Ep11.前日譚の終わり-②
パタパタと駆けてきたクレアは、その勢いままにベアトリーチェにハグをした。
「ビーチェ~今日もかわいい!」
「あなたもね」
まんざらでもなさそうなベアトリーチェも、それに応じて抱き返す。なんと微笑ましい光景だろうか。
不意に、クレアの顔がくるりとリザの方を向いた。
「リザさん、雰囲気変わった?」
ケヴィンに続き、本日二回目の問いかけ。リザは予想以上の不意を突かれた。
「……ごきげんよう、クレア様。恐縮ですが、特に変わった覚えはありません」
言うべきことは決まっていた。ただ滔々と述べるだけだ。
「え~? いやいや、表情がやわらかくなってる! ビーチェもそう思わない?」
顔。リザは自分の顔を覆いたい衝動に駆られるが、いつも通りの表情を維持してこらえる。
そこまで顔に出ているのか。それとも、彼女の主人公としてのポテンシャルがリザという存在を見透かしているのか。
ベアトリーチェが何か答えようと口を開くが、ハグから離れたクレアが「あっ!」と声を上げて遮ってしまう。そして、クレアは手にしたカバンをゴソゴソ漁り始めた。
そういえば、似たような絵面を見たことがある。クレアはいつも憔悴した風なケヴィンを元気付けるべく、その時カバンに入っていた物をプレゼントしたのだ。たしかその時は偶然入っていたマッチ箱か何かだった気がする。
果たしてクレアは、その手に余る大きさの銃を取り出して、ベアトリーチェに向けた。
──は?
一瞬、反応が遅れた。
しかしリザは弾丸のごとき速度で腕を上げ、クレアの銃口と主人の間を手で塞ぐ。
間に合った。が、もしクレアが狙いを変えるようなことがあれば。そもそも手だけで守りきれるのか。どれだけ手の皮が厚く肉が鍛え上がっていようと、銃弾を防ぐには無理がある。
──クレア・ヴィスコンティを殺す。
不意に蘇る過去の思考。主人と己の運命を救うための、乙女ゲームを終わらせるための、取るわけにいかない最悪の手段。
「あっ、水入ってないや」
たはは~、と間の抜けたクレアの声。
銃弾どころか、水すらも発射されずにその襲撃は幕を閉じた。
「……ぷっ、あははっ! ちょっとクレア! あなたバカなの?」
沈黙に耐えかねたようにベアトリーチェが吹き出す。年相応の可愛らしい笑い声が広場に響き、場の空気が一瞬にして弛緩した。
「バ、バカとはなに! カバンにハンカチ入れ忘れることだってあるでしょ?」
「少なくとも、命を預ける物の手入れを怠ったりはしないわ」
「今はそんな話してない! も~わたしってホント……あっ、リザさん流石! すごい速さでびっくりしちゃった!」
「……滅相もございません」
楽しげに褒めてくれるクレアに頭を下げつつ、リザは安堵する。
水鉄砲だということは、おもちゃとしか思えない銃を見た時点でわかっていた。だというのに、リザの背は噴出する冷や汗にまみれている。
クレア・ヴィスコンティがベアトリーチェ・オニールに銃を向ける。
それは、さながら〈紅のオメルタ〉という世界が持つ構造を戯画化したように思えてならなかった。
クレアの無邪気なあり様が動かす世界と、悪に堕ちた少女。しかし、引き金を引いても弾は出ない。クレアの周囲を固める世界が、悪役令嬢を粛清する。
考えすぎとわかっている。それでも、憂慮せずにはいられない。
「ハワードさんから言われてね。娘に試練を課しているので、ご迷惑をおかけするかもしれませんって」
老紳士の口調を真似てクレアが言う。あの親父、ここにまで根回しをしていたのか。リザの試験とはいえ、主人とその親友のお出かけの時間に水を差すのは許しがたい。
「だからこう言ったの。わたしが刺客をやるから、デートの邪魔だけはしないで! って。おめでとうリザさん、これで三人のデートは平和だよ!」
クレアはにっこり笑っていた。ヴィスコンティ・ファミリーの娘にそう言われれば、流石のハワードも断れまい。
そして、その笑顔に和み始めている自分が居る。
相手のテリトリーにズンズン踏み込んだ上で、その愛くるしい笑顔と突飛な振る舞いで相手を魅了する。闇深い裏の社会に咲く向日葵のような存在。
こうして相対してこそわかる。こうも魅力的に映るものかと。
そもそもとして、リザは──というより風子は、この主人公に強く移入してゲームをプレイすることはあまりなかった。乙女ゲー主人公としては我が強いタイプで、ユーザーの評価も賛否両論分かれるところであった。
なればこそ、風子は主人を強く想うアンクの姿に魅力を感じ、自分の進路にも影響を受けるに至った。良くも悪くも、彼女はキャラが起っている。
推しカプの片割れ。それがリザ=風子にとってのクレアだった。
殺すなど言語道断。むしろ、私が守護らねば……と思うレベルなのだ。
「……クレア様には敵いませんね」
「えー? リザさんと戦ったらわたしすぐ死んじゃうよ!」
その通りだろう。しかし、リザはもう彼女を守りたくなっている。それもまた、主人公が持つ力なのだろう。
「では、そろそろ行きましょうか」
「デート開始!」
三人は移動するべく車に乗り込む。
ふと、リザは主人の視線を感じた。振り向くと既にそっぽを向いていたため、どんな面持ちでこちらを見ていたかはわからない。
──ともすれば、嫉妬されている?
クレアと親しげに話す様を見て、自分のリザを取られたとでも……などというのは、妄想が過ぎるだろうか。
今日のメインはミュージカル鑑賞である。都市部に建てられた芝居小屋──それもオニールが後援している──で、前々からクレアが観たかったという舞台を鑑賞した。
クレアはハワードと約束を交わしたと言ったが、それを信じていいものやら。リザは二人のそばに居たものの、舞台の内容もまるで聞き取れないまま警戒態勢の時間を過ごした。
結局のところ、主人に水鉄砲が向かうことはなかった。
だが気落ちすることはない。護衛を勤めるということは本来こういうもの。真に命の危機が迫るとき、予告されることはない。
舞台を見終えた一行は、その足で食事に向かった。
三人がやって来たのはイタリアンレストラン〈インクローチョ〉。お世辞にも広いとは言えず、素朴な内装ではあるが、確かな味に客が集まる人気店である。来店時にはほとんどの席が埋まっていた。
この店はオニール・ファミリーとヴィスコンティ・ファミリーのシマのちょうど真ん中辺りに位置しており、両ファミリーの人間や街の有力者が食事に来ることでも知られている。
「クレア様、ベアトリーチェ様、お待ちしておりました」
来店すると、姿勢のいいボーイが出迎えてくれる。そして、店の奥に位置する予約席へと案内された。
席へ移動しながら、リザは店に詰めかけている客たちを眺め回し、見知った姿が居ないことを確認した。
この店は〈紅のオメルタ〉にも登場する。キャラクターと会って話をするシチュエーションであったり、会合をするような場面でも用いられる。ゆえに、攻略対象の一人や二人が来店していてもおかしくはないのだ。
「リザさん、ここ座って!」
快活な声に呼ばれる。四人がけのテーブルで対面に座る主人たちの内、クレアが隣の椅子を引いて促していた。
「いえ、私は……」
主人たちと自分なんぞが対等でいられるわけがない。いつも通り、ベアトリーチェの後ろに控えているつもりでいたのだが。
「リザ、座るならここになさい」
なんと、ベアトリーチェまでもが椅子に、しかも隣に座るよう促してきた。
──え、ハーレム百合展開?
二人の美少女が、自分の隣に座れと言っている。それすなわち、この美少女たちが自分を取り合っている? とでも?
リザはついに自分の思考が千々に乱れつつあるのを悟った。この選択肢の先にはなにがある? 選んだお嬢様からあーんとかしてもらえるのか?
「ビーチェの隣はパパに座ってもらうもん」
「パパ? ドン・ヴィスコンティが来るの?」
「うん。予定が開いたからこの後来るって」
なんと、この後ここにヴィスコンティ・ファミリーのボスがやって来るというではないか。主人のメイドとして、なおのこと醜態を晒すわけにはいかなくなった。
主人公と悪役令嬢。ともにゲームを彩る二大スターであり、その可憐さは言うまでもない。リザは己の忠義に従おうとしつつも、クレアの放つ引力のようなものに引かれかけていた。
だが、彼女にはアンクが──というより、何人もの攻略対象たちが居るのだ。
鍛え上げた鋼の筋肉で引力に抗う。リザはなんとかベアトリーチェの隣に腰を下ろした。
「ふふっ、それでこそわたしの付き人」
「リザさん、今度のときはわたしの隣だよ」
どう答えていいものかわからず、リザは置かれたグラスのレモン水を口に含んだ。わずかな酸味が、緩んだ脳を引き締めてくれる。
「……クレア様は、ここに同席するような付き人を置かないのですか?」
クレアの護衛には、リザのような付きっきりの専属担当が居ないようである。とりもなおさず、それは攻略対象であるアンクがまだヴィスコンティに雇われていない事実を表していた。
「リザさんみたいな人が居たら付いてもらいたいんだけど……」
「リザはウチのよ」
「わかってるよ~。はあ、誰か素敵な人居ないかなあ」
まるでコイバナだが、その気持ちはわからないでもない。己が命を預ける人間だ。多くを望んで何が悪いというのだろう。素敵であれば尚の事良い。
──私も、お嬢様にとって素敵な人間であれるよう努めねば。
ともかく、これでヴィスコンティの事情はなんとなく察せられた。まだクレアのところまで護衛担当の情報が降りてきていないだけかもしれないが。
料理を待ちながら、ふと遠くの窓に映る自分たちの姿を見た。そして、既視感を覚える。
それは風子の記憶であり、〈紅のオメルタ〉のワンシーン。正に今と同じような形で、両家の娘とその護衛担当が向かい合って食事をし、談笑するシーンがあるのだ。
そして解散後、眼の前でリザたちを見たアンクが言う。
『あの女、只者じゃないな』
『ビーチェの付き人のリザさん?』
『ああ……それもそうだな。同じニオイがする』
武闘派の付き人同士が実力を認識し合ったシーンにも思えるが、それにしては戦闘民族のアンクが笑っていない。
それはリザだけでなく、同席するベアトリーチェの闇をアンクが見抜いていたシーンだった。
あのシーンにも、いずれ辿り着くのだろうか。だとしたら、もっと円満な形であってほしい。無駄な血が流れるようなことのない、輝かしい未来で。
「きっと見つかるでしょう、クレア様に見合う方が」
「そんなに上手くいくかな?」
近日中にはその時が来るでしょう、などとは口が裂けても言うまい。ましてや、悪漢に攫われかけたところをものすごいイケメンが助けに来て、それがあなたの運命を変える出会いになるなどと。
──出会い?
かすかな引っ掛かりを感じた瞬間、リザの脳裏を電撃が駆けた。
紅のオメルタには前日譚が存在する。ゲーム予約特典のブックレットに掲載されていた前日譚小説集〈THE DAWN〉である。
そのアンクの章『邂逅』では、アンクが初めてクレアを認識した日が描かれる。
仕事を終えた彼が〈インクローチョ〉で食事を取っていると、見るからに身なりが良く、また周囲に手厚く守られている少女たちを目撃する。無論、これはクレアとベアトリーチェである。
身分の違いを感じ、彼女らと自分の世界が真に交わらないだろうことを思いながら店を出るアンク。そこで彼は、店を襲撃しようとしていた男を発見。なんとなく撃退する。
その現場を目撃したヴィスコンティのボスが、彼を勧誘する──というオチ。
世界が違うと感じるアンクの心境と、それでも彼はクレアを守る運命にあるという示唆。始まる物語へのバトン。
言うなれば、それがクレアとアンクの真の出会いだった。互いを認識していないまでも、二人が繋がることとなった運命の日である。
今日は完全に三人でのデートだと思いこんでいたが、ここに遅れてドン・ヴィスコンティが来るなら条件は揃う。小説には銀髪のメイドに関する記述もあったはずだ。
ここは今、前日譚小説の渦中にある。
今からこの店は、襲撃される。
〈To be continued〉




