果たして、なにを言われるのか。おそるおそる主人の隣に腰を下ろす。


 すると、彼女の顔が耳元に近づいた。


「誰だと思う?」


 意味がわからなかった。


 否、遅れて理解はやって来た。ベアトリーチェは既に今回の襲撃について把握し、そこに内通者が介在していることを察知している。


 その上で、付き人であり現場を体験したリザと思索を重ねようとしているのだ。


「……責めないのですか?」

「死にたくなるくらい反省してくれたんでしょ?」


 ベアトリーチェの手が、リザの左手に重なった。冷たくやわらかな手。ごつごつして大きなリザの手とは大違いだった。


 その細い指が、先刻ナイフで刺した傷を強く押さえた。ようやく落ち着きだした傷を刺激され、痛撃が走る。


「自死なんて絶対に許さない。あなたはわたしと一緒に死ぬのよ」

「お嬢様……」


 押された手が痛む。しかし、甘い痛みとなってリザの脳を震わせていた。


 尊崇するお方がこんなにも自分に愛を注いでくれている。このまま死んでしまえたらどれほど幸せだろう。もうリザの心の器からは、注がれた愛が溢れ出している。


「お父様がこんなことになって、あなたにまで逝かれたら……わたし、なにもかもなくしてしまうわ」

「私などがおらずとも、ご家族やファミリーの人間が居るでしょう」

「あなたが居なくて、誰がわたしの髪を梳かすの?」


 そう言うベアトリーチェの手には、いつもの櫛が握られていた。


「……こんなぼろぼろの手で、触れてもよろしいのですか」

「あなたの手だからいいのよ」


 主人の手から櫛を受け取り、髪を梳かしていく。


 既に彼女の髪はしなやかに整っており、こうして梳かす必要はないと言えた。


 だが、この時間がリザの心を落ち着かせていた。主人の傍らで尽くす。その喜びを甘受することができる癒やしの時間。


「わたしの采配は正解だったわね。あなたが居なかったらお父様は死んでいたかもしれない」

「ですが……」

「もうその話は終わり。事態は次のフェーズに移ってるのよ」


 今でこそ状況は落ち着き始めていたが、事態の大きさゆえにリザは焦りを覚えている。組織の誰もが例外なく同じ心境だろう。


 それに比べて、ベアトリーチェは落ち着きすぎていた。冷徹な微笑みを維持し、事態の把握をしようと務める。先刻自分を置いて手術室に駆けて行ったのと同じ人物とは思えない。


 だが、今となってはわかる。年相応のみずみずしい感性と、勝負師ギャンブラーとしての冷徹な思考。その両輪で駆動するのが、我が主人なのだと。


「オニールのボスを殺したい人間なんていくらでも居る。でも、オニールの内側に居るとなれば話は別よ」


 この場合において、乙女ゲームの知識などは役に立つはずもない。ベアトリーチェが考えるのをサポートするのに徹する他なかった。


「上層部の動きを即座に把握して、多くのならず者を動かすことができる人間……でも、それだけで絞れる人数は案外少ないわ。別の判断材料がいるわね」

「……そういえば、シャークリン様はどうされたんですか?」

「彼女も怪我を負って、別の病院に入院しているわ。ここにオニールの上層部が勢揃いじゃまずいものね」

「そうですか。ケヴィン様は」

「変わらず家に。……もしかして、〈食卓〉の人間を疑ってる?」


 主人の言う食卓とは、先日リザが同行したオニール家の食卓のことを言っているのだろう。あれは血がつながった家族と、ある程度高位の幹部だけが同席を許されている。


「あるいは、と……失礼しました」

「いいえ、正しいと思うわ。だってわたしが全部の糸を引いてる可能性だってあるんだもの」

「お戯れを」

「ふふっ。でも……正直なところ、動機の面でそれは考えられないと思うの。あなただってそう思うでしょ?」


 それはその通りだ。あの日見た微笑ましい食卓の光景。あそこに居た人間が、ボスを殺して組織を揺るがそうとしているなど考えられない。


 苦悶の面持ちで頷くリザを見て、ベアトリーチェは首を傾げた。


「ねえ、お父様の体については聞かされた?」


 体と言われて、リザはボスの派手な体つきを想う。未来ではメタボリックシンドロームと呼ばれるそれは確かに多くの死亡リスクを抱えているだろうが、特になにかを言われた覚えはなかった。


「なるほどね。……わたしたち〈食卓〉の人間からすればね、何年か待てば済む話なの。急ぐ必要なんてそんなにない。焦りを抱く理由がなければ」


 なにを言っているのかさっぱりだった。ともすれば、それこそがボスが言っていた「ベアトリーチェの真意」というものなのか。


「お父様の体はね、取り扱い注意(フラジャイル)なの」


 珍しく主人のおもてが曇り、口は重いようだった。


 言いたくないなら言わなくていい。付き人としてそう言葉をかけたかったが、リザはそれ以上に知りたい、知っておくべきだという気持ちを掻き立てられている。


「お父様は糖尿病ダイアビティスよ」

「……糖尿病?」


 まるで予想していなかった内容。リザは糖尿病に関する知識を持ち合わせておらず、それを聞いただけでは何一つとして理解ができなかった。


「それは、つまり……」


 言葉を紡ごうとした主人の声を、銃声が遮った。


 方向からして、音の発生源は病院正面入口だった。銃声は次第に連続し始め、銃撃戦の様相を呈し始める。


「敵は本気のようね」

「お嬢様、ここは危険です。退避しましょう」

「いいえ、迎え撃つべきよ。行きなさい」

「……承知しました。ここでお待ちください」


 ベアトリーチェを空き病室に一人残し、リザは移動を開始する。


 行きさしに見えた病院の裏口はオニールの人員が固めていた。裏に敵の手は及んでいない。リザは待合ホールへと足を向ける。


 辿り着いたホールは、阿鼻叫喚の様相を呈していた。


 入口近辺では、集まった敵を迎撃するオニールの面々が銃声を幾重にも轟かせる。そして、奥に固まっている一般客や病院職員たちもまた、悲鳴と罵声を響かせていた。


 屋内へ飛来した弾丸や跳弾が壁や待合席を抉り、人間にも平等に着弾する。本来清潔で消毒剤の臭いが漂う病院だが、血に汚れて硝煙の臭いが漂う空間はもはや戦場と言う他ない変貌を遂げていた。


 懸念は現実になった。ここはボスのかかりつけの病院である。敵──裏切り者が把握しているのは必定だ。


 リザは手持ちの拳銃の装弾を確認しつつ、入口の方へ加勢すべく歩き出す。


 その時、視界の端で客の一人が立ち上がるのを見た。その手には、短機関銃トミーガン


 リザは即座に反応して銃口を向ける。引き金を引いたのは、完全に同時だった。


 男は血と脳漿を辺りにぶちまけながら即死したが、引き金にかけられた指は固まったままであった。死体は銃口の向かうがまま縦横無尽にフルオート連射をばら撒き、幾人もの一般客が血を噴いて転がる。


 たちまち悲鳴の大合唱が巻き起こると、かろうじて無事な一般客たちが恐れを成して逃げ惑い始めた。彼らは散り散りになり、病院の奥や裏口方面へ向かい始める。


 一部始終を見ながら、リザは最悪の想像をする。既に病院内に敵が侵入していた。これ以上の潜入分子が居る可能性も捨てきれない。


 ボスの病室近辺は警備を固めているが、主人の待つ病室には警備が居ない。


 ──お嬢様が危ない。


 〈To be continued〉

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